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Edinburgh International Festival滞在記4

ちょっと忙しすぎて全然書ききれなかった。帰国してもう10日近く経ってしまったが備忘録も兼ねて書き残しておく。

スコットランド、エディンバラフェスティバル最高でした。可能なら毎年行きたいくらい。以下、滞在中のメモなどから。

* * *

Edinburgh International Festivalは8/5〜28の24日間開催されており、同時開催でfringe festivalがあり、ここではすでに書いた通り3500を超える上演があるらしい。僕は10日近く滞在したが、それでも全く全貌が掴めなかった。こんなことなら8/5〜28の24日間ずっといるんだった!

街全体が「芸術」で遊んでいる、楽しんでいる、お祭りやってる感じで、もちろんアーティストもいるんだけど、それを見に来た観客と、それを食い物にしようという地元の観光業者や宿泊業・飲食店などの野心も渦巻いて、街全体が大変な熱気に渦巻く。そして歴史の街Edinburghは、特にイベントなんかやってなくたって、歩いているだけでも楽しい。毎年来たい。緯度が北海道より高いから避暑地としても優秀なEdinburghだ。

Contents

直接流れ込んでくる命の歌、音、声……”The Book of Life”

ルワンダの作家、兼アクティビストの”Kiki Katese”が、全て女性で構成される8人のドラム・パフォーマンス集団を率いて舞台に登り、ルワンダ内戦の後日談とルワンダに伝わる民話の混ざった不思議なお話を繰り広げていく。ルワンダと言えば90年代に民族紛争で大虐殺=ジェノサイドが起こり、100日間で100万人が殺された国だ。ツチ族とフツ族。と言っても長い歴史の中で血は入り混じり、民族の分断が起きたのは西欧国家(ベルギー)による分断政策のためであったらしい。なので「お隣さんがお隣さんを殺す」、というような実に凄惨な内戦であったという。

Kikiは生き残った人々に、手紙を書いてくれと尋ねて回る。しかもそれが、「あなたが殺した人へ向けての手紙」を書いて欲しいと。Kikiの意図は糾弾でも断罪でもない、ただ「あなたのため」にその手紙を書いてくれないか……と尋ねて回ったそうだが、もうちょっと想像を超え過ぎている。とは言え語りの内容はずっと穏やかと言うか、静かだし柔和だ。凄惨な虐殺の様子が語られたり悲痛な懺悔が語られるわけでもない。ルワンダの民話が紹介されたり、Kikiのおじいさんやおばあさんの話が語られたり、客席全員に「あなたのおじいちゃんの似顔絵を描いて」と紙とペンが配られたり……。殺された命の方ではなく、繋がった命の方へ話の力点は置かれている。100万人が殺されたという背景を常に想像しながらではあるが。

その語りの合間に何度かドラムパフォーマンスがある。これが文句なしに素晴らしい。8人の女性が全力で、汗を振りまきながら叩く太鼓のユニゾンの音が会場を揺らす。彼女たちの伸びやかな歌声が鼓膜を震わせる。太鼓の音と合唱の声、生命力そのものが流れ込んでくるようだ。

教訓めいたものは何も語られなかったし、僕も語れない。ただ自分たちのルーツや、生きていること、命の繋がっていくことに思いを馳せる、静かな祈りの時間が最後には訪れていた。

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現代の女性の不条理劇、”Godot is a Woman”

フリンジプログラム。直訳すれば『ゴドーは女だ』。あらすじ?を読むと僕も全然知らなかった歴史的事実が書いてあって、その時点でもう面白い。何でも、『ゴドーを待ちながら』を発表して演劇の歴史をひっくり返し「不条理劇」という一大ジャンルを築いた大作家サミュエル・ベケット。彼は1988年に5人の女性を訴えているらしい。ベケットは、女性が『ゴドーを待ちながら』を上演することに許可を出さず、それを裏切って上演した女性たちを訴えたらしいのだ。そしてベケットは1989年に亡くなっている。

