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PLAYNOTE Posts

11/14(月)、ゴールデン街、記憶喪失

僕には少ないながらとても良い友達が何人かいる。昨日はそのうちの一人とゴールデン街で飲んでいた。基本的に一人で飲むのが好きだからあまりゴールデン街には行かない。お酒も高いし、マスターやママさんに話しかけられると(自分が客のはずなのに)ものすごく気を使って楽しいトークをしなきゃ!という義務感が生じ、すごく疲れる。彼と飲むときだけゴールデン街に行く。何だか文化人やってるな、っいう陶酔だ。深夜まで飲み記憶をなくした。翌日Kindleを開いたら知らない漫画が2つ書棚に追加されていた。たぶん彼からオススメされて即買いしたんだろう。何をどうオススメされたかすらさっぱり覚えてないので新鮮な気持ちで読めそうだ。

11/13(日)、戯曲の書き方講座

戯曲の書き方講座。15名ほどが執筆に挑戦し、12名ほどが書き上げた。書き上げる。まずこれが大事なことだ。なので書き上げた人たちはそれだけで拍手喝采、大進歩。どれも良い作品だったが、昼も夜もいくつかどこに出しても恥ずかしくない名作が生まれていた。きちんとブラッシュアップすれば短編戯曲賞くらい狙えるかもしれない。昼の名作は恋の未練から冒頭と最後でまったく意見が変わってしまう人間の愛らしさを描いたコメディ風のスケッチ。夜の名作は80歳前後の女性3人がお茶を飲みながら引っ越すの引っ越さないのとダベる中で家族よりも大事な友情の姿をさみしくも美しく描き出していた。僕にはこういう作品は書けない。書き方の入口や順序、技術や格言はいくつか教えたが、彼らはもうすでにオリジナルな表現を手に入れていたということだ。

ある種の制約を与えるとかえって自由になれる。個性が生まれる。これは創作の不思議である。そして個性は出そうとするとうるさいが、意識せずにただ読者や観客のために書けば必ず個性は出てくる。これも創作の不思議だ。

11/12(土)、エチュード講座

今日はダルカラ演劇学校「絶対楽しいエチュード講座」。

  • エチュードはマジで楽しい。やり方さえ覚えれば。
  • 面白くしよう、展開をつけよう、オチをつけよう、わかりやすくやろう……そういった外からの視点をすべて捨てる。そこがエチュードのスタートラインだ。
  • エチュードも演劇であり、演劇は人間や人生を写し取るものだ。ふだん「面白くしよう」「意外な展開をつけよう」と思って生きている人間はいない。
  • ならどうすればいいか。ただ一生懸命生きればよい。具体的には自分の演じる人物の、目的や動悸を明確にする。相手役との関係を明確にする。これから入る場所の時間・風景・イメージを明確にする……などなど。
  • 異なる「目的」を持った二人の人物が出会う。そこには「対立」や「葛藤」が生まれる。「説得」や「懐柔」「喧嘩」「すれ違い」などが発生する。つまりもうドラマは生まれている

今日もまたいくつかの傑作エチュードが生まれていた。時間さえあればずーっとやってたいし、そこから生まれる作品名とか発想もある。エチュード苦手って人は面白いことしなきゃ強迫神経症にかかってる場合が多い。変な欲を捨てることと、自分と相手を受け入れること、そこから自分でも知らなかったオモシロが結果的に見えてくる。

11/11(金)、映画観たり

泣き疲れて事切れた次男

午前中は熱を出した次男の看病をしながらゴリゴリと12月上演の新作を書く。次男は泣き疲れて床で事切れて、布団の上に運ばれると目覚めてまた泣き始めるという無限地獄を味わっていた。昼から新国立劇場演劇研修所にて講義、「性格とは行動である」ということについてとっぷり話す。実演してもらう。夜はTwitterでぼのぼのさんがめちゃくちゃに褒めていたので今泉力哉監督『窓辺にて』を観に行く。プロットや雰囲気が12月公演の内容と近かったため勉強がてら。非常に良くできた完成度の高い映画で文句の付け所もない。脚本も演出も技術とセンスを感じる。笑いを入れるのも上手い。

しかしこういうレベルの作品を観ているともはや面白いとかつまらないではなく、監督の見ている世界と自分の見ている世界の違いについて考える。なるほどこんな風に世界を見ている人がいるんだな。それは主人公の行動や台詞だけでなく、撮り方や演出から如実に感じる。「そりゃあダルカラの芝居は叫び過ぎだって言われるわけだ」とも思ったが、あれは誇張しているのではなく、私には世界がああ見えているのだ。今泉監督の描いた「怒れない」男と僕の世界は、接しているし同じものを見ているはずだが、ずいぶん違う見方をしている。

