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月: 2022年8月

Edinburgh International Festival滞在記4

ちょっと忙しすぎて全然書ききれなかった。帰国してもう10日近く経ってしまったが備忘録も兼ねて書き残しておく。

スコットランド、エディンバラフェスティバル最高でした。可能なら毎年行きたいくらい。以下、滞在中のメモなどから。

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Edinburgh International Festivalは8/5〜28の24日間開催されており、同時開催でfringe festivalがあり、ここではすでに書いた通り3500を超える上演があるらしい。僕は10日近く滞在したが、それでも全く全貌が掴めなかった。こんなことなら8/5〜28の24日間ずっといるんだった!

街全体が「芸術」で遊んでいる、楽しんでいる、お祭りやってる感じで、もちろんアーティストもいるんだけど、それを見に来た観客と、それを食い物にしようという地元の観光業者や宿泊業・飲食店などの野心も渦巻いて、街全体が大変な熱気に渦巻く。そして歴史の街Edinburghは、特にイベントなんかやってなくたって、歩いているだけでも楽しい。毎年来たい。緯度が北海道より高いから避暑地としても優秀なEdinburghだ。

直接流れ込んでくる命の歌、音、声……”The Book of Life”

ルワンダの作家、兼アクティビストの”Kiki Katese”が、全て女性で構成される8人のドラム・パフォーマンス集団を率いて舞台に登り、ルワンダ内戦の後日談とルワンダに伝わる民話の混ざった不思議なお話を繰り広げていく。ルワンダと言えば90年代に民族紛争で大虐殺=ジェノサイドが起こり、100日間で100万人が殺された国だ。ツチ族とフツ族。と言っても長い歴史の中で血は入り混じり、民族の分断が起きたのは西欧国家(ベルギー)による分断政策のためであったらしい。なので「お隣さんがお隣さんを殺す」、というような実に凄惨な内戦であったという。

Kikiは生き残った人々に、手紙を書いてくれと尋ねて回る。しかもそれが、「あなたが殺した人へ向けての手紙」を書いて欲しいと。Kikiの意図は糾弾でも断罪でもない、ただ「あなたのため」にその手紙を書いてくれないか……と尋ねて回ったそうだが、もうちょっと想像を超え過ぎている。とは言え語りの内容はずっと穏やかと言うか、静かだし柔和だ。凄惨な虐殺の様子が語られたり悲痛な懺悔が語られるわけでもない。ルワンダの民話が紹介されたり、Kikiのおじいさんやおばあさんの話が語られたり、客席全員に「あなたのおじいちゃんの似顔絵を描いて」と紙とペンが配られたり……。殺された命の方ではなく、繋がった命の方へ話の力点は置かれている。100万人が殺されたという背景を常に想像しながらではあるが。

その語りの合間に何度かドラムパフォーマンスがある。これが文句なしに素晴らしい。8人の女性が全力で、汗を振りまきながら叩く太鼓のユニゾンの音が会場を揺らす。彼女たちの伸びやかな歌声が鼓膜を震わせる。太鼓の音と合唱の声、生命力そのものが流れ込んでくるようだ。

教訓めいたものは何も語られなかったし、僕も語れない。ただ自分たちのルーツや、生きていること、命の繋がっていくことに思いを馳せる、静かな祈りの時間が最後には訪れていた。

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現代の女性の不条理劇、”Godot is a Woman”

フリンジプログラム。直訳すれば『ゴドーは女だ』。あらすじ?を読むと僕も全然知らなかった歴史的事実が書いてあって、その時点でもう面白い。何でも、『ゴドーを待ちながら』を発表して演劇の歴史をひっくり返し「不条理劇」という一大ジャンルを築いた大作家サミュエル・ベケット。彼は1988年に5人の女性を訴えているらしい。ベケットは、女性が『ゴドーを待ちながら』を上演することに許可を出さず、それを裏切って上演した女性たちを訴えたらしいのだ。そしてベケットは1989年に亡くなっている。

さてどんな『女版ゴドー』に仕上がっているかな……とワクワク開演を待つ。会場は、日本で言えば王子小劇場とか駒場アゴラ劇場とかシアター711とか、まぁそれくらいの小劇場だ。セットも手作り感満載である。開演の暗転板つきだって完全暗転しないから、役者が板付きしてるのが見えている。まぁそんな感じの、「小劇場だなあ」って上演なんだが面白かった。

幕開け早々、誰しもが一度は聞いたことのある電話の保留音楽が延々流れている。3人の浮浪者が、公衆電話のそばで受話器にじっと耳を当てて、延々保留音を聞いている。10分くらいは「保留音を聞いてる男女3人のサイレント・コント」が繰り広げられる。客席はゲラゲラ笑っている。その3人の浮浪者(?)はベケットの死後の著作権管理をしているベケット財団に電話しており(大爆笑)、もう2022年なのでベケットの気も変わったかもしれないから上演許可をくれと交渉しているのだ。

