例の冤罪告発のあと。いくら僕が「レイプなんて嘘だ」「やっていない」と叫んでも、身近な人も含め誰も信じてくれず、ネット炎上と週刊誌に追い回されて家に帰れなくなったとき(※詳しい説明はこちら。レイプの訴えは裁判所が退けました)。わざわざ連絡をくれて、僕を救ってくれた人が何人かいる。
そのうちの一人が、俳優の東出昌大くんだ。
彼とは2021年に舞台『人類史』でご一緒していた。でもコロナ禍で飲みにも行けず、休憩中の雑談もできない空気だったから、そこまで親しかったわけじゃない。

なのに、突然電話が来た。
「谷さん、大丈夫ですか? うち来ます?」
「山奥だし、誰も来ないと思うので。好きなだけ泊まっていってください」
僕は翌朝、ネットで買った探知機で、車に発振器が仕掛けられていないことを確認し、周囲に誰もいないことを確認した。そして明け方、朝日の昇る前、北関東の山奥へ向けて出発した。
○ ○ ○
僕のいた双葉町から数時間進み、幹線道路を抜けて、山へ分け入る。ガタガタの山道を30分ほど登っていくと、それはあった。家とは呼べない。掘っ立て小屋か、ホームレスの拠点か。古い納屋からビニールシートを張り出して屋根にして、その下に炊事場がこしらえてある。家具も柱もボロボロ。ただし掃除はしてあるようだった。
そんな中、壁にかけてある毛皮だけが妙に立派だった。ゴミの中、つやつやと光って、王者のような風格を漂わせている。
「それは僕が、初めて撃った鹿の毛皮です。自分でさばいて、知り合いの猟師さんになめしてもらって、敷物にしました」
マサくん――僕たちは彼のことをそう呼んでいた――は舞台上のようなハッキリした滑舌で鹿撃ちのエピソードを話しながら、手元では正確に肉と野菜をさばき、僕の晩ごはんを作ってくれていた。
鍋は拾って磨いたもの。燃料は裏山で拾ってきた柴。油や調味料は村の人がわけてくれるから、1円もかかっていないらしい。僕は桃太郎のおじいさん以外で、裏山に柴刈りに行ってる人を初めて見た。
今ではひろゆきさんとのアフリカ旅や猟師生活がYouTubeでバズったりして新たな人気を獲得しているが、当時はまだ山にこもって間もない頃だった。僕は、いつもおしゃれで柔和だったマサくんと、眼の前の無精髭の猟師のイメージをすり合わせるのに、だいぶ時間がかかった。

彼が作ってくれた鹿肉カレーを食べながら、僕は考えていた。さて、どう説明したものか。「あの告発は嘘」、「そもそも肉体関係すらないんだよ」、「あの日のアリバイはある、これこれこういう証拠もあって……」など、説明の順序を考えていると、彼は言った。
彼は、ものすごく意外なことを言ったのだ。
「谷さん。……谷さんは、いい演技って、どういうことだと考えていますか?」
僕は、あっけにとられてしまった。いい演技とは何か? 「どう思う」ではない、「どう考えていますか?」。それは真剣な質問だとすぐにわかった。
そのころ僕は、犯罪者扱いされることに慣れすぎていて、「ホントは?」「ここだけの話、何があったんです?」など、詮索されるだろうと身構えていた。ところが彼は、演技論を聞いてきた!
