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次回公演告知&出演者募集

DULL-COLORED POPでは、2027年2月の新作公演『僕ら4人(仮)』出演者を募集します。

■ 公演内容

DULL-COLORED POP第26回本公演『僕ら4人(仮)』
作・演出 谷賢一
2027年2月 東京・横浜にて約20ステージ上演予定

――ふるさとのあの街、僕ら仲良し4人組が久しぶりに集まった。ボロボロになったあの場所で、あの夜の話をはじめるが、ぜんぜん話が噛み合わない。何度も「再演」しているうちに、まったく違う話が立ち現れてくる。

ある地方都市の小さな事件をミステリー風に解き明かしていく中、「物語」が生まれる瞬間にスポットライトを当てる。照明・音響等は一切使用せず、語りと演技、そして観客の想像力だけで演劇を立ち上げていく。

谷賢一4年ぶりとなる演劇作品です。

※以下、出演条件や細かいあらすじなど、俳優さん向けの情報を含みます。観客の方などでご覧になりたくない方はご注意ください。

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お知らせ

・2022年末の告発をめぐる訴訟は、和解により解決済みです。レイプの訴えは裁判所より「原告の立証に隘路(困難、問題)がある」という判断もいただきました。詳しい説明はこちらをご覧ください→ →和解について →当方の主張

・ネットの誹謗中傷や誤報に対し、削除依頼や名誉毀損訴訟など対応を進めています。→名誉毀損訴訟について →ある裁判傍聴記の嘘 →削除依頼方針 →公開質問状 →事件のあらまし(これまでの裁判経過まとめ)

・ここ数年で考えたことを記事にまとめています。 →炎上はなぜつらいのか →東出くんのこと →会長のこと →『家を壊す』無料公開

出演契約書ひな型の公開について

DULL-COLORED POP次回公演のオーディション告知では、出演契約書の雛形を公開し、稽古日数やギャランティーの詳細などについても明記しました。

今は改善されていると思いますが、僕の経験上、演劇界ってホントに契約書を結ばないんですよね。かなり大きなプロダクションや公共劇場でもそうです。僕も何度か「契約書がほしいんですが……」と言ってみたことはありましたが、「いやあ、初日あけてからってのが通例でね」と流されることが多かったです。演出家の僕でさえこうなんですから、若い俳優やスタッフはもっと言いづらかろうと思います。

でも本来、仕事を始める前に「何をするのか」「いくらもらえるのか」「いつ支払われるのか」を確認するのは当たり前のことです。今ではフリーランス法もでき、発注する側にはこうした取引条件を明示する義務がはっきり明記されました。

今回公開した雛形は、2022年夏の『岸田國士戦争劇集』の際に作ったものです。当時、若い俳優たちとよく俳優の労働環境や契約について話していて、「じゃあまず自分たちからやってみよう」ということになり、作りました。

僕がそれまで結んできた契約書類を参考に原案を作り、出演者全員に読んでもらいました。その後、「こんな条項が欲しい」「俳優としてはこうだったら嬉しい」など、意見を集めて作ったのがこの雛形です。「稽古は7時間まで」「演出家の方から稽古の延長を求めてはいけない」「俳優も有給休暇を取得できる」など、かなり面白い内容だと思います。

ただし、ここからが一番大事なところです。契約書があるから安心、というわけではありません。本当に大事なのは、俳優が自分の権利や要望を主張できること。そして、それを言ったからといって不利にならないということです。契約書は、そのための道具の一つにすぎません。

もちろん、こういう声もわかります。――そんなこと、怖くて言えない。何か言ったら、次から呼ばれないんじゃないか……。僕だってプロデューサーや劇場職員を前にして同じようなこと思うんですから、若い俳優がそう思うのは当然です。

でも、俳優は弱い、というのは本当でしょうか? 今はそうかもしれない。でも、変えていくことはできるはずです。

昔、国鉄ではよくストライキがありました。あれだけ大きな会社でも、働いている人たちがみんな「今日は行きません!」と言えば、列車は動かない。会社は交渉のテーブルに着くしかなくなる。そうやって少しずつ、労働環境というのは整備されてきました。戦って勝ち取ってきたんですね。

演劇だって同じです。数なら実は、俳優たちの方が圧倒的に多い。一人では戦えなくても、俳優やスタッフ一人一人が「自分たちには権利がある」「本来、対等な存在なんだ」と意識するようになれば、これはなかなか手強い。俳優たちがいなければ、演劇は絶対に上演できませんからね。