途中、何かミュージカルっぽくなったりキャバレーっぽくなったり、割とずっとふざけながら進んでいくんだがテーマは非常に明快。「どこにも行けない、そしてどこにも行かない」ゴゴとディディを今演じるのに最もふさわしいのは女性ではないか? そして3人のうち1人はノンバイナリー。ゴドーを待ちながらどこにも行けない、そしてどこにも行かない女2人とノンバイナリーという構図、皮肉とユーモアが実に効いていて、客席からは歓声や拍手が何度も上がっていた。

しかしこの劇の白眉はラストである。当然ゴドーは来ないしベケット財団との電話は繋がらない(笑)のだが、ノンバイナリーの俳優が突然「私、行くわ」と宣言して、出て行ってしまう。それを見て、残りの女性俳優二人も「私も行く」「私も」と出て行ってしまう。彼女たちは「どこにも行けない、行かない」ままとどまり続けることをよしとせず、観客を置いて(本当に置いてかれてしまってしばらく何も起きず、ただ暗転した)出て行ってしまう。それは救いの手を待つのではなく、私たちは自分の意思で行動する、この不条理世界から出ていくという宣言だろう。

脚本買ってきた。日本でも誰かやるといいと思う! Amazonでも売っていますな。

チェコとウクライナのサーカス共演、”Boom”

終演後の舞台の様子

これもfringeプログラム。エディンバラ大学の大きな講堂で上演していた。チラシがセンス良かったのでジャケ買い的に見るのを決めたのだが、説明を読むとチェコの振付家とウクライナの振付家が出会い意気投合して始まった企画だという。劇中ではまず7〜8人ほどのチェコ人たちが10分ほどアクロバティックなパフォーマンスを繰り広げた後、舞台上手から同じく7〜8人ほどの全く衣装の異なる人々が登場。フードを被っていたり、大きな模様の入った織物を羽織っていたり。この時点で異文化・異民族との出会いということが表現されていた。面白かった。

と、ここまでは面白かったのだが、その後やたらとハグしたり握手したりという振付表現が連続してちょっと冷めてしまった。民族の違う同士が同じ板の上で踊っているというだけで、融和や対話、相互理解というテーマは描けているのだから、握手やハグは逆にその精神を少し幼稚な形で見せてしまっていたように思う。ただ中盤で「私の国では旅人をパンと塩でもてなす」「私の国も同じように旅人をパンと塩でもてなす」と離れた国なのに同じ風習があることを紹介するくだりや、ラスト10分でなんか突然「うちのリーダーはちょっと年なもんで、あんまりナウくないんだわ」「なので最後の10分は若者たちだけでやりたいことやります」「リーダーもそれがいいって言ってくれてるんで!」みたいなスピーチが入って、突然全然違うダンスが始まった時には笑ってしまった。おおらかで良い。それに20代と思しきダンサーたちが、自分達のやりたい振り付けをやっている様は美しかった。こちらは全く幼稚には見えなかった。

最先端のテクノロジーと古典的手法を組み合わせた完璧な演出、”COPPÉLIA”

スコティッシュ・バレエ団(スコットランド国立バレエ)の新作。今回のフェスティバルでは一昨日観たコンテンポラリー・サーカス『Room』が断トツでトップだろうと思ってたがそれを上回る興奮。

幕が開くと、ただのでっかい白い箱の美術がドンとあって、そこにデジタルな印象を与える文字列などがプロジェクションマッピングされている。人工知能を宿したアンドロイドを作っているラボのような場所らしい。舞台上にGo Proのようなアクションカメラを持ち込んで、プロジェクションマッピング、CG、モーションキャプチャー映像、ライブカメラなどの映像がダンスと絡み合う。めちゃくちゃ計算されたスタッフワークで興奮した。

内容は、ぜんぜんコッペリアじゃねーのにすごいきちんとコッペリアしてる(?)。人工知能が命を宿すということについて、意識とは何か?という問いをダンスを通じて哲学的に描くことに成功していた。そしてバレエと機械がこんなに相性がいいとは思わなかった。自分の身体を完璧にコントロールできるバレリーナ、彼ら彼女らの技術でロボットダンスをやるとこんなとんでもないことになるとは! 足とか手とか異常な角度に曲がる上に、角度や高さの揃え方が神がかっているので思わず圧倒された。昔はバレリーナは重力から自由になり妖精や鳥に变化したものだが、現代では物理法則から自由になり機械やCGにまで化けることができる。モダン・バレエって時々ホントにやべー作品繰り出してくるから見逃せない。

上記の写真を見てもらうとわかるが、映像とダンスを組み合わせて数々のスペクタクルを放っていくのだが、ラストシーンが本当に美しかった。主人公二人スワニルダとフランツが、本当に静かな静かな曲の中で、派手さは全くない、優雅でクラシカルなペアダンスを5分くらい淡々と踊って静かにフェードアウト、暗転、終わり。つまり、散々スペキュタクラーな演出やステージングで盛り上げておきながら、最後は男女二人の静かな会話で締めたのだ。会話と言ってももちろんセリフはないのだが、そこはダンスだから、二人の踊り方を見ていれば二人がしっとり静かに語り合っている声が聞こえてくるようである。人間とは何か? 意識とは何か? そんなことを問い続けたラストシーンが「静かな会話」で終わるというのは、痺れるくらいカッコいい。

