Skip to content

PLAYNOTE Posts

Featured Post

次回公演『僕ら4人(仮)』

ㅤ

■ 公演内容

作・演出 谷賢一
2027年2月 東京・横浜にて

――ふるさとのあの街、僕ら仲良し4人組が久しぶりに集まった。ボロボロになったあの場所で、あの夜の話をはじめるが、ぜんぜん話が噛み合わない。何度も「再演」しているうちに、あの夜の本当の話が見えてくる。

ある地方都市の小さな事件をミステリー風に解き明かしていく中、「物語」が生まれる瞬間にスポットライトを当てる。

本作では、一般的な劇場照明や音響効果を使用しません。小さな空間で観客と俳優が同じ明るさ、同じ時間を共有し、俳優が語り、演じることだけによって北海道の片田舎、15年前の夏、少年たちの記憶を出現させます。「演劇は人の語りだけでどこまで世界を作れるのか」という、演劇の根源的な力を引き出すことを目指します。

谷賢一4年ぶりとなる演劇最新作です。

Featured Post

お知らせ

・2022年末の告発は、和解により解決済みです。レイプの訴えについて裁判所は「証言に無理がある」と判断しました(原告の立証に隘路がある)。詳しくはこちらをご覧ください→ →和解について →当方の主張 →裁判記録公開

・ネットの誹謗中傷や誤報に対し、削除依頼や名誉毀損訴訟など対応を進めています。→ある裁判傍聴記の嘘 →削除依頼方針

・ここ数年で考えたことを記事にまとめています。 →炎上はなぜつらいのか →東出くんのこと →会長のこと →『家を壊す』無料公開

その他、ご質問や取材などあればいつでもご連絡ください!

次回公演出演者たちとキャンプにいく(と、従軍中のウィトゲンシュタインの思い出)

次回公演の出演者の中にボーイスカウト経験者がいたり、ちょっと長くなる相談をしたいという子がいたり、あと単に肉が食いたいやつがいたりしたので、こうした。キャンプに行くことにしたのだ。

次回公演『僕ら4人』は「僕ら4人」(プラス1人)で作る芝居だ。つねづね、「俳優が主役だ」と言ってきた。俳優しかいないのに、どうしてこんなことができるんだろう?という作品にする。

そのために、いろんな工夫をしてるところだが。結局、最後は俳優である。彼らがいい芝居してくれないと、いくら僕ががんばっても、ぜんぜんおもしろくならない。

で、おもしろい芝居をするための条件とはなにか?

そのうちの一つは、実は「信頼関係」だ。

シアターゲームではよく、相手に身を任せたり、2人で気持ちを合わせてなんかやるやつが多い。「こいつになら背中を預けられる」とか、「この人の考えてることはなんとなくわかる」とか、そういう言外の信頼関係が最後にはきいてくる。だから最近のカンパニーは、稽古前にゲームやコミュニケーションの時間をとったりする。

ミザンスとか間とか効果は、僕という天才演出家がいるのでぜんぶ任せてもらっていいんだけれど、それは<ガワ>であって<中身>ではない。<中身>は俳優にしか作れなくって、しかもその<中身のまんなか>つまり<本質>の部分は、技術や読解力だけじゃなくて、いい信頼関係があったかどうかに左右される場合が多い。

「いつ撃たれるかわからない」、そういう緊張感の中では、人はのびのび生きられないし、表現できない。

そして、舞台上は、本当にこわい。さらに上演がはじまると、俳優は舞台の上で孤独になって、演出家は何の役にも立たない、まだ小道具の灰皿の方が頼りになるくらいだ。

そういうとき、頼りになるのは共演者しかいない。

過去にも、少人数、5人くらいの会話劇をいくつか作ってきた。『従軍中のウィトゲンシュタイン』。『福島三部作・第二部 メビウスの輪』。『プルーフ/証明』。

今回のは『従軍中のウィトゲンシュタイン』に似てる。あれも男5人だった。今回もそう。1人年上で、残りが若者という布陣も同じ。『従軍中の~』に出ていた俳優たちは、皆賢かった。だから最後には僕の手を離れてよい作品になった。今回もそうなってくれるといい。

『従軍中のウィトゲンシュタイン』みたいにおもしろい芝居にしたい。ああいや、あれよりおもしろくしたい。僕はそのつもりだし、だいぶいい本と演出のプランがあるのだが、<中身>を作れるのは僕じゃない。