僕はあわてて答えをひねり出した。……俳優の技術というのは確かにあるが、あるレベル以上になると、その人の生き様が演技に出る、だからその質問は「どう生きるか」という質問と同じだ、つまり……みたいなことを。突然犯罪者じゃなくて演劇人として扱われて、ドギマギしてしまっていたのだ。
僕のたどたどしい説明を、彼はふむふむとうなずきながら真剣に聞いた。そして、またこう尋ねた。
「よくわかります。それを表現するとき、映像と演劇ではどう違うと考えていますか?」
僕が1つ答えると、彼は次々質問した。あるいは、自分の考えを述べた。
「僕もそれは考えたことがあります。僕が思うに、俳優というのは……」
「谷さんは映画も好きなのに、映像をやらず、演劇だけをやるのには何か理由があるんですか?」
「そこです! そこが僕の、今の関心事なんです。ちなみに谷さんは、欧米と日本で演劇を観てきて、俳優のあり方の違いについて……」
終始そんなトーンで、その晩は一晩中、演技や映画・演劇論を交わしていた。僕の訴訟とか身の上話は、一切しなかった。
○
後日そのことについて尋ねたら、彼は当たり前のように、こう答えた。
「谷さんの身に何が起きたのか、僕にはわかるわけないので」
けろりとして、「当然でしょう」、みたいな様子。じゃあなんで呼んでくれたの?と僕が尋ねると、彼はこう答えた。
「少しだけネットを見ました。それで、『これは死ぬな』と思って」
……何でも彼も、以前、死にたくなってよく山道を歩いたらしい。それでギリギリ、死ぬのを踏みとどまった。そしてそのときのご縁がきっかけとなって、今、猟師をやっている。
だから彼は、僕の訴訟に関する事情は何も知らない。ただ一週間くらい、寝る場所を貸してくれただけだ。こう念入りに書いておかないと、彼にまで「谷をかばったな」「セカンドレイプだ」という人が出てきかねない。僕のプライベートは僕が処理することだし、彼のプライベートは彼が処理する。それだけのことだ。
彼は僕を、ただ昔の仕事仲間として扱ってくれた。だけど、それをしてくれた人は、当時は彼だけだった。あるいは今もかもしれないが。
ついさっきも僕が電話で、「あのときのことを書くつもりだから、原稿チェックしてくれる?」と尋ねたら、「いいです、ノーチェックで。谷さんにお任せします」と言って笑っていた。そういう人なのだ。
逆に僕も、彼のプライベートについてはほとんど聞いていない。いや、正確には、聞いているけれどここには書かない。誰が大事な友だちとのことを、校内放送で喋ると言うんだ?
○ ○ ○
翌朝、早起きして2人で鹿を撃ちに行った。真冬の1月、朝4時、ガタガタ震えながらヘッドランプをつけて、山中に分け入る。地元の猟師しか通れない大きな鉄扉の鍵を開けて、林道の奥へ進んでいく。2人ともオレンジ色の派手なベストを着ている。一番危険なのは、離れ離れになったとき、仲間に誤射されることだからだ。
しばらく進むと、彼は突然立ち止まり、僕の方を振り返った。そして声をひそめて言った。
「こんな風に、つま先立ち気味で歩いてください」
「重心を下げて。足音を立てないように」
「鹿の気持ち。鹿の気持ちです」
僕は身長185cmで、彼は189cmだ。これだけの巨人2人が「鹿の気持ち、鹿の気持ち」と言いながら、つま先立ちで、真っ暗な山奥を歩いている。だいぶやばい光景である。君と違って僕は俳優じゃない。「鹿の気持ち」とかムリだよ!?
結局、鹿はとれなかった。一度だけ弾丸が直撃したが逃げられて、ひどい傾斜の山を2人で追い回したが、ダメだった。それからも何度か一緒に鹿撃ちに出たけど、取り逃がし、でも彼はけろっとしていた。
「こんなもんです」
「一週間に一匹も撃てたら、食べ切れないくらいの肉がとれます。これで普通です」
それはすっかり、猟師の顔に見えた。
○
そして夜な夜な、晩ごはんを食べながら演技論の話を続けた。そんな中、彼は僕にこう漏らしたことがある。
「谷さん。僕、実はね、いい俳優になりたくて、猟師をやっているんです」
冗談を言う顔ではなかった。
「僕は、高校生のときにモデルでデビューして、チヤホヤされて、大きな役をたくさんやらせてもらいました。とてもありがたいことです。でもそれが、自分の実力に見合っていないこともわかりました。それがいつも、悔しかった。どれもいい役なのに、僕はきっと、完璧にはやりきれなかった……」
