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お知らせ

・2022年末に受けた告発は、和解により解決済みです。レイプについては、GPSや医療記録などから不可能だったことを示し、裁判所も「被告の訴えには無理がある」と認めてくれました。セクハラについても、原告が自ら「当ててんのよ」など胸を当てるジョークを繰り返していたもので、強制ではありません。 →和解について →当方の主張

・SNSほか、デマや誹謗中傷に対し、削除依頼や名誉毀損訴訟など対応を進めています。→名誉毀損訴訟について →ある裁判傍聴記の嘘

炎上するとはどういう気持ちか、なぜこんなにつらいのか

何も知らない人のために、1から書きます。

私は、演劇の作・演出家をしていましたが、2022年末、ある女性から「レイプされた」と訴えられ、すべての仕事をキャンセルされました。2年に渡る裁判の結果、裁判所は「女性の訴えには隘路(ムリ)がある」と言って、レイプなどの訴えを退けました。(詳しくはこちらをご覧ください。→裁判の結果について

しかし、未だに私の名誉は回復されていません。キャンセルされた仕事は、戻ってきません。それどころか、まだ私をレイプ魔として誹謗中傷する書き込みがたくさん残っており、被害をこうむり続けています。これまで「ある事情」からネットはほぼ見ていなかったのですが、これからはこういった名誉毀損と徹底的に戦っていく覚悟を決めました。

「ある事情」については、少し長くなってしまいます。ネット炎上にあうのは、どういう気持ちか? なぜ私が声を上げられずにいたのか? なぜ人は、「たかが」ネットリンチで自殺まで考えてしまうのか……。私なりに、自分の体験として理解したことを、書こうと思います。

告発直後と、谷原章介さんのこと

告発の直後、Xは数千RTされ、ワイドショーやネットニュース、週刊誌にも載りました。大炎上でした。

意外にも、テレビやラジオなど大手メディアは抑制的な報道で、「演出家レイプ告発」「ただし本人は否定」とバランスをとっていました。しかし、ネットは批判一色です。

スマホの通知音は鳴り止まず、DMやコメントが次々届きます。罵倒、中傷、殺害予告……。家の周りに週刊誌の記者が潜伏し、友人に居場所を売られたりもしました。家族を危険にさらすわけにはいきませんから、家には帰らず、仙台、埼玉、北関東など、友人の家にかくまってもらっていました。年末年始は毛布にくるまり、一人で過ごしました。

忘れられないエピソードがあります。後で知ったことですが、朝の帯番組で司会をやっていた俳優の谷原章介さんが、私のニュースが出たときに、「本当なら大変なことだが、以前、舞台でご一緒したときにそういう様子には見えなかった」……というようなことを言ってくださったんだそうです(伝聞なので、内容は正確ではありません)。これだけのコメントですが、当時は「セカンドレイプだ」「犯罪者擁護」と言って、ネットでめちゃくちゃに叩かれたんだそうです。

谷原さんは、そんなにおかしなことを言っているでしょうか? 別に「原告が嘘をついている」などと言ったわけじゃない。「自分が会ったときは普通だった」と言っただけです。これだけで、セカンドレイプと言って叩かれる。もちろんレイプは重大な犯罪ですし、告発者は守られなければなりません。しかし、訴えられた側の男性にとっても、すべての仕事を一瞬で失うほど重大な事件です。「普通だった」と言っただけでこれだけ叩かれるわけですから、誰も擁護の声をあげられず、権利は守られません。私の場合、たまたまGPS記録が残っていたので戦えましたが、そうでなければそのままレイプ犯として裁かれていたでしょう。

谷原さんとは、以前『チョコレートドーナツ』という作品でご一緒しました。でも私が稽古場でお話したのは2・3度だけです。脚本家はそんなにしょっちゅう、稽古場にいないんですね。たまに来て、見学して帰るだけだから、基本「ぼっち」なんです。

そんなとき、いつも気を使って声をかけてくれたのが谷原さんでした。すごいセリフ量だったので、ご自分の役の準備だけで大変だったはずですが、ぼっちの私に、いつもわざわざ、声をかけてくれていたんです。

しかし、本当にそれだけです。飲みに行ったことはおろか、話し込んだことさえありません。かばう義理など一切ないのに、ああいうコメントをしてくれた。あの一言が、当時の私をどれほど救ったか。

『チョコレートドーナツ』で谷原さんが演じていたのは、差別や偏見の逆風を受けながら、難しい弁護を引き受ける弁護士ポールという役でした。私の目にはあらためて、谷原さんとポールが重なって見えていました。よく読むと、別に谷原さんのコメントも、私を無理に擁護などしていない、「普通でした」というだけなのですが、それでも勇気のいる発言です。

なんでもない、たった一言の言葉が人を救うことがあります。本当にどうもありがとうございました。と同時に、ご迷惑をおかけしたことを深くお詫びします。

谷の味方をしたヤツは殺せ

その後もネットは批判一色でした。批判というより、「死ね」、「きもい」、「頭おかしい」、「強姦しそうな顔してる」など、中傷や攻撃の嵐でした。

当時私は、実は周囲に、記者会見をやりたいと言っていました。あるいはネットに記事を上げ、反論や証拠を提示したいと。しかし、多くの人から「やめておけ」、「火に油を注ぐだけだ」と反対されました。

ある若い俳優からは、「谷さん、お願いだから、やめてください。お願いだから……」と、涙を流して止められました。私のことを心配してくれていたのもありますが、それだけではありません。「谷と一緒に仕事をしていたな」と言って、彼も、厳しい目線を向けられていたのです。彼は、少し前の現場で演出家のパワハラに遭い深く傷ついていたのですが、たまたま私がオーディションで出会い、キャスティングした人です。「やっと演劇が楽しくなった」と言ってくれて、ほとんど毎日一緒にいたのですが、今度は「あの悪魔の仲間だな」「レイプ魔の味方をするのか」と言って、攻撃対象にされてしまったのです。

他にも、「私は谷さんを信じているんだけど……。ごめんなさい」と言って、私を批判するツイートをしたと報告してくれた人もいました。これは、当時の演劇界を知らない人にはわからない空気かもしれません。「ハラスメントに反対します」という態度を取り、言葉にしないと、叩かれるのです。

「私はアンチ谷です」、「原告の側に立ちます」と表明しないと、それだけで批判されたり、仕事を失います。沈黙すら罪と見なされ、こんな言葉が、知らない匿名アカウントから矢のように飛んできます。

「あなたはどうなんですか? なぜ批判コメントを出さないんですか?」
「レイプ魔の肩を持つんですか? 擁護するんですか?」
「もしかして、あなたも加担していたんですか?」

これは、当時の空気を知っていた演劇人ならよくわかるでしょう。あるいは、今も続いている空気かもしれません。

別の俳優は、私のことを批判しなかったせいで、仕事を降ろされました。これは大事なことなので、もう一度書きます。別の俳優は、私のことを批判しなかったせいで、仕事を降ろされました。「私を擁護したから」、ではありません。「批判しなかったから」、役を降ろされました。

