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PLAYNOTE Posts

2年間のこと③ 数学とAIを学ぶ 後編

前回、数学と機械学習を勉強した話を書いて、AIには物語は書けないと結論づけたと書いた。なぜか?

人を感動させる物語は、やはり人間にしか書けない。

本当の意味での独創性は、まだ人間にしかない。

人間は、人が努力や経験に基づいて生み出したものに感動するのであって、機械が生み出したものに感動はしない。

AIには物語の神秘や奥深さは、理解できるわけがない。

これらはどれも不正解だ。そしてやや危機感が足りない。もう少しAIは、人間に肉薄している。

「コンピューター」の、古いイメージを捨てないといけない

* * *

Contents

絵画や将棋、碁の場合

今、漫画・イラストや音楽界隈ではAI技術の悪用について大騒ぎになっている。一部のアーティストは作品が機械学習のネタに使用されるから「TwitterやInstagramには作品を上げない」とまで言い始めている。そして多くの人がAIの使用停止や法整備を求めている。

海外ではAI作品だけによる美術展が開かれた。YouTubeでは数百万再生された楽曲の作者が実はAIだったとしてニュースになった。つまり十分鑑賞可能なレベルに到達しているということだ。「仕事を奪われる」ないし「自分たちの学んだ技術が盗まれる」と危惧するのは、正しい感覚だ。

なぜこんなことが可能になったのか?

前回僕が作っていた「カタカナ画像認識AI」の後に、「GAN(敵対的生成ネットワーク)」という技術が生まれて画像AIは飛躍的に進歩した。この仕組みが面白い。これは「絶対AIだってバレない画像作るプログラム」と「絶対AIの画像だって見抜くプログラム」の2つを作り、お互いを競わせながら成長させていくプログラムだ。

 

Q.この画像は現実か、AI生成か?

🤖バレない画像作るマシーン(騙そうとする) →  🖼️  ← (見抜こうとする)絶対AI見抜くマシーン💻️

※このゲームを繰り返しながら精度を上げていく

左が「生成」、右が「見抜く(探偵)」。この対決を繰り返して精度を上げていく。
https://learnopencv.com/introduction-to-generative-adversarial-networks/

こうすると、成長を自動化できるのだ。

機械は24時間走らせておいても疲れない。並行して1000台動かしていても問題ない。ただし途方もなく電気代がかかるので(GPUはやたら電力を食うから、電気ケトルやドライヤーのような電圧の高い機械を24時間動かしっぱなしにするようなものだ)、GoogleやFacebookなどカネのある企業しか実験できないけれど、放っておけばどんどん成長する。

2010年代に入って、将棋や碁という複雑なゲームでAIがプロ棋士を完敗させた。このAIにもAI同士を戦わせる手法が取り入れられていた。しかも将棋は人間の棋譜(過去の戦略)を学習していたが、碁は一切それをせず勝利した。つまり人間を負かすのに人間の知恵を必要とせず、機械同士で戦ってたら人間を越えるようになってしまったのだ。

重要なのはこの「自動化」だ。AI同士を敵対させながら成長させることができれば、あとは自動で成長する。そしてGPUと電力さえあれば、無限に成長スピードを加速できる。絵も音楽も人間を騙せるレベルになったが、物語も、この「自動化」が達成できれば自動生成まであと一歩だ。

子供の頃、ゲーム機で操作を「自動化」して無限レベルアップをした人はたくさんいるだろう

* * *

ChatGPTがやっていること

優秀な解説記事がいくらでも出ているので、ここでは誤解だらけの解説をしよう。ChatGPTは一言で言えば、文章を読み解き、生成するAIだ。人間の言語を理解させる――、この分野は自然言語処理と呼ばれ、長年研究者たちの頭を悩ませてきた。単語や文法、用例などを分析する様々なアプローチが試されたが、ChatGPTが採用したのは極めてシンプルなロジックだった。

ちょっと日本人向けにカスタマイズして喋ろう。次のかっこに入る単語を、恐らくほとんどの人はノーヒントで、間違わずに答えられるのではないだろうか?

本日は(   )なり。

吾輩は(   )である。

This is a (   ).

答えは当然、上から順に「晴天」「猫」「pen」だ。何でもヘチマもない、大体そういうもんだから……。ChatGPTがやっているのも、実は基本的にはこれと同じことなのだ。

まず何千億という文章を学習させ、「この流れなら最も言いそうなことクイズ」をひたすら出題する。正解したら褒めてあげて、失敗したら叱る。「学習の自動化」だ。そしてこれを繰り返していると、やがてほぼ100%正解できるようになる。一文で100点がとれるようになったら、二文、三文と伸ばして訓練していく。すると徐々に文脈を類推するような挙動を見せ始める。そしていつの間にか自然な受け答えができるようになっているのだ。

なーんだ、やっぱり、それは知性とは言わない。思考能力とは言わない。所詮はAI、それはただの確率じゃないか。……そう思う人もいるかもしれない。しかし僕はそう思わない。人間だってこれと同じことをやってるのだ人間は、自由に発言などしていない。その文脈や状況にあわせて、言うべきこと、言った方が良さそうなこと、言うことを期待されていることを言っているだけだ。「AIは空気読んで喋ってるだけ」、と言われれば、確かにその通りだ。しかしそれは人間も同じだ。「人間も大抵、空気読んで喋ってるだけ」なのだ。周りの人の顔色を見て、言って欲しいだろうことや、言うべきと思ったことを言ってるだけだ。また現代文の読解や「当社の前四半期の営業利益が減少した理由として考えられる要因を挙げよ」みたいな質問も文脈からの類推で答えられるし、実際、ChatGPTをちゃんと調整してやるとかなり良い答えを出す。東大入試レベルの問題ならほぼ完璧に正解できたという報告もあるくらいだ。

そんなことない? 人間は、周囲や状況に流されず、自分の考えを喋っている? ……そう思える方は幸せな人生を送っておられる。とても良いことだけれども、以後、僕の文章は読まなくていいだろう。状況や流れに合わせて真実でないことすらペラペラ喋る、それが人間だということを、僕はこれまでもたびたび書いてきた。これからも書くだろう。

