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12/10(土)、この町にいるということ

午前中から僕はガシガシ返し稽古をしていた。出演のない俳優たちには港のイベントや津波被害の震災遺構を見に行ってもらったりしていた。帰ってきたしんぺーさんや家久来さん、みゆきっちょむに感想を聞いたところ、よく喋る。そりゃそうだ。僕もあの小学校を見た後はしばらく胸がいっぱいだった。浜通りを訪れる人は浪江町にある請戸小学校はぜひ見て行って下さい。

稽古でも「この町にいる」ということで進むことがある。俳優に、「君は今、ここにいます。一昨日行ったあの場所です。わかるよね? 下手側、この方角に森があって、その向こうが中間貯蔵エリア。その右側……そうこの辺の奥に駅があって、さらにその右には浪江町のイオンがあって、さらにその先に柳さんのフルハウス……そうそう、そうです。この位置関係」と簡単に説明できる。それぞれの土地が持つ意味やイメージを共有できる。

稽古は最終場面に差し掛かる。今まで何度も家族を題材にしたものをやってきたがやはり難しい。対家族には二重も三重にも演技をしなければならない。太宰治がこんなことを書いていた。

……肉親と他人、故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子のイエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷の劇場であって、しかも六親眷属全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。

『人間失格』より

最も騙しづらい相手なので、最も精緻な演技が必要になる。

福島県浪江町 太陽の下 ソーラーパネルの海を見下ろしながら

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