彼は裁判で証人にも立ってくれて、原告の主張が実際と違うことをいくつも証言してくれました。そういった事情は、当時、客演や外部スタッフも含め、多くの人が知っていたはずですが、言えば魔女狩りの列に並ぶことになります。なかなか公には発言できません。彼もネットでは沈黙を守っていたのですが、しかし、「批判コメントを出さなかった」という理由で、仕事を干されてしまったのです。

当時、彼は私の心の支えでした。誰とも会わなくなってからも、ときどき彼とだけは会っていました。しかし、約一年後に会ったとき、「いまだに批判コメントを出していない」という理由で、さらにもう一つ仕事を干されたと聞きました。あまりにも申し訳がなくて、それ以来、彼とは会っていません。

私はともかく、彼は、なぜ仕事を奪われなければならなかったのでしょうか。誰か、きちんと答えられる人はいませんか? 全員で火をつけて、間違いだったとわかったあとでも、ほっかむりして逃げただけで、みんなで知らんぷりしている。こんなこと、本当にあっていいんでしょうか?

さっきの若い俳優も、女優さんも、仕事を干された彼も、もう会っていません。私が関わること自体が迷惑になるし、俳優にとって、準備していた役を干されるのは耐え難い苦痛です。いくら謝罪しても、申し訳がなさすぎて、合わす顔がありません。

こうして私は、数少ない仲間とも会えなくなりました。そして、ネットでの発言をやめ、誰とも会わなくなりました。

ネットリンチがなぜつらいのか

私は学生時代から、体罰教師とケンカしたりして、だいぶ鼻っ柱の強い方でした。演劇界に入ってからも、俳優の先輩に怒鳴られ続けたり、超大手芸能事務所の某プロデューサーから嘘みたいに陰湿なパワハラを受けたりしても戦える、強い性格でした。だいぶタフな方だと思います。むしろパワハラばかりの演劇界でめげずに戦い続けられたから、自分程度の才能でもやっていけていたのかもしれません。

しかし、ネット炎上はつらかった。

「ネットなんか見なきゃいいだけ」という人もいます。でも、そうじゃない。この感覚は、体験した人にしかわからないかもしれません。

ケンカや口論は、ルールのある勝負、いわばボクシングに似ています。痛いし苦しいけれど、相手は正面からぶつかってきます。こちらもいつでも降参、ギブアップもできる。

ネット炎上は、ぜんぜん違う。一番近い感覚は、いじめでした。

私も幼稚園のときに、お弁当の袋をトイレに捨てられたり、高校生の頃、クラス中から一年間無視されたりしたことがあります。ああいうときに、朝、クラスへ入っていくときのつらさは、たまりません。みじめで、こわくて、情けなくって、たかが学校という狭い世界の出来事なのに、世界中から嫌われているような気持ちになります。「気にしなきゃいい」「言いたい人には言わせておけ」なんて言って、やり過ごせるものではありません。

大勢に囲まれて、罵声を浴びせられる。言い返そうと思っても相手はもういなかったり、「冗談だろ?」「何、マジになってんの」と笑われたりする。言い返したら余計に叩かれる。先生に相談しても、「イジメられるお前にも悪いところがあったんじゃないか」なんて言われたりする。

一つ一つの悪口は、大したものじゃありません。「最悪」「死ねよ」「もう学校に来るな」……この場合「もう演劇界に来るな」ですが、幼稚な言葉ばかりです。でもこれが、たまらなくつらい。なぜか。

後に、ネット炎上や自殺事件について調べている最中、こんな説明に行き当たりました。

人間(ホモ・サピエンス)は何十万年も、数十人から多くて150人までの集団で、狩猟採集をしながら暮してきた。サピエンスは、実は力も脳の大きさもネアンデルタール人より劣っていたが、物語を共有することで、多くの人とチームワークが組めた。これが、サピエンスの強さの源だった。

この辺の記述は、劇作家として胸踊りました。物語が、集団を強くする。『サピエンス全史』などでも触れられてる考えですね。

しかし、大事なのはここからです。

だからサピエンスは、集団内での地位にひどく敏感になった。いくら力が強くても、頭が良くても、集団から追い出されたら生きていけない。『あいつは戦いから逃げた』、『獲物を盗んだ』、『人の妻に手を出した、不倫した』と悪い噂を立てられることは、そのまま生死に直結する。

だから人間は、人の噂や、社会の中での立ち位置をひどく気にするようになった。人の噂や、社会の中での立ち位置を気にする個体しか、生き延びてこれなかった

そして今、人類は、150人ではなく、ネットで何百万人もの噂話にさらされるようになった。

驚くほどスッと、理解できました。私は、炎上のさなか、悪口や中傷に傷ついていたのではなかった。「お前は社会の敵だ」、「この集団の害悪だ」と言われたこと、社会の中での評価や名誉を傷つけられ、「ここにいるな」と言われたことが、つらくてたまらなかった。

ネット炎上の最中は、生きているだけでずっといじめられているような、毎日お弁当の袋をトイレに捨てられ続けるような、ざわざわした気持ちでした。また何か悪いことが起こるんじゃないかと思って、何をしていてもずっと不安になります。全員から嫌われているような気がして、誰とも連絡がとれません。言い返せばもっと叩かれるし、言い返さなければ「なんで黙ってるんだ」と言って叩かれる……。

私も自殺を考えました。そこで、過去のさまざまなネットリンチや炎上事件、自殺された方の記録を読みあさりました(心からご冥福をお祈りします)。私が調べた限り、多くの方にこの感覚は共通しているように思います。一人一人の悪口がしんどいんじゃない。自分が、この社会にいてはいけない、いない方がいい存在なんだと思ったとき、心が崩れる。だからネットリンチはつらいんです。

以後私は、心療内科でだいぶ強い薬を出してもらい、ネットを見るのをやめました。「死ぬな」と思ったからです。SNSアプリもすべて削除しました。それでも、いつも心がザワザワするのです。

――見ていない隙に、また大変なことが書かれているんじゃないか? 見た方がいいんじゃないか? やっぱり……。

解決策は一つだけで、それは、私が、私であることをやめることでした。ファッションも髪型もすべて変えて、本名を使うことをやめました。スマホやPCからもログアウトし、パスワードも変えてしまいました。知り合いには誰にも会いません。こうすると、「谷賢一」と呼ばれることはありません。実際、2年くらい、裁判の関係者を除いては、誰も私の本名を呼ぶ人はいませんでした。

子供には「パパ、パパ」と呼ばれますが、これはまぁ、パパであって谷賢一ではないので全然気にならないというか、むしろ大きな癒やしになりました。毎日一緒に計算ドリルをやったり、ドラえもんの映画を見たりしていました。子供だけは、私が「谷賢一」だからではなく、私が私だから一緒にいてくれる、唯一の存在でした。

ハムレットが苦しんだもの

おかげで私は、はじめて読んでから30年以上経って、『ハムレット』のあの有名なセリフの意味が、ようやくすとんと腑に落ちました。なるほど、彼は、こういうことを言っていたんだね。

