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Edinburgh International Festival滞在記2

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自分だけの劇場”Dreamachine: High Sensory”

Edinburgh International Festivalの演目の一つ、”Dreamachine: High Sensory”というのを観た。観た? 俺は、観たんだろうか、この演目を? 客席全体で一つのイメージを共有するのが演劇だとするならば、これはむしろ最も演劇的でないものだ。

そう、これは演劇ではない。開演時刻になると手荷物と靴をロッカーに仕舞われて、観客は一枚のブランケットを手渡される。そして上の写真にあるようなソファのある部屋に通されて、横になり、目を瞑る。そして、ずっと閉じている。何も見ない。

そして場内には非常にアンビエントな、しかし低音の効いた音楽が流れ始める。さらに照明が激しく明滅し出す。もちろん私たちは目を閉じているので何も見えない。しかし瞼越しに照明の明滅は感じられる。そしてずっと瞼の裏=暗黒を見ていると……「何か」が見え始める。瞼の裏に、幾何学模様や図形の繰り返し、パターンが見えてくる。人によっては直線だったりカーブしていたり、大きさや色もまちまち、珍しいケースでは風景や人物が見えたり、寂しいとか怒りとか、何か感情的なものが湧きがってくる人もいるらしい。それは人によって全く違う。

そうこれは一人一人が別々のイメージを観る体験型のアートなのだ。同じ光と音の入力があってもそれぞれ違うイメージが見えてくる。それはどうやら我々の脳が紡ぎ出しているものらしい。

驚愕の一人芝居”One-man Lord of the Rings”

“One-Man LotR”(LotRとはLord of the Ringsの頭文字をとったもの)。一人芝居ロードオブザリング。こちらはフリンジフェスティバルのプログラム。3時間×3部作の大作映画を一人芝居で1時間で演じるという触れ込みで、ポスター見ただけで爆笑してしまった。僕は原作の小説9巻全て読破したのはもちろん、ホビットの冒険やシルマリルの物語はもちろん農夫ジャイルズの冒険とかニグルの木の葉まで読んでいるトールキニアンだ。観に行かないわけには行かない。

原作映画は計9時間もあるわけだから、どうせ適当に端折って「無理に決まってるだろ!」と落とすんだろう……と思って観に行ったら本当に全編やってた笑。音響・音楽の類は一切使わず、BGMから効果音まで全て口立て。「♩タ〜ララ〜タラ〜、ドヒュン! Uahhhaaaa! Gundulf!!」「Hey Frodo, you shall not…」みたいな感じで、こう書くと安っぽいがボイスパーカッションでもやってたんじゃないかってくらい音が綺麗で表現力豊か、かつ身体能力がめちゃくちゃ高く、惑星ピスタチオのパワーマイムを彷彿とさせる無理矢理なジェスチャーで全て表現してくるもんだから、かなり忠実に原作映画の場面が浮かんでくる。ご丁寧に「ここでDVDを入れ替えます」とか「今の若い子はDVDって知らないよね? 昔は……」とか小ネタも交じえつつ。個人的には第一部でサルマンがガンダルフをぐるぐる回すシーンを再現してたところが、笑えたし、もはや感動した。演劇ってなんでもできるんだ。

会場は終始爆笑の渦であった。欧米のお客さんは、どうしてこんなに劇場で笑うのが上手いんだろう? 人生を楽しむのが上手だ。

3つの言語”Counting and Cracking”

19人の俳優により、3つの言語を使い分けて演じられる、長い長い移民の物語。”Counting and Cracking”。2つの言語が使われていたスリランカからオーストラリアへ移住した家族をめぐる、50年近い別れと再会の歴史を描く。

シンハラ語とタミル語と、かなり訛った英語で喋られる。もちろん僕はシンハラ語もタミル語もさっぱりわからないし、英語も訛りがきつくて何を言ってるのかわからんシーンが大半だったが、演出が見事でずっと観ていられた。照明変化がほとんどない、地明かりがずっとついてるだけって感じなのだが、観客の見てとる力を信じているのか、最小限の小道具だけで状況を伝えていた。また大きなブルーシートに水と石鹸?を撒いてその上を全力で滑る!など、時折「それ必要?」ってくらいダイナミックな演出があってそれも面白かったな。

シンハラ語とタミル語が喋られる時は、字幕が出たりするのではなくて、シンハラ語のすぐ後で英語が喋られる。例えばこんな感じ。役を演じている俳優1のやや離れたところに俳優2が座っていて、すかさず英語に訳して話すのだ。

俳優1「අනේ රෝමියෝ ඇයි ඔයා රෝමියෝ?」
俳優2「Oh Romeo, why are you romeo?」

すげーな、こんなやり方あるのか!と目を剥いた。もちろん技術的には字幕を出すのも可能だったんだろう。しかしこの劇では「3つの言語がある」ということ自体が劇の重要なテーマになっている。同じ家族でありながら別々の言語を話す。そして1つの国家に2つの言語がある。劇中の台詞では、2つの言語があるから1つの国でいられる、言語を1つにしたら国が2つに分かれてしまう……なんていうものもあった。その背景はちょっと僕には読み取りきれなかったけど、そういう複数の言語があること自体が問題の劇であり、劇中の人物たちもお互いの言葉がわからないのだから、全てを英語でやったり、あるいはシンハラ語だけ全て字幕を出したりしてはならないのだ。

その他(ビールなど)

わかるかい? これ。劇場の客席でもビールが飲める!
これ、普通の劇場です。野外劇場とか特設劇場じゃなくて。
この賑わいと多幸感が少しでも伝わるだろうか?

2 Comments

  1. あつや あつや

    次は僕も行きます。行かせてください。

    • 谷賢一 谷賢一

      マジで何か出品したいね。やらせて下さい!

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