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カテゴリー: 論考・エッセイ

ある裁判傍聴記の嘘 公式裁判記録との比較から

これはネットに公開されている、ある裁判傍聴記に関する訂正です。その中で私は、「謝ることはない」と言って開き直る、冷血漢として描かれています。この記事だけをネットで読んで、すっかり信じてしまっている人もたくさんいると思います。

そこでこれを、本当の裁判記録――裁判所の作成した筆記記録――と突き合わせて、どんな間違いがあるのか、立証してみようという試みです1

おそらく多くの方は、「裁判の傍聴記というくらいだから、客観的なものだろう」と思っていると思います。しかし、実は記録も文学と同じで、基本的にはフィクション(創作)です。キリトリ方と編集で、事実と真逆のことさえ言えてしまう。

もちろん、この論理で言えば私の書くことも疑ってかかるべきです。ぜひ裁判記録の全文をご覧ください。一部はこの文章内で引用していますが、全文は東京地方裁判所へ行けば誰でも閲覧できます(令和4年(ワ)第29876号)。また、私の主張部分に限って、近日中にここで公開することも検討しています。

最後に。この文章の目的は、事実の訂正だけです。M氏個人に対する攻撃や批判の意図は一切ありません2。また、原告・O氏との間には和解が済んでおり、一切のわだかまりはありません。詳しくは、和解のお知らせの記事をご覧ください。

○ ○ ○

長くなるので、論点を3つにしぼりました。なお、読みやすさのために、一部原文に読点や改行などを足しています。ご了承ください。

論点1.「AVの世界なのか?」

M氏は、尋問の中で私がしゃべり過ぎ、言わなくてもいいことや、でたらめな釈明をしたと主張しています。

たとえば、こんな記述が出てきます。M氏の傍聴記から引用します。

(原告・O氏が、稽古場で自ら胸を押し当てていたこと。「当ててんのよ」「減るもんじゃなし」という、当時はやりのネットミーム・ジョークを男女問わずいろんな人に言っていた……という説明を聞いて)

「この世にそんな卑猥な女性がいるのか……!?
 いたらすごいなあ!? AVの世界なのか!?」


という人物像の設定だと思って、少し笑いそうにもなりました

(M氏の傍聴記より)

テンパった私があり得ない説明をした、作り話だ……という論調ですね。

しかし、これには証人がいます。男性だけでなく女性もいるし、劇団の外部の人もいます。証人の1人は、劇団外の女性スタッフです。正式な証言として裁判所に提出されており、今も閲覧可能です。

原告の当初の主張は、私が「権力をかさにきて」、「『役をおろすぞ』とちらつかせながら」無理やり胸を触った……というようなものでしたから、この部分は重要な争点です。この点をくつがえすために、私と弁護人や、証人に立ってくれた皆様がどれほど努力したか。笑って済ませて良いものではありません。

そして、M氏は、そのことを知っていたはずなのです。それを、あえてすっとぼけて、「AVじゃあるまいし」とまとめている。

なぜならこの点は、当日、尋問の中でも触れられていたからです。証人の証言について質問されて、原告も「言ったかもしれない」と答えています3。M氏はそこを、あえて切り落としています。

また、私はこの尋問の中で、上に書いたような経緯(原告の方から「当ててんのよ」「減るもんじゃなし」というフリがあった)があったとはいえ、「それでも不適切だった」という反省の弁もハッキリ述べています。

公式の裁判記録から引用します。

「今振り返ると、いくら当人とのある種の合意があったとしても、周囲の人間への影響とか、演劇界のことを考えたときには不適切だった」

「控えるべきだったと思っています」

「(原告の提案があったこととはいえ)今思えば本当に不適切なので、やめたいと思いますし、後悔しています」

(尋問記録p7、抜粋筆者)

M氏は、これらの点にも一切触れていません。ただ「AVのようだ、あり得ない」といって、私がでたらめな釈明をしたかのように描いています。

論点2.向精神薬に関する証言

2つ目の点は、より重要です。私は裁判で、このように述べていました。

  • 当時、うつ病の治療薬として「アモキサン」という薬を服用しており、その副作用で性欲減退(勃起不全)があった
  • だからレイプはもちろん、普通の性交渉もできなかった