ChatGPTがやっていることは、本質的に統計学なのだ。膨大にデータを食わせて、言いそうなことを言わせているだけ。ただし、だから物語を作れないと言っているわけではない。そこは誤解しないで欲しい。むしろ物語とは、データベースと異常に相性がいい。AIとは相性がいいはずなのだ。

最も感動的な「組み合わせ」を生む「確率」を上げていく

* * *

物語とAIについて

「物語は自由だ」。おそらくプロのシナリオライターや脚本家、劇作家で、こんな言葉を信じている人はいない。音楽に和音理論があり、絵画に遠近法があるように、物語にも基礎やセオリーはある。古代ギリシャのアリストテレス、中国の起承転結、近世ヨーロッパではフライターク、そしてハリウッドの三幕構成……。僕にこの話をさせると長くなる。だからAIを学んだのだ。AIと物語の構造分析、どちらも専門家レベルで理解してる人は世界中探してもほとんどいない。最もスリリングな部分の研究に携われる。

今、画像や音楽の生成AIがやっているように、物語生成AIが作れたら? ――これはもう宝の山、金のなる木だ。例えば「出演者:10名、内容:喜劇(恋愛要素あり)、長さ:100分前後、ロケ地:日本国内(できれば室内が8割)」とか条件を指定して面白い脚本を瞬時に100個くらい自動で生成できるようになれば、どうだろう? 間違いなく需要はある。締切は破るし勝手に原作は変えるし偏屈で共同作業しづらい「作家さま」などというものは必要とされなくなるだろう。

そう思って勉強を始めたのだが(ちなみにE資格は一発合格した)、ある地点で考えはストップした。なぜか。

敵対的学習ができないからだ。

画像AIや将棋・囲碁の敵対的学習がスムーズに済んだのは、敵対的学習のおかげだった。ところが物語AIを作ろうとしてもここがクリアできない。敵対的学習を成立させるには勝敗のハッキリしたゲームをやらせるか、これが本物・これが偽物とあらかじめ分類した膨大な「教師データ」が必要になる。2時間あるシナリオや戯曲を何万冊分もラベル付けした教師データなど存在しない。しかも、物語は良し・悪しだけでは判別できない。答えがない。

古くは批評雑誌、現在ならインターネットのレビューなどで、点数をつけたものは存在する。しかし純粋に脚本だけを評価したものは存在しない。小説ならまだ可能かもしれない。ただ僕は、自分がカタカナを学習させる程度でも数万もの画像データを必要としたことを考えると、とても数が足りないなと容易に予想できた。このハードルをクリアする方法は、当時は思いつかなかった。

シェイクスピアはギリシャやローマの古典に通じていた。そして「盗作」の天才だった。
面白そうな物語のプロットを借りて、書き換えた。そして生まれたのが『ロミオとジュリエット』や『ハムレット』だ。

* * *

この先の展望

とはいえまだ希望はある。先日、YouTubeが動画音声の自動翻訳サービスをスタートさせると発表した。今でもすでに字幕の自動文字起こしと翻訳は完成しているので、動画の音声はすべて瞬時に文字起こしされ、多言語に翻訳できるようになったというわけだ。しばらく精度に問題は残るだろうけど、確実に向上していくだろう。

これが何を意味するのか? ……この技術を応用すれば、過去の映画や演劇、TVドラマなど、あらゆるドラマ作品を自動でデータベース化できるようになる。刑事コロンボもロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの記録映像も黒澤映画も、すべて自動でデータベース化できる。そしてそこに、それぞれの映像に対するレビューや評価、視聴率、視聴維持率や離脱率などのデータをうまく貼り付けて解析すれば、今はまだ不可能な「良い物語」の教師データの作成が可能になるかもしれない。

そして「分類」が可能になれば「生成」まではもう一歩だ。100%の分類ができるAIがあれば、そのAIを教師データにして、敵対的学習によるAIの訓練が可能になる。囲碁AIが世界チャンピオンを倒したように、物語AIがオスカーを取るかもしれない。トニー賞を取るかもしれない。いや確実に取るだろう。

「いやまさか、そんなことは……」

そう思う人は歴史を知らなさ過ぎる。画像分類は2010年くらいまではAIには無理とされていたがAlexNetの登場で状況が一変した。将棋だって2010年までは、一部のプロ棋士が「時間の問題でAIが勝つ」と言って呆れられていたのを除けば「コンピューターは人間には勝てない」と言われ続けていたけれど、2011年電王戦で米長邦雄将棋連盟会長(←天才)が負けてから、ドドドッと敗北に傾いた。

ちなみに「時間の問題でAIが勝つ」と言っていた数少ない棋士は、羽生善治永世七冠・現将棋連盟会長だ。そして今の将棋界の覇者・藤井聡太七冠はAIを相手に戦略を学んでいる。将棋世界の人々は「将棋だけは、まさか負けるわけがない」と聖域のように考えていた。劇や映画に関わる人が、戯曲やシナリオを聖域のように考えるだろうことは容易に想像がつくし、今はそれでいいと思う。ただし時代は変わる。

劇作家やシナリオライターが消滅するか、否か。結論が出るまでもうしばらくかかるだろう。だが僕の予想では、いくつかの技術的困難さえ乗り越えれば、そこからはあっという間だろうと思っている。

さすがに長くなったので、続きはもうやめにしておく。そんなことを勉強していた。

ChatGPTを支える技術の一つ、Attention。「どこに注目(Attention)すべきか」ということを割り出し、与えられた文章を解析する。もはやAIは「ここが重要」という要点読解に近いことさえ始めている。計算式の集合体が人間に近いことを達成している。当たり前だ。私達の脳内で行われているのはすべて電気信号のやり取りなのだから、すべて数式で書くことができるはずなのだ。(量子力学を除く)

2年間のこと③ 数学とAIを学ぶ

2022年末の時点で向こう2年半、2025年夏まで仕事のスケジュールが埋まっていた。この時点では明らかに僕は、日本で最も忙しい劇作家・演出家の一人だった。そしてその予定がすべて吹っ飛んだ。これにより僕は、日本で最も仕事のない劇作家・演出家になった。