あのときも、僕がガワをつくって、あとは俳優たちがひたすら話し合いながら進めていた。初演も再演もそうだった。演出家と俳優の関係として、理想的な棲み分けだと思う。全員が演出プランをよく理解していたので、俳優同士で話しておかしなことになるなんてことも絶対に起きなかった。

あれ(従軍中~)も男5人で野営(キャンプ)していて、ランプを点けるとか消すとか、そういう話だった。今回(僕ら4人)も川沿いの掘っ立て小屋で、土砂降りの中で昔の記憶に光を当てていく話だ。とても似ている。意図的に似せている。

一緒にバーベキューの買い出しをして、テントを貼って、食事や飲み物の準備をしたりする中で、人柄が見える。夜はやっぱり、深々と、演劇の話をしていた。

本当に初対面なのでみんな緊張していたが、帰りの車、ちょっと目を話したスキに(僕がうたた寝していていたら)、途方もなく◯◯な話をしてみんなでゲラゲラ笑っていた。うん、この感じなら大丈夫だろう。

ㅤ

来年2月上演です。お待ちください。あ、ぼくもプロットほぼ完璧にできました。あとは書くだけです。

脱出ゲーム作者との会話

先日行った「目的のない稽古会」で、普段は脱出ゲームの作問者をやっているという人と会った。

黒のロングヘアに黒目がち、物静かだが、目の力が強い女性で、不思議な雰囲気があるなとは思っていたが、ワークショップ終了後の懇親会で素性を教えてくれた。

僕と彼女の意見の違いが面白かった。

ぼく「脱出ゲームはホントすごいですよね。ぼく、Sleep no moreとかも好きですが、演劇だと、お客は基本、客席に座ってるだけ。だから、インタラクティブ性には憧れます」

彼女「私たちは”いろんな工夫”でお客さまを世界に引き込むけれど、いいお芝居は、プロの演じ手が一人いれば世界に引き込まれる。究極のイマーシブだと思います」

隣の芝生は青い。The grass is always greener on the other side.「お互いこう見えているんだな」というズレが面白い。

目的のない稽古会1 紙風船とかもめ

ある若い俳優さんが、「自由に演技を試したり、いろんな人とつながりたい」と言っていたので、特に上演や発表を目的としない稽古の会を始めてみた。今日はその第一回である。

以前ある先輩にこう言われた。

「人前にどれだけ立ったか。俳優は、それでしか成長しません」

教えられることもあれば、教えられないこともある。野心や、不安や、緊張を抱えつつ、「どれだけ人前に立ったか」。それでしか成長しないところは、たしかにある。

でも、教えられるところは教えたほうがいい。教えられないところは、各々がんばってほしい。

*

今日は「セリフを色分けする」というワークをやった。サブテキストを的確に設定し、言葉の中にアクション動詞を入れ込む。相手役への作用を意識することで、セリフは一言一句、一言も変えずに、まったく違う内容を言う。そういうワークだ。

2026/09/11、18時~22時。参加者9名、女性6、男性2+1。

オーディションについての美学

すっごい時間かけて審査していた、オーディションが終わりました。書類のあと、演技審査で2日やって、そこから10日くらいかけて何度も脳内会議や再演をし、厳正に審査をさせていただきました。

ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。公演は来年2月を予定しています。ぜひ、観に来てください。

以前、とある演劇プロデューサーにこんなこと言われた。

「オーディションってのは、あれはキャスティングする側が、自力でいい人を見つけられなかったときにやるものなのよね。『誰かいい人、紹介してください』ってこと」

GPT-6アストラの感想 ~穀潰しどもが最高の生き方になる~

本日突然ですが、「スマホ台本」というサービスをリリースしました。唐突に。

前から私、台本のレイアウトや形式には非常にこだわっていまして、インデント、字下げ、ルビ、柱の表示の仕方などなど、「読みやすい日本語台本」にこだわり続けてきました。しかし、あまり使いやすいソフトやサービスがない。そこで、作っちゃったという次第です。

こう見えて、趣味レベルですがプログラミングができます。C、Perl、LISP、Python、JavaScript、HTML+CSSなどが書けます。でも最近全然時間がないので、今回はつい昨日リリースされたChatGPT-6 Astraに丸投げして作りました。もちろん最後の微調整や、セキュリティ面のチェックは自分でやっていますが。

