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谷賢一、福島県・双葉町に引っ越します

一年以上準備していたんですが、ようやく正式に入居許可が届いたのでお知らせします。私・谷賢一は、2022年10月1日から福島県・双葉町に引っ越します。東京での演劇活動も継続しますが、住民票は福島県双葉町へ移し、今まで以上に「わがこと」として福島と原発について考えていこうと思います。

少し経緯や、夢について書きます。有料記事ですが最後まで無料で読めますので、是非お願いします!

Contents

双葉町とは

福島県双葉町。『福島三部作』の舞台になった町で、大熊町と同じく福島第一原発の立地自治体として知られています。そしてこの町は、震災から11年半、ずっと人口がゼロ人でした。11年半、誰も帰れなかった。この悲劇が想像できるでしょうか。今年の8月30日、ようやく一部地域(全部ではない)で避難指示が解除され、新たな一歩を踏み出したところです。

左はGoogle Mapより 右はWikipediaより

私はもともと母と祖父母がお隣の浪江町の出身で、私自身は郡山市生まれ・石川町育ち。双葉町とは特にご縁はなかったのですが、三部作の取材を続けるうちにすっかり愛着が芽生えてしまい、2019年に三部作が完成した後も、数ヶ月に一度は必ず様子を見に行っていました。どうしても放っておけない、常にずっと気にかかる町です。要は好きになっちまった。

しかし同時に、住民の95%が帰還できない、町の面積の90%が立ち入り禁止という、異常で残酷な、許してはならない、あってはならないことが起きている町でもあります。震災と原発事故はまだ終わっていない。

何で移住するのか、移住して何をするのか

これから復興と再生を遂げる双葉町のために何かしたい──。そういう思いはもちろんありますが、僕は別にボランティア精神で行くわけではありません。単純にこの町が好きになってしまって、もう気になって気になって仕方がない。毎回、取材に行くのが楽しみです。この町ではこれから、一度完璧に解体されてしまった町がまさにゼロから立ち直るという世界でも類を見ないストーリーが始まります。郷愁捨て去りがたく戻ってきた住民と、新天地・可能性を求めて移住してきた新しい住民が出会い、新たな町の形を探していく。どうしてもつぶさに、間近で見届けたい。

しかしそれではいつまで経っても「ひとごと」です。「わがこと」にするためには、なるほど、住んでしまえばよい。

福島三部作・第三部より、三男・真のせりふ。「双葉と大熊、この二つは全滅だ」。
震災当初、30年は住めないだろうと言われていた。今、帰還できるのは奇跡のようだ。

この町に住んで、働いてみる。働くとは何か? それは根源的には儲けることでもなく、売り抜けることでもない。働くとは「誰かの役に立つことをする」ということです。私は演劇屋ですから演劇しかできませんので、演劇でこの町の役に立つ、この町を少しでも賑やかにしたり、楽にしたり、楽しくしたりすることをすればいい。

福島三部作・第一部より、おじいちゃんのせりふ。「働くっつうのは、はたを楽にするって言う。人様を楽にしてやる」……。

11年半も人が住まないと復興は極めて困難です。住民の6割は「もう戻らない」と決めている。「戻りたい」と答える住民は1割にも満たない。病院はなく(小さな診療所はできるそうです)、スーパーはおろかコンビニもない。農業をするのなら適した土地は他にあるし、工業も商業も、「この土地でなきゃできない」というような大きなメリット、アドバンテージというものがない。そりゃそうです、元々産業がないから原発でも作って町を盛り上げようとした土地なんです。いきなりジャンジャン産業が起こってドンドン建物が立ち、見る見るうちに復興が進む……そんなシナリオはあり得ない。

演劇には「その場所まで行かないと観れない」という、最大の弱点であり武器でもある性質があります。この地に何とか演劇の拠点を作ることができれば、「この場所でなきゃ観れない」という演劇の武器を使って、少しでも人を呼び寄せられる。……かもしれない。

さらに重大な問題が、コミュニティの再生です。元々あった家族、ご近所、町内会、そういったものは一度完全にバラバラにされてしまった。11年半も経つと大半の人が仕事や学校・家といった生活拠点を県外に作ってしまっていて、戻れない。おじいちゃんが帰りたいと言っても、娘・息子や孫は今の仕事や学校、そして新たにできた友達やコミュニティを捨てては戻れない。そんな中、戻ってきた元住人や新たに来た新住民たちでコミュニティを形成していくというのは非常に難しいタスクです。

その点でも演劇は、何かの役に立つかもしれない。基本的に演劇は、人と人のコミュニケーションでできています。そして異なる立場や出自、意見の人たちが出会うことで生まれる芸術です。演劇を使ったコミュニケーション教育、コラボレーションのための知識や技術は、新しい町づくりに何か少しは役に立つかもしれない。

私は単に住むだけでなく、この町で演劇をやるということを通じて、町づくりにコミットしたい。与えるだけの関係も与えられるだけの関係もどちらも長続きはしませんので、私もこの町から演劇人として魅力やメリットを引き出し、10年20年続く「働く」を探してみたい。

ここから先は少し込み入った野心やビジョンについて書きます。最後まで無料で読めますので、読んで「いいね」と思った方はご支援下さると大変嬉しいです。「自由課金で読む」ボタンを押して下さい。

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