最初の3ヶ月はまぁいろんなことがあって、大冒険の日々だった。いずれ書こうと思う。ややあって膨大に時間がある……要は盛大にヒマだということに気がつき、「勉強しよう」と思い立った。時間があるときにしかできないことをやる。そして数学とプログラミングを始めた。

僕は高3まで理数系だったが演劇をやるために途中でやめて、そのことをずっと後悔していた。まして世間は空前絶後のAIブームだ。機械学習、ディープラーニング、ニューラルネットワークというものを数式レベルで理解してみたいとずっと思っていた。そして、理数系の方はおわかりになるだろうが、数式を理解するには数式を解くしかない。

まず古本屋で高校数学の本を買ってきて三角関数から勉強し直した。「三角関数なんてなくても生きていける」、ときどきそう言う人がいるし、それは完全に正しい。しかし三角関数くらいでも完璧に理解すると、式や定理の描く世界があまりにも美しく、ダイナミックで、思わず声が出るほど面白い。こんな快感、まぁ知らなくても生きていけるけど、知らずに生きるのはもったいない!

動画サイトを見ながら大学数学の勉強も始めた。行列、確率、シャノンの情報理論、この辺りは機械学習を学ぶ上でマストらしい。行列なんて最初は全く意味がわからなかった。こういうやつだ。

これがちょっと勉強するとこんな風になる。

この式の意味がわかるようになると、もうほとんどエクスタシーだ。「ライブですごい演奏を聴いた」とか「最高級の牛肉を食べた」とかに近い。「こんな感覚があったのか!」「こんなに美しいものがあったのか!」、そういう感動がある。

確率の勉強もめちゃくちゃ面白かった。少し数学に興味がある人なら自然界は「黄金比」に溢れていて、巻き貝の模様や木の葉のつき方がキレイに1.618…になることを知っている。確率の“正規分布”も神秘的だ。

自然界に存在するランダムに見える現象、たとえばクラスの生徒の身長とか、川原に転がってる石の大きさ、サイコロの出目などいろんなものがこの形に収束する。「ちょっとズレるな」と思ったら、サンプル数を増やせばこの形になる。「全然違う形になった」という場合でも、値そのものではなく値がどれだけズレているか、つまり“誤差の値”をグラフに描いてやると……そこに正規分布が現れる! あるいは値の誤差を2乗したものが正規分布を描いたりもする。僕らと違って自然界の諸々は、累乗でリズムをとったりしているからだ。

数学や物理の天才、それこそアインシュタインのような人は、かえって神を信じたらしい。「こんなに美しい法則が自然界にあふれているのは、神がいたと考えるしかない。それがもっとも“論理的”だ」。哲学から曖昧なものを排除して、論理的・数学的に世界を記述した言語学哲学の祖、ウィトゲンシュタインもそうだった。「神は存在する。ただしそれは、この机の上には置けない」。

* * *

こうして学んだ数学知識を組み合わせて、AI、ディープラーニングの世界へ分け入っていく。AIについてざっくりわかっている人はいても、その仕組みを説明できたり数式やプログラミングで書ける人は少ないだろう。E資格というエンジニア向けの技能試験があるので、ひとまずそれを目標として勉強を始めた。

ここまですべて独学で来たが、E資格は認定スクールを修了していることが受験資格となる。スクールは大抵15~20万はして、中には50万するところまである。僕はもともと「勉強は自分でするもの」と思っているのでそんな大金払いたくないし、安いところを探してみると、オンライン限定、相談や個別指導は一切なし、勝手に頑張って課題までこなせば約3万円で修了できるコースがあったので、迷わずそこを選んだ。

講義動画の最後で必ず、「えー、それでは実習です。◯◯関数を実装してみましょう。また✕✕の定理のパラメーターの影響をmatplotlibで描写して見てみます。……あ、オンラインの方はここで終了です。各々頑張ってみて下さい。お疲れ様でした」と放り出された。上等だ。やってやろうじゃねぇか。

最終課題は現在のAI技術の起爆剤となった技術である「シグモイド関数」や「逆誤差伝播法」、「畳み込み」、「バッチ正規化」なんかを自力でプログラムに書き起こし、「手書きカタカナ文字画像の分類AI」を実装する。そして正答率99・9%を目指すというもの。自力でAIを書く作業で、これがやりたかった。

日夜コードを調整し、正答率を上げていく。修正したプログラムを走らせて、仮眠し、2~3時間したら進捗状況をチェック。パラメーターやコードを調整してスコアを上げていく。正答率90%くらいまではすぐに上がった。バグをとって98、海外の論文を読んで99.2、バッチ正規化を実装して99.5とじわじわ上がっていく。その度一喜一憂し、寝て、起きて、スコアを見て、カタカタとコードを直す。「おお、サの分類が100%になった!」「やっぱりお前はヌとスが苦手だな」……。

約2週間、まるで子供や動物が育っていくのを見るようで面白かった。しかしこれはすべてチューリング完全、ただの数学的演算の結果だ。例えばディープラーニングをかじった人なら死ぬほど目にするシグモイド関数は、Pythonコードで書くとこうなる。

def sigmoid(a):
  s = 1 / (1 + e**-a)
  return s

結局はこれと、行列の掛け算なのだ。こんな何でもない数式が、生き物のように動き出し、人間にしかできないと思われていた文字の認識を可能にした。そしてあと一歩で絵を描くようになり、文章を生成するようになる――つまりはChatGPTに到達する。

何日もの徹夜作業を経て、僕が作っていたカタカナ分類器はとうとう99・9%の精度を達成した。人間だって見間違えるような手書き文字を、人間より正確に読み解くほど成長した。この初歩的なCNN画像分類器とChatGPTの間には、Word2vecやAttentionなど技術的ブレイクスルーがいくつか挟まっているが、原理は同じだ。やはりただの計算なのだ。

となると逆に疑問が湧いてくる。知性とは何か? 論理とは何か、創造性とは何か? ――僕はもともと、やがてAIが物語を生み出すようになると予測してこんな勉強を始めていた。今やあれほど精緻な絵を描くようになったAIだ、物語を書く日も近いのでは? ならば……。