To be, or not to be, that is the question:    生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。
Whether’tis nobler in the mind to suffer    どちらか立派な精神だろう?
The slings and arrows of outrageous fortune, 狂った運命の矢や弾を受け続け、耐え忍ぶか。
Or to take arms against a sea of troubles   武器を取り、困難の海と戦い、
And by opposing end them.         すべてを終わらせるか。

(シェイクスピア『ハムレット』3幕1場より)

ハムレットは、暗殺や謀略もこなす頭脳を持っています。いざとなれば堂々と決闘し、死をもいとわない勇気もあります。

しかし、ハムレットはここで、迷っています。1)不名誉のそしり、飛んでくる矢と弾(slings and arrows)を受け、耐え続けるか、2)思いきって武器を取り、戦い、命を散らすか。どちらが りっぱな精神(nobler mind)か、考えていたんですね。死も決闘を恐れないハムレットにとっても、不名誉の矢弾を受け続けることは、耐えがたい苦痛だったんです。

ここまで考えると、一行目が誤訳である意味もよくわかりますね。「生きるべきか、死ぬべきか」というのは有名な訳ですが、実は著名なシェイクスピア翻訳者が誰も採用していない誤訳なのです。ハムレットは「このままでいいのか(to be)、いけないのか(not to be)」を悩んでいるだけ。生きるか死ぬかは、悩んでいない。

死ぬ気ならこの男は、いつでも死ねるのです。そこは、問題(question)ではない。ハムレットにとって死よりも苦しかったのは、恥辱や汚名の矢弾を受け続けることだった……。

何たる解像度! シェイクスピアもSNSをやっていたのかもしれません。

○ ○ ○

たびたび言っている通り、裁判は和解しています。レイプやセクハラの強要は強く否定しましたが、私にもふだんの素行や言動に反省すべき点があったことを認め、率直にお詫びしました。原告に対するわだかまりは、一切ありません。

しかし、未だに消えない虚偽のレッテル張りや、続いている名誉毀損、 法律以上に行き過ぎた社会的制裁を、受け入れることはできません。しかもそれが、「人の噂も七十五日」という昔と違って、今はデジタルタトゥーとして永遠に残ります。矢弾を耐え続けることはやめ、武器を取り、困難の海と戦う決意をしました。

まず先日、いくつかのネットニュースや掲示板に削除依頼をしました。ほとんどのサイトがすぐ削除に応じてくれました。これから個人のSNSなども連絡する予定です。キャンセルされた仕事は戻ってきませんが、法治国家である日本において、本当に公演や作品をキャンセルするやり方が正しいのか、問うていきたいと思います。またネットリンチや誹謗中傷の類は、一切これを許さず、根絶する方法はないか、考えていきたいと思います。

次の記事では、この炎上期間に起きていたもう一つの事件について書く予定です。あるいはずっと気になっていた、私とは別の炎上事件について、私の視点から掘り下げた記事を書こうかと思います。

だいぶ長くなってしまいました。長々読んでいただき、ありがとうございます。Xのアカウントの方には、匿名で質問できる窓口(マシュマロ)を設置してあります。ご質問、ご意見、ご感想などあれば、ぜひお寄せ下さい。

ある裁判傍聴記の嘘 公式裁判記録との比較から

これはネットに公開されている、ある裁判傍聴記に関する訂正です。その中で私は、「謝ることはない」と言って開き直る、冷血漢として描かれています。この記事だけをネットで読んで、すっかり信じてしまっている人もたくさんいると思います。

そこでこれを、本当の裁判記録――裁判所の作成した筆記記録――と突き合わせて、どんな間違いがあるのか、立証してみようという試みです1

おそらく多くの方は、「裁判の傍聴記というくらいだから、客観的なものだろう」と思っていると思います。しかし、実は記録も文学と同じで、基本的にはフィクション(創作)です。キリトリ方と編集で、事実と真逆のことさえ言えてしまう。

もちろん、この論理で言えば私の書くことも疑ってかかるべきです。ぜひ裁判記録の全文をご覧ください。一部はこの文章内で引用していますが、全文は東京地方裁判所へ行けば誰でも閲覧できます(令和4年(ワ)第29876号)。また、私の主張部分に限って、近日中にここで公開することも検討しています。

最後に。この文章の目的は、事実の訂正だけです。M氏個人に対する攻撃や批判の意図は一切ありません2。また、原告・O氏との間には和解が済んでおり、一切のわだかまりはありません。詳しくは、和解のお知らせの記事をご覧ください。

○ ○ ○

長くなるので、論点を3つにしぼりました。なお、読みやすさのために、一部原文に読点や改行などを足しています。ご了承ください。

論点1.「AVの世界なのか?」

M氏は、尋問の中で私がしゃべり過ぎ、言わなくてもいいことや、でたらめな釈明をしたと主張しています。

たとえば、こんな記述が出てきます。M氏の傍聴記から引用します。

(原告・O氏が、稽古場で自ら胸を押し当てていたこと。「当ててんのよ」「減るもんじゃなし」という、当時はやりのネットミーム・ジョークを男女問わずいろんな人に言っていた……という説明を聞いて)

「この世にそんな卑猥な女性がいるのか……!?
 いたらすごいなあ!? AVの世界なのか!?」


という人物像の設定だと思って、少し笑いそうにもなりました

(M氏の傍聴記より)

テンパった私があり得ない説明をした、作り話だ……という論調ですね。

しかし、これには証人がいます。男性だけでなく女性もいるし、劇団の外部の人もいます。証人の1人は、劇団外の女性スタッフです。正式な証言として裁判所に提出されており、今も閲覧可能です。

原告の当初の主張は、私が「権力をかさにきて」、「『役をおろすぞ』とちらつかせながら」無理やり胸を触った……というようなものでしたから、この部分は重要な争点です。この点をくつがえすために、私と弁護人や、証人に立ってくれた皆様がどれほど努力したか。笑って済ませて良いものではありません。

そして、M氏は、そのことを知っていたはずなのです。それを、あえてすっとぼけて、「AVじゃあるまいし」とまとめている。

なぜならこの点は、当日、尋問の中でも触れられていたからです。証人の証言について質問されて、原告も「言ったかもしれない」と答えています3。M氏はそこを、あえて切り落としています。

また、私はこの尋問の中で、上に書いたような経緯(原告の方から「当ててんのよ」「減るもんじゃなし」というフリがあった)があったとはいえ、「それでも不適切だった」という反省の弁もハッキリ述べています。

公式の裁判記録から引用します。

「今振り返ると、いくら当人とのある種の合意があったとしても、周囲の人間への影響とか、演劇界のことを考えたときには不適切だった」

「控えるべきだったと思っています」

「(原告の提案があったこととはいえ)今思えば本当に不適切なので、やめたいと思いますし、後悔しています」

(尋問記録p7、抜粋筆者)

