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お知らせ

・2022年末の告発をめぐる訴訟は、和解により解決済みです。レイプの訴えは裁判所より「原告の立証に隘路(困難、問題)がある」という判断もいただきました。詳しい説明はこちらをご覧ください→ →和解について →当方の主張

・ネットの誹謗中傷や誤報に対し、削除依頼や名誉毀損訴訟など対応を進めています。→名誉毀損訴訟について →ある裁判傍聴記の嘘 →削除依頼方針 →公開質問状 →事件のあらまし(これまでの裁判経過まとめ)

・ここ数年で考えたことを記事にまとめています。 →炎上はなぜつらいのか →東出くんのこと →会長のこと →『家を壊す』無料公開

次回公演告知&出演者募集

DULL-COLORED POPでは、2027年2月の新作公演『僕ら4人(仮)』出演者を募集します。

■ 公演内容

DULL-COLORED POP第26回本公演『僕ら4人(仮)』
作・演出 谷賢一
2027年2月 東京・横浜にて約20ステージ上演予定

――ふるさとのあの街、僕ら仲良し4人組が久しぶりに集まった。ボロボロになったあの場所で、あの夜の話をはじめるが、ぜんぜん話が噛み合わない。何度も「再演」しているうちに、まったく違う話が立ち現れてくる。

ある地方都市の小さな事件をミステリー風に解き明かしていく中、「物語」が生まれる瞬間にスポットライトを当てる。照明・音響等は一切使用せず、語りと演技、そして観客の想像力だけで演劇を立ち上げていく。

谷賢一4年ぶりとなる演劇作品です。

※以下、出演条件や細かいあらすじなど、俳優さん向けの情報を含みます。観客の方などでご覧になりたくない方はご注意ください。

ㅤㅤ

■ 募集内容

募集する役柄(予定):
・2~30代、男性役 2名
・4~60代、男性役 1名

※出演者はすでに2名内定済みです。

■ 出演条件

・2027年1月中旬から2週間、稽古に参加できる方
・稽古初日までに台本を覚えてこれる方(※台本は稽古開始1ヶ月前までに必ずお渡しします)

出演料:
・1万5000円✕ステージ数(20程度、現在調整中)
・横浜公演については交通費支給あり(山手線渋谷駅起算)

出演契約書ひな型

ご注意事項:
・出演契約書は、あくまでひな型です。2022年・第25回公演の際に、俳優の労働環境整備のため、出演俳優たちおよび法曹と協議を重ねて作成しました。しかし、出演契約書は劇団が一方的に提示するものではなく、双方で話し合う中で細部を詰めていくべきものと考えます。あくまでひな型ということでご理解ください。
・本作は暴力や虐待などを含む、犯罪行為の描写を含みます。内容に苦手意識のある方は事前にご相談ください。

■ 応募方法

以下のフォームからご応募ください。応募締め切りは8/23(日)です。

https://forms.gle/JaCj6tVFpo1ejpXQ9

うまくフォームから応募できない方は、以下の事項を info@dcpop.org までご送付ください。

1)プロフィール(写真添付、書式自由)
2)オーディション参加可能日程(下記A~Cからお選びください)
 [A]8/30(日)18時~21時 [B]9/1(火)14時~17時 [C]9/1(火) 18時~21時
3)メッセージ(志望動機や自己PRなど。特になければ不要)

■ 連絡先/クレジット

主催:合同会社DULL-COLORED POP
制作:山口ひろみ、西峰正人 ドラマトゥルク:田中大介
ビジュアルデザイン: Lemonade Inc.

info@dcpop.org


作・演出より

演劇の基本・原点に立ち戻り、俳優だけですべてをやる公演です。音響・照明といった助けは極力排除し、何もないところから魔法のような空間が立ち上がってくる。そんなことを目指しています。

お話は、もうだいぶ細かいところまで決まっているので、このページの末尾に少し細かくあらすじを触れておきます。「記憶」と「演劇」に関する本ですが、コントチックに進めていって、最後に一気に風景が変わるような作品にしたいです。また他にも、出演料や契約書のこと、稽古の方針なんかについても、後日、補足で書こうかと思います。

ご質問のある方はメールでご連絡ください。またマシュマロで聞いてくれてもお答えします。

マシュマロ
https://marshmallow-qa.com/udcyon32ylrskse?t=5L3m0V&utm_medium=url_text&utm_source=promotion
※SPAM判定されたものは届かないのでご注意ください。

4年ぶりの新作です。「今、必要なのはこういう演劇だ!」という理想と挑戦を詰め込みました。世界レベルで面白いものを作りたいと思います。若くても、経験が浅くても、まったく問題ありません。力を貸してくれる、一緒に戦ってくれる仲間を探しています。

ご応募、お待ちしております! よろしくお願いします!