DVDとか手に入れて一生部屋で流しときたい。売ってなかったけど。。。エディンバラフェスティバルでは終わっちゃったが、この後グラスゴーとアバディーン、インヴァネスで上演されるらしい。もう一回観たいくらいだ。

https://www.scottishballet.co.uk/event/coppelia#dates-and-times

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エディンバラフェスティバルの規模感を僕は完全にナメていた。10日くらいいたのだが全く見切れた感じがしない。一応International Festivalのメイン演目で期間中に上演されていたものは全て見たのだが、fringeも入れると全くカバーできなかった。全貌すら把握できなかったと言っていいくらい。

だって、こんな感じなんですよ。ちょっとこの写真見てください。

これ全部、今日の上演リストなんですね。この会場(エディンバラ大学)の敷地内のあちこちで上演が同時並行で進んでいて、1日にこれだけの演目が上演されている。

これも某所に掲示されていた上演リスト。このエメラルドシアターとフェーンスタジオはかなり近くにあるんだけど、そこでもこれだけの演目が上演されている。……これだけでも一つの演劇祭として胸を張れるレベルの演目数だと思うが、こういう上演拠点があちこちにあって、じゃんじゃん上演されているわけだ。

毎年40万人の観光客が訪れる。経済効果は日本円に換算すると500億円だとか。日本だと阿波踊りの経済効果が100億円、祇園祭が138億円だそうだ。素晴らしい観光資源だが、歴史は意外と浅く1947年のスタート。……せいぜい75年で文化・伝統って作れてしまうのだな。

Edinburgh International Festival滞在記3

毎日限界ギリギリまで見たり歩いたりしてるので、日本にいるよりよほど疲れます。

シンプルに演劇としてクオリティが高い”Medea”

この不機嫌な、挑発的な視線で我々を眺め下ろしているのがAdura Onashile、今回のメディア役だ。これがもう抜群に上手かった。他の俳優も全員良かったんだが。

ウェブサイトにはこんな風な注意書きが。

Medea will be staged with some of the action taking place amongst a standing audience. If you would prefer not to stand for the duration of the show, there are seating options available in the gallery, which can be booked online.

「このお芝居では、立ち見の客席の間でいくつかのアクションが演じられたりするよ!」と書かれている。ははあ、なるほど、イマーシブシアター的な演出があるのかなと思い、もちろん立ち見席を予約した。

確かに客席登場があったり、客席と舞台上での会話があったり、舞台が大きく張り出していて客席の中に食い込んでいたり……といくつかイマーシブ(没入)的な演出はあったんだけど、それほど重点は置かれていなかった。むしろ、そのように客席との垣根を曖昧にすることで、非常に古典的かつ伝統的なギリシャ悲劇のある特徴を現代に再提示していたように思う。

古典的かつ伝統的なギリシャ悲劇のある特徴とは何か? これですよ。

古代ギリシャの劇場では平土間の舞台と客席との距離が非常に近く、観客席が舞台を取り囲んでいた。今回のメディア上演でも客席がまさに舞台・人物を取り囲んでおり、コロスの嘆きが民衆の声を代弁することで、舞台と観客を一体化させることに成功していた。古代ギリシャの演劇は、全員で共有する儀式・神事・お祭りでもあったのだ。

コロスが実にカッコよかったね。モノトーンの、黒っぽい、しかしカジュアルな服装に身を包んだ年齢も体型もバラバラの10人の女性。全て女性で、時にメディアに同情し、特にメディアを諌め、叱咤し、止めようとして怒る。「私たちはみんな女だ」「ここに処女はいない」「みんなセックスに苦しめられてきた」そんな台詞があってゾッとした。何で今メディアなんだろう?と思っていたが、非常に現代的な、完璧な翻案だった。

クレオン役の俳優がめちゃくちゃ重厚で強い存在感を放っており、ジェイソン役の俳優もユーモアと悲劇をどちらも存分に演じきっており、そして何よりメディアが圧巻であった。怒り、嫉妬、惨めさ、愛、迷い、覚悟、狂気、諦念、実に様々な感情を演じなければならない役だが、くるくる変わる表情とその奥に潜むマグマのような感情が透けて見える。圧倒的に目を引く力、パワー、存在力がある。

カーテンコールですごく久々の体験をした。明かりがついて俳優たちが素に戻り、ニッコリと笑ったとき、「え? 演技だったの?」、そんな感じを受けたのだ。同時に「よかった! これはお芝居だったんだ!」という感情も。……俺も素人じゃないんだから、こんな感想持ったの20年ぶりとかな気がするが、それくらい俳優たちの役への没入がすごかった。

それにこのお芝居は20代で見るより40代で見る方がわかるのだろう。20代なんてまだ子供だ。子供を殺すことの意味はまだわからない。僕も子供を持ってみて、子供を殺すことや子供を殺されることがリアルに想像できた。それで余計に感情移入してしまった。逆立ちしたってそんなことできない。メディアを突き動かした精神はいかほどのものだったか。

会場出口にて。”75 years of bringing world cultures together”、「世界中の文化を繋げて75年!」と書かれているが、よく見ると日本の国旗も入ってるじゃないか。嬉しい。

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お芝居じゃないんだけど、”Scotch Whisky Experience”

これは正確にはお芝居でもないしエディンバラフェスでもフリンジフェスでもない。街中にある観光客向けのアトラクションみたいなもので、館内を旅しながらスコッチ・ウィスキーの歴史、作り方、地方ごとの味の違いなんかを学べる。もちろん最後にはテイスティングできる。僕はゴールドコースを選んだので5種類もテイスティングさせてもらった。スコッチウィスキーと一口に言うが、ローランド、ハイランド、スペイサイド、キャンベルタウン、アイラと5つの地方があって全然味が違うんだ!