さてどんな『女版ゴドー』に仕上がっているかな……とワクワク開演を待つ。会場は、日本で言えば王子小劇場とか駒場アゴラ劇場とかシアター711とか、まぁそれくらいの小劇場だ。セットも手作り感満載である。開演の暗転板つきだって完全暗転しないから、役者が板付きしてるのが見えている。まぁそんな感じの、「小劇場だなあ」って上演なんだが面白かった。

幕開け早々、誰しもが一度は聞いたことのある電話の保留音楽が延々流れている。3人の浮浪者が、公衆電話のそばで受話器にじっと耳を当てて、延々保留音を聞いている。10分くらいは「保留音を聞いてる男女3人のサイレント・コント」が繰り広げられる。客席はゲラゲラ笑っている。その3人の浮浪者(?)はベケットの死後の著作権管理をしているベケット財団に電話しており(大爆笑)、もう2022年なのでベケットの気も変わったかもしれないから上演許可をくれと交渉しているのだ。

途中、何かミュージカルっぽくなったりキャバレーっぽくなったり、割とずっとふざけながら進んでいくんだがテーマは非常に明快。「どこにも行けない、そしてどこにも行かない」ゴゴとディディを今演じるのに最もふさわしいのは女性ではないか? そして3人のうち1人はノンバイナリー。ゴドーを待ちながらどこにも行けない、そしてどこにも行かない女2人とノンバイナリーという構図、皮肉とユーモアが実に効いていて、客席からは歓声や拍手が何度も上がっていた。

しかしこの劇の白眉はラストである。当然ゴドーは来ないしベケット財団との電話は繋がらない(笑)のだが、ノンバイナリーの俳優が突然「私、行くわ」と宣言して、出て行ってしまう。それを見て、残りの女性俳優二人も「私も行く」「私も」と出て行ってしまう。彼女たちは「どこにも行けない、行かない」ままとどまり続けることをよしとせず、観客を置いて(本当に置いてかれてしまってしばらく何も起きず、ただ暗転した)出て行ってしまう。それは救いの手を待つのではなく、私たちは自分の意思で行動する、この不条理世界から出ていくという宣言だろう。

脚本買ってきた。日本でも誰かやるといいと思う! Amazonでも売っていますな。

チェコとウクライナのサーカス共演、”Boom”

終演後の舞台の様子

これもfringeプログラム。エディンバラ大学の大きな講堂で上演していた。チラシがセンス良かったのでジャケ買い的に見るのを決めたのだが、説明を読むとチェコの振付家とウクライナの振付家が出会い意気投合して始まった企画だという。劇中ではまず7〜8人ほどのチェコ人たちが10分ほどアクロバティックなパフォーマンスを繰り広げた後、舞台上手から同じく7〜8人ほどの全く衣装の異なる人々が登場。フードを被っていたり、大きな模様の入った織物を羽織っていたり。この時点で異文化・異民族との出会いということが表現されていた。面白かった。

と、ここまでは面白かったのだが、その後やたらとハグしたり握手したりという振付表現が連続してちょっと冷めてしまった。民族の違う同士が同じ板の上で踊っているというだけで、融和や対話、相互理解というテーマは描けているのだから、握手やハグは逆にその精神を少し幼稚な形で見せてしまっていたように思う。ただ中盤で「私の国では旅人をパンと塩でもてなす」「私の国も同じように旅人をパンと塩でもてなす」と離れた国なのに同じ風習があることを紹介するくだりや、ラスト10分でなんか突然「うちのリーダーはちょっと年なもんで、あんまりナウくないんだわ」「なので最後の10分は若者たちだけでやりたいことやります」「リーダーもそれがいいって言ってくれてるんで!」みたいなスピーチが入って、突然全然違うダンスが始まった時には笑ってしまった。おおらかで良い。それに20代と思しきダンサーたちが、自分達のやりたい振り付けをやっている様は美しかった。こちらは全く幼稚には見えなかった。