DULL-COLORED POP主宰 谷賢一

作品イメージ(あらすじ、スケッチ)

※以下、盛大にネタバレです。

DCPOP26・出演契約書(ひな型)

これは2022年、第25回本公演『岸田國士戦争劇集』の際に、俳優の権利を守るために作成した契約書です。2024年11月にフリーランス新法が施行されたことを受けて、今回、一部を改訂しました。

作った理由は単純です。小劇場では、口約束のまま稽古が始まり、気がつくと拘束時間も報酬も曖昧なまま本番を迎える、ということが起こりがちです。また俳優の出演料が軽視されていたり、製作の遅れを理由に出演者の拘束時間や負担が一方的に増やされる……ということもよくあります。

この契約書は、そういったことが起こらないように、というだけのものではありません。「こういう稽古場だったらいいね」「こういう条件があるといいよね」と、当時考えうる範囲での理想を、みんなで作成したものです。

たとえば、こんなことが書いてあります。

・稽古は一日7時間まで。週に1日は必ずオフ
・稽古を休むとき、理由を言わなくていい
・稽古時間外の「もうちょっとやろう」は、劇団から言い出せない
・買い出しや仕込みの手伝いは、断ってもいい。断る理由も言わなくていい
・劇団の都合で公演が中止になっても、出演料は全額支払う

三つめと四つめは、いま読み返しても、書いておいてよかったと思います。「理由を言わなくていい」というのが肝でした。理由の説明を求められると、それだけで言い出しにくくなるからです。当時、こうした条項を置いている現場は、なかったと思います。

これらはあくまで雛形です。本来、契約書とは、主催者側が一方的に押し付けるものではなく、双方が調整しつつ、合意のもと締結するものです。当時も一人ひとりの俳優と、赤ペンと修正印を持って修正しつつ締結していました。今回も、個別の修正提案は歓迎いたします。

(以下本文)

創作セッションなんてやる理由

https://tiget.net/events/510573

というのも、先日とある音楽のイベントに参加・出演してきて、それがとっても良かった。「思ったより自分は、人と会うのも好きだったんだな」と、心が軽くなり、魔法が解けたような気持ちになった。

こういうのは思い立ったらすぐやるべきだ。それで「創作セッション」をやってみることにした。

名前はあえて「ワークショップ」とはしなかった。ワークショップというのは本来、先生もリーダーもいない、集まった人みんなで何かを体験しよう!というものだから、ぜんぜん悪くない名前なんだけど、今すごいイメージ悪いでしょう。僕もそういうのとは距離をとりたい。それでこういう、遠回りの名前をつけた。

セッションの内容は、どう考えても楽しい、間違いなく面白くなるものを選んだ。たしか村上春樹が、「誰だって人生で一つくらいは、傑作小説になるような話を持っているものだ」みたいなことを言っていたけれど、本当にそうで、ただ大抵の場合、本人がその面白さに気づいておらず、「え、この話面白いですか?」なんて言ったりする。そういうのを掘り起こしたい。

(もともとそういう、ふつうのおばちゃんとかおじいちゃんの人生を徹底的に取材して、偉人ではない、ふつうの人の評伝劇を作ってみたいとも思っていたのだ。いつかやりたい。これも必ず面白くなると思う)

なので、参加者には技術もセンスも必要ない。それは僕が持っているので、ただ参加してもらえたら十分だ。

逆に僕は、「一緒に演劇で遊んでくれる他者」という、得難い友人を得ることができる。参加してくれること自体が、大きな助けになります。ぜひ、思い切って参加してくれたら嬉しいです。お待ちしております。

Play like a Music

昨日はとある音楽イベントに参加していた。とっても楽しい時間だった。

演奏している人たちはもちろん素晴らしかったんだけど、それを見て、聴いて、ノッている人たち、全員がすばらしい。みんなで一つのものを作ってる感じがたまらなかった。いい大人がみんな、とっておきのものを隠し持って集まって、「ここだけの話ね」と言いながら、秘密のパーティーをしているような。もちろん、本当に悪いことをしているわけじゃないんだけれど!