以前から趣味が欲しい趣味が欲しいと言っていたが、ウイスキー、これは趣味になりそうだ。早速本を買ってしまった。

こういうのを天才って言うんだろう、”Room”

公式ウェブサイトを見てもどういう作品なのかよくわからないのよ。ジェームス・ティエレという振付家?がとにかく新しいショーをやる。「ライブ音楽・ダンス・パントマイムとCuriosities(好奇心・不思議・へんてこ)」の混ぜこぜになった「ジャンル分け不可能、幻覚的スペクタクル体験!」とか書いてあって、よくわからん。トレイラー映像とかを見る限りでは、タンツシアター系のコンテンポラリーダンスか何かだろうって感じ。そういうの大好きなので観に行ったんだが。

公式サイトのバナー。こいつがジェームス・ティエレ。
キングス・シアターってとこでやってたよ

「ジャンル分け不可能の幻覚的スペクタクル!」なんてただの煽り文句だと思っていたが、マジだった。小ンテンポラリーダンスと呼ぶには音楽要素が大きすぎるし、演劇と呼ぶには言葉の比重が少なすぎる。パントマイムみたいなシーンもあるし、バンド生演奏で5分くらいずっとショーをやってる時間もあった。メンバー紹介もあった笑。でも、音楽はあくまでピースの一つであり、全体としては……饗宴とか狂騒とか、そんな言葉が浮かんでくる過激なパフォーマンス。

撮影OKだったので撮ってきたんだが、開演前、最初は廃墟のような舞台。打ち捨てられた美術館のようにも見えるし、廃棄された百貨店のようにも見える。そこに銀髪の男が現れて、一人残らずキマった目をしたゴシックホラーみたいな人物たちと大騒動を繰り広げていく。

最初はダンスのように見えてるんだけど、途中からコメディ、コントのようになったり、気がつくとずっと演奏していたり。すごくスタイリッシュな演出なので小ンテンポラリーダンスのように見えているんだが、気がつくとモンティ・パイソンみたいになってる。話の通じない、頭のおかしいお客や執事と噛み合わない話をずっとしていたり。めちゃくちゃな服を着た人たちが一心不乱に謎の儀式をずっとやってたりして、寺山修司を想起したり。ロックコンサートみたいにもなる。

後で知ったんだがこのジェームス・ティエレという男、何とチャップリンの孫だという(笑)。4歳の頃からサーカスに参加し旅回り、ツアー公演に出演し続けていた。なるほど、サーカス! サーカスと言われると非常に腑に落ちる。視覚的に強烈な演出。高さを使った動き。言葉よりむしろ身体で語る技芸。

悪夢のような恐ろしい風景になる瞬間もあるんだが、基本的にずっとみんな笑いながら見ていて楽しい。話の通じない執事はヴィオラ奏者を雇うための面接を設定し、そのヴィオラ奏者は演奏しながらじゃないと喋れないので話が進まない。絶対に繋がらない電話が何度もかかってくる。チェロ奏者は「職業はドラマーです」と言い、ベースギターを弾いたりする。訳がわからないがずっと楽しい。あと、無茶が過ぎる。5mくらいありそうなパネルをじゃんじゃん動かす。猛ダッシュでジャンプして床に転がる。まぁそれくらいは良いとして、ハーネス(安全帯)なしで3〜4mくらいの宙乗りをやったりする。48歳のティエレが右手でロープを握ってるだけの状態で大ジャンプをし、舞台上をぐるぐる旋回する様を見ながら僕は文字通り「あんぐり空いた口が塞がらなかった」。日本だと絶対に認可が降りない演出だ。危ないよ、すごく危ない! ラストシーンでは8m四方はありそうな巨大な正方形のパネルを宙吊りにして天井でぐるぐる回し、下ろしてきて「部屋 Room」を完成させていた。これもすごく危ない!