しかしこうしてきちんとソースコードレベルでAI技術を理解できるようになって、結論から言うと、それは不可能だろうと考えている。それはなぜか? 次回書く。

(続く)

2年間のこと② 四国お遍路八十八ヶ所参り・後編

前回は町まで徒歩6時間、陸の孤島で事故って動けなくなったところまで話した。レッカー車両が到着すると、松崎しげるくらい顔が黒い、筋肉質のネズミみたいな顔したコワモテのおじさんが降りてきた。

「あ、ダメだね、こりゃ……。なおっかな? やっちまったなーァ……。(僕に向かって)居眠りィ?」

口調は乱暴で見た目だけなら反社か半グレだが、せっせとジャッキを動かしながらパーツを調べてる顔を見てピンと来た。世の中には機械いじりが好きで、人と話すのが苦手な人がいる。「乗せてくれ」と頼んだら、「当たり前だよ! こんなとこ置いかないよ!」と快諾してくれた。

運転席と助手席の間のガラクタをガシャガシャどけて、スペースを作ってくれた。僕はそこにねじ込まれ、黒いオジサンと肩と肩をぶっつけあいながら2時間ほどドライブした。

いろんな話をした。聞けばオヤッサンかなりの苦労人で、東京へ出て腕一本でのし上がり、某大手メーカー公認の修理工場を任されるにまで至った。ところが育てていた社員に裏切られて会社を失い、今は地元へ戻ってやってるらしい。

「いやぁ、東京はもういい。東京はもう」

本当はこの先も聞いたけどそれは書かないでおく。そういえば以前、取材で福島を回っていたときも同じだった。縁もゆかりもない他人にだからこそ喋れることがあるのだ。

そのあと黒いオヤッサンは体中の知恵を振り絞って、僕のお遍路完遂プランを一緒に考えてくれた。

「2週間後に東京に戻っていればいいのね? クルマは10日、いや1週間で直してみせます。なるべく中古でパーツを揃えて、足りないものはNISSANからすぐ取り寄せて……。保険で十分間に合います。でもお客さん、その間アシがないでしょ? ウチ今貸せる代車ないんだけど、作業用のボロの軽なら一台あって。乗ります? そしたらお遍路も間に合う。――カネはいいです、あんなボロ。高知まで出てレンタカー借りてる時間も惜しいでしょ?」

出てきた軽自動車は本当にボロボロのベコベコだったが、中はキレイに掃除されていた。荷物を移し替えながら「なぜそんなによくしてくれるのか」と尋ねたら、黒いオジサンはこう答えた。

「あたし、四国に生まれてまだお遍路してねえんですよ。だから他県から来てやってる人を見ると、ありがたいなって思うの。この辺のモンはみんなそう思うんですよ。お遍路さんは、自分の代わりに回ってくれてるって」

昔トルコでバックパッカーをしていたとき同じような話を聞いた。イスラム教徒の最も大事な教えの一つに「旅人を大事にしろ」というのがある。これはメッカ巡礼が義務であるイスラム教徒がお互いを助け合うために定められた戒律なのだが、同時に経済的な事情で旅に出れない農民なんかに「あなたはメッカに行けなくても、メッカに行く人を助けた。それはメッカに行ったのと同じことですよ」と救いを与えるための工夫らしい。旅人に優しくすれば、メッカにお参りしたのと一緒。

四国の黒いオッサンとトルコのイスラム教徒が似たようなことを言っているのは、極めて深い宗教の深淵だ。

それからそのボロの白い軽自動車は、僕の最高の相棒になった。朝8時から夕方5時まで寺と寺をマラソンして、近所の銭湯で汗を流した。夜は地元のスーパーで魚を買い、駐車場でキャンプ用のバーナーで焼いて米を炊いて食った。ほぼすべての夜を車中泊で過ごした。この生活には一切の嘘がないように思えた。

結局僕はプラン通りに八十八ヶ所巡りを済ませて黒いオジサンのもとへ戻り、ピカピカに直った愛車を回収して帰った。特に感動的な別れはなかったが、オジサンは僕に缶コーヒーを何故か2本くれた。僕は「僕の親父も自動車整備士の資格を持ってて、車の下に潜るのが好きだったんですよ」と話そうかと思ったが、さすがにキザだと思ったので握手だけして別れた。

それから高知市へ立ち寄り、3泊ほど旅館の畳部屋に泊まって狂ったように書き物をしてから帰った。ただしそのときの原稿はイマイチだったのでボツになり、すべてお蔵入りになってしまったけれど。

高知市のこの辺りに泊まっていた
3日間いた 近くに友人がいたが連絡はしなかった

* * *

お遍路で会った猫(一部)

なぜかみんな異常に面構えがよかった

2年間のこと② 四国お遍路八十八ヶ所参り

マラソンと言えば四国にも行った。自分は占いや祈祷の類は一切信じていないけれど、去年からちょうど本厄の年だったし、実際リアルにつらいことが起き続けていた。その頃、急に親父も死んだ。コロナの後遺症で肺がやられていて、あっという間に呼吸が止まり、死に目にも会えなかった。さすがに何かにすがりたい気持ちも出てくる。そこで以前からずっと興味のあったお遍路に行くことにした。

お遍路は歩きで通すと50日くらいかかる。車で回れば10日ちょっとだが、それじゃあんまり味気ない。そこで車とマラソンを組み合わせて行くことにした。一日5つから6つくらいのお寺さんを走って回り、長距離のときだけ車で移動する。最初のお寺でお経の書かれた手ぬぐいとお線香、ローソク、奉納用のお札、あと納経帳という小さな手帳と例の白い羽織りを買って、徳島からスタートした。

コスモスの季節だった

走っているとたまに「頑張ってね!」と応援された。有名人みたいだ。中には手を合わせて拝んでくる人もいた。さすがにおかしいだろう。知らん人が急にお菓子をくれたりもした。不思議に思って調べてみると、お遍路には「同行二人」という考えがあって、どうやら私は一人ではなく弘法大師空海と二人で回っている……ということになってるらしい。気づいたら空海と一緒だった。