この間 AI にあれこれ相談していたら、こんなこと言われた。

「あなたはちょっと、考えすぎですよ。『こんなことも起こるかも』『こんな風に相手が思ったらどうしよう』『こういう風に伝わったらどうしよう』って、何パターンも考えますよね? でも、お相手に失礼なことじゃなければ、あんまり考えすぎず、言ってしまっていいんじゃないですか?」

は、はい、すみません。AIさんの言うとおりです……。でもネット越しに人への言葉を考えていると、どうしてもそうなる。やっぱり会って話す、一緒の空間で遊ぶっていうのは、本当にいいことだな。

しかし、こういう楽しい演劇ってのはできないものか。音楽のような演劇。

僕はどうしても、本番にしてもワークショップにしても、見終わって単に「超楽しかった!」というようなものではなく、「しっかり考える」「人間存在の矛盾を問う」みたいなものばかり作ってきた。重たいものばっか、作ってきた。

そういう作品も、もちろんあっていい。でも、ただみんなで同じ時間、同じ場所にいることを楽しんで、みんなで「いいものを見たね」「超楽しかったね」「信じられる? これ、知ってるの、俺たちだけなんだぜ」と感じるような、そういう作品も作れるかもしれない。そして、そういうものの方を、僕は今見たいのかもしれない。

次回作では、そういう音楽みたいな芝居ができないかな? なんてことを考えながら、ライブハウスの輝く照明を見つめていた。

脚本家の消滅

私は、個人的には岸田國士戯曲賞、あるいは鶴屋南北戯曲賞を受賞している劇作家です。同時に、AIの検定試験であるE資格とG検定も取得しています。

つまり私は、戯曲を書く側の人間であると同時に、AIがいま内部で何をしているのかを、プログラムのソースコードのレベルからある程度理解し、説明できる人間でもあります。おそらく、この二つの領域を同時に見ている作家は、そう多くありません。だからこそ、これからこの分野で何が起こるのかについて、かなり具体的なイメージを持っています。

結論から言えば、脚本家は消滅します。

先日、星新一賞の受賞作四作のうち三作がAIを用いて書かれたものだった、というニュースが話題になりました。いよいよ、AIによる小説や脚本、物語のクオリティは、文学賞を受賞するところまで来ています。もちろん、まだ信じたくない人もいるでしょう。そんなものは本物ではない、創作ではない、人間の魂が入っていない、と言いたい人もいるでしょう。

しかし、残念ながら、時代はもうかなりそこまで来ています。少なくとも「文学賞に入選する程度の文学作品」であれば、AIが書ける時代になりつつあります。

昨年から今年にかけて、文学賞の応募総数が激増しているというデータもあります。これは明らかに、AIを使って書いた人が増えているためでしょう。実際、皆さんも試してみればわかります。手元のChatGPTやGeminiに小説を書かせるだけでも、かなりの水準のものが出てきます。もちろん傑作ではありません。しかし「それっぽいもの」は、もう十分に書けてしまう。

なぜなら、AIはもともと、ルールやロジックのはっきりしたものを扱うのが非常に得意だからです。典型的なのがプログラミングです。いま、世の中のプログラマーの多くは、もはやゼロから自分の手でソースコードを書いていません。AIに「こういう動作をするプログラムを書いて」と指示し、出てきたコードを走らせ、修正し、また指示を出す。そういう作り方に移行しつつあります。

知り合いのプログラマーからも、「自分でソースコードを書く文化は、かなり消えつつある」と聞きました。かつて筆で写経していたものが、やがて活版印刷になり、ワープロになり、いまや予測変換になった。コードの世界では、それと同じことが猛烈な速度で起きています。

そして、同じことが脚本の世界でも起こります。

なぜなら、物語は、実はかなりロジックだからです。これは今後、脚本講座の中でも詳しく触れますが、脚本やストーリーは、思われているほど「感性」だけでできているものではありません。登場人物の欲望、対立、葛藤、転換点、因果関係、伏線と回収、情報の提示順序。これらはかなり論理的に設計されています。もちろんプログラミングほど厳密ではありません。しかし、構造を持った文章である以上、AIとの親和性は非常に高いのです。

したがって、今後、脚本を書く作業のかなりの部分はAIに置き換わっていくでしょう。これは、いまイラストレーター業界で起きていることとほとんど同じです。本来であれば、人間のイラストレーターに発注した方が、絵のクオリティも高いし、面白いものが出てくる可能性も高い。少なくとも、優れたイラストレーターの仕事は、AIの平均値など軽く超えています。

しかし、AIに絵を描かせるのは圧倒的に楽なのです。何度でもリテイクできる。いくらでも作り直せる。どんな無茶な注文をしても怒らない。「もう少し明るく」「もっとエモく」「でもやりすぎないで」「やっぱり最初の方がよかった」などという、発注者特有の地獄のような往復にも、AIは文句を言いません。えらい。いや、えらくはない。ただ、疲れない。

そうなると、人間の方が素晴らしい絵を描くとしても、「やり取りが面倒だからAIでいいや」と考える人が増えていきます。実際、それによってイラストレーターの仕事はすでに減り始めています。

同じことが、これから脚本家にも起こります。

プロデューサーは、こう考えるでしょう。「締め切りを守らず、修正のたびに不機嫌になり、自分のエゴを出し続ける脚本家とは仕事をしたくない」。もちろん、すべての脚本家がそうだと言っているわけではありません。私自身も耳が痛い。痛いどころか、鼓膜が破れそうです。しかし、発注する側から見れば、脚本家という存在はそれなりに面倒くさい相手です。