M氏は、これらの点にも一切触れていません。ただ「AVのようだ、あり得ない」といって、私がでたらめな釈明をしたかのように描いています。

論点2.向精神薬に関する証言

2つ目の点は、より重要です。私は裁判で、このように述べていました。

  • 当時、うつ病の治療薬として「アモキサン」という薬を服用しており、その副作用で性欲減退(勃起不全)があった
  • だからレイプはもちろん、普通の性交渉もできなかった

その点について、相手方弁護士から質問がありました。M氏の記述を引用します。

弁護士「ここの副作用の欄になんと書いていますか?」
谷さん「…性欲亢進」
弁護士「尋問は以上です」

のやり取りは、「スカッとジャパンでなのでは?」というくらいにスッキリしました

(M氏の傍聴記より)

「なにが勃起不全だ。性欲亢進とも書いてあるじゃないか。はい論破!」

「一本あり! 弁護士の鋭い質問で、被告のウソが明らかになった!」

というような意味でしょう。しかし、これも違います。

というか、この誤解は精神の病に苦しむ多くの人への偏見を助長します。どうしても訂正させていただきたいし、多くの人に、知ってもらいたい問題です。

精神の薬には本当に様々な副作用があり、人によって現れ方がまったく違います。「尿が増える」と一緒に「尿が減る」と書いてあったり、「眠くなる」と一緒に「覚醒・興奮する」と書いてあったり、正反対の副作用が書いてある薬もざらにあります。

たとえば、私の服用していたアモキサンはどうでしょうか。これだけの副作用が書かれています。

便秘、 眠気、 不眠、口渇、めまい、頭痛、発疹、血圧降下、動悸、振戦、パーキンソン症状
痙攣、精神錯乱、悪性症候群、Syndromemalin、無動緘黙、強度筋強剛、嚥下困難、頻脈、血圧変動、発汗、発熱、白血球増加、血清CK上昇、ミオグロビン尿、腎機能低下、幻覚、せん妄、無顆粒球症、白血球減少、血液障害、咽頭痛、インフルエンザ様症状、麻痺性イレウス、腸管麻痺、食欲不振、悪心、嘔吐、著しい便秘、腹部膨満、腹部弛緩、腸内容物うっ滞、遅発性ジスキネジア、口周部不随意運動、不随意運動、中毒性表皮壊死融解症、Toxic Epidermal Necrolysis、TEN、皮膚粘膜眼症候群、Stevens−Johnson症候群、急性汎発性発疹性膿疱症、肝機能障害、黄疸、著しいAST上昇、著しいALT上昇、著しいγ−GTP上昇
躁転、頭重、構音障害、運動失調、耳鳴、焦躁、不安、四肢知覚異常、知覚異常、アカシジア、静坐不能、錐体外路症状、排尿困難、視調節障害、過敏症、顔浮腫、舌部浮腫、紅斑、そう痒、下痢、胃部不快感、味覚異常、口内炎、倦怠感、脱力感、性欲減退、頻尿、性欲亢進、顔面違和感、身体違和感、四肢冷感、頸痛、血圧上昇、不整脈、心ブロック、心発作、興奮、抗コリン作用、乏尿、鼻閉、眼内圧亢進、口内不快感、胃痛、腹痛、月経異常、高プロラクチン血症、乳汁漏出、女性化乳房、脱毛、性機能障害

(日経メディカル https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/drugdic/prd/11/1179001M3022.html)

これらすべての副作用が出たら、どうなるでしょうか。人間は死んでしまいます。

どの副作用が出るかは体質次第です。だから、専門医が毎週、様子を見ながら処方を調整していくんです。薬の説明に書いてあったからと言って、誰しもが性欲増進するわけではありません。

私の場合、薬の副作用による勃起不全については、医師にも家族にも相談していました。親しい友人にも話したことがあると思います。恥ずかしいことではないからです。

だから弁護士の方に「性欲亢進とも書かれていますね」と聞かれて「はい」と答えました。しかし、それを根拠に、患者の病状を決めつけたり、勘ぐったりする行為は、これは精神の病を抱える人への偏見を助長することにもなりかねません。

よくある例として、「うつ病の人は~~だから」なんて言葉が世間に広まっていますが、あれだって全員に当てはまるものはありません。人によってはこの偏見のせいで就職を拒まれた、仕事を外されたなどの例がいくらでもあります。この病気だからこう、この薬を飲んでるからこうという決めつけは、絶対にしてはいけません。

とはいえM氏も、知識がなかったのなら、仕方のない勘違いです。まったく責めるつもりはありません。しかし、訂正だけはしていただきたいと思います。

余談ですが、なぜそれほど副作用の強い薬を私が飲んでいたのかと言えば、それが私にはもっとも効き目があったからです。世の中には私と同様、副作用に耐えながら、薬を飲んで仕事や学校に通っている人が大勢います。今では日本人の約7%、15人に1人がメンタルクリニックにかかっているというデータもあります。私はこの強い薬を飲み、毎晩がぶがぶ酒を飲みながら、小田島雄志・翻訳戯曲賞も、岸田國士戯曲賞も、鶴屋南北戯曲賞もとりました。

論点3.「謝ることはないです」

これが、もっとも重要な論点になります。

裁判の後半、M氏は私が、「謝ることはないです」と言ったと書いています。
そして反省の色の見えない、冷酷な人間として描いています。

本当はどうだったでしょうか? 裁判記録をもとにご説明します。

まず私は、GPS記録や薬の副作用、LINE会話記録の矛盾などを証拠にあげて、「レイプはなかった」と主張していました。また上述の証言などにもある通り、セクハラの強要も否定していました。

しかし、私にも悪いところはあります。もちろんあります。性格の悪さ、酒癖の悪さ、創作の過程で言葉が過ぎたり、気がついたら演出家などという、実は別にえらくもなんともないのだが、権威のようなものをまとってる裸の王様になっていて、人を傷つけたこともあったでしょう。例の「当ててんのよ」については、上にも書いた通り「深く反省しています」と述べましたが、他にも自分が、無自覚に人を傷つけていないか、謙虚に耳を傾け、反省していかなければなりません。

そのことは、尋問でも述べています。以下、裁判記録からの引用です。

……そしてさっきうまく伝わらなかった気もしますけれども、その、
原告との関係においても、自分が悪かったと、
話を聞いてみたら、ここは自分が謝るべきだったというところが、
まだこの先見つかったら、それはもう心をしっかり傾けて、
指をついてすまかなったって言わなきゃいけないという気持ちはもちろんあります。

ただ、

(尋問記録、p38)

しかしここで、原告の弁護士が割り込みました。そしてこう聞かれました。

(原告代理人)ごめんなさい、今の時点では原告に対して謝んなきゃいけないことはないとお考えですか。
(私)ないです。

(尋問記録、p38)

これが、「ないです」という言葉が出た、本当の流れです。

わかるでしょうか? この流れで「謝ることは?」と聞かれたら、「ないです」と答えるほかありません。「あります」と言ったら、レイプを認めることになってしまいます。

この点については、後ほど裁判長からも確認されました。先ほどの「ない」の意味について、どう思っているのかと。私はあらためて、「自分にも反省すべき点はあるし、謝りたい」、しかし「世間に流されたレイプやセクハラは明らかな嘘」、「撤回してほしい」と述べています。