そんなことを考えた。

11/10(木)、日本酒によるドラマだ

双葉町出身で今一緒にアーティスト・イン・レジデンス事業の立ち上げを相談している高崎丈さんの店、「高崎のおかん」に行ってきた。「熱燗師」を名乗る丈さん。完全予約制、メニューはコースのみ、お客さんはすべて19時に着席していて料理提供同時スタート。約3時間、完璧に計算された熱燗フルコースが楽しめる。こだわり抜かれたその食事はもうほとんど舞台芸術でありショーだ。メニューの順番や組み立てはもちろん、提供の順序、テンポ、タイミング、その間に挟まるMCのような説明トーク。店内音楽も専門家に作曲を依頼し、どのタイミングで何が流れるか完璧に決められているらしい。脚本・演出:高崎丈による熱燗のドラマだ。

突き出しからしてフグのお吸い物。白子の天ぷらやシカ肉のステーキなどお料理もすべて美味しかったが、それに寄り添う日本酒の味わい、マリアージュが見事。色んな味が口の中にあふれる。甘さ、爽やかさ、コク、切れ味、風味、香り、色。レモンを入れたりワインとブレンドしたり、果てはホイップしたミルクを乗せて「飲むみりん」まで味わった。普段雑にしか酒を飲まない自分は酒に謝りたい気持ちになった。いつもごめんね。

シメはまさかの卵かけご飯。鉄の釜で炊いた有機栽培の白米を、新鮮な卵と塩で頂く。今まで料理+酒が基本だったが、なるほど最後のサケは「コメ」そのものか。見事なラストシーン。

11月9日(水)、グルメ

今でも毎朝子どもを保育園に送っている。大抵ハミガキしたくなかったり靴下が見つからなかったりして出掛けるのが遅れる。しかし今朝は妙にスムーズに全てが進み普段より十分以上早く家を出ることができた。

これならあそこに行けるかもしれない。西新宿五丁目、らぁ麺屋 嶋 へ向かった。

開店50分前についたのにもう20人並んでいる。平日でこれだ。土日祝日だと50人待ちとかはザラらしい。この店は2020年にオープンしてその年のうちにラーメンオブ・ザ・イヤーと食べログ人気ランキングラーメン部門で1位を取った。今、名実ともに東京ナンバーワンのラーメン屋だ。たまたま今の職場から徒歩圏内なので今まで何度か並んでは玉砕し続けてきたのだ。

20人待ちではあったが何とか11時からの席を予約することができた。時間を潰すためコーヒーでも飲みながら原稿書くか……と入ったコーヒー屋さんが素晴らしかった。COUNTERPART COFFEE GALLERY。スペシャルティコーヒーという耳馴染みのない単語を知った。徹底的に品質にこだわり、トレーサビリティーやサステナビリティー、フェアトレードにも配慮したまさに究極のコーヒーを出す店だ。ご店主の解説を聞きながら、エル・サルバドルの手挽きコーヒーを頂いた。一杯1100円。何でも一口目はオレンジや柑橘系の香り、やがてチョコレートのような甘みと風味が広がり、飲み切った最後の後味は烏龍茶のように爽やからしい。そんなコーヒーがあるわけ……。

あった。確かにオレンジのような爽やかさだ。しっかりコーヒーの酸味はあるが、ちっとも苦くないしエグくない。コーヒー=苦いという先入観は全否定され、スッキリとして透き通った香りと風味の味わいだけを静かに楽しんだ。これはすごい。聞けば神田の別の店では一杯5000円のコーヒーなんかもあるらしい。奥が深すぎる。

11時にらぁ麺屋嶋に戻るとすでに本日分すべて完売していた。何とか一杯、しょうゆラーメンを頂く。チャーシューや海老ワンタンの入った「特製」で1600円。開店と同時に頂点を極めるのもわかる、見事な味だった。しかもそれが例えばスパイスやニンニクの香りがすごく強いとかダシが特殊で珍しい風味とか、そういう「珍味」としての美味さではない。正統派の東京しょうゆラーメンを徹底的に丁寧に作ったらこうなる、みたいな。非常に上品でレベルの高いところでよくまとまっている「料理」だ。

正直に言うと僕の舌は大変貧しいため町のラーメン屋さんの500円のラーメンでもおいしい!とうなってしまう、だからここまで並んでまた食べるかというと多分並ばないだろう。でもこういう世界もあるんだな……と感動した。提供の仕方から店内の雰囲気まで、フランス料理のようなと言えばさすがに言い過ぎだが高級料理を食べてるような感じだった。

夜は地元の気になっていた焼き鳥屋さんへ。これが焼き加減もバッチリで程よく香ばしく、またメニューにも一工夫あって大変おいしい。近所にこんな美味しい焼き鳥屋があるとは盲点だった。十本近く食べて瓶ビール2本飲んでも3000円行かないという安さも嬉しい。

来週末まで東京にいる。こういうグルメ巡りは福島県浜通りでは全く難しい。個人的には食のバリエーションとレベルという意味では東京はニューヨークやロンドンよりも上だと思っている。最後に先週末に食ったカレーの写真も貼っておく。