ちなみに空海はゴール地点の高野山で今も生きていらっしゃり、毎日2回ご飯も食べている。パスタも食べるしコーヒーも飲むらしい。

すごい文化だ。

自分はひたすらうどんを食べた

新しいお寺に着くと、ローソクとお線香、納め札、それからお経を読んで奉納する。これを本堂と太子堂で計2回やる。それを八十八ヶ所、計176回繰り返す。「宗教の奥義は反復にある」と以前読んだが本当にそうで、だんだん感覚がトランスしてくる。同じ行為の反復の中、行為だけが残り、自分が薄くなって、消えていくような感じがする。

そして計176回読むことになるお経は般若心経で、大体こんな内容だ。

実はこの世には何もない。物質もない。感覚もない。「ない」ということさえ存在しない。死もない。老いもない。苦しみもない。悟りすらない。だから何も心配することはない……。ただこのお経を唱えなさい。ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー……。この呪文には意味はない。

すごい文化だ。

天空にある寺

八十八あるお寺はどれも個性豊かで、田んぼの真ん中にあったりコンビニの隣にあったり、はたまた車で50分くらい山道を登った先にあったり、ケーブルカーに乗らないと辿り着けなかったりする。それぞれの場所で空海が龍に会ったとか天女が来たとかユニークな伝説があり、あと驚いたことに宗派すら違っていた。真言宗が多いけれど、臨済宗や天台宗のお寺さんもある。教義が違うのに一緒にやってんだな。

そしてそれぞれのお寺が大事にしている教えや警句を掲示しているのだが、あるお寺のメッセージはこれだった。

無。

もはや教えることすら無い。すごい文化だ。

「自分の悩みがちっぽけに思えた」とよく言うが、それどころの騒ぎではない。悩みそれ自体がないと言われる。どのお寺も数百年は時間が止まっているような静けさで、よく猫とおばあさんがいる。自分は東京で何をやってるんだろうと思う。

* * *

途中トラブルもあった。何もない海岸を1時間近くドライブしていた。ほんの5度くらい左にカーブして、右は山、左は海の、全く変わり映えしない風景がずーっと続く。現実感が失われるくらい風景が変わらず、決して居眠りしていたわけではないのだが、いつの間にか少し車体を左に寄せすぎて縁石に乗り上げた。左のタイヤとシャフトがオシャカになった。

同じ風景がずーっと続く

場所が場所なので、まず携帯の電波が入らない。通りかかる車もない。Googleマップによると隣町まで歩くと6時間かかるらしい。途方に暮れてずっと海を眺めていた。波は低く、風もない。鳥一匹飛んでいない。夢か現実か、もうよくわからない。

10分か15分くらい経って、通りかかった親切な人が電波の入るところまで連れてってくれて、警察とレッカーを呼ぶことができた。ただ「今すぐ行きますが、場所が場所なので、1~2時間かかるかもしれません」と言われてのけぞった。しかも車をレッカーされたら自分は移動手段がない。現場検証を終えた警察の人に「街まで乗せてってもらえませんか」と頼んだら「一般の方はパトカーに乗せてはいけないんです」と言われ、断られてしまった。6時間歩くのか?

(続く)

2年間のこと① 走ること

この2年間演劇を離れて、いろいろなことをやった。15歳のとき鴻上尚史さんの作品で演劇と出会ってから、およそ1日たりとも演劇に触れない日はなかったが、この2年間は全く芝居も観ていない。息子が幼稚園で演じた西遊記の1本だけだ。それは男の子と女の子、悟空が2人いて、金角・銀角も牛魔王もみんな倒さず、歌って踊りながら仲直りし、仲間にしていく話だった。ずっと難しいことばかり考えていたので実に面白かった。「演劇ってこれでいいんだな」と感じた。

鴻上尚史『ピルグリム』確かこんな表紙

SNSを絶ち、普段のアカウントからログアウトすると、演劇の話題は全く聞こえてこなくなった。自分はTVは一切見ないので、コンビニのコピー機の上にミュージカルのポスターが貼られているのをたまに見るのと、TBSラジオのCMで「前川知大新作!」と聞こえてくるのをたまに聞くくらい。私もすっかりフィルターバブルの中にいたらしい。そこから出ると何も聞こえない。アウトリーチや創客というのが難しいはずだとしみじみ感じた。

※フィルターバブル …… ユーザーの趣味嗜好に合わせてネットコンテンツや広告の配信がカスタマイズされるため、自分の興味のあるジャンルの情報しか目に入らなくなること。
※アウトリーチ …… 今ある境界線を越えて、より広く顧客や観客を獲得しようとする努力のこと。
※創客 …… 今すでにいる顧客とは別に、潜在顧客や新規顧客を開拓すること。

勉強もしたし、旅にも出たし、運動もしたし執筆もした。特によく運動をした。生来できれば家でずっと本を読んでいたいような人間なので、みんながなぜ、わざわざ体を動かして苦痛を味わうなんて狂気めいたことをしているのか理解できなかったが、鬱病には運動が極めて効果的だ。動かないと鬱になるし、鬱になると動けなくなる。ウォーキングから始めて、走るようになり、凝り性が爆発して最後にはフルマラソンに挑むことにした。

村上春樹に『走ることについて語るときに僕の語ること』という名著がある。マラソン好きで何十年も欠かさず走り続けているという彼が、「走ること」について書くことを通じて、作家としての生き方、ペースや体調の維持、創作への向き合い方について書いている。もともと好きな本だったけど、毎日10kmずつ走るようになって、ようやく書かれていることがわかった気がした。

氏の本で一番好きという人も多い

走ってみると、走ることは苦痛ではなかった。多摩川の支流の土手を、黙々と走る。夕日が傾いて赤や金に色を変えていく水面や、水鳥の群れを眺めつつ走る。自分は無音に耐えられない性格なので、ずっと歴史のPodCastを聴いていた。アレクサンドロス大王が東征し、菅原道真が島流しに遭い、ロベスピエールがギロチンの露と消えてナポレオンが現れ、ハンナ・アーレントが亡命し『全体主義の起源』を書き上げるのを聴きながら走った。