このChatGPT-6アストラが、だいぶ驚きの性能です。いよいよ人間は、知的労働を奪われます。そして、より無為な人生の中に意味を見出すという、もっとも哲学的な時代に突入するでしょう。これからは「哲学」の時代です。そのことについて少し書きます。

オーディション終了

次回公演「僕ら4人」のオーディションが、全日程・全組終了しました。
ご協力いただいた皆様、誠にありがとうございました。1週間以内に必ずご連絡いたします。

とても良い出会いをいただけました! 相変わらず、僕は本当に運がいいと思います

今回のオーディションでは、以下の3つのテキストを使用しました。

・シェイクスピア『リチャード三世』冒頭のモノローグ
・『闇金ウシジマくん』のチンピラのセリフ
・漫画『ドラえもん』より、のび太のセリフ

かなり意外な組み合わせだと思うんですが、なぜこれを選んだのか? 実はちゃんと、テーマが繋がっているんですね。以下、オーディションの内容や次回作の構想について、公演支援者の方々向けの有料記事で書きたいと思います。

久々に長く走った話、近況

昨日、あれこれ落ち着いて、少し時間がとれたので、夕方、1時間くらい走った。途中からペースを上げていって、かなり追い込み、おかげで夜はぐっすり眠れた。

スマートウォッチにも褒められた。「久々によく眠れたようですね」「レディネス・スコアが上がりました。今日はきっと活動的に過ごせますよ!」「太陽のもと、外出してみては?」。ありがとう。今は時計が、そんなこと言うんだな。

一昨日にこんな報告をしたけれど、この対応がすごく大変だった。抗議といっても正式に、礼儀正しくやりたい。内容も専門家にチェックしてもらわないといけない。1週間くらい、かかりきりだった。

でもこれは、どうしてもちゃんとやらなければいけない。今後、公演の準備が本格化するにあたって、僕はともかく周囲の人や友人たちへの安全は絶対に守らなければならない。

その間、時計は僕を叱った。「ほとんど眠れなかったようですね?」「もう少しリラックしてみては?」。正式な文書作成というタフな仕事があるので、酒も飲まず、自分にとってつらい中傷や投稿をぜんぶ読み、すべて正しく保存・分類し、専門家に相談に回す。その間は気も休まらず……。「レディネス・スコアが下がっています!」「何か悩みごとがあるのでは?」あるよ、時計!

とはいえおかげで、問題の投稿は削除してもらえました。ご対応、どうもありがとうございました。以下、次回公演支援者向けの有料記事です。

※この記事は、今回僕が直面した問題と対応を共有することだけが目的ですので、相手方の個人名などは含まれていません。

オーディションのとき何を見ているか

こちらのオーディション、無事、受付が終了しました。たくさんのご応募、本当にありがとうございました。

こんな時期ですので、応募があるかとても不安だったのですが、蓋を開けてみれば倍率2〜30倍になろうかというほど、たくさんのご応募をいただきました。誠にありがとうございます。

これから厳正に審査したいと思っております。オーディション当日も、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、募集も終わったので、よもやま話です。……僕がよく聞かれる質問の一つに、「オーディションの時、何を見ているんですか?」というものがあります。人に話すと「意外!」と驚かれることが大いにで、少し書いてみようとと思います。

SNS上の事実と異なる投稿について、削除・訂正を申し入れました

先日、インターネット上で、私に対する中傷的な内容を含む投稿が複数ありました。

普段であればスルーするのですが、今回は写真が引用される形で、周囲の人々まで巻き込まれていたため、ご本人および所属事務所に対し、正式に書面で削除と訂正を申し入れました。本日までに該当投稿は削除されたことを確認しています。

削除にご対応いただきましたので、今回は投稿者の具体名等の公表は差し控えます。ご対応、ありがとうございました。

なお、訂正については引き続き求めていく所存です。

今後も事実と異なる投稿や、私の周囲の人々を巻き込むような投稿については、必要に応じて記録を保存し、厳正に対応してまいります。気になる投稿などを見かけた際には、私までお知らせいただければ幸いです。

→私の連絡先

多様性を自ら叫ぶ『スパイダーマン ブランド・ニュー・デイ』

息子氏の熱いリクエストを受けて観に行った。

正直僕は、マーベルヒーローやアクションには全然興味がない。でも最近のマーベル映画は見れちゃう。マーベルヒーローの孤独や異能を通じて、現代人の孤独や差別を描くことに成功しているからだ。