これは終演後の風景です。

ずっと面白かったんだけど「まだやるのかよ」ってくらい長くて、ちょうど2時間あった。会話劇なら2時間なんて普通だが、ほとんど台詞なし、身体だけのパフォーマンスで2時間を見せるってのは果てしなく長い。普通の公演だったら3本くらいは作れそうなアイディアとビジョンが詰まっていた。やりたいことがあり過ぎて大変なんだろう、この人は。こういうのを天才って言うんだろうな。本当に面白かった。

その他

ハギス美味しかったよ? IRN BRUも美味しかったけど?(どちらも不味いことで有名)

僕の下はよっぽどおめでたくできてるのかもしれないが、まぁそれでいい。なんでも美味しく食べられた方がいいよね。

でも20年前にイギリスにいた頃に比べると、明らかに食事は上手くなってる気がする。20年前は「まともな飯を食べたいと思ったら中華料理かインド料理を食べろ」と言われていた。そして実際、どんな街にも中華料理とインド料理のお店はあるので、ひよった旅行者はイギリスに来てるのになぜかずっと中華料理を食べているなんてことがあった。レストランより冷凍食品の方がマシだとか。全然変わったよね。何食べても美味い。

ちなみにイギリスの料理がまずいと言われているのは産業革命と関係があるそうです。調べると面白いので興味のある人はぜひどうぞ。

Edinburgh International Festival滞在記2

自分だけの劇場”Dreamachine: High Sensory”

Edinburgh International Festivalの演目の一つ、”Dreamachine: High Sensory”というのを観た。観た? 俺は、観たんだろうか、この演目を? 客席全体で一つのイメージを共有するのが演劇だとするならば、これはむしろ最も演劇的でないものだ。

そう、これは演劇ではない。開演時刻になると手荷物と靴をロッカーに仕舞われて、観客は一枚のブランケットを手渡される。そして上の写真にあるようなソファのある部屋に通されて、横になり、目を瞑る。そして、ずっと閉じている。何も見ない。

そして場内には非常にアンビエントな、しかし低音の効いた音楽が流れ始める。さらに照明が激しく明滅し出す。もちろん私たちは目を閉じているので何も見えない。しかし瞼越しに照明の明滅は感じられる。そしてずっと瞼の裏=暗黒を見ていると……「何か」が見え始める。瞼の裏に、幾何学模様や図形の繰り返し、パターンが見えてくる。人によっては直線だったりカーブしていたり、大きさや色もまちまち、珍しいケースでは風景や人物が見えたり、寂しいとか怒りとか、何か感情的なものが湧きがってくる人もいるらしい。それは人によって全く違う。

そうこれは一人一人が別々のイメージを観る体験型のアートなのだ。同じ光と音の入力があってもそれぞれ違うイメージが見えてくる。それはどうやら我々の脳が紡ぎ出しているものらしい。

驚愕の一人芝居”One-man Lord of the Rings”

“One-Man LotR”(LotRとはLord of the Ringsの頭文字をとったもの)。一人芝居ロードオブザリング。こちらはフリンジフェスティバルのプログラム。3時間×3部作の大作映画を一人芝居で1時間で演じるという触れ込みで、ポスター見ただけで爆笑してしまった。僕は原作の小説9巻全て読破したのはもちろん、ホビットの冒険やシルマリルの物語はもちろん農夫ジャイルズの冒険とかニグルの木の葉まで読んでいるトールキニアンだ。観に行かないわけには行かない。

原作映画は計9時間もあるわけだから、どうせ適当に端折って「無理に決まってるだろ!」と落とすんだろう……と思って観に行ったら本当に全編やってた笑。音響・音楽の類は一切使わず、BGMから効果音まで全て口立て。「♩タ〜ララ〜タラ〜、ドヒュン! Uahhhaaaa! Gundulf!!」「Hey Frodo, you shall not…」みたいな感じで、こう書くと安っぽいがボイスパーカッションでもやってたんじゃないかってくらい音が綺麗で表現力豊か、かつ身体能力がめちゃくちゃ高く、惑星ピスタチオのパワーマイムを彷彿とさせる無理矢理なジェスチャーで全て表現してくるもんだから、かなり忠実に原作映画の場面が浮かんでくる。ご丁寧に「ここでDVDを入れ替えます」とか「今の若い子はDVDって知らないよね? 昔は……」とか小ネタも交じえつつ。個人的には第一部でサルマンがガンダルフをぐるぐる回すシーンを再現してたところが、笑えたし、もはや感動した。演劇ってなんでもできるんだ。

会場は終始爆笑の渦であった。欧米のお客さんは、どうしてこんなに劇場で笑うのが上手いんだろう? 人生を楽しむのが上手だ。

3つの言語”Counting and Cracking”

19人の俳優により、3つの言語を使い分けて演じられる、長い長い移民の物語。”Counting and Cracking”。2つの言語が使われていたスリランカからオーストラリアへ移住した家族をめぐる、50年近い別れと再会の歴史を描く。

シンハラ語とタミル語と、かなり訛った英語で喋られる。もちろん僕はシンハラ語もタミル語もさっぱりわからないし、英語も訛りがきつくて何を言ってるのかわからんシーンが大半だったが、演出が見事でずっと観ていられた。照明変化がほとんどない、地明かりがずっとついてるだけって感じなのだが、観客の見てとる力を信じているのか、最小限の小道具だけで状況を伝えていた。また大きなブルーシートに水と石鹸?を撒いてその上を全力で滑る!など、時折「それ必要?」ってくらいダイナミックな演出があってそれも面白かったな。

シンハラ語とタミル語が喋られる時は、字幕が出たりするのではなくて、シンハラ語のすぐ後で英語が喋られる。例えばこんな感じ。役を演じている俳優1のやや離れたところに俳優2が座っていて、すかさず英語に訳して話すのだ。