ブレブレ

家に帰って風呂を浴び、筋トレをしてプロテインを飲む。最近はYouTubeで何でも教えてくれる。きちんとスポーツ科学を学び、自身も優秀なランナーである講師の先生たちが(大抵みなさんもう自分より10も20も年下だ)明るく丁寧に練習メニューの組み立て方や必要な筋トレについて教えてくれる。人間は、基本的に、何かを忘れることはできない。何か別のことに集中することで、一時的に頭から追い出すことができるだけだ。思考や感情は直接コントロールできない。これは演技を教えるとき一番最初に教えることだ。つまり、感情や気分を表現することよりも、行動の中に目的を持つということ。走っている間は目的が明確だから、頭がとてもクリアになる。当初のイメージと全然違った。全然つらくなかった。

3ヶ月ほど走り込み、人生初のフルマラソンは完走した。当初は初挑戦でサブ4、いやもしかしてサブ3.5も?と欲目を出していたが、35kmを過ぎた辺りから膝が全く上がらなくなり、あらゆる関節が激痛を上げた。「最後の10kmは別世界」と聞いてはいたが……! 何とかゴールはしたが、結果は惨敗。目標タイムに届かなかったどころか、それから3日くらいは部屋の中の移動ですらしんどかった。やっぱり結構つらかった。

和解のお知らせ

このたび原告・大内彩加氏より提訴されていた民事訴訟について、裁判所から裁定和解に至る考えが示され、双方合意の上、和解解決に至りましたことをご報告致します。

事実と異なる点についてはこの先名誉毀損の訴えを起こし白黒を明らかにする覚悟でいましたが、今回裁判所から提示された文書により、性行為の強要がなかったこと、その他重要な点において私の主張が受け入れられたと言えることから※1、訴訟の長期化による疲弊も著しいことも鑑み、和解に同意し、裁判を終了することに致しました。

原告とはすでに和解を済ませ、本件についてはもう争いません。当事者間では解決したことをご理解いただき、皆様方も冷静に見守っていただくようお願い致します。私自身は裁判所の判断の通り、原告からの積極的言動(裁判所の言を用いると「迎合的な態度」)があったとしても身体接触はすべきでなかったと反省しています。原告ならびに関係者の皆様に深く謝罪します。

しかし、依然として世間では実際の事実経過を無視して、私が一方的かつ悪質な加害を続けたという名誉毀損が広まってしまっています。これらについては訂正や削除を求めていきますが、自発的に削除、ないし訂正して下さることを希望します※2

私はこの件で福島で準備していた公演を中止された他、向こう2年半分、全く無関係な計7つの公演の脚本や演出の仕事をキャンセルされました。SNSで激しい誹謗中傷を浴び、殺害予告のメールや不審人物による自宅襲撃を受けました。裁判そのものよりそういったネット炎上に最も苦しめられたと言えます。客観的な事実が分からないうちに憶測や噂を広め、仕事や社会での居場所を奪うキャンセルカルチャーについて、改めて疑問を投げかけたいと思います。

そして残されたデジタルタトゥーは簡単には消えません。本件も当初はテレビなどで「演出家によるレイプ」として大きく報道されましたが、こうして疑惑が解消されたことについては同じように広くは扱ってもらえないのではないかと懸念しています。地道に努力し、信頼回復に努めて参りますが、何卒皆様のお力添えを頂ければ幸いです。

書きたいことがたくさんあります。この2年間で考えたことや、やっていたことなど、今後少しずつ発信していきます。最後にあらためまして、公演中止でご迷惑をおかけしたお客様、また私の作品を楽しみにしてくれていた皆様には、再び深く頭を下げ、心からお詫び申し上げます。

そしてこの困難な期間に、私を励まし、支えてくれた貴重な仲間や友人たち、温かい言葉を寄せてくれたお客様方に、心から感謝します。本当にどうもありがとうございました。

令和6年11月27日 谷賢一

〔裁判所による裁定和解に至る考え〕

本件においては、劇団の主催者(被告)による劇団員(原告)に対する行為が不法行為となるかどうかが問題となっている。具体的には、①被告が、原告の胸部や臀部を複数回触ったことに関し、原告の同意があったかどうか、②被告が、原告の意に反し、性行為を強要したかどうかが主たる争点となっている。上記①の点については、原告が迎合的な態度を示すことがあったとしても、劇団の主宰者と劇団員という立場の差に鑑みると、原告の真摯な同意があったとは認め難く、一定の不法行為責任が生じ得る行為であったといえる。一方、上記②の点については、原告の立証に隘路があること、また、行為があったとされる時期に照らすと時効が成立し得ること等の事情を踏まえると、不法行為責任を追及するのは困難といえる。

以上の事実関係の下で、原告と被告の双方が、当審において和解することにより早期に紛争を解決させる道を選択し、本件を教訓としつつ、それぞれの舞台に可及的速やかに復帰し、それぞれの有する能力を最大限に発揮して、我が国の演劇界がこれまで以上に豊かで健全な表現・創作活動を行う場となり、我が国の文化が更に発展することを期待して、以下の条項のとおり合意するのが相当と思料する。


※1 本件では「物的証拠」が存在しないことは当然ですが、「犯行後」の証拠として提出された午前3時11分友人宛LINEにつき、「(被害の)気持ちを吐き出したくなって、シャワーを浴びた後、谷が入って来ないようにとドアを閉めたシャワールームからLINEを送った」(原告第1準備書面49頁)と詳細な説明をしていたのが、GPS記録(午前3時4分に現場到着)により当該時間帯のアリバイが証明されると「犯行前に送ったものだった」(原告第2準備書面10頁)と変遷しました。これら時間や前提などが矛盾した主張について、裁判では原告のストーリーが破綻していると主張してきました。このことを裁判所文書では「原告の立証に隘路がある」(隘路:問題、困難、狭くて通りづらい道)と表現しているのだと考えております。その他、重要な反論を複数展開しております。詳しくは訴訟記録をご覧下さい。