(裁判の尋問記録より)

私は、やっていないことはやっていないという、当たり前のことを主張しているだけです。やっていないことについては、謝れません。

M氏のブログはこれらの文脈や反省の言葉をすべて無視して、「謝ることはない」というところだけ書いています。典型的なキリトリです。そして最後に、こう締めくくっています。

いまだに谷さんは何が悪かったのかわかっていないのではないでしょうか。
この世は地獄です。最悪です。

2行目にだけは、同意します。

最後に

この傍聴記を、だいぶ多くの方が読みました。重大な名誉毀損に当たるものと考えます。詳しくは後日述べますが、こういったSNSなどの書き込みのせいで、私や、私の周囲の人たちは、今も実害を受け続けています。レイプとセクハラの訴えを裁判所が認めなかったにも関わらず(→「和解のお知らせ」参照)、未だにレイプ魔と攻撃してくる人もいます。現在、そういった書き込みへの対処を進めています。削除依頼をするとともに、悪質なものについては名誉毀損や侮辱罪などでの法的対応も検討していきます。

とは言え、M氏が原告に味方したい、応援したいという正義感から、このように書いたんだろうということは、よくわかります。「あいつはレイプ魔だ」と思っていれば、これくらいのことは言ってもおかしくありません(ただしその訴えは、裁判所により退けられました)。記事の削除、ないし訂正さえしていただければ、私は十分です。謝罪すら必要ありません4

しかしこのような正義感こそが、もっとも恐ろしいものです。何より恐ろしいのはこれらの間違いが、1年3か月、誰からの訂正も入らずにネットに出回っているということです。おそらく「だいぶ違うな」と気づいていた人はいるのでしょうが、とても声に出せなかったのだと思います。そのことについては、次回書きます。

最後に、M氏はこう書いています。

谷さんは裁判終了後にやりたいことの一つとして「芸能界にまつわるキャンセルカルチャーの撲滅」を掲げていました。この言葉を聞いたとき、私はこの人が野に放たれるのが心底怖い、と思いました。

(M氏の傍聴記より)

正しいMeToo、必要な告発はあるし、弱者が声を上げられる社会であってほしいと私も思います。しかし、日本は法治国家です。裁判記録を誰も読まず、ネットの文章だけをつまみ読みして噂が広まり、社会的制裁が確定する。私はそういう世相が、心底怖い。

私が戦いたいと言っているのは、そういうものです。キャンセルカルチャーというより、ネットリンチや私刑社会と言った方がいいかもしれません。

次回は、なぜ私が今頃こんなことに触れだしたのか、書きたいと思います。それを読めば、ネットリンチに遭うとははどういうことか、炎上するとはどういうことか、お伝えできるのではないかと思っています。

この記事を読んだ方へ、最後のお願いです。ぜひ、この記事を周囲の方へ、広めていただけないでしょうか。必ずしも記事の内容に賛成・賛同していなくても構いません。私にとっての名誉回復は、読んでもらうことです。読んだ上で、おのおのご判断いただければと思います。

  1. 裁判は公開が原則であり、記録も誰でも閲覧可能です。プライバシー等への配慮があれば、公開自体には問題がないことを確認した上で引用しています。 ↩︎
  2. M氏のnoteはこちらです:めげないなかない
    私の記述が正しいことを確認するためだけにご覧ください。個人攻撃や中傷などは、控えていただければと思います。 ↩︎
  3. すこし読みづらいのですが、以下、公式の裁判記録から引用します。被告代理人というのが私の弁護士です。
    (被告代理人)甲34号証の陳述書3枚目でなんですけど、こう証言されています。原告が、「減るもんじゃないし触りたきゃ、ちょっとだけならどうぞ」と話していたのを聞いたと言っています。これは事実ですか。
    (原告)記憶にはないんですが、もしそういったようなことを言ってたと。
    (被告代理人)では記憶にはないということは、事実としてあったかもしれないということ、事実の可能性は否定できないということでしょうか。
    (原告)はい。 ↩︎
  4. これらの尋問を経て、裁判所は「原告の主張には隘路(ムリ)がある」として、レイプなどは認めませんでした。これでもまだ私に対し、「認定はしなかったが、なかったとも言ってない。本当にレイプしていたかもしれない」と言ってくる人がいます。これは、明らかな名誉毀損です。正確には民事と刑事で少し事情が違いますが、「推定無罪」という言葉を思い出してもらいたいと思います。
    その他、くわしい裁判の経緯は、こちらのページをご覧ください:お知らせ ↩︎

凧を上げてやろうと思ったが、失敗した。何度やってもくるくる回って落ちてしまう。スマホで調べ、糸やオモリのバランスを変えてみたが、うまくいかない。ええいこれでは親の威厳が……と思って振り返ったら、子供は思う存分ゲーム機をやれて満足そうだ。

まぁいい。凧揚げなんて学ばずとも生きていける。

「昼めしは何がいい」と聞くと、あいかわらず「ラーメン」と答える。「よしここは一つ珍しいものを食わせてやろう」と思い立ち、ちょっと立派な中華料理屋に連れて行った。これはアヒル、これはサメ、これはすごく辛いやつ……と説明して、「さぁ何がいい、好きなものを選べ」と言ったら「ラーメン」と言われた。

まぁいい。俺も結局ラーメンが一番好きだ。

電車に揺られていると、「宇宙は膨張しているんだよ。誰が見に行ったの?」と訊いてくる。これこそ俺の得意分野!――いいか息子、貴様もゲームをしていると、「予想」をするだろう。「敵がレーダーから消えた! さっきまでこう動いてたから、この辺にいるはずだ」。そうやって見えないところを見るだろう。それと同じだ。えらい学者さんたちは、見えないくらい遠くの星や宇宙の動きを、見に行ったんじゃない。予想しているんだ。お前の嫌いな算数を勉強しまくると、見えないものの動きが見えるように……。という説明の途中で、もうYouTubeを見ていた。

まぁいい。学問は素晴らしいが、もっと素晴らしいことも、世の中にはたくさんある。

親が子供に教えられることなんて、何もないのかもしれない。僕も親父から学んだことは、そういうこまごましたことではなかったはずだ。

じゃあ何か?と言うと、大変てれくさいが、「お前が好きだ」ということだったと思う。仕事に夢中で、3日も4日も帰ってこないことが当たり前の親父だったけれども、酔っ払ったときによく「お前が生まれたとき、俺は本当に嬉しくてな」と言っていた。それを今でも覚えている。