俳優1「අනේ රෝමියෝ ඇයි ඔයා රෝමියෝ?」
俳優2「Oh Romeo, why are you romeo?」

すげーな、こんなやり方あるのか!と目を剥いた。もちろん技術的には字幕を出すのも可能だったんだろう。しかしこの劇では「3つの言語がある」ということ自体が劇の重要なテーマになっている。同じ家族でありながら別々の言語を話す。そして1つの国家に2つの言語がある。劇中の台詞では、2つの言語があるから1つの国でいられる、言語を1つにしたら国が2つに分かれてしまう……なんていうものもあった。その背景はちょっと僕には読み取りきれなかったけど、そういう複数の言語があること自体が問題の劇であり、劇中の人物たちもお互いの言葉がわからないのだから、全てを英語でやったり、あるいはシンハラ語だけ全て字幕を出したりしてはならないのだ。

その他(ビールなど)

わかるかい? これ。劇場の客席でもビールが飲める!
これ、普通の劇場です。野外劇場とか特設劇場じゃなくて。
この賑わいと多幸感が少しでも伝わるだろうか?

Edinburgh International Festival滞在記

朝の7時だ、とはいえこんなに人のいない成田空港というものを僕は見たことがない。出発便の情報を並べた電光表示パネルの情報も閑散としていて、便自体が減っているのがわかる。コロナの打撃で航空業界はめちゃくちゃらしい。エディンバラ行きの航空券を取ろうとしたらエコノミーなのに100万とか出てきて目玉が飛び出そうになった。格安航空券でググり直しても50〜60万円くらいする。

その後Kiwi.comという悪評高いチェコの格安航空券サイト(ご利用はおすすめしません)でだいぶ安いものを見つけたが、まったく。東京→シンガポール→ドイツ・ミュンヘン→ドイツ・デュッセルドルフ→ロンドンという乗り継ぎ4回、22時間かかった。トランジットの時間は入れないで。しかも到着地はエディバラではなくロンドンだ。

デュッセルドルフで悪魔のような航空職員と出会い、トランジットを乗り逃して航空券を取り直し、5万円くらい損をした。

おれ「通れない? ここに、この通り、eチケットがあるんだけど」
係員「私には読めません」
おれ「あー、ほらここ、予約番号がこれで、飛行機の便名がこれで」
係員「ソーリー、私には読めません」
おれ「じゃあ英語で表示すればいい? タブレットで確か……」
係員「ブリティッシュエアウェイズのウェブサイトから、オンラインチェックインで」
おれ「うん、それができないんだ、なぜか。ほら、こんな表示になってしまって」
係員「私にできることは何もありません」
おれ「ここでは対応できない? もう搭乗開始してるのに?」
係員「私にできることは何もありません」
おれ「じゃあ、せめて、どうしたらいいか教えてくれません?」
係員「ブリティッシュエアウェイズに問い合わせて」
おれ「窓口はどこ?」
係員「わからない。私にできることは何もありません」
おれ「じゃあ、誰に聞いたらいいかを教えてくれない?」
係員「ソーリー。私にできることは何もありません」

せっかくロンドンへつい他ので久々にグローブ座 Shakespeare’s Globe で芝居を一本観た。『テンペスト』がちょうど初日でワーイと大喜び。見ての通り会場は満席、誰一人マスクもつけておらず、客席でビールやスナックを飲み食いしながらゲラゲラ談笑している。日本の空気に慣れてる身としては、さすがに一瞬背筋がゾッとしてずっとマスクをつけていた、でもこれが本来の劇場の姿なんだよな。今、東京でやってる演劇は、演劇に似た何か、ちょっと違うものだ。

素晴らしい演出、最高のテンペスト! 写真中央ちょい右に少しだけ写っているのが見えるだろうか? プロスペロー、この劇の主人公は、今回の演出では小汚いホームレス風の格好、青いボロボロのベンチコートを着てバーベキューセットで何か焼いて食い始めた。手にはこれもボロボロの本。本? 新聞の折込チラシをスクラップで集めたようなヘンテコなファイルみたいなので、水をかぶってヨレヨレになっちゃったのかな、妙に膨らんでいる。海辺や川辺に本当にいそうな怪しいホームレスのプロスペロー。

一方、彼を取り巻く人々はむしろ普通。娘のミランダも派手な水着は着てるが小汚くはないし、妖精・魔物・怪物であるはずのエアリエルやキャリバんなんかはむしろ小綺麗でカジュアルな出立ち。難破した船に乗ってた王や臣下はみんなパリッとしたスーツで、プロスペローだけが異質であることがよくわかる。そして彼は終始異様にテンションが高い。ベンチコートを脱いで海パン一枚になって舞台上をワーワー走り回り、魔法のいたずらを次々仕掛けていく。

会場はずっと笑っていた。セリフでも笑いをとっていたし、セリフが古びて難しいところでは動きで笑いをとっていた。あと上空を飛行機が通り過ぎるたびに、音の鳴る方角に向かって「ウワーッ」「ヤメロー!」と叫んでウケをとってたが、10回くらいやってたのでさすがにしつこかったな。

そんなハートウォーミングなテンペスト、ラストは異常に「さびしい」終わり方だった。魔法の衣=ベンチコートを脱いだプロスペローはスーツに身を包み、ぼそぼそと「これでおしまい」「魔法は解けた」と言って客席へ降り、観客の合間を縫って歩き去って行った。「私たちは夢と同じものでできている」というセリフはラストに持ってこられていた。演劇という楽しい魔法、夢が終わって、カチッとしたスーツに包んでロンドンの街へ消えていく。日常へ戻っていくスーツ姿のプロスペロー。こういうラストもありなのか! 目を開かされた思い。

(あとさ、「客席の合間を縫って歩く」、これだけで感動できるんだよね。東京では絶対にできない。2mの距離を取らないといけないから!)