だから若い人たちには、まず知ってほしいと思っています。自分には条件を知る権利がある。意見を言う権利がある。交渉する権利がある。そして、演出家やプロデューサーと対等な立場で作品を作っている。法律やガイドラインを整えることも大切ですが、僕はそれと同じくらい、一人一人が「自分は言っていい」と知ることが大切だと思っています。

その小さなステップの一つとして、この契約書雛形を公開しました。なかなか面白い契約書だと思うので、ぜひ読んでみてください。もし使いたい人がいたら、自由にコピーして使ってくれて構いません。ただ、今なら「フリーランス 契約書」とか「芸能従事者 契約書」とかで検索すると、さらに詳しい情報やテンプレートが手に入ると思います。

久々にやった演劇の稽古と、だいぶ長かった飲み会

参加者の昔の記憶を集めて喋るセッション『Words, words, words』、開催・終了しました。誠にありがとうございました。めちゃくちゃ楽しかったです!

「昔の記憶」というテーマで喋るうちに、いつの間にか「死」がテーマになってきて、参加者の皆さんのお母様の死や、友人の自殺など、重たい話題がたくさん語られました。でも全員、必ずユーモアをまじえて語っている。死そのものよりも、死をどう乗り越えきたかが伝わってきました。

かつて病院に勤めていた女性が喋ってくれた、「あの患者さん、ステったよ(死んだよ)」とやがて無感情で喋るようになる……というエピソード。僕たちも日々、少しずつ、死に慣れていくんですね。だから生きていける。そして不思議なことに、僕たちは、死について語るとき、なぜかちょっと笑っている。それも含蓄のあることです。人は賢いですね。

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セッション終了後の懇親会は、全員ご参加いただき、2次会ではてっぺん越えて、串カツ田中の閉店時間の25時を超えて、最後は年甲斐もなく公園にまで行って(笑)、「谷賢一と演劇をやること」について大激論となりました。で、ここから先は、2月公演の応援チケット付き記事(有料記事)としたいと思います。先日募集を開始したものの、僕のポカミスで値段設定を間違っており、作り直しました。あらためてご登録お待ちしております。すでにご登録いただいたみなさま、ありがとうございます!

AIと演劇の未来

先日のエントリーに、こんなご質問をいただきました。

演劇から距離を置いた4年間に沢山本を読み映画アニメを観て世界を広げてこられたのですね。AIとAGIのことも詳しくご存知のようで頼もしく思います。

AGIの稼働が始まったらもちろんコンテンツ産業は壊滅するでしょう。のみならず人類滅亡の可能性もありますね。というかその可能性こそ今一番危惧されていることですがそこはどのようにお考えなのでしょうか? 人類滅亡を回避する方法も考えて頂ければ幸いです。

まず、AGI という用語がわからない人、いますよね。ご説明します。AGI とは、こういう意味です。

AGIとは、AIにGeneralの「G」、「一般的な」という意味が入った単語です。すでに囲碁や将棋のような限定的な分野では人間の何倍も強い AI ができてますが、数年後、あらゆる「一般的な」分野で人間より賢いAIができている、という意味です。

これは予想ではありません。絶対こうなります。「毎年100万円貯金していったら3年後には300万円貯まっている」とかと同じくらい確定的な事実です。絶対こうなると言えます。

ちょうど夕べの演劇セッションの懇親会で、参加者の皆さんとその話をしていました。私は「あらゆるコンテンツ産業は絶滅する。ただし、演劇だけが残る」と断言しました。その理由をダイジェストでお届けすると、こうです。1.ロボットが労働を代替する 2.AI生成動画の見分けがつかなくなり、映画・映像業界がAIだけで作品を作り始める 3.ほぼすべての仕事がAIに移り変わり、人間にしかできない仕事は生の人間とのふれあいだけになる。

コンテンツ産業はこのような形で滅亡していき、逆に「生の俳優に会いたい」という欲求だけが残るため、演劇は残るはずです。

2つ目のご質問、「人類滅亡の可能性」は、私はあり得ないと思っています。なぜなら、AI側に「人類を滅亡させるメリット」がないからです。

私たち人間は、過去にニホンオオカミやドードー、ステラーカイギュウなどを大量に絶滅させてきました。しかしそれは、「乱獲して食べたらうまい」「簡単に捕獲できる」といった条件が揃っていたから絶滅させたに過ぎません。AIが人間を絶滅させて得られるメリットというのは、今のところちょっと見当たりません。