その点について、相手方弁護士から質問がありました。M氏の記述を引用します。

弁護士「ここの副作用の欄になんと書いていますか?」
谷さん「…性欲亢進」
弁護士「尋問は以上です」

のやり取りは、「スカッとジャパンでなのでは?」というくらいにスッキリしました

(M氏の傍聴記より)

「なにが勃起不全だ。性欲亢進とも書いてあるじゃないか。はい論破!」

「一本あり! 弁護士の鋭い質問で、被告のウソが明らかになった!」

というような意味でしょう。しかし、これも違います。

というか、この誤解は精神の病に苦しむ多くの人への偏見を助長します。どうしても訂正させていただきたいし、多くの人に、知ってもらいたい問題です。

精神の薬には本当に様々な副作用があり、人によって現れ方がまったく違います。「尿が増える」と一緒に「尿が減る」と書いてあったり、「眠くなる」と一緒に「覚醒・興奮する」と書いてあったり、正反対の副作用が書いてある薬もざらにあります。

たとえば、私の服用していたアモキサンはどうでしょうか。これだけの副作用が書かれています。

便秘、 眠気、 不眠、口渇、めまい、頭痛、発疹、血圧降下、動悸、振戦、パーキンソン症状
痙攣、精神錯乱、悪性症候群、Syndromemalin、無動緘黙、強度筋強剛、嚥下困難、頻脈、血圧変動、発汗、発熱、白血球増加、血清CK上昇、ミオグロビン尿、腎機能低下、幻覚、せん妄、無顆粒球症、白血球減少、血液障害、咽頭痛、インフルエンザ様症状、麻痺性イレウス、腸管麻痺、食欲不振、悪心、嘔吐、著しい便秘、腹部膨満、腹部弛緩、腸内容物うっ滞、遅発性ジスキネジア、口周部不随意運動、不随意運動、中毒性表皮壊死融解症、Toxic Epidermal Necrolysis、TEN、皮膚粘膜眼症候群、Stevens−Johnson症候群、急性汎発性発疹性膿疱症、肝機能障害、黄疸、著しいAST上昇、著しいALT上昇、著しいγ−GTP上昇
躁転、頭重、構音障害、運動失調、耳鳴、焦躁、不安、四肢知覚異常、知覚異常、アカシジア、静坐不能、錐体外路症状、排尿困難、視調節障害、過敏症、顔浮腫、舌部浮腫、紅斑、そう痒、下痢、胃部不快感、味覚異常、口内炎、倦怠感、脱力感、性欲減退、頻尿、性欲亢進、顔面違和感、身体違和感、四肢冷感、頸痛、血圧上昇、不整脈、心ブロック、心発作、興奮、抗コリン作用、乏尿、鼻閉、眼内圧亢進、口内不快感、胃痛、腹痛、月経異常、高プロラクチン血症、乳汁漏出、女性化乳房、脱毛、性機能障害

(日経メディカル https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/drugdic/prd/11/1179001M3022.html)

これらすべての副作用が出たら、どうなるでしょうか。人間は死んでしまいます。

どの副作用が出るかは体質次第です。だから、専門医が毎週、様子を見ながら処方を調整していくんです。薬の説明に書いてあったからと言って、誰しもが性欲増進するわけではありません。

私の場合、薬の副作用による勃起不全については、医師にも家族にも相談していました。親しい友人にも話したことがあると思います。恥ずかしいことではないからです。

だから弁護士の方に「性欲亢進とも書かれていますね」と聞かれて「はい」と答えました。しかし、それを根拠に、患者の病状を決めつけたり、勘ぐったりする行為は、これは精神の病を抱える人への偏見を助長することにもなりかねません。

よくある例として、「うつ病の人は~~だから」なんて言葉が世間に広まっていますが、あれだって全員に当てはまるものはありません。人によってはこの偏見のせいで就職を拒まれた、仕事を外されたなどの例がいくらでもあります。この病気だからこう、この薬を飲んでるからこうという決めつけは、絶対にしてはいけません。