参考
https://www.playnote.net/2024/10/11/1011/

※2 私は当初から訴訟内で主張を尽くすこと、訴訟記録に基づき客観的に判断頂きたい旨を述べてきました。しかし訴訟記録も確認せず、ネットの伝聞やキリトリを拡散するアカウントが多く見られます。度が過ぎるものについては、今後、止むをえず法的措置をとらせて頂くつもりですのでご留意下さい。

10月28日に行われる尋問について

今のところ傍聴券の交付はないようですので、傍聴を希望される方は直接法廷へお越し下さい。人数が増えると座れない可能性もあるので、確実に座りたい方はお早めにお越し下さい。

日時 10月28日(月) 13時半
場所 東京地方裁判所 第803号室
番号 令和4(ワ)第29876号
原告 大内彩加
被告 谷賢一

傍聴券の交付状況は変更される場合があるので、以下のURLから最新情報をご確認下さい。

東京地方裁判所 傍聴券交付情報
https://www.courts.go.jp/app/botyokoufu_jp/list?id=15,18,19,20,21,22,23,24,25

※傍聴券とは……傍聴希望者が特に多い裁判の場合、入手が必要となる。集合時間までに指定された場所に集まり抽選で配布される。

前回の文章を発表した後、とても多くの方から激励や応援のメッセージを頂きました。一つ一つありがたく読ませて頂きましたが、しばらくは個別でのお返事は控えさせていただきます。大変申し訳ありません。まずは裁判内での論戦に専念したいと思います。今しばらく見守って頂けますようお願い申し上げます。


※これまでの経緯は以下の文章をご覧下さい。

谷賢一に対する原告・大内彩加氏による裁判(事件番号 令和4(ワ)第29876号)について お詫びとお知らせhttps://www.playnote.net/2024/10/11/1011/

 

 

 

 

谷賢一に対する原告・大内彩加氏による裁判(事件番号 令和4(ワ)第29876号)について お詫びとお知らせ

ㅤまずはじめにご心配をおかけしている多くの方々に深くお詫びします1。後述する事情から、長らく発言を法廷に限っておりました。10月28日(月)の13時30分より、東京地方裁判所にて、私本人が出廷して尋問が行われます。私の意見を率直に申し上げるつもりですので、ご関心のある方は足をお運び下さい。
ㅤ本件に関する私の主張は以下の通りです。概略ですので詳しくは裁判記録をご覧下さい。

原告は劇団入団当時から「性は世界共通の笑い」「おっぱいどうぞ」「当ててんのよ」など性的な接触を含む言動を稽古場で繰り返しており、これには複数の目撃証言が提出されている。セクハラを強要したなどという事実はない。それらも2021年には当人と謝罪も交えて話し合い、以後根絶している。
また原告により公開されているLINEは一部が恣意的に切り取られている。全体をみれば一方的なやりとりではなく、原告自身が積極的に下ネタを振っていた様子が確認できる。
レイプの訴えは、状況的・身体的にあり得ない。原告は当初、時刻や場所を詳しく述べていたが、当方はGPSログなど客観的証拠を提出し原告の矛盾を指摘した。レイプがあったと原告の主張する時間には、私は現場に到着すらしていないことがGPS記録からも明らかである2

ㅤセクシャル・ハラスメント、ならびにパワー・ハラスメントを根絶していこうという昨今の流れの中で、私自身、かつての己の振る舞いに不適切なことがあったことを率直に認め、お詫びします。「ジョークのつもりだった」「昔は当然だった」ではもはや許されないことがたくさんあります。過去のことでもきちんと反省していかなくてはと思います。
ㅤとはいえこれは、それとは全く違う話です。これは、本当は自分から身体接触をともなう交流を繰り返していた女性が、自身の問題行動が原因でキャスティングを外されたことを根に持って訴えを起こし、絶対不可能なレイプ被害を訴えている裁判です。
ㅤその訴えは私の公演のちょうど前日を狙って、SNSと関係各社への一斉連絡という形で発表されました3。SNSは大炎上し、公演は中止されました。私は強い希死念慮4を感じたため、ネットを絶ち、今も通院治療を続けています。裁判そのものへの反論とは別に、SNSを利用して公演を潰して話題にし、注目を集めるキャンセルカルチャーの手法に、大きな恐怖と怒りを感じています。

ㅤ裁判も終わりが近づいて来ましたので、これからは自分の言葉で発信をしていきたいと思います。ただし上記のような事情からSNSでの応対は当面控えさせて頂きます。取材の依頼があれば合同会社DULL-COLORED POPまでメールにてご連絡下さい。また私自身炎上に苦しみ、なぜSNS炎上がこんなに苦しいのか考え抜いた人間ですので、裁判の上では相手方とは言え、原告に対してもSNS上での過剰な攻撃や個人情報の暴露などをなさらないようお願い申し上げます。

文 谷賢一
合同会社DULL-COLORED POP

1 後述の通り心身の危険を感じ、希死念慮(自殺願望)もあったため、SNSを絶っています。炎上のショックはもちろん、某有名作家による自宅襲撃の示唆や週刊誌の張り込みなどもあって、身の安全を優先しどなたとも連絡をとらずにおりました。ただしその間も私の主張は弁護士を通じて述べており、裁判記録としてまとまっています。誰でも閲覧可能ですので、この期間の沈黙を不審に思う方はご覧になって頂ければと思います。

2 このGPS情報は私のスマホの位置情報と時間をGoogle社のサーバー上に記録したものであり、改ざんは不可能です。原告は書面の中で「終電間際の何時頃、タクシーで原告自宅へ移動し、何時にレイプがあって3時11分にそのつらさを友人へLINEし……」などと詳細に私の「犯行状況」を供述していましたが、GPSによれば私が原告宅へついたのは3:04です。この7分以内に犯行があり、シャワーを済ませて友人にLINEすることができるでしょうか。裁判にてこれらを指摘したところ原告は「記憶違いだった」として時系列をすべて修正しました。しかし5分10分の訂正ではなく数時間に渡る修正であり、「犯行後」に送ったというLINEが、やっぱり「犯行前」だったというのは、どういうことでしょうか。原告の主張するストーリー(終電はまだある時間だったが無理矢理押しかけられ……)の根幹が破綻していることは明らかです。また当時の私は精神科・心療内科に通院しており、性機能不全(勃起できない)の副作用のある向精神薬を常用していました。身体的にも性交は不可能です。