最先端のテクノロジーと古典的手法を組み合わせた完璧な演出、”COPPÉLIA”

スコティッシュ・バレエ団(スコットランド国立バレエ)の新作。今回のフェスティバルでは一昨日観たコンテンポラリー・サーカス『Room』が断トツでトップだろうと思ってたがそれを上回る興奮。

幕が開くと、ただのでっかい白い箱の美術がドンとあって、そこにデジタルな印象を与える文字列などがプロジェクションマッピングされている。人工知能を宿したアンドロイドを作っているラボのような場所らしい。舞台上にGo Proのようなアクションカメラを持ち込んで、プロジェクションマッピング、CG、モーションキャプチャー映像、ライブカメラなどの映像がダンスと絡み合う。めちゃくちゃ計算されたスタッフワークで興奮した。

内容は、ぜんぜんコッペリアじゃねーのにすごいきちんとコッペリアしてる(?)。人工知能が命を宿すということについて、意識とは何か?という問いをダンスを通じて哲学的に描くことに成功していた。そしてバレエと機械がこんなに相性がいいとは思わなかった。自分の身体を完璧にコントロールできるバレリーナ、彼ら彼女らの技術でロボットダンスをやるとこんなとんでもないことになるとは! 足とか手とか異常な角度に曲がる上に、角度や高さの揃え方が神がかっているので思わず圧倒された。昔はバレリーナは重力から自由になり妖精や鳥に变化したものだが、現代では物理法則から自由になり機械やCGにまで化けることができる。モダン・バレエって時々ホントにやべー作品繰り出してくるから見逃せない。

上記の写真を見てもらうとわかるが、映像とダンスを組み合わせて数々のスペクタクルを放っていくのだが、ラストシーンが本当に美しかった。主人公二人スワニルダとフランツが、本当に静かな静かな曲の中で、派手さは全くない、優雅でクラシカルなペアダンスを5分くらい淡々と踊って静かにフェードアウト、暗転、終わり。つまり、散々スペキュタクラーな演出やステージングで盛り上げておきながら、最後は男女二人の静かな会話で締めたのだ。会話と言ってももちろんセリフはないのだが、そこはダンスだから、二人の踊り方を見ていれば二人がしっとり静かに語り合っている声が聞こえてくるようである。人間とは何か? 意識とは何か? そんなことを問い続けたラストシーンが「静かな会話」で終わるというのは、痺れるくらいカッコいい。

DVDとか手に入れて一生部屋で流しときたい。売ってなかったけど。。。エディンバラフェスティバルでは終わっちゃったが、この後グラスゴーとアバディーン、インヴァネスで上演されるらしい。もう一回観たいくらいだ。

https://www.scottishballet.co.uk/event/coppelia#dates-and-times

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エディンバラフェスティバルの規模感を僕は完全にナメていた。10日くらいいたのだが全く見切れた感じがしない。一応International Festivalのメイン演目で期間中に上演されていたものは全て見たのだが、fringeも入れると全くカバーできなかった。全貌すら把握できなかったと言っていいくらい。

だって、こんな感じなんですよ。ちょっとこの写真見てください。

これ全部、今日の上演リストなんですね。この会場(エディンバラ大学)の敷地内のあちこちで上演が同時並行で進んでいて、1日にこれだけの演目が上演されている。

これも某所に掲示されていた上演リスト。このエメラルドシアターとフェーンスタジオはかなり近くにあるんだけど、そこでもこれだけの演目が上演されている。……これだけでも一つの演劇祭として胸を張れるレベルの演目数だと思うが、こういう上演拠点があちこちにあって、じゃんじゃん上演されているわけだ。

毎年40万人の観光客が訪れる。経済効果は日本円に換算すると500億円だとか。日本だと阿波踊りの経済効果が100億円、祇園祭が138億円だそうだ。素晴らしい観光資源だが、歴史は意外と浅く1947年のスタート。……せいぜい75年で文化・伝統って作れてしまうのだな。

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