とはいえM氏も、知識がなかったのなら、仕方のない勘違いです。まったく責めるつもりはありません。しかし、訂正だけはしていただきたいと思います。

余談ですが、なぜそれほど副作用の強い薬を私が飲んでいたのかと言えば、それが私にはもっとも効き目があったからです。世の中には私と同様、副作用に耐えながら、薬を飲んで仕事や学校に通っている人が大勢います。今では日本人の約7%、15人に1人がメンタルクリニックにかかっているというデータもあります。私はこの強い薬を飲み、毎晩がぶがぶ酒を飲みながら、小田島雄志・翻訳戯曲賞も、岸田國士戯曲賞も、鶴屋南北戯曲賞もとりました。

論点3.「謝ることはないです」

これが、もっとも重要な論点になります。

裁判の後半、M氏は私が、「謝ることはないです」と言ったと書いています。
そして反省の色の見えない、冷酷な人間として描いています。

本当はどうだったでしょうか? 裁判記録をもとにご説明します。

まず私は、GPS記録や薬の副作用、LINE会話記録の矛盾などを証拠にあげて、「レイプはなかった」と主張していました。また上述の証言などにもある通り、セクハラの強要も否定していました。

しかし、私にも悪いところはあります。もちろんあります。性格の悪さ、酒癖の悪さ、創作の過程で言葉が過ぎたり、気がついたら演出家などという、実は別にえらくもなんともないのだが、権威のようなものをまとってる裸の王様になっていて、人を傷つけたこともあったでしょう。例の「当ててんのよ」については、上にも書いた通り「深く反省しています」と述べましたが、他にも自分が、無自覚に人を傷つけていないか、謙虚に耳を傾け、反省していかなければなりません。

そのことは、尋問でも述べています。以下、裁判記録からの引用です。

……そしてさっきうまく伝わらなかった気もしますけれども、その、
原告との関係においても、自分が悪かったと、
話を聞いてみたら、ここは自分が謝るべきだったというところが、
まだこの先見つかったら、それはもう心をしっかり傾けて、
指をついてすまかなったって言わなきゃいけないという気持ちはもちろんあります。

ただ、

(尋問記録、p38)

しかしここで、原告の弁護士が割り込みました。そしてこう聞かれました。

(原告代理人)ごめんなさい、今の時点では原告に対して謝んなきゃいけないことはないとお考えですか。
(私)ないです。

(尋問記録、p38)

これが、「ないです」という言葉が出た、本当の流れです。

わかるでしょうか? この流れで「謝ることは?」と聞かれたら、「ないです」と答えるほかありません。「あります」と言ったら、レイプを認めることになってしまいます。

この点については、後ほど裁判長からも確認されました。先ほどの「ない」の意味について、どう思っているのかと。私はあらためて、「自分にも反省すべき点はあるし、謝りたい」、しかし「世間に流されたレイプやセクハラは明らかな嘘」、「撤回してほしい」と述べています。

(裁判の尋問記録より)

私は、やっていないことはやっていないという、当たり前のことを主張しているだけです。やっていないことについては、謝れません。

M氏のブログはこれらの文脈や反省の言葉をすべて無視して、「謝ることはない」というところだけ書いています。典型的なキリトリです。そして最後に、こう締めくくっています。

いまだに谷さんは何が悪かったのかわかっていないのではないでしょうか。
この世は地獄です。最悪です。

2行目にだけは、同意します。

最後に

この傍聴記を、だいぶ多くの方が読みました。重大な名誉毀損に当たるものと考えます。詳しくは後日述べますが、こういったSNSなどの書き込みのせいで、私や、私の周囲の人たちは、今も実害を受け続けています。レイプとセクハラの訴えを裁判所が認めなかったにも関わらず(→「和解のお知らせ」参照)、未だにレイプ魔と攻撃してくる人もいます。現在、そういった書き込みへの対処を進めています。削除依頼をするとともに、悪質なものについては名誉毀損や侮辱罪などでの法的対応も検討していきます。

とは言え、M氏が原告に味方したい、応援したいという正義感から、このように書いたんだろうということは、よくわかります。「あいつはレイプ魔だ」と思っていれば、これくらいのことは言ってもおかしくありません(ただしその訴えは、裁判所により退けられました)。記事の削除、ないし訂正さえしていただければ、私は十分です。謝罪すら必要ありません4