えー最後に、高田渡で、『系図』。お聴き下さい。

ぼくがこの世にやって来た夜
おふくろは めちゃくちゃに
うれしがり
おやじはうろたえて
質屋に走り
それから酒屋をたたきおこした

その酒を 飲み終るやいなや
おやじは いっしょうけんめい
ねじりはちまき
死ぬほど働いて
死ぬほど働いて
その通りくたばった

ピッコロ大魔王の気持ち

頼んでいたホタテの串焼きを受けとったとき、雪が降りはじめた。わた菓子をこまかくちぎったような小さい雪で、地面に落ちる気なんてないかのように、ふわふわと舞っている。

「初詣で初雪とは、風情だねえ」

なんて笑って山頂でお参りをすませて振り返ったら、帰りの石段はもう真っ白に積もっていた。旅館の下駄できていた僕は、案の定、駐車場の入口でおおげさに転んでお尻を打った。いたかった。いたかったぞ。

そこでなぜか(フリーザではなく)ピッコロ大魔王のことを思い出した。悟飯のことを好きになった、二代目の、マジュニアじゃなくて、初代の方の。……僕は彼がドラゴンボールを集めたときに「永遠の命をくれ」という願いを断って、ただ「若返らせてくれ」と頼んだのが、ずっと不思議だったのだ。

永遠の命 > 越えられない壁 > 若返るだけ

どう考えてもミスチョイスじゃないか?

でも今わかった。なるほど、あいつもああ見えて、フェアだったんだ。「永遠の命」なんてチート能力がなくても、「かつての力」さえとりもどせれば十分戦える。むしろ神龍とかいう知らんやつの力を借りずに、自分の力だけで世界と戦いたい。

僕も人よりは運動してるつもりだが、こないだも近所の何もないところで転んだ。何もしてないのに腰が痛かったりする。そんで今度は雪が降っただけで転んでしまった。確実に、何かを失っていっている。

チートはいらない。少し時間を戻して、あのときの力で戦えれば。むしろ、その力で勝つことが、自分の証明なのだ。

ピッコロ大魔王はこういう気持ちだったのか!と突然わかった気がした。雪の駐車場で。

そんなこと考えてたら、タクシーに轢かれそうになった。

もっともピッコロ大魔王が復活後にやったことは、43ある都を一つずつ爆破していくという物騒極まりないもの。大魔王というくらいだから悪いやつだと思うが、意外と人間にひどい目にあわされていたのかもしれない。

あけましておめでとうございます

ごぶさたしている方ばかりですが、今年も新年、あけましておめでとうございます。今は、日本に戻っています。

昨年中は、谷賢一名義での発表・活動はほとんどできませんでした。オンラインで戯曲の講座をやっただけですね(またやります)。ただ、別名義でだいぶたくさん文章を書きました。

われわれ古い演劇人は、「客が芝居を育てる」なんてことを昔から言ったもんですが、僕もだいぶ「違う客層」に書く中で、多少は物書きとして成長できたような気がしています。

大学生の頃から劇団をやっていますが、そもそも大学出で、演劇や文学に興味がある層というのが、ものすごい珍しい層なんですよね。世の中は演劇はおろか、映画もほとんど見たことない人が大半です。あらためて自分は、だいぶかたよった場所にいたんだなと実感します。

そもそも小説や演劇というもの自体が、明治の言文一致運動や新劇運動の中で作られていった「文体」でした。いずれも、インテリのものです。大学生の頃、日本演劇史の授業で大衆向けの演劇運動――新国劇とか大衆演劇とか宝塚とか――の重要性についても学びましたが、その本当の意味が、今になってわかった気がしています。

小説は今もよく読みますが、もうみんな、驚くほど明るい、軽妙な文体で書いていますね。ブンガクの形、言葉も変わっているなと、ひしひし感じます。より多くの人に通じる「文体」はなんだ?……というトライを、日々、やってるところです。

* * *

いただいたおたよりのいくつかに、お返事が書けていません。大変申し訳ありません。きちんと目は通しておりますので、機を見てお返事していきたいと思います。どれも、大変力になっています。ありがとうございます。

「新作が見たい」という声も多数いただきます。ありがとうございます。ぜひそうしたいという思いはあります。ただ、自分の力では難しいこともいくつかあって……。もう少しお待ちください。今年はブログをもう少し、更新したいと思っています。

年末、やたら声のでかい店員さんのいる居酒屋で、負けじと大声はりあげて注文してたら、「お客さん、声でかいっすね! お芝居でもやってました?」と聞かれました。

「ちょっとだけね!」

と答えておきました。チョットダケネ!

海外から耳にする排外主義の日本

「ウェア・アー・ユー・フロム?」

急に声をかけられ、振り返ると7歳くらいの女の子がママと手をつないでこちらを見ている。「ジャパン」と答えるとニッコリ笑い、気を許したのか、次々と「街は?」「名前は?」などと聞いてくる。あれこれ答えてやってると「私、日本大好き!」と言うので「日本のどこが好き?」と尋ねたら、恥ずかしそうにもじもじしはじめた。

「アニメ? ニンテンドー? スシ? 何でもいいよ」

それでもずっともじもじ。ママ経由で聞いてみると、日本について、特に何も知らないらしい(笑)。でも何となく好きな国。そういうイメージだそうだ。それでもピカチュウ、マリオは知っていたから「ザッツ・ジャパン!」と褒めておいた。

そのあと「一緒に写真を撮りたい」というのでカメラを向けたら、慌ててオモチャのサングラスをかけた。一緒に写真は撮りたいけれど、素顔のままは恥ずかしいらしい(笑)。「何だよそれ!」と思うけど、その気持ち、すっごくよくわかる。日本の子どもも、やるよね。

だいぶ日本から遠い国だけど、こういうとこは同じなんだな。

* * *

日本が外国人問題でもめているの、海外から耳にすると、本当に、本当に、本当に心配になる。人と人だから、もめることもあるだろう。でもわかりあえるはずだとも思う。こうして外国で見知らぬ少女と話していると、特に。

彼女は日本を何も知らない。ピカチュウ、マリオの国としか知らない。大人に聞いてもデーモンスレイヤー(鬼滅の刃)とかナルトとか言うだけで、誰も石破茂も高市早苗も知らない。でも「大好き!」。これがスタートラインだ。

人と人が憎み合うのは自然な状態じゃない。だから日本で排外主義者と呼ばれている人たちにもすごく複雑な背景があるはずで、その言葉をもっとよく聞かないといけない。表面的な言葉ではなく、底の底の、本当の言葉を。彼らを攻撃してはいけない。彼らを憎悪や攻撃、不安に駆り立てているものを突き止める必要がある。

僕は排外主義は容認できないけれど、それは日本の知識人たちへの失望から来ているということが実感を伴ってわかるから、これは本当に大変な問題だなと思っている。お互い「ネトウヨ」「パヨク」と見下し合っていると、本当にひどいことになるだろう。

今、僕がいる地域では宗教間の対立が激しい。日本からニュースだけ見てると毎日殺し合いしてるように見える。でも現地ではふつうに異教徒同士が挨拶や買い物をして暮らしている。ただし路地裏にはびっしり政治ビラが貼られてたりして、それを政治的に分断しようという勢力がいることもわかる。とても複雑だ。