「僕は映画が好きなので、いい俳優をたくさん知っています。でもたとえば、三船敏郎さんのような演技は、今の僕には絶対にできない。それが悔しい」
「こうして山で猟師をしていると、本当にいい顔をしたおっちゃんたちにたくさん会います。猟師や農家を何十年もやってきた人たちの方が、僕なんかよりよっぽどいい顔をしている。よっぽど。僕も、ああなりたい。それで今、猟師をしている。……僕は今は、俳優の仕事はほとんどありません。でもいずれ、いい仕事をしたい。そのときのために、猟師をやりつつ、俳優の修行をしているんです」
「初日の夜、演技と“生きること”について話しましたよね? すごくよくわかります。僕はまず、よく生きることから始めないといけない。だからこうしている。遠回りかもしれないけれど、いい俳優になりたいと思って、やっているんです」
僕は芸能界や演劇界できらびやかな活躍をしているスターたちが、実はその裏で、ものすごい苦悩を抱えている……というケースをたくさん見てきた。ジャニーズだとか、宝塚だとか、あまりにも華々しいがゆえに、逆に孤独を感じている人がたくさんいる。東出昌大もまた、そういう一人だった。
それに気づいたマサくんは賢い。これまでは朴訥で無邪気な、屈託のないイケメンで仕事ができたが、これから重みのある中年や老年を演じたいと思ったときに、何かが足りない。そう考えて、都会を離れて山にこもった。荒唐無稽に見えて、実は正しい。彼は決して器用なタイプの俳優ではないから、ますます人柄や生き方が問われてくる。そこも自覚しているのだ。
恐ろしい執念だと思わないか? いや、これが俳優なのだ。演じるということに、取り憑かれた人々。

○ ○ ○
1週間ほど滞在して、僕はおいとました。昼間は別々に過ごしてたから、一緒にいたのは晩ごはんと鹿撃ちのときだけだ。でも彼があのとき声をかけてくれたおかげで、僕は今、生きていると思っている。
さっき久々に電話して、その御礼を言った。
「近々また遊びに行くよ。あのときは本当に、君のおかげで……」
結構しっかり感謝を伝えたつもりだが、彼はアハハハと笑ってこうとだけ言った。
「アハハハ! いえ全然。いつでも! いつ来ます? 僕の予定は……」
そう、彼は実は、僕も含め、他人にあんまり興味がない。それも気持ちがいいなと思っている。

谷さん、こんばんは。初めましてですね。
「人類史」はチケットを購入して楽しみにしていたのに、コロナに罹患して泣く泣く観に行くことができなかった作品です。東出さんの舞台は必ず行っていますが、まさかコロナになるとは…。私は今年、61歳になります。見栄を張り、周りの人から良く思われたい、20代〜40代を生きてきました。生ていることの手応え(幸せというもの)を実感できず、今から振り返ると、とても苦しい時期を悩みながら過ごしていました。東出さんとの出会いは(大好きになったのは)NHKの朝ドラを観てから。今はあの頃よりも、ずっと好きで尊敬しています。
本当に優しく、正直な方です。私も谷さんと同じく、自分の人生を生きていくことができているのは、東出昌大さんのおかげです。
話しは変わりますが、マサくん(呼ばせてください)の手料理は最高に美味しいですよね。映画のイベントや、山の飲み会で手料理をご馳走になる機会がありました。
谷さんも召し上がったかもしれませんが、鹿刺しがとても美味しくて忘れられない味でした。
またまた話しは変わりますが、谷さんと東出さんの舞台、またやろうという話しは出ていませんか?是非ともお願いしたいです。舞台はいい!本当にいい!舞台が決まれば、必ず観に行きますね。
ステキなコメントをありがとうございます。朝ドラより今の方が好き、なんて、まんまと彼の思う壺で(笑)、でも確かに「成長」している感じがしますよね。いろんな意味で。
彼はメディア露出しているときのイメージと本当に変わらず、開けっぴろげで、正直で、気前がいいというか、度量の広い人ですね。男が惚れる男と言うか。僕も第一印象より会うたび好きになっています。俳優とは、嘘のつけない仕事なので、いい年のとり方をしていると思います。
鹿刺しめっちゃ食べましたよ。「これは食べちゃいけないやつですが」と言いつつ、食べちゃいけない部位をわけてもらったりして(笑)、いい思い出です。
舞台は、今はやろうという話は出ていないですけれども、機会があればぜひやりたいですね。応援してもらえたら幸いですし、こうしてコメントいただけることも、とても大きな励みになります。どうもありがとうございました。