しかしこのような正義感こそが、もっとも恐ろしいものです。何より恐ろしいのはこれらの間違いが、1年3か月、誰からの訂正も入らずにネットに出回っているということです。おそらく「だいぶ違うな」と気づいていた人はいるのでしょうが、とても声に出せなかったのだと思います。そのことについては、次回書きます。

最後に、M氏はこう書いています。

谷さんは裁判終了後にやりたいことの一つとして「芸能界にまつわるキャンセルカルチャーの撲滅」を掲げていました。この言葉を聞いたとき、私はこの人が野に放たれるのが心底怖い、と思いました。

(M氏の傍聴記より)

正しいMeToo、必要な告発はあるし、弱者が声を上げられる社会であってほしいと私も思います。しかし、日本は法治国家です。裁判記録を誰も読まず、ネットの文章だけをつまみ読みして噂が広まり、社会的制裁が確定する。私はそういう世相が、心底怖い。

私が戦いたいと言っているのは、そういうものです。キャンセルカルチャーというより、ネットリンチや私刑社会と言った方がいいかもしれません。

次回は、なぜ私が今頃こんなことに触れだしたのか、書きたいと思います。それを読めば、ネットリンチに遭うとははどういうことか、炎上するとはどういうことか、お伝えできるのではないかと思っています。

この記事を読んだ方へ、最後のお願いです。ぜひ、この記事を周囲の方へ、広めていただけないでしょうか。必ずしも記事の内容に賛成・賛同していなくても構いません。私にとっての名誉回復は、読んでもらうことです。読んだ上で、おのおのご判断いただければと思います。

  1. 裁判は公開が原則であり、記録も誰でも閲覧可能です。プライバシー等への配慮があれば、公開自体には問題がないことを確認した上で引用しています。 ↩︎
  2. M氏のnoteはこちらです:めげないなかない
    私の記述が正しいことを確認するためだけにご覧ください。個人攻撃や中傷などは、控えていただければと思います。 ↩︎
  3. すこし読みづらいのですが、以下、公式の裁判記録から引用します。被告代理人というのが私の弁護士です。
    (被告代理人)甲34号証の陳述書3枚目でなんですけど、こう証言されています。原告が、「減るもんじゃないし触りたきゃ、ちょっとだけならどうぞ」と話していたのを聞いたと言っています。これは事実ですか。
    (原告)記憶にはないんですが、もしそういったようなことを言ってたと。
    (被告代理人)では記憶にはないということは、事実としてあったかもしれないということ、事実の可能性は否定できないということでしょうか。
    (原告)はい。 ↩︎
  4. これらの尋問を経て、裁判所は「原告の主張には隘路(ムリ)がある」として、レイプなどは認めませんでした。これでもまだ私に対し、「認定はしなかったが、なかったとも言ってない。本当にレイプしていたかもしれない」と言ってくる人がいます。これは、明らかな名誉毀損です。正確には民事と刑事で少し事情が違いますが、「推定無罪」という言葉を思い出してもらいたいと思います。
    その他、くわしい裁判の経緯は、こちらのページをご覧ください:お知らせ ↩︎

11/15(火)、必ずできる

新国立劇場演劇研修所で教えているシーンスタディが大詰めを迎えている。明日が発表の日。要は本番だ。あるシーンの稽古をしていて「ここは、いつか必ずできる」「なぜなら僕らが日常でやっていることだからだ」という話をした。演劇は人生とか人間を写し取る芸術である。普段着何気なくやっていることを意識的に再現することが必要になる。難しく考えればいくらでも難しくできるが、普段やれてることをやるわけだ。必ずできる。諦めないでほしい。

しかしそれはそれとしてやはりインプットの差が顕著だよなあとは感じた。知り合いの演劇プロデューサーが「演技がうまくなりたければ誰でもできる簡単なことがある。映画を千本見なさい、必ず上手くなる」と言っていた。僕も本当だと思う。良いものの見分けがつかない人が自ら良いものを生み出すことはできない。