スコットランドの首都、エディンバラ、石造りの建物がずらり、歴史を感じさせるシックで重厚な街の風景。そのあちこちに大道芸人、歌手、ミュージシャン、パフォーマー、ピエロ、スタチューが居並び、街をあげてお祭りをやっている。公式サイトで検索したら3500以上の出し物をやっているらしいよ。どういう数だ、3500って。

バス通りからお城のある小高い丘へ上がっていく途中、壁中びっしり芝居のポスターが貼ってある。会話劇、スタンドアップコメディ、ミュージカル、マジックショー、サーカス、etc……。到底チェックしきれない量だ。とりあえず初日は有名な観光名所を回りつつ大道芸をつまみ食いするように見て行った。日本人のパフォーマーも2組ほど見かけた。

こちらでは投げ銭まで電子マネー化されていて、QRコードを読み取ると好きな額が寄付できる。お店でもクレジットカードやスマホ決済が使えない店はないし、現金不可の店も多い。もちろんお芝居のチケットもすべて事前決済、QRコードによるeチケット。日本でも導入が進むといいんだけど。

空き時間にFringeプログラムの “The Burlesque Show” を見た。北村紗衣さんの本『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』を読んで以来バーレスクにはずっと関心がある。以前アメリカで少し見たが、さぁスコットランド・エディンバラのバーレスクはいかがなものか……と会場へ向かったものの、まず劇場が見当たらない。そもそもこんな閑静な住宅街(石造り4階建の歴史的な建物がずらっと並んでいる)の真ん中にバーレスクをやってるような劇場があるというのが信じられないが。住所まで行っても看板一つ出ておらず、歯のないショートカットの初老の女性がテンションの高い小太りの金髪女性と談笑している。……なるほど。

ここだ。と思い、扉をくぐると案の定小さなカウンターがあって、ハローご予約ありますか?と若い男性が話しかけてきた。早速予約を済ませ、開演までの時間を近くのパブでビール飲んで潰した。こんな住宅街でああいうヤバそうな見た目の人たちが談笑している以上、ここは劇場だと考える方が合点がいく。

そして見た本番は。うまく言えない。30名も入ればいっぱいになるような小劇場でバーレスクファンたちが集まり、ヒュー!とかオーッ!という歓声に包まれながらショーは進んだ。想像通り、出演者は劇場の前でたむろしていた歯のないショートカットの老女とテンションの高い小太りの金髪女性。お世辞にも美人とは言えない、二人ともすごくお腹がたるんでおり、歯のない女性の方は歳のころも60代と思しき感じで、性的に惹起される要素は全くないものの、二人が代わる代わる恍惚とした表情や実に楽しそうな表情で踊り、脱ぎ、自分の体を誇示していく様はパワフルだった。「この体は私のものだ」「私はこれを使ってお前らを楽しませてやる」、なんかそんな矜持を感じた。

そして夜はいよいよ本命中の本命、Military Tattooへ。エディンバラ城の入り口に1万人は入りそうな特設スタジアムが組み立てられ、そこに次々と軍人さんたちが現れて行進やパレード、パフォーマンスをしていく……というものなのだが、規模が大きすぎてちょっと説明がつかない。サッカー場くらいの広さのあるアリーナを、軍人さんたちが一糸乱れぬ行進で進んでいくだけでも圧巻なのだが、当然さまざまな演出が加わっている。ブラスバンドやバグパイプの生演奏はもちろんのこと、DJがいたり、マイクパフォーマンスの兄ちゃんが出てきて大暴れしたり、メキシコの衣装を着た一群がスカートの裾をはためかせて踊り狂ったり。

当然、照明効果やプロジェクションマッピングなんかも取り入れられて、ビジュアル的にも美しい。

全く違う音楽や衣装の一群が次々と現れ、新たなパフォーマンスをめくるめく繰り広げていく。ほとんど時間を忘れるようにしてそれを見ていると、芸術の本来の効用の一つ、Entertaining、楽しませるということ、つらい現実を忘れて別の世界に移入・没入するということを実感する。僕のとった席は値段でいうと中くらい、1万6000円くらいの席だったが、まぁ高いじゃないですか。一番安い席でも50ポンド、6000円とか7000円とかしたと思う。高い席だと5万円とか。そんな額を払って、こうして1万人も集まって、こんなイベントが2週間近くやっている。おそらくパートのおばちゃんも八百屋のおっさんも来ているはずだ。芸術がなければ、楽しさがなければ、人は生きていけないんだろう。