こないだレストランで郷土料理を食べていると、隣にいた青年に「これはうちの国の首相も食べた」と自慢された。「へーすごいね!」と盛り上がっていると、「首相は地元の英雄だ!」と言ったあとで、「でも他民族の分断も進めている」、「僕はそれを誇りに思えない」とつぶやいた。まるで他の客に聞かれるのを怖がるかのように、声をひそめて。

悲しいことに、愛は、愛そのままでは伝わらず、他者を攻撃することで示される場合がある。より強く攻撃できる者が、より深く愛していると思われることがあるのだ。それは本当は、愛の本質とはまったく関係ないのだけれど。

そして愛には、信じて待つことしかできない。しびれを切らして攻撃しだすと、それは、もう別の何かになってしまう。

* * *

サングラスの少女と遊んでいるとどんどん人が集まってきて、写真撮影大会になってしまった。「私も!」「俺も!」「こっちも一枚いい?」とすごい人だかりで、途中でお調子者の青年に「何で僕と撮ってんの?」と聞いたら「わかんない」と言われた。この野郎(笑)。

もはや誰一人、何のために写真撮ってるのかわからん状態だ。(実際にはこの10倍近い写真がある)

誰が何人で、どの宗教なのか? このとき、たぶん、誰も考えてなかったと思う。

ちなみに「日本人だ!」ということで人気を博したはずの僕も、最後はいつの間にか「チベット人でしょ?」とか言われていた。ええ、もう、それでもいいです……。

山の上の哲学者(ないし正体不明の仙人)

先月から海外におります。今はネパールのあたりにおります。

相変わらずトラブル続きで、まずスマホが使えなくなった。いろいろときな臭いご時世ですから、渡航歴の多い外国人向けの通信を制限しているケースがあって、それに該当してしまったらしい。

「詰んだ」、と思った。今どきスマホなしで旅なんてあり得ない。

おいおい帰国かよーと思いながらメシ食ってたら、レストランの壁にボロボロのガイドブックがディスプレイされてて「これだ!」と思った。「売ってくれ!」と言ったら「古すぎるから金は取れない」と言われ、タダでくれた。超ありがとう。これで行ける。

最初は不安だったけど、これが楽しい。「バス停どこですか」なんて普通ならスマホで調べちゃうけど、道でキャベツ売ってるおばあちゃんに聞く。レストランのメニューも今はAIがぜんぶ説明してくれるが、いちいち店員さんに聞く。英語が通じず、僕と現地の人2人、大の大人がボディランゲージで会話して、伝わったときお互い抱き合ったりする。どれもこれも、だいぶ楽しい。

強制的にスマホ廃止したことで、視野が広がった。こうでもしないとせっかく海外に来てるのに1日中スマホばっか見てたりする。今は必死に町の風景や看板を見てる。それにニュースやSNSから離れられるのもいい。離れてみると、そんな世界、世間は存在していないように見える。

実際そうなんだろう。世間は存在しない。目の前にいる人を見る。あたり前のことだ。

* * *

ある高い山に登った。富士山を超える高さで、頂上には偉いお坊さんの即身仏がある。有名な仏教寺院だ。

道中、人はほとんどいない。どんどん現実感がなくなっていく。僕は今、ほんとに存在しているのだろうか? かくれんぼみたいに、みんな世界からみんないなくなってしまったんじゃないか? あるいは僕だけ別の、人のいない山に飛ばされてしまったんじゃないか?

山頂へ行くと、真っ白な壁に赤い装飾が施された美しい寺院が突然現れた。「時計回りに登ってください」、という表示に従い、岩肌を削って作られた石段を上がっていくと、最上階、即身仏のいらっしゃるお堂の前にベンチが一つ置いてあった。

そこに一人の、痩せたヨーロッパ人のおじいさんが座っていた。かなりの高齢で80歳くらい。ベンチに何か紙を広げて、青い瞳で遠くを眺めている。それまで誰とも会わなかったからあまりにも現実感がなかった。「最近の仙人は青い目をしてるのか?」と思ったほどだ。

思い切って話し掛けてみた。

「ベンチ、お隣、お邪魔してもいいですか?」
「もちろん」
「(ベンチに座り)わあ、すごい! 絵を描いてらっしゃるんですね。素晴らしい!」
「ありがとう」
「写真より、絵の方がずっといい」
「そうですね。絵を描くためには、よく見ないといけない。対象物……自然、建物。だから私は旅先で、絵を描くようにしています。よく見るために」

とてもよくわかる話だ。そういえば写生文で有名な正岡子規も、そんなこと言ってたっけ。

「どちらから?」
「最初はトルコで山を越えて、それから中央アジア、インドを抜けて……元はイギリス人でした」
「イギリス! 僕、1年間住んでました。カンタベリーの大学に通っていて」
「それはそれは! 専攻は何を?」

そこで、ちょっと心が揺れた。最近は劇作家とは名乗っていない。戯曲は書いてないからだ。でもこのときは、すっと答えた。

「演劇専攻です。僕は劇作家なんです」
「素晴らしい。出版もされてる(Published)?」
「賞も取ってます(Awarded)」
「素晴らしい。なら、さてはここには、次回作の構想を練りに来たね?」

これも心が揺れた。今は戯曲は書いていない。嘘はつきたくないけれど、事細かに説明するのは大変なのでこう答えた。

「いえ、休暇と瞑想。自分や、未来について考えるために、ここに来ました」

すると老人は、ジョーク交じりの、しかしところどころ真剣なトーンでこう答えた。

「自分や未来について、考える! 素晴らしい。たくさんおやりなさい、あなたはまだ若い。……私はもう、だいぶやりすぎた。なのでもう、考えたりはしません」

はっと、息が止った。――考え続けなさい。やがて自然と、考えなくなる日が来る。

スマホも使えず、一人で山道を登っていると、いろんなことを考える。大抵はつらい、苦しいことばかりだ。普段スマホで時間を潰して、見ないようにしていたこと、考えないようにしてたことが次々頭に出てきて、考えるしかなくなる。もうたくさんだ、と思っていたけど老人は言った。考えなさい。考え続けなさい。

やがて私のように、考え疲れ、考えるのをやめる日が来る。今は、考えなさい。

イギリス人のこういうウィットには感服する。……いや、ホントにイギリス人だったのか? 80歳近い老人が、1人で、あんな高い山に登り、絵なんか描いてる?

あれは本当に仙人だったのかもしれない。……でもパタゴニアの短パンを履いていた。仙人はパタゴニアの短パンを履くだろうか?