半年前とかの家族旅行写真 本文とは一切関係ありません

11/13(日)、戯曲の書き方講座

戯曲の書き方講座。15名ほどが執筆に挑戦し、12名ほどが書き上げた。書き上げる。まずこれが大事なことだ。なので書き上げた人たちはそれだけで拍手喝采、大進歩。どれも良い作品だったが、昼も夜もいくつかどこに出しても恥ずかしくない名作が生まれていた。きちんとブラッシュアップすれば短編戯曲賞くらい狙えるかもしれない。昼の名作は恋の未練から冒頭と最後でまったく意見が変わってしまう人間の愛らしさを描いたコメディ風のスケッチ。夜の名作は80歳前後の女性3人がお茶を飲みながら引っ越すの引っ越さないのとダベる中で家族よりも大事な友情の姿をさみしくも美しく描き出していた。僕にはこういう作品は書けない。書き方の入口や順序、技術や格言はいくつか教えたが、彼らはもうすでにオリジナルな表現を手に入れていたということだ。

ある種の制約を与えるとかえって自由になれる。個性が生まれる。これは創作の不思議である。そして個性は出そうとするとうるさいが、意識せずにただ読者や観客のために書けば必ず個性は出てくる。これも創作の不思議だ。

11/12(土)、エチュード講座

今日はダルカラ演劇学校「絶対楽しいエチュード講座」。

  • エチュードはマジで楽しい。やり方さえ覚えれば。
  • 面白くしよう、展開をつけよう、オチをつけよう、わかりやすくやろう……そういった外からの視点をすべて捨てる。そこがエチュードのスタートラインだ。
  • エチュードも演劇であり、演劇は人間や人生を写し取るものだ。ふだん「面白くしよう」「意外な展開をつけよう」と思って生きている人間はいない。
  • ならどうすればいいか。ただ一生懸命生きればよい。具体的には自分の演じる人物の、目的や動悸を明確にする。相手役との関係を明確にする。これから入る場所の時間・風景・イメージを明確にする……などなど。
  • 異なる「目的」を持った二人の人物が出会う。そこには「対立」や「葛藤」が生まれる。「説得」や「懐柔」「喧嘩」「すれ違い」などが発生する。つまりもうドラマは生まれている

今日もまたいくつかの傑作エチュードが生まれていた。時間さえあればずーっとやってたいし、そこから生まれる作品名とか発想もある。エチュード苦手って人は面白いことしなきゃ強迫神経症にかかってる場合が多い。変な欲を捨てることと、自分と相手を受け入れること、そこから自分でも知らなかったオモシロが結果的に見えてくる。

10年目の双葉町

仮にあの震災の朝に生まれた子どもがいたとして、彼/彼女ももう10歳になる。かなり難しい漢字も書けるし、楽器を弾いたり大人向けの映画を観たり、小さな大人になり始める頃だろう。しかし復興は遅々として進まない。双葉町は未だに人口ゼロ人、誰も帰還できていない。

駅前の一部地域は避難指示が解除されて自由に立ち寄れるようにはなった。「双葉町まちあるきツアー」なんてのがやってたので参加してきた。

駅前に人がたくさんいる! それだけでもかつての無人の荒野を知っている者からすると万感の思い。ここまで来るのに10年かかった。

『ねむのき』ダメ出し・演出ノート公開<後編>

前回(『ねむのき』ダメ出し・演出ノート公開<前編>)に引き続き、現場で演出家はこんなことを話している……ということをご紹介します。今回の記事は6場から後半のダメ出しを一部抜粋でご紹介していきます。前回より短めですが、それでも1万2000字以上あります&本編をご覧でない方にはかなりわかりづらい内容になっていますのでご注意下さい。配信映像や戯曲はDULL-COLORED POP公式ウェブサイトからご購入頂けますので良かったら買って下さい。

有料記事ですが「自由課金で読む」ボタンを押すと無料で最後まで読んで最後に値段を自分で決められるので、気に入った方は投げ銭お願い致します。

『ねむのき』ダメ出し・演出ノート公開<前編>

今回ダメ出しをすべてパソコンでメモに取り、LINEグループで全体に流して一度読んでもらってから、追って口頭で説明するというやり方をしていた。短編連作なのでどうしても個別/細かいのダメ出しが増えるからそうしていたんだが、結果的に「すべてのダメメモが残っている」という面白いことになった。さすがに全部紹介するわけにはいかないが(おそらく数十万字あるだろう)、いくつか抜粋して紹介してみる。