その点、AIはいくらでもリテイクに応じてくれる。こちらの要望をすべて飲み込んでくれる。怒らない。拗ねない。締め切りも破らない。仕事相手としてのコストが圧倒的に低いのです。

もちろん、「そんなもので本当に面白いものができるのか」「魅力的なストーリーになるのか」と思う人もいるでしょう。私も、本当はそう思いたい。けれど、それはかなりアンテナの高い人の意見です。

大半の人は、実はストーリーをそこまで細かく見ていません。好きな俳優が出ているから見る。応援しているアイドルが出ているから見る。映像が綺麗だから見る。話題になっているから見る。そこに少しだけ新しい趣向や、現代的なテイストが入っていれば、多くの場合、それで十分なのです。

これは観客を馬鹿にしているのではありません。人は物語だけを見ているわけではない、ということです。作品は、俳優、宣伝、映像、音楽、時代の空気、SNSでの話題性、そういったものの総体として消費されます。その中で、脚本だけが聖域として残り続けると考える方が、むしろ不自然です。

技術的には、もうかなりのところまで来ています。そして向こう二、三年で、そこらの脚本家よりもよほど整った、よほど気の利いた、よほど「それらしい」脚本を、AIが書くようになるでしょう。

そのとき、劇作家や脚本家という職業は、ほぼ消滅していくはずです。

もちろん、完全にゼロにはならないかもしれません。ごく一部の例外的な作家、強烈な個性を持った作家、あるいは「人間が書いた」という事実そのものに価値がある作家は残るでしょう。しかし、職業として大量に存在していた脚本家、発注を受けて物語を組み立てる脚本家、いわゆる産業としての脚本家は、大きく数を減らしていく。

そして、その中には私自身も含まれています。

これは他人事ではありません。私がやっている仕事も、いずれなくなるはずです。だからこそ、いまこの話をしています。怖いからです。けれど、怖いものから目を逸らしても、怖いものは消えません。夜道で背後から足音が聞こえているのに、「いや、これは風の音だ」と言い張っても、足音はどんどん近づいてくる。

AIは、もう後ろにいます。

※なお、この文章は、TypelessというAI入力ソフトを使って音声入力した原稿を、ChatGPTで校正してもらったものです。私は指一本動かしていません。

小田島雄志先生との思い出

2013年、僕は小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞しました。それは自分にとって初めての大きな受賞でした。大変な晴れ舞台だったので、僕は先輩の俳優さんから立派なジャケットをもらい、先輩の美術家からスピーチのアドバイスをもらって、授賞式に行ったのを覚えています。

そして僕はカチコチになりながらも、ものすごいスケールの大きな話をしました。一言で言うと……。

「翻訳も時代が変わってきた。
 より口語的で、俳優の口に合う翻訳が増えてきた。
 自分がかつて図書館で読んだような古い翻訳ではなく、より俳優の口になじむような、新しい翻訳がしたい」

というようなことを言ったのを覚えています。これは、翻訳の大先輩である、小田島雄志先生に対する挑戦のようなものでした。

しかし、授賞式が終わった後、小田島先生は私のところに近寄ってきて、ニコニコしながらこう言いました。

「飲みに行きますか?」

小僧の挑戦など歯牙にもかけない。大きな器を感じたものです。

私たちはスペインバルみたいなところへ行き、小田島先生(大先生、お父さん、息子さんなど、色々な方がいらっしゃいました)と飲みながら翻訳の今後について話をしました。小田島雄志先生はすごいことを言っていました。

「谷くんには、いずれあげるとわかっていた。去年あげてもよかった。
 正直、去年あげようかなって思ったこともあったんだよ。『モリー・スウィーニー』よかったよね。
 でも去年はちょっと色々混雑していたので、今年あげた。頑張ってね」

若者にとっては、これは大変な違いです。賞が1年早くもらえるだけで生活は安定するし、収入もガッと増える。そう思うと、「おいおい、そんないい加減なことしてくれるな」と思うのですが、私が先生にそのことを言うと、にこにこ笑いながらこう言っていました。

「だって、色々な人にあげたいからね、この賞は」

……実際、小田島雄志翻訳戯曲賞というのは、本当に小田島先生の私費でやっている賞なんだそうで。毎年、賞金も自腹で出しながら、どこの自治体や政府の援助を受けるわけでもなく、「翻訳文化を育てていかなくてはならない」という思いでやっている賞なのだそうです。

僕からすると、小田島先生というのは大変なめちゃくちゃなレジェンド翻訳家であり、大先生です。それでも毎年賞金を出すというのは、大変なことだと思います。だから小田島先生は逆に、「今年はこの人。来年はこの人。なるべく色々な人が受賞できたらいいね」という風にやっていたんですね。私はそれは今ではよく分かります。