3 調べあげなければわからないような後援団体や地元の有力者にまで一斉に連絡が行っており、組織的・計画的なものを感じます。原告本人も公演を潰す意図があったことを明言しています。私を個人的に訴えることは構いません。しかし公演を巻き添えにするやり方は、一つの公演の重さやありがたさを知っている演劇人にとってはあまりに耐え難いものです。私は今も中止された公演のスタッフ・キャスト全員、また数ヶ月に渡る現地取材や創作環境の整備に協力してくれた多くの方々に、心から申し訳なく、合わせる顔がありません。上演前日の中止ですから現地まで足を運んで下さっていたお客様もいたでしょう。上演できていればとても意義のある作品になったと思います。改めて心からお詫び致します。

4 希死念慮とは精神医学の用語で、簡単に言えば自殺願望です。何もしていなくても常に頭に自殺の考えがちらついてしまい、やがてそのことばかり考えるようになってしまいます。「自殺はいけない」と頭ではわかっているのに、「自殺しかない」と考えてしまう状態です。過ぎ去って見れば病んでいたと気付けるのですが、体験している最中には全くわからず、罪悪感、自責感、劣等感や申し訳なさなどが次々に押し寄せ、自殺以外にこの苦しさから救われる道がないかのように考えてしまいます(これは私の体験に基づく説明ですので、詳しくは医療機関の説明をご参照下さい)。

本日公開された大内彩加さんの文章について

この度は私に関することで大事なお客様、および公演関係者に多大なるご迷惑とご心配をおかけしていることを、まず深くお詫び申し上げます。

本日、大内彩加さんによりインターネット上に発表された文章についてコメントさせて頂きます。彼女の文章は事実無根および悪意のある誇張に満ちており、受け入れられるものではありません。訴状が届いていないため起訴内容については確認できておりませんが、司法の場で争う所存です。

私は自分自身、全く聖人君子ではなく、非常に大きな問題を抱えた人物であると自覚しております。かつては稽古場で怒号を飛ばしたこともありました。性的なハラスメントもあったと反省しています。それらについては時効はありませんから、機会を頂きつつ謝罪や和解を続けていきたいと考えています。しかし忘れもしない2016年、私自身がある演劇現場(劇団外でのプロデュース公演)で年上の俳優やプロデューサーから非常に強いパワーハラスメントを受けた際、私はもちろん、私以上に萎縮してしまっていた座組のメンバーたちの姿を見て、今後はそのような手段に頼らず現場に立つべきだと自覚を強くしました。忘れもしない2016年のことです。

それ以降も社会でハラスメント対応および人権意識が高まる中、周囲の友人・先輩や専門家にも相談し、自身の行いを改めて参りました。彼女と初めて仕事をしたのは2018年です。私が彼女に対し訴えにあるような行いをしたことはございません。「そのつもり」がなくとも相手が不快に思うようなことが起きたり、言ってしまった場合には、その都度冗談にせず謝罪することを心がけてきました。それでも至らぬ点はあったかもしれませんが、その間の私の自分自身をアップデートしようという努力は、座組みを同じくしたスタッフ・俳優たちが証言してくれるものと信じています。またここには書けませんが、彼女に対する強い別の反論と抗議も持ち合わせております。

大内さんや宮地さんとは、今年の夏に一緒にリスペクトトレーニング講習を受けたり、ハラスメント講習を受けた上で、今後劇団としてどのような環境づくりをしていくか対応を協議していました。それも「劇団内で問題が起きたから」というきっかけではなく、演劇界で起きていた様々なハラスメント事件を他人事とせず、劇団として自分たちの対応をアップデートしていくための自発的な動きでした。そんな中、今回このように寝耳に水の形で、公演前日に訴えを起こされたことは大変心外です。これはれっきとした名誉毀損であり、私が今準備している公演遂行のためにも看過することができません。そして何より私自身の名誉のためにも、取り下げて頂くまで戦う覚悟でおります。

あらためましてお客様、および公演関係各位に多大なるご迷惑とご心配をおかけしていることを心よりお詫び申し上げます。

令和4年12月15日 谷賢一

* * *

追記 先ほど現在準備している公演について、主催者判断で初日の上演中止が決定しました。楽しみにしてくれていたお客様には大変申し訳ありません。心からお詫び申し上げます。そして今日のゲネプロまで密度の高い創作をしてくれたスタッフ・俳優一同に対して、言葉もありません。今日のゲネプロ、今、まさに上演すべき、ここでしか上演できない空気がありました。改めて心よりお詫び申し上げます。

追記2 たった今、全公演の中止が決定したとの知らせがありました。訴状すら見ず、司法の判断も待たずにこの決定を下すことは行きすぎたキャンセルカルチャー、私刑と同じであり承服できません。続きは司法の場で争いつつ、私個人として、この社会的風潮に対し抗議の声をあげていこうと考えております。

12/13(火)、場当たり

昨日の疲れがさすがに出て1時間遅く起きる。ハムエッグを焼いて冷凍ごはんをチンして食べる。この辺りではスーパーが8時に閉まるので稽古後に買い物ができない。人口1500人の町では仕方がないことだ。劇場へ入りややこしい電話を何本もかける。芸術のことだけ考えてられるほど私には才能がない。お金のこと、経営のこと、人間関係のこと、様々に、誰かの尾を踏み怒りを買わないように、言葉を選びながら伝えていく。演劇は一人ではできない芸術なのでこういうこともある。場当たりは順調に最後まで進む。夜は音響柳丈陽さんとバカ話をしながら細かい音像をチェックしていく。彼は一種の偏執狂、マニアクスなので話が合う。タフだし賢いので気兼ねなく理想やオーダーを伝えられる。少し元気をもらって家に帰り、またパソコンを叩く。明日はドレスリハーサル、劇場衣裳つき通し稽古だ。