この映画もそうだった。

ストーリー前半は、みんなを守るために「みんなの記憶から忘れられる」選択を受け入れた主人公・ピーターが、孤独に耐えながら、でもスパイダーマンというヒーローとしては正しくあろうとしてもがき続ける姿が描かれる。

これは、つい感情移入しちゃう大人は多いだろう。

つらい、理不尽な境遇を受け入れながら、それでも正しい自分であろうとして戦い続ける。重たい病気や障害と戦っている人や、孤独に耐えながら仕事を頑張ってる人とか。かくいう僕もやってもいない罪状で丸2年地下室に追いやられていた身分なので、この部分は涙を誘った。

後半では急にスパイダーマンの中のクモ由来のDNAが活性化し、それを抑える抑制装置をつける……というのがストーリーの主軸になる。これは言わば「異質(クモ)である私」を抑えて人間社会に溶け込もうとする、今流行りの多様性にまつわるエピソードだ。

突然だが私は、「多様性を認める」という言い回しが嫌いだ。なんて傲慢な言い方だろうといつも思う。だって、例えば誰かがあなたに「男であると認めよう」とか「日本人であると認めよう」なんて言ったら、どうだろう? 「うるせえ」と思わないだろうか。なんでアンタに認められないといけないんだ? 私は誰に認められなくても私だ! ただの言い回しの問題だということはもちろんわかる。でも人に認められる多様性は正しい多様性で、認められない多様性は正しくない多様性なのか?とも思う。

スパイダーマンの場合は、何せクモだ。怪物だ。だいぶ受け入れづらいクセのある自分だ。

本作ラストでは、主人公がまず特殊能力ゆえに殺された女性のエピソードに触れる。

「姉は殺された。特別だったから」

その後で、窮地に追いやられたとき、こう問われる。お前はピーターか、スパイダーマンか?

主人公は、こう答える。

「両方だ」(I’m both.)

ここが劇の頂点だ。自分の中のクモ的なる部分を抑制して、人間社会に「溶け込もう」「認めてもらおう」としていた主人公は、素顔と仮面、人間とクモ、平凡と異常……「両方の自分」を受け入れる。

“I’m both.”はこうも訳せるだろう。

「どちらも僕だ」

アメリカでも日本でも「多様性」と言いつつ、ポリティカルにコレクトでないものや、移民・他宗教を見つけ出しては石を投げる社会になりつつある。「私の認める多様性ならば認める」。作中でもすでにクモやテレパシーや怪力といった能力が危険視されつつある中、ずっとそれを抑える機械をつけていた主人公は、「どちらも僕だ」と宣言し、抑制装置を破壊し、自分の中のクモ的なるものを解き放つ。

ハリウッド映画はいつもここが上手い。主人公が、自らの問題や欠点を受け入れる。あるいは乗り越える。

すると、本当の強さを得る。

誰かに認められる多様性ではなく、自ら宣言する多様性。そして主人公は真の強さを発揮する。実にアメリカ的だ。

さらに本作では、エピローグ、主人公がもう一つ強くなる。忘れられてしまったかつての親友とカフェで再会したとき、もう戻らない過去や記憶のことは振り払って、勇気を出して、一人のまっさらな人間として右手を差し出し、握手を交わす。ここがうまい。クモの力で敵をギッタギタにするところで落とさない。一人の人間として、勇気を出し、人と繋がろうとする。過去がなんだ。ゼロからはじめるんだ。

だからこの映画のタイトルは「ブランド・ニュー・デイ」という。新しい日。ここから始める。

その後、エンディング曲が流れる中で、街で働く普通の人たちのカットが次々映し出されるのは、つまりはこういう意味だろう。一人一人が、それぞれ違う異質さ……”クモ的なるもの”を抱えて生きている。みんな違って、みんなスパイダーマン。

* * *

観客を飽きさせない展開の速さ。誰でも楽しめるよう、アクション、恋、社会問題、ぜんぶ入れる。ポリコレの扱いも穏当かつ丁寧。そして現代的なテーマにちゃんと触れる。アメリカのエンターテイメント、成熟してますね。脚本の出来がいいから、ドラマが伝わる。アクションもSFXも大事だが、やはり映画は脚本ってことだ!

ちなみに子供にはどれくらい伝わっているんだろう?と思い、興奮気味の息子氏(10歳)に「どこが面白かった?」と聞いたらこう返ってきた。

「ハルクとのバトル! ハルク超つえー! ハルクの映画もあるからパパも見た方がいいよ!」

やはりアクションは大事らしい。