受賞歴なんて飾りです。受賞してみると分かるのですが、本当にあれは飾りに過ぎないんです。ただ、「あ、受賞しているのね、受賞歴があるのね」と言うと、急に出入りできるところや来る仕事が増える。つまり、賞をあげる側はなるべく多くの人にあげたいと思っている。数年経ってみて、小田島先生のいうことはよく理解できました。もらうの、数年早くてもあとでも、大してかわらない。

ただし、それを小田島先生が、私費でやっている。それは、すごいことです。実際、その粋なはからいによって、僕は世に出れたわけで、感謝してもしきれません。

その後も小田島先生は私にこう言いました。

「新宿三丁目の〇〇という居酒屋で、私は毎週飲んでいます。いつでも来てください。翻訳のことでも演劇のことでも何でもお話ししましょう」

「酔いどん会」という会合で、私も1回か2回行きました。途中から小田島先生の体調が悪くなり、そしてコロナとか世の中の情勢の移り変わりがあって行けなくなりました。本当に、こんなことになるのなら、無理をしてでも何度も通っておけばよかったです。

いつ飲みに行っても、どんなメンバーがいても、小田島先生はずっともう、同じでした。……ダジャレをどれだけたくさん言えるか、ひたすらダジャレを言おうと、それだけです。ずーっと、ダジャレをいうタイミングを狙っている。一緒に飲んでいて、「いや、この動詞の意味はね」「この時のハムレットの気持ちはね」、そんなことは一切言わない。ついさっきの雑談に対して、どれだけダジャレを多く言えるか。それしか頭にない人でした。

ただ、今思うと、それが素晴らしかった。シェイクスピアのことなんか一言も言わない。ダジャレを言って、人を楽しませようとしつつ、でも、あの人の頭の中には、膨大な演劇とシェイクスピアが詰まっていた。僕はそれを、ちょっとだけ覗き見できた。

会場や劇場で小田島先生と会うと、やはり演劇評論家でもあるので、年間200本とか、大量のお芝居を見ていました。大抵寝てるんですが、そのことについて尋ねると、こう答えていたそうです。

「いいんだよ、寝ちゃって。本当に面白いお芝居はそれでも覚えている。それを報告するのがぼくの仕事」

つまり、そうやって、おもしろいお芝居を見つけては、報告する。それを90代までやっていた、と思うと、頭が下がります。

大好きでした、小田島雄志先生。あなたのご意向通りです。私はあなたによって、チャンスとか、活躍の機会をもらえた一人です。

追悼西村博子

先日、演劇の先輩が連れて行ってくれたジャズバーで、たまたま流れた1枚目がソニー・ロリンズの『マック・ザ・ナイフ』で仰天した。ついこないだ95歳で亡くなった巨人。そのあと2枚目はエラ・フィッツジェラルドの、これも僕が一番好きな『マック・ザ・ナイフ』のカバー版。

殺人、強盗、ポン引きに不倫と、悪逆の限りを尽くすマクヒィスが、なぜ当時の貴族社会にとって大きなカウンターになったのか、というのは、詳しい説明が必要なのだが、ブレヒトやクルト・ヴァイルのような「こむずかしい」理論をさておいて、新宿のジャズバーで、今も人を感動させていることに僕が感動する。何より僕にとって、『三文オペラ』は特別な作品だしな。マクヒィス、ルパン、石川五右衛門。昔から世が乱れると、正義や権力は浅薄になり、悪党が英雄になる。

たまたまその夜、新宿タイニイアリスの話にもなった。20代の僕を支えてくれた西村博子さんという、最低で最高の演劇評論家がやっていたハコだ。僕が生バンド入れて煙草もくもく、めちゃくちゃな公演をやったとき、西村さんに呼び出された。怒られるのかと思ったらこう言われた。

「この小屋のこけら落としは、蜷川さんと唐十郎さんだから。あいつら舞台でタイヤ燃やして火事にして、こけらで消防車呼ばれたのよ。最低よ、最低」

「だからあなたも好き放題やりなさい」

アリスは逃げ場所だったらしい。新宿で、演劇をやれる場所がなかったため、映画館や神社でやっていた2人が逃げ込んできたサンクチュアリだ。ウサギを追って穴に落ちると、上と下がひっくり返り、現実世界での常識は通用しなくなる。賢いアリスも、現実にフィットできず、不思議の国で旅をした。

西村博子さんの葬儀には行けなかった。2年間、活動休止をしている間に亡くなってしまった。次に会ったら「未払のギャラちゃんと払えコノヤロウ」というのと、「本当にどうもありがとうございました」というの、きちんと伝えたかったのだけれど。未払は20万円ほどです。