稽古場で演出家と俳優は、こういうことを喋っているんだな……という一例としても面白いだろうし、演出家や俳優を目指す人にとっては何かの参考になるかもしれない。また『ねむのき』を観てくれた人にとっては裏話というか、作り手側の思いやこだわりが透けて見えるところがあるだろう。配信映像と見比べたり戯曲と読み比べたりしても面白いかもしれない。

エッセイ「劇を観るとはどういうことか」

昨年コロナでとある芝居が飛んだ際、某出版社から演劇論の依頼があった。「谷さんにとって、劇を観るってどういうことですか?」と尋ねられた。ああ、これは今まさに答えるべき質問だと思った。

ちょうどダンカン・マクミラン作『エブリ・ブリリアント・シング』という非常に不思議なお芝居をやっていた。セットも何もない芝居で、観客と一緒に世界を作っていく。観客が舞台上に登ったりするので、演劇的時間と日常的時間が常に隣り合うスリリングな上演だった。そして私は今まで様々に「演劇はどのように始まるのか」実験してきた。それらを合わせて一つの試論としたのである。しかし不幸にもご担当者がちょっと体を悪くされたそうで、掲載されないまま一年近く経ってしまった。

今日までスズナリで『丘の上、ねむのき産婦人科』を上演していた。明日から大阪in→dependent theatre 2ndに小屋入りする。そしてコロナが猛威を奮っている。こういう状況だと改めて「劇を観るとはどういうことか」、なぜ/どこが映像を観るのとは違うのか、考える。今日も観客が集まってくれた。おかげで演劇ができている。今、紹介することに価値のある原稿だと思ったので公開した。

一応課金記事としましたが、無料で最後までお読み頂けます。約1万1000字。

有料記事のテスト

codocというサービスをWordpressに導入し、有料記事を作成できるようになったのでテストで更新しています。以下、ヘンテコなものばかりなものの、テスト用にいくつかのコンテンツを埋め込んでみました。テスト価格100円です。『ねむのき』宗教的にすら見えるアップの光景、ボツ衣裳など、ビジュアルイメージができるまで、美術の資料など、ゆるキャラギャラリー、うちの次男がはじめてハイハイした瞬間

小劇場劇団がKindleダイレクトパブリッシングで戯曲を出版する方法(コスト・初期費用・在庫リスクゼロ)

現在公演中のDULL-COLORED POP公演『丘の上、ねむのき産婦人科』では、公演のオンライン配信があるだけでなく、戯曲(上演台本)および公演パンフレットがAmazon Kindle=電子書籍で出版されています。頑張ったらできました。タダで。

KDP(Kindle Direct Publishing)というサービスを使っているんですが、コストゼロ、初期費用ゼロ、在庫リスクゼロで出版&販売できます。必要なものはすべてフリーでダウンロード可能。データ作成の手間も想像の1/10くらい簡単でした。「台本を出版したいけど、お金が」「在庫リスクが」という小劇場劇団にはうってつけのサービスです。今回、公演開始前に販売をはじめたことで「新作なのに台本を読んでから観る」という選択肢を観客に提供できたこともよかったです。台本以外にも、うちの劇団がやったように公演パンフレットの電子書籍版を販売したり、エッセイ、小説、写真集、様々なコンテンツを発信できます。

そのやり方、恐ろしく簡単なので、ここで軽くシェアします。いろんな劇団が導入できる。何なら学生でもできます。

1.Wordで台本を用意する

別にWordじゃなくてもいいんだけど、一般的に一番使われているであろうWordで説明します。まずは普通にWordで台本を書く。この際、フォーマットや文字サイズ・余白なんかはそんなに気にしなくて大丈夫です。テキトーでOK。あとでKindle化されるときにアプリが調整してくれます。僕は普段書いているフォーマット、そのままで出版できました。

僕の普段のフォーマットはだいたいこんな感じ。Wordの画面のスクリーンショットです。こうして縦書きで書いておくと、出版時に「縦書き(右から左)」を選ぶとKindleでもちゃんと縦書きにしてくれます。やっぱり台本は縦書きですよねえ。