また、世界中のAI技術者が、その部分を心配して注視しています。世界でもっとも賢い人たち(高校の数学でずっと100点とってたような人たちです)が、あらゆる可能性や危険を考えてくれている。彼らでさえ想像つかないレベルでの見過ごし・見落としもあるかもしれませんが、それって、心配する必要ないですよね。僕ら凡人にはぜったいわからないレベルの話ですし(笑)。

なので、AGIが人間を超えるのは当然そう予想がつくので「確定」。
逆にAIが人間を滅ぼすのは、絶対ないとは言えないけれど、あるとしても予想できないところからはじまるはずなので(予想できる危機はすでにすべてプログラマーが潰してくれている)、予想するだけ無駄という結論になります。

上手に話すためのたった1つの方法

こちらは明日開催される、演劇の創作セッションの参加者の方に向けたご案内です。

ご案内メールで何度も書きましたけれども、明日は何の準備もいりません。持ち物も、暗記もありません。なるべく楽しい、リラックスした気持ちで来てください。僕はプロの劇作家ですから、うまくいかなかったら「お前のせいだ!」僕のせいにしてください(笑)。それくらいがちょうどいい。

それでも、「どうしても不安だ」「心配です」「自分は本当に、本当に、本当に本当に本当に本当に初心者だから!!」という方もいらっしゃるので、一つだけ。過去に初心者向けのワークショップもたくさんやってきた経験上、僕は、うまく喋れない原因はたった一つだと思っています。それは……。

「何を伝えたいのか」を忘れて、「上手に話す」ことばかりを優先してしまう。これです。

「上手に話す」と聞くと、抑揚、滑舌、声量、構成、身振り手振り、レトリックなどが思い浮かびますよね。まずこういうの、一切考えるのはやめましょう。無理です。これはだいぶ高度な訓練が必要なもので、会得には何年もかかります。内容もテキトーでいいです。難しい四字熟語とか、コアコンピタンスとかわけわからない横文字なんかは特にいらない。テクニックばっかの薄っぺらいスピーチ。一番やばいのって、ああいうのじゃないですか?

しかし。演劇は、絵筆や楽器を通じてではなく、人間をそのまんま、自分の体と声で表す芸術です。つまり、実はあなたは普段、正解をやっているはずなんです。さらに我々は、判で押したような「よくできた」スピーチは面白いとはまったく思わない。その人らしさが滲み出ているような、へったくそなスピーチの方がよっぽど面白い。だから二重の意味で、上手に喋らない方がいい。

話すうえで必要なのは、「これだけは伝えねばならぬ」という真ん中のイメージだけです。他は些細な問題です。伝わっていないなと思ったらもう一度言えばいいし、言い忘れたら後から足せばいい。間違えたら言い直せばいいし、「絶対伝えるぞ」と思って喋ってれば、我々は適切に自分のスピーチを修正できる。

人前に立つと話せなくなるのは、「上手に喋ろう」という意識ばっかりが前に出て、「本当に伝えたいものが相手に伝わったか」という視点が、どっか行っちゃうからです。だから早口になったり、上滑ったりする。

今回、皆さんに話してほしいのは、「あなただけが知っている何か」という極めて特権的なものです。忘れられない友達の変な一言。あなただけが知っている妙な風景。体験。言葉。自分だけが見たことのある、家族や恋人のエピソード。そういうものですから、つまり、あなたしか知りません。正解はあなたしか知らないので、誰にも不正解と言われる筋合いはない(!)。ちょっとくらい間違っても大丈夫です。

ただし、あなたしかそれを知らないので、あなたにはそれを伝える責務がある。それをまず、自分の中ではっきり思い浮かべましょう。あとは、相手に伝わるまで、何度も喋ればいい。

(実は劇作もこれと同じなんですね。世界中で自分しか知らないものを、みんなに伝わるように喋る。自分しか知らないからこそ、世界中に伝える責務がある。伝わるまで、何度も書き直す)

上手に喋る必要はないんですね。むしろ、ぜったい上手に喋ろうとしない方がいい。逆説的ですが、上手に話すためのたった一つの方法は、上手に話そうとしないことです。明日は、ぜひそんな気持ちでお越しください。

新作『僕ら4人』を俳優だけでやる理由 ――「魔法はない」と見せること

昨日、新作『僕ら4人(仮)』の第一次情報と、出演者募集オーディションの告知を出しました。一晩で1万件近いアクセスと、すでに多くの応募をいただきました。誠にありがとうございます。