もちろんアリスはもうない。アリスみたいな小屋ももうないだろう。エラ・フィッツジェラルドのスキャットを聴きながらそんなことを考えていた。鳳さんも、丹羽さんも、みんないなくなってしまった。あのゴキブリだらけで、ときどき階段の上からヨッパライやヤク中が転がり落ちてくるタイニイアリスの事務所で、20代の僕は仕事をサボって台本を書いていた。

説明会をやってみて

だいぶ念入りにシミュレーションして臨んだつもりだったが、いざ話を始めるときには手が震えた。もともとあまり、人前は得意ではない。50人弱、客前に立った瞬間、人のオーラを浴びて震えた。

終わったあと2人ほど、そのことに触れてくれた人がいた。

「最初にファンへのお詫びと言って、深々と頭を下げたとき、手が震えているのが見えました。あなたはきっと、強い人ではない。心配です」

そう言ったのは年上の演出家だ。さすが、よく見ているものです。舌を巻いた。

もう一人、同世代の俳優はこう言った。

「指が震えてるように見えました。アル中ですか?」

やかましいわ(笑)。そんなわけあるか。えー、医師からもまったく問題ないと診察されております。手が震えるのは小学生の頃からです。さすがにその頃は飲んでいない。

* * *

会自体はだいぶ楽しくやれた。先輩の俳優、年下の俳優、常連のお客様たち、編集者、ライター、プロデューサー、ジャーナリストや、関西や福島から来たという人もいた。もう10年以上前の演劇の教え子が2人、それぞれ別の学年の女の子だが、来てくれていたのも嬉しかった。人を育てるということが、世の中でもっとも尊く、難しいことだと思っている。こうして10年以上会っていないのに来てくれたということは、自分のしてきたことも無意味ではなかったなと思える。

質疑応答も盛り上がって、1時間があっという間でずっと話していた。敵意を感じる質問も1つくらいあったけれど、全然いい。最近ではもう演劇の現場でも厳しいダメ出しはできなくなったと同業者から聞いたりするが、「本番」に出る前に「ダメ」を出しておいてくれた方がいいと僕は思う。本番で失敗したくないもん。目の前で会って話す分には、ああいう言葉はむしろ応援のようなものだ。

いくつかの活動再開プランを話して、さっそく何名か、「そういうことなら自分も出たい」「手伝いたい」という声をもらった。ありがたい。この会に来てくれた人の中からそういう声が上がったら、その人とは必ず一緒にやろうと決めていた。さっそく出演オファーや仕事の依頼をお伝えした。

風向きがいいときには、人はいくらでも寄ってくる。でも、一番苦しいとき、逆風のときにそばにいてくれた人を、一番大切にしないといけない。ということを、僕は自分の実体験と、あと漫画『キングダム』から学んだ。『キングダム』ホント面白い。失業してヒマだったので全巻読みました。

つまり、あの会に来てくれた人の中に、今後の僕の人生にとってもっとも重要な人がいるということだ。ご来場、誠にありがとうございました。ああ、えーと、遠方からで来れなかった方は、オンラインでもやるのでぜひ来てくださいね。

政経東北の偏向報道・人権侵害について(反論、および裁判記録の公開)

先日、政経東北宛に公開質問状を出しました。しかし、彼らはほとんどまともに回答をせず、ほぼすべての質問を無視しました。痛いところは答えず、いまだに私のことをレイプ犯だと書き立てています。

「記事を書くとき、裁判記録を読みましたか?」

こんな簡単な質問にさえ、答えていません。もちろん「答えられない」ということは、どういうことか。多くの人には、すでにおわかりかと思います。

この記事では以下のことを扱います。

1.政経東北の報道における重大な問題点
2.裁判記録の公開による具体的反論

少し長いですが、ぜひ詳しく読んでいただき、ご意見をもらえたらと思います。

○ ○ ○

1.政経東北の報道における重大な問題点

批判1.取材・事実確認を怠った「コタツ記事」

政経東北の小池航記者が、裁判記録を読んだり、原告本人以外の関係者に独自取材をした形跡は一切ありません。原告だったO氏の発言や文章の都合のいいところだけを切り取り、繋ぎ合わせただけの、いわばコタツ記事です。

政経東北が「答えなかった」質問を、もう一度、貼っておきます。これです。

「記事を書くとき、裁判記録を読みましたか?」

「尋問の中の一部分のみを切り取って印象操作するのは、報道機関として、中立といえないのではないでしょうか?」

Yes/Noで答えられるこんな簡単な質問にも、政経東北は「答えませんでした」。

私は劇作家として、先輩からこう教わりました。まず足で稼ぐこと。現地を訪れ、人に会い、話を聞く。そして一つの戯曲を書くのに100冊は本を読めと教わりました。それで私は2か月以上、福島でフィールドワークをして、あの戯曲を書きました。