そして民族音楽、EDM、ロック、ポップス、外国の音楽、ラップ、合唱……そんな音楽を聴きながら、次々いろんな衣装の人々が飛び出してくるのを見てると、それだけで何か泣けてくる。音楽が違う、衣装が違うということは、民族と文化が違うということだ。百花繚乱する多様性を見ていると、それだけでグッとくるものがある。

帰り道。見ての通りマスクしてるのは俺だけだが、この人だかり。

福島滞在記録

また福島に来ております。今年の暮れから来年末にかけて仕掛けようとしているビッグプロジェクトの準備のため、最近では足繁く福島に通っています。まずは現地を知ること。状況を理解すること。私は当然、東京に住んでいる者の中では福島事情に詳しい者ですが、現地に住んでいる人からすると情報量の落差が激しい。何も知らない稚児に等しい。こうやって足繁く通うことでしか補完できないだろう。

ビッグプロジェクトって何か? それはいずれ発表しますんで、お待ち下さい。今日撮ってきた写真など紹介します。

メインは何といってもこれ。「TOKIO-BA」。元々ジャニーズのアイドルグループTOKIOが鉄腕DASH !という番組でDASH村という企画をやっていたことを知っている人はたくさんいるでしょう。実はあのDASH村、福島県内にあったんですよ。しかし原発事故の影響で立ち入りができなくなってしまった。TOKIOの面々はそのことをすごく真剣に考えてくれていて、CMに出たりイベントで話したりなどと福島の復興にものすごく協力してくれていた。

僕が取材先で福島県民と話していても、本当に地元の人々からの信頼・共感が熱いことがよくわかる。彼らはこの福島との関係を、もうほとんど、完全に、ビジネスとして捉えていない。もっと情緒的な、どうにかしないといけない、何か手助けできることがあるのならやりたい……そういう意図でやっているように見える。なので、県下の人間誰に聞いても驚くほどTOKIOのイメージと印象は良い。福島県民にとってTOKIOはアイドル(偶像)ではない。ほとんど同県民のような印象にさえなっている。そう感じる。それはTOKIOの裏表のない、真剣な活動が人を説得した証だ。

そんなTOKIOは去年、東京ドーム2杯分という広大な土地を突然購入し、「特に使い道は決めてないんだけどさ」なんて言いつつSNSを立ち上げて、さぁこの空白から何を始動しよう!という超絶面白いプログラムを始動している。その名も「TOKIO-BA」。TOKIOの場所、ということ以外は何の定義も意味もない。ここで彼らが何かをやる。その何かは、専用のSNSアプリを通じてみんなと一緒に決めている。僕もアプリ会員だが、本当に頭の下がる、そしてワクワクする活動をなさっている。

こんなんです。TOKIO-BA。基本的にはだだっ広い芝生とエリアがあるだけ。物販ブースがあったり、様々な看板とかメッセージがあったりと面白いので1時間2時間は平気で潰せると思う。

そもそも入場無料なのです。それはTOKIOが福島を金儲けに使おうとしていないということの裏書であり、非常にかっこいい、共感できるのだが、私としてはむしろTOKIOに福島できちんと設けて欲しいとも思う。あなたたちが福島を気にかけてくれるおかげで生まれている経済効果は数十億、いや数百億にも及ぶかもしれない。TOKIOがずっと福島で楽しくワクワクし続けてくれるということは、福島県民にとってとても重要なことなのだ。元々何の産業もなかったような地域なのである。TOKIOさんが無料で来てくれるというのは、すごく嬉しい。

今はこうなってますでしょう。今は。これがさ、来年や再来年には見れなくなっているし、全く風景画様変わりしていますよ。福島の1年は東京の10に匹敵するくらい景色が変わるので。ああ、ほんと、ぜひ見に来てほしい! 招待しますぜ!

わからんだろう。わからんだろうな? これは東京人にとっては何でもない海鮮丼に見えるだろう。違うのだよ。これは浪江町の居酒屋で食べた海鮮丼なのだ。

僕が5年前に訪れた時点では、街は瓦礫だらけだった。放射能汚染の問題があったので、震災から5年が経っても瓦礫の撤去さえできなかったのだ。

しかしそれからさらに5年が流れ、今では海産物を食べられる。凄まじい進歩であり復興だ。元々浪江町とは漁港の街である。そこでこうして海鮮丼が食べられるというのは、わかるか? わからないかもしれないな? でも言うよ。本当にすごいことなんだ。

夕方ブックカフェフルハウスのマネージャーさんとお話しさせて頂いた後、夜は南相馬市にあるデザイン事務所で奇跡の再会。福島三部作のメインビジュアルを全て受けてくれたリカちゃんと、彼女が新たに創設したアート拠点を背景にいろんなお話をした。楽しかったな! 僕らはこれから、福島をアートで盛り上げていきます。私も演劇の人なりに、やれることをじゃんじゃんやっていきます。協力してくれるという人がいたら、ぜひ力を貸して下さい。

書きたいことがまだたくさんある! でも今日はもう寝ます。