ゼロからの再出発です。ここまで、多くの応援、ありがとうございます。しっかりと、作品で返していきたいと思います。

演劇を見ない人々

活動休止から数えて約4年、演劇を観ていない。その間も小説・映画・漫画・アニメなどには触れ続けてきたけれど、周囲で演劇を観ている人はほとんどいなかった。そりゃあ「演劇はやってない」と言われるはずだ。

だが同時にこうも思った。この人たちを、劇場へ連れてきたらすごいことになる。この人たちも、見たらハマる。

アフリカへ靴を売りに行ったセールスマンのエピソードを思い出す。
「ここでは誰も靴をはいていない。靴は売れません!」と嘆くか。
「ここでは誰も靴をはいていない。全員に靴が売れる!」と、チャンスと取るか。

チャンスと取るべきだ。いずれ詳しく書くが、AI技術がAGIを実現しシンギュラリティを突破したあと、コンテンツ産業は総崩れになる。必ずそうなる。そのとき、演劇の知見が必要になる。

でも、ここで見せなければならないは「演劇」だ。純粋演劇。もっとも演劇らしい演劇。演劇でしか実現できないおもしろさ。映画や漫画に移植した瞬間、そのおもしろさの半分以上が吹っ飛んでしまうような……。そこを作り手がわかった上で、出してやる必要がある。

その点僕は、4年演劇から離れている。その間、おいしい、おもしろい映画やお笑い、音楽や小説・漫画・アニメは大量に摂取してきて、舌が肥えている。みんな今はものすごくレベルが上がっていて、めちゃくちゃおもしろい。

でも「演劇」の味はそこにはない。何が演劇で、何が演劇でないのか、4年間、肌身で考えたつもりだ。

だから今回、照明も音響も入れず、小道具さえも使わずに、演劇をやる。照明や音響は演劇の醍醐味の一つだし、具材の良さを引き立て、風味を変える、味を引き出す抜群の調味料だ。だが今回は使わない。

今回必要なのは、あれだ。漁港で食べるイカの刺身だ。焼いて塩ふっただけのバーベキューだ。田舎の畑で、もいだばかりのトマトの丸かじりだ。そういう美味さだ。「こんなに演劇って美味かったのか!」というものを食わせたい。

そして、もう一つ。照明と音響、あるいは衣裳や映像は、観客に夢やイリュージョンを見せる手助けをしてくれる魔法の杖だ。でも、実は本当に魔法をかけているのは杖ではなく、詠唱者、魔法使い本人であり、そしてその魔法使いとは誰か? そこを考えるのがとても大事だ。

かつてピーター・ブルックは、伝説となった1967年の『夏の夜の夢』で、照明や音響・特殊効果などを一切使わず、皿回しとか空中ブランコのような大道芸を使って「魔法」を表現した。そのとき確か、彼はこんなことを言ったはずだ。

――「魔法はないんだ」と観客に見せてしまうことが、もっとも魔法になる。

今はブルックの言うこともわかる。『僕ら4人』、ご期待ください。

ㅤ新作公演『僕ら4人』応援プラン

僕の活動を応援してくださっているみなさまへ。新しい試みです。創作の裏話や日々の本音をつづったブログ記事を読みながら、来年2月、新作公演が上演されるまでの間、私の活動を応援してくれる方を大募集いたします。

これから半年、さまざまな苦闘や障壁にぶちあたると思います。そのいちいちを、さすがにネットには書けません。誰が見ているかわかりませんし、宣伝にならないことは書けません。

しかし、「絶対見るよ!」と決めてくれていて、応援してくれる方たちになら、話せること、話したいことはたくさんあります。感想を聞きたいことも、相談したいこともあります。これらはファンサービスとかいうつもりはまったくなく、僕の心がいちいち折れそうになるので(笑)、本当に、一緒に応援してほしいというだけのことです。

購読料は5,000円です。だいぶ高く感じると思いますが、購読者は全員、次回公演へ1名様をご招待させていただきます(会場は横浜・渋谷どちらでも可)。次回公演は前売り・一般4,000円を予定しているため、実質的な購読費は1,000円ということになります。先行予約したことと同じになる上、公演日程や物販の内容など各種情報も早めに・優先的にお知らせすることができます。