あなたたちはそれをしましたか? 「多様化時代の福島を読み解く」と掲げるメディアが、裁判記録さえ読まず、関係者の話も聞きに行かず、私への取材もせず、偏向記事で週刊誌的に部数を伸ばそうとする。報道機関として、自らの姿勢を問い直してほしいと思います。

――“Before you point your fingers, make sure your hands are clean.”  by Bob Marley
人を糾弾する前に、君のその手は汚れていないか? よく確認しろ。

批判2.不都合な事実(裁判所の判断)の矮小化

政経東北は、O氏に有利な部分だけを切り取った偏った裁判傍聴記を公開する一方で、もっとも重要な裁判所の結論については解説しませんでした。

今回の回答で、政経東北は、裁判所の「立証に隘路(あいろ)がある(=説明に無理がある)」との判断について、「コンドーム等の直接証拠が現存していないことを含む立証上の困難があることを意味するにとどまり、レイプ被害の不存在を積極的に認定するものではありません」と反論しています。

裁判所は、そんなこと、一言もいっていません。いくつもの証拠・証言を確認した上で、「立証困難である」とわざわざ結論を明言したのです。司法すら『立証困難』として認定しなかった重大な事実を、独自の裏付け取材も裁判記録の精査もしていない政経東北が、なぜ事実として断定できるのか。これは表現の自由を逸脱した不当な糾弾です。

本件が直接証拠の問題ではなく、O氏の主張・ストーリー自体が、証拠や証言によって崩壊していたことが問題だったことについて、すでに裁判では述べましたが、この文章の後半で再度明らかにしようと思います。

そして、何より大事なことは、立証ができない以上、無罪推定の原則により、私の名誉は守られなければならないということです。それが法治社会であり、人権擁護社会です。政経東北は、司法が丁寧に検討して出した結論、しかも私だけでなく原告のO氏も同意して出した文言を、軽視しています。

取材はしない。裁判記録も読まない。でも勝手な推論で記事を書く。これではさすがに、偏向報道と呼ばざるを得ません。

批判3.解決済みの事案を蒸し返す悪質性

上記の通り、当事者同士は和解を済ませ、裁判所からは公式に「立証に隘路があった」と声明がありました。私はレイプなどの重大な疑惑が法的に退けられたことで十分だと考え、裁判の長期化を避けるため、自身にも反省すべき点があったことを率直に認めて、その点については解決金を支払い、円満に和解しました。

したがって、私が、名誉を守るために「レイプなどの重大な疑惑が法的に退けられた」と発信することに問題はありませんが、仮に第三者が「レイプはあった」と発信することは、新たに名誉棄損が成立することになります。政経東北の記事は当事者間で解決した事件を不当に蒸し返し、関係にヒビを入れる、極めて悪質な行為です。

○ ○ ○

具体的反論

政経東北の記事にいかに「真実性」がないか、短くまとめました。なぜ裁判所が「立証に無理がある」と判断したのか? 「記憶の混濁」では絶対に説明がつかない、決定的な矛盾がいくつもあります。

政経東北は、裁判傍聴記事や準備書面を公開して反論をしました。しかしそれは、都合のいい点だけを切り取ったものでした。このため当方では材料すべてを明らかにするため、裁判で主要な主張をまとめた「準備書面6」の全体を示し、要点を指摘します。

※なお、裁判は公開が原則であり、記録の公開も問題ないと考えますが、本記事の趣旨はあくまで政経東北への反論です。関係者のプライバシーに配慮するため、固有名詞はすべて黒塗りにしています(被告・原告を除く)。ご了承ください。

対政経東北・名誉毀損裁判(原告・谷) 準備書面6(全文)

この書面は、前回の裁判の詳細な経緯や、和解の経緯がまとまっています。ぜひ多くの方に読んでいただければと思います。

【1:強制セクハラを否定する第三者の目撃証言】
当初「嫌がっているのにムリヤリ胸を触られた」と主張していたが(政経東北記事では「自分が標的になった」)、外部の女性スタッフを含む複数の証言により、実際にはO氏自ら「触っていいですよ」と公言し、胸を押し当てていたことが明らかになった。
裁判所は、それら証言やLINEのやり取り(「谷さんロスです」「早く遊んでください」)などから、「両者間のたわいもないやり取りや、O氏が被告(谷)に対して好意的であると受け取れる対応を取ったやり取りなど、被告側の主張にも沿うやり取りが含まれており、外形的・表面的な両者の関係性に関しては、当事者間に大きな争いがあるとはいえない」と判断した。もし権力利用構図が事実であるのであれば、一部分だけではなくLINE全文を提出すればいいはずだが、最後まで提出を拒まれた。