神田のボンディとボンベイ。世界に誇れるカレーだ。

へとへと

朝子供を保育園に送り届けてWi-Fiのあるファミレスに滑り込み9時半からZoom会議、×2件。その後、見積書作って送ったり、原稿の草案作って送ったり、演劇学校の教科書執筆したり、新国立劇場演劇研修所の授業準備していたりするともう時間だ。13時半から授業、稽古。生徒たちに「イメージの極意」を伝えるも、そう一気に良くはならない。彼らを見ていて思うのは、

  1. 技術は教えられる。俳優は訓練すればその分だけ必ず上手くなる。
  2. センスは知識&インプット量に比例する。インプットを増やすのは努力すればできる。
  3. しかし面白いかどうかは、その人が本当に面白く生きているかにかかっている。そして自分自身の面白さをちゃんと気づけているかによる。

3が厄介で。その人の面白さに本人が気づいていない場合って往々にしてある。かつ、本人の面白さを上げるには一朝一夕ではいかない。どう生きるか、生きているか。それが全て出るのが俳優という仕事であり劇作家という仕事だろうといつも思う。

夜はまたZoom会議。しかし12月公演の制作・ばねちゃんととても良い話ができた。彼女は福島を救う女神になってくれるかもしれない。Twitterに書いてないだけで昨日までの日記もすべてあるのでご覧下さい。

皆既月食でしたっけね?

1/7(月)、田舎の家の裏口

演劇研修所の学生たちと『わが町』を一行ずつ読み解いている。ほんのちょっとしたことに違和感を持つ、引っかかる、疑う。全てはそこから始まる。今日もいろんな発見があったが、個人的には「なぜ新聞をもらったギブズ医師は徹夜明けなのに家に帰らずその場で新聞を読み始めるのか」という一見至極どうでもいいことが一番大きな発見だった。我々がSNSにかじりつき常にスマホをチェックしていないと不安なように、当時の町の人々にとっては新聞ってもっと身近で気になる情報ソースだったのだろう。またギブズ家のヤローたちが誰一人正門を通らず裏口ばっかり通りやがるので、九州出身の生徒と一緒に「田舎って表玄関通らずに裏口ばっか使うよね」話で盛り上がった。うちの田舎は裏口+縁側がメイン導線だった。縁側からインゲンやらトウモロコシやら持ったおばさんやらおばあちゃんやらがどんどん流れ込んでくる。表玄関は存在はしているが使われない。鍵もかけない。1980~90年代の話です。

1/6(日)、戯曲の書き方講座

「戯曲は絶対に起承転結で書くな! 戯曲は○✕△で書け!」「よし、書くぞ!」そういう講座だ。プロットの立て方をステップ・バイ・ステップで教える。劇作家は英語 play-write(劇を書く人) ではなく play-wright(劇の大工)とつづる。設計図がとにかく重要なのだ。プロットさえ立てばあとは必ず書ける。プロットが立たない? それはもう仕方がない、頑張るしかない。僕は生涯50本以上戯曲を書いてきたけれど、それでも今だって「書けない」と立ち止まるときがある。みんな一緒なのだ。書けないのはあなただけじゃない。そこでお尻を椅子から離さずに机にかじりつき続けた者だけが戯曲を完成させられるわけで、最後は結局根性とか執念なんだ。

ただし、基礎のテクニックを知ってるのと知らないのとでは雲泥の差がある。僕も上に書いた○✕△をマスターしてからぐっと書くのが早く確かになった。DULL-COLORED POP『演劇』で会得したやり方だ。さぁ参加者たちは来週までにプロットを立ててセリフにしてくる。楽しみにしていよう、どんな傑作・怪作が現れるか。

1/5(日)演劇史入門

DULL-COLORED POP演劇学校・11月開講分。初日は演劇史入門から。個人的には19世紀、自然主義文学の誕生~リアリズム演劇および演出家の誕生までのあたりを解説しているときが最も興奮する。フランス革命と産業革命という2つの革命が人類に2つの力を授けた。人権そして機械化。そしてダーウィン種の起源をはじめとする科学・化学の進歩もあいまってゾラが自然主義文学を宣言し、やがてリアリズム演劇が生まれ、スタニスラフスキーをはじめとする演出家が演劇を革新した。このあたりはすべての出来事が玉突き事故のように繋がっている。歴史全体のうねりの中で相互に関連しており、美術史とか音楽・建築の話まで入れるともっと楽しいのだが時間が足りない。そしてスタニスラフスキー登場以降、演劇の歴史は一気に進む。スタニスラフスキーの愛弟子・メイエルホリドがリアリズムとは真逆の演劇の可能性を華々しく開花させたのは感動的だ。

アシスタントのH.Kさんがコロナ罹患してしまい一人で映像のセットアップから検温・受付その他すべてやることになったため鬼のように忙しかった。参加者の皆さまが優しく協力的でとっても助かったな……。感想などお待ちしていますのでSNSなどに書き込んで下さい。