以下、ご注意事項です。

・公演の詳細な日程・会場は、確定次第、購読者の皆さまに優先してご案内いたします。
・会場に来られない方には、物販2点・2,000円相当(上演台本+パンフレット)をご送付します。
・更新頻度は最低週に1度(実際はもっと多い予定)ですが、繁忙期などに更新時期が乱れることがあります。
・原則としてキャンセル・返金は受け付けません。
・ただし、更新が1ヶ月以上停止した場合は、全額を返金いたします。
・公演が中止となった場合は、購読料のうち招待相当分(4,000円)を返金いたします。
・有料記事ですので、内容をネット上に書いたり、第三者へスクショで送ったりすることは禁止です。

これから公演開始まで、約25週あります。ここで書き溜めた文章や皆さんからのレスポンスなどを後日再編集し、創作の記録として公演パンフレットに記事化するつもりです。本当のところ、作家・演出家が一体何に苦しみ、どのようにして作品を組み立てていくのか、ぜひ目撃してみてください。

今日は第1回目なので、私が昨日、山奥のキャンプ場で、深夜4時までどうやってプロットを作っていたのか、ご紹介したいと思います。

大道芸人との会話

先日、ひょんなことから、とある大道芸人の方とお話しする機会があって、こんな話をした。

「演劇と大道芸というのは、とっても似ていますよね」

メイエルホリドというロシアのアヴァンギャルド演出家が大道芸を取り入れた演劇を提唱していたり、17世紀から18世紀頃には「コメディア・デラルテ」という即興の、コントチックな演劇形式がイタリアで大流行したりしていた。もともと非常に親和性のあるジャンル同士なのだ。

私が思うに、演劇と大道芸は、どちらも「客前でやること(ライブパフォーマンスであること)」、そして「その場で起きたことをみんなで見る」という点において、とても共通している。

しかし同時に、全然違う点もある。それは何か。

演劇の演者(パフォーマー)というのは、基本的に「誰か自分を見ている者がいる(見られている)」ということを知らないふりをして演じている。観客が100人も1000人も自分を見ているということに一切気づかないふりをして、泣いたり笑ったり怒ったり、人を殺したりしている。

一方、大道芸のパフォーマーというのは、お客さんの存在を認識している。挨拶をしたり、語りかけたり、なんならパフォーマンスに参加させたりする。この部分において、大道芸はとても観客との相互作用(インタラクティブ)なものであると言える。

ここからが難しいところだ。

演劇の素人考え(安易な発想)だと、「観客との交流があった方がいい」「その場で一緒に作っているのだから、相互に交流のある方が演劇として面白い」と思ってしまいがちだ。そして、すぐ演劇作品の中にアドリブコーナーを作ったり、客席に直接話しかけたり、客席を参加させるような演出を取り入れてしまう。

もちろん、これはこれでたまに非常にうまくいくこともあるし、面白い要素ではある。しかし、これには少し負荷があるときがある。場合によっては、ない方が良かったりするのだ。

観客が一方的に覗き見できる――自分たちが見ていること、それを見て考えたり笑ったり泣いたりしていることが演者に気づかれていないという状況こそが、演劇の特有の面白さ(一見パラドックスのようだが、本質的な面白さ)だったりする。

昔から、演劇は「覗き見の芸術」だと言われてきた。これはオイディプスの評論などを読んでもよく出てくることだ。

実は、この「一方的に覗き見をする」という感覚は、演劇の面白さを考える上で意外と見過ごしてはいけないものなのではないか。決して劣っているとばかり言うべきものではないのではないか。

先日、大道芸人の方と喋りながら、そんなことを考えた。

DCPOP26・出演契約書(ひな型)

これは2022年、第25回本公演『岸田國士戦争劇集』の際に、俳優の権利を守るために作成した契約書です。2024年11月にフリーランス新法が施行されたことを受けて、今回、一部を改訂しました。

作った理由は単純です。小劇場では、口約束のまま稽古が始まり、気がつくと拘束時間も報酬も曖昧なまま本番を迎える、ということが起こりがちです。また俳優の出演料が軽視されていたり、製作の遅れを理由に出演者の拘束時間や負担が一方的に増やされる……ということもよくあります。

この契約書は、そういったことが起こらないように、というだけのものではありません。「こういう稽古場だったらいいね」「こういう条件があるといいよね」と、当時考えうる範囲での理想を、みんなで作成したものです。