【2:コロコロ変わる証言、GPSなど客観的証拠とのズレ】
「深夜3時すぎ、レイプされてシャワーを浴びながらシャワー室から助けを求めて送った」とされるLINEだが、GPS記録と照合すると家についた直後の時間であった。後に「レイプ前に危険を感じて送ったもの」と説明が大きく変わった。「記憶の混濁」で説明のつくものではない。他にも「終電前にタクシーに乗った」→「終電後2時間近く路上で飲んでいた」、「コンビニに寄った」→「寄っていない」など、GPS記録とのズレが明らかになった。

【3:類似の事例】
過去に別の既婚男性俳優との不適切な関係が問題になり、ヒアリングをした際、当初はセクハラを否定していた。それが後になって「セクハラを受けていた」と周囲にも吹聴し、大きな問題となっていた。公開されたLINEをみると、不満を言いながらも「精神的に支えてくれる●●さんの方が何億倍もマシだよ」などと自分の意思で関係性を続けていたことがうかがえる。

補足 準備書面8(抜粋)

書面6の補足となる、重要な証拠部分を列挙します。

【1:カルテの矛盾】
O氏は「性被害を受けて心療内科に通った」と主張しているが、初診の問診書には「仕事が上手くいかず、プレッシャーに負けた」などと答えていた他、被害当時の通院記録を見ても性被害とは無関係の受診をしている。

【2:元カレの存在】
O氏が友人宛に「楽しくレイプされてました~~爆笑」とLINEした際、友人から「元カレ」の存在が返されている記録がある。谷=元カレと取ることは無理がある。

【3:GPS記録 VS 苦しい言い訳】
「別の日に駅のホームで羽交い締めにされ胸を揉まれた」という主張も 、GPS記録で「その場にいなかった」という完璧なアリバイを示した。政経東北はこれに対し「日にちが違ったかもしれない」と苦しい反論をしている。

【4:被害があったとされる時間帯の既婚者とのLINEやり取り】
O氏が駅前で胸を触られ、家でレイプ被害を受けたと主張していた時間帯(午前0時5分~午前2時40分)に、既婚男性俳優と何回もLINEをやり取りしていたことが明らかになった。被害主張に従えば、そんな余裕はなかったはずである。

以上のことから、政経東北が訴えてきたレイプやセクハラの強要といった印象記事は否定されたものと考えます。反論があるのなら、まず最初の公開質問状に記載した、すべての質問に答えていただきたいと思います。

また政経東北は「今後は回答しない」とも述べていますが、これでは言論機関としての責任放棄です。ぜひ撤回し、対話に応じていただけたらと思います。

私の希望は名誉回復だけです。ご返信をお待ちしています。

誕生日を記念して 谷賢一・演劇活動再開説明会

本日5/11、44回目の誕生日を迎えました。
100歳まで生きるとして、あと56年やれるので、演劇活動を再開します。

いろいろ考えていることはあるのですが、
だいぶ壮大になってしまったので、まずは説明会から!
よかったら話を聞いてください。

概要

日時 2026/6/7(日) 13:00〜
料金 1,000円

場所は都内某所、新宿・渋谷・中野あたりです。参加者にだけご連絡します。

式次第

13:00~ 説明会
14:00~ 質疑応答&雑談
15:00  終了

説明会内容:
新作の構想(いま演劇に必要なこと、演劇を観ない人から見た演劇、寺山修司と唐十郎、現前性と身体性について) 予算説明 俳優の労働環境整備について(ギャラの支給、契約書締結、ハラスメント対策) オーディション 戯曲講座&演劇教科書づくりの再開について 最近起きた衝撃のできごと 近況報告 「ここだけの話」

参加方法

お申し込みフォーム:
https://forms.gle/bKNjotSfxHeiyC1F6

※定員に達し次第、受付は終了します。

最後に

こういうの、そろそろやろうかなと思って、準備はしていました。対面式のイベントで、トークセッションのようなもの。ただ忙しかったりタイミングが合わなかったりして、シチュエーションが整わなかったんですね。

そんで今朝起きたら、スマホに大量のお誕生日おめでとうメッセージが届いていて、びっくりしました。去年までほぼゼロだったので(笑)。俳優とか、演劇のスタッフの友達からです。みんな「もう連絡しても大丈夫そうだな」と思って連絡をくれたんでしょう。「あ、これは今だな」とピンと来たので、急遽やることにしました。

ずっと応援してくれてる方や、応援するかどうか悩んでる方、あるいは出演希望の方や、話を聞きたいだけの方も歓迎です。だいぶいろいろ考えていることがあるのですが、誰かに聞いてもらって、その反応をもらいながら実施に向けて動かしていきたいと考えています。

聞いてくれるだけで結構です。ぜひいらしてください!