講座「物語を書く技術」第1期終了報告&第2期開催のお知らせ(参加者募集)

先月からやっていた講座「物語を書く技術」、第1期が終了しました。ご参加・見学いただいた皆様、どうもありがとうございました。戯曲の書き方なんていうニッチ過ぎる内容ですがアーカイブ視聴も入れると最終的に2000人近くの方にご視聴いただき、かつ発表会ではかなり個性的な作品が並びました。僕も読んでいて楽しかったです。

その収穫と反省点を踏まえて、さっそく「第2期」をキックオフしようと思っています。以下、振り返りと第2期のご案内です。

* * *

振り返ってみて

まず参加者の皆様の反応を見つつ講座全体を点検し、大きなロードマップは間違っていないと確信できたのはとてもよかった。ただし、ちょっと専門的にしすぎたのは反省点だ。もっと初心者に優しく要点を絞りつつ、高度な内容はコラムやエッセイなどに逃そうと思う。

むしろ最大の問題は、無料にしたためドタキャンが増えたことだった。……これはワークショップなんかでも必ず起きることで、直感に反するけれど、無料にすると人は来なくなる。逆にお金をとると「損してたまるか」心理が働き、出席率が倍増するのだ。それで泣く泣く地上のすべての劇団は当日精算を廃止する。

今回は「戯曲を書く」という個人プレーなので「まあいいか」と思っていたけど、講義の中で他の人の書いたものを読むことが実はとっても勉強になる。それにもともと定員オーバーでかなりの数の人を断っていたのも申し訳なかった。

そんで講義の打ち上げでは参加者の皆様と「次は有料化しましょうか」「お金とるべきですよ、これ」なんて話をしてたんだが、やはり癪だ。面白くない。「ああやっぱり金か」と思われるのも嫌だし、本当にお金に困ってる若い劇作家だっている。

もちろん「数千円なら少しバイトすりゃ稼げるんだから働け」という指摘は正しい。また「知識や技術はタダで売るべきじゃない」というのも演劇界ではよく言われる。でも今や世の中はフリーミアムやオープンソースなど知財を無料で行き渡らせ、社会全体を発展させつつ、きちんと事業としても継続させる。そういうビジネススタイルが広がっている。

そして今僕がやってるのは、脚本の技術をどれだけ凝縮したコンテンツにまとめるかということと、どれだけ多くの人にリーチできるかということだ。有償化すれば安定はするが、それらの目的と相反してしまう。

そこでこんな「ネクストプラン」を考えてみた。

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ネクストプラン

まず講座全体をいつでも見れる20分程度の「講義動画」と、週に一度オンラインで質問できる「質疑応答&宿題添削ライブ配信」にスプリットする。宿題ができた人はどんどん次のコマへ進んでもらい、つまづいた人やより詳しく知りたい人に時間を使う。こうすることでより多くの参加者が、自由なタイミングで参加できるようになるだろう。もちろんどちらも、誰でも無料で視聴・参加できる。

ねらいはいくつかある。

まず今回の講義中、「いつでも割って入って質問してくださいね」と繰り返し言ったが、やはり人の話を遮って質問するのは難しい。案の定、最後の質疑応答にだけ大量の質問が集中した。ならば講義は事前にそれぞれ好きな時間に見てもらい、質疑応答の時間を分離させればいい。

そして質問と添削の時間では、書ける人や経験者はどんどん先に進んでもらいつつ、むしろうまくいかなかった人、つまづいてしまった人に時間をかけてあげる。

また宿題も「いつでも提出してね」というスタイルでやっていたが、そうすると人間、どうしても先延ばしにしてしまう。別に面倒見る義理はないのだが、〆切は設定した方が良さそうだ。僕も〆切のない原稿は書けない。今もそうだ。作家にとって〆切は敵じゃない。一番の味方なのだ。

こないだ喋った3本の講義動画も、自分で言うのも何だがよくまとまっていて市販の脚本指南書に圧勝してると思う。しかし1時間半もの講義をYouTubeで見るのはかなり苦痛だ。「本気で目指すならそれくらいの努力は当然」と言う人もいるかもしれないけど、なんかもうそういう世の中でもないよねって思う。後継者のいない伝統工芸の親方が「最初の5年は掃除と飯炊き。これも大事な修行。できるヤツだけ弟子入りを許す」と言ってるのと近いものを感じる。そういうことしてると、滅ぶ。

これらの第2期プランは「どれだけリーチできるか」という僕の目標にも合致する。演劇に興味のない人にも見てもらいたい。そもそもこの講義の名前は「物語を書く技術」だ。戯曲に限定していない。

演劇に限らない。僕の野心はそういうところにある。

* * *

告知

というわけで、以下のような感じで、全5回くらいの動画&宿題提出に再編集し、第二期戯曲講座をスタートしてみよう。

講座「物語を書く技術」第2期

参加条件:無料、どなたでも
最終目標:箱書きを完成させ、5~10分ほどの短編戯曲を書き上げること。

1.戯曲の構造を分析する 宿題:構造分析
2.旅と対立を理解しよう 宿題:ログラインを書いてみる
3.キャラクターの作り方 宿題:人物表
4.人の登退場こそすべて 宿題:箱書き
5.実用執筆テクニック集 宿題:短い戯曲を書いてみる

※必要に応じて補足やスピンオフの動画やエッセイ・論考など

ちょっと今週いきなりは難しそうなので、来週くらいを目掛けてやろうかなと思います。鉄は熱いうちに打てとも言うしね。

そこで「ぜひ参加したい」「見学したい」、「案内を聞き逃したくない」という方は、こちらのメールグループにご登録ください。僕しか投稿できない設定になっており、かつ他の参加者にお名前や連絡先などが漏れることはないようになっています。今回、完全匿名orペンネームOK、オンラインだけで参加できたことも評判がよかったので、良いところは引き継ぎたいと思います。

講座「物語を書く技術」メールグループ
https://groups.google.com/g/the_art_of_storytelling
ページ表示後「グループへの参加をリクエスト」をクリックし、登録してください。

* * *

人の作品を読むのは本当に楽しかった。また古い友だちや作家仲間も参加してくれていて、技術論に花を咲かせたのも良い時間であった。次はもっと楽しく、もっと深い講座にしたいと思っているので、難しそうだな……と思った人もぜひ参加してみてくださいね。「物語が書ける」って、いいもんですよ。

最終日、参加者らと打ち上げの様子

講座「物語を書く技術」講義資料を配布します

金曜日からスタートする講座「物語を書く技術」で使用するスライドを、一部先に公開します。

講座「物語を書く技術」講義用スライド

「内容についていけるか不安」、「ちょっとでも予習しておきたい」……という方はご覧ください。もちろん当日ドンでも十分ついていける内容です。ただ、個人的に資料を当日に渡すのって嫌いなんですよね。打ち合わせでもなんでも、事前にさらっと目を通しておくだけでぜんぜんパフォーマンスが違うよなーと思うので、事前配布しておきます。ぜんぜんまじめに読まなくていいので、さらっと眺めておいてください。

また前回発表した受講者さんのうち何名か、まだメールグループの登録が済んでない方がいらっしゃいます。必ず当日までにメールグループの登録をお済ませください。ご参加いただけなくなっちゃいます。2名ほど、登録がまだの方がいるようです。

まだくどいようですがコメント・質問にはYouTubeへのチャンネル登録必須となりますので、当日見学などしてみようかなーという方はぜひ登録しておいてください。どうぞよろしくお願いします。

DULL-COLORED POP YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/@dcpop