たとえば、こんなことが書いてあります。

・稽古は一日7時間まで。週に1日は必ずオフ
・稽古を休むとき、理由を言わなくていい
・稽古時間外の「もうちょっとやろう」は、劇団から言い出せない
・買い出しや仕込みの手伝いは、断ってもいい。断る理由も言わなくていい
・劇団の都合で公演が中止になっても、出演料は全額支払う

三つめと四つめは、いま読み返しても、書いておいてよかったと思います。「理由を言わなくていい」というのが肝でした。理由の説明を求められると、それだけで言い出しにくくなるからです。当時、こうした条項を置いている現場は、なかったと思います。

これらはあくまで雛形です。本来、契約書とは、主催者側が一方的に押し付けるものではなく、双方が調整しつつ、合意のもと締結するものです。当時も一人ひとりの俳優と、赤ペンと修正印を持って修正しつつ締結していました。今回も、個別の修正提案は歓迎いたします。

(以下本文)

創作セッションなんてやる理由

https://tiget.net/events/510573

というのも、先日とある音楽のイベントに参加・出演してきて、それがとっても良かった。「思ったより自分は、人と会うのも好きだったんだな」と、心が軽くなり、魔法が解けたような気持ちになった。

こういうのは思い立ったらすぐやるべきだ。それで「創作セッション」をやってみることにした。

名前はあえて「ワークショップ」とはしなかった。ワークショップというのは本来、先生もリーダーもいない、集まった人みんなで何かを体験しよう!というものだから、ぜんぜん悪くない名前なんだけど、今すごいイメージ悪いでしょう。僕もそういうのとは距離をとりたい。それでこういう、遠回りの名前をつけた。

セッションの内容は、どう考えても楽しい、間違いなく面白くなるものを選んだ。たしか村上春樹が、「誰だって人生で一つくらいは、傑作小説になるような話を持っているものだ」みたいなことを言っていたけれど、本当にそうで、ただ大抵の場合、本人がその面白さに気づいておらず、「え、この話面白いですか?」なんて言ったりする。そういうのを掘り起こしたい。

(もともとそういう、ふつうのおばちゃんとかおじいちゃんの人生を徹底的に取材して、偉人ではない、ふつうの人の評伝劇を作ってみたいとも思っていたのだ。いつかやりたい。これも必ず面白くなると思う)

なので、参加者には技術もセンスも必要ない。それは僕が持っているので、ただ参加してもらえたら十分だ。

逆に僕は、「一緒に演劇で遊んでくれる他者」という、得難い友人を得ることができる。参加してくれること自体が、大きな助けになります。ぜひ、思い切って参加してくれたら嬉しいです。お待ちしております。

Play like a Music

昨日はとある音楽イベントに参加していた。とっても楽しい時間だった。

演奏している人たちはもちろん素晴らしかったんだけど、それを見て、聴いて、ノッている人たち、全員がすばらしい。みんなで一つのものを作ってる感じがたまらなかった。いい大人がみんな、とっておきのものを隠し持って集まって、「ここだけの話ね」と言いながら、秘密のパーティーをしているような。もちろん、本当に悪いことをしているわけじゃないんだけれど!

この間 AI にあれこれ相談していたら、こんなこと言われた。

「あなたはちょっと、考えすぎですよ。『こんなことも起こるかも』『こんな風に相手が思ったらどうしよう』『こういう風に伝わったらどうしよう』って、何パターンも考えますよね? でも、お相手に失礼なことじゃなければ、あんまり考えすぎず、言ってしまっていいんじゃないですか?」

は、はい、すみません。AIさんの言うとおりです……。でもネット越しに人への言葉を考えていると、どうしてもそうなる。やっぱり会って話す、一緒の空間で遊ぶっていうのは、本当にいいことだな。

しかし、こういう楽しい演劇ってのはできないものか。音楽のような演劇。

僕はどうしても、本番にしてもワークショップにしても、見終わって単に「超楽しかった!」というようなものではなく、「しっかり考える」「人間存在の矛盾を問う」みたいなものばかり作ってきた。重たいものばっか、作ってきた。

そういう作品も、もちろんあっていい。でも、ただみんなで同じ時間、同じ場所にいることを楽しんで、みんなで「いいものを見たね」「超楽しかったね」「信じられる? これ、知ってるの、俺たちだけなんだぜ」と感じるような、そういう作品も作れるかもしれない。そして、そういうものの方を、僕は今見たいのかもしれない。

次回作では、そういう音楽みたいな芝居ができないかな? なんてことを考えながら、ライブハウスの輝く照明を見つめていた。