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PLAYNOTE Posts

講座「物語を書く技術」講義資料を配布します

金曜日からスタートする講座「物語を書く技術」で使用するスライドを、一部先に公開します。

講座「物語を書く技術」講義用スライド

「内容についていけるか不安」、「ちょっとでも予習しておきたい」……という方はご覧ください。もちろん当日ドンでも十分ついていける内容です。ただ、個人的に資料を当日に渡すのって嫌いなんですよね。打ち合わせでもなんでも、事前にさらっと目を通しておくだけでぜんぜんパフォーマンスが違うよなーと思うので、事前配布しておきます。ぜんぜんまじめに読まなくていいので、さらっと眺めておいてください。

また前回発表した受講者さんのうち何名か、まだメールグループの登録が済んでない方がいらっしゃいます。必ず当日までにメールグループの登録をお済ませください。ご参加いただけなくなっちゃいます。2名ほど、登録がまだの方がいるようです。

まだくどいようですがコメント・質問にはYouTubeへのチャンネル登録必須となりますので、当日見学などしてみようかなーという方はぜひ登録しておいてください。どうぞよろしくお願いします。

DULL-COLORED POP YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/@dcpop

講座「物語を書く技術」、今回の参加者発表

このたびはたくさんのご応募ありがとうございました。1週間くらいは募集してるつもりだったのですが、応募開始から1時間ほどで定員を超えてしまい、当日のうちに締め切らせていただきました。どうもすみません。いずれブラッシュアップした最新版を必ずまた開催しますので、どうかご勘弁ください!

また宿題の添削はありませんが、今回の内容はすべて無料でYouTube Liveで視聴できます。チャンネル登録しておくと質問なんかもできるようです。講義で使うテキストやスライドもすべて共有する予定なので、是非いらしてください。

DULL-COLORED POP YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/@dcpop
※質問・コメントにはチャンネル登録必須となります。

第1回:5/02(金) 20:00〜22:00 「優れた会話と物語に必要なたった1つの要素」
第2回:5/09(金) 20:00〜22:00 「物語の種類は2つしかない――物語構造論」
第3回:5/16(金) 20:00〜22:00 「あなたが書き上げられない本当の理由」
第4回:5/23(金) 20:00〜22:00 発表会(一般公開)

* * *

今回ご参加いただく方々

最終的に10倍もの倍率になってしまったので、有益なトライアルにするため、経験の浅い方から本物のプロの方までまんべんなく選ばせてもらいました。中でも「劇団のためにいい本を書きたい!」とか「演劇部の顧問を引き継いだので勉強したい!」など、気迫が伝わってきた方を優先させてもらいました。

選考に通過されたのは以下の方々です。どれもご本人の希望された講義用のペンネームですが、本名ぽい方のみ今回だけ伏せ字にしました。講義の際はそのままお呼びしますので、「やっぱ変えたい」という方はご連絡ください。

Cさん、I井さん、Y山さん、ざこーじさん、ぽいずんさん、
りりさん、H岡S也さん、ざきさん、T沢S夏さん、N田A凱さん

上記の方々は以下のメールグループへアクセスして参加登録をお願いします。二度手間をおかけしましてすみません!

講座「物語を書く技術」連絡用メールグループ
https://groups.google.com/g/the_art_of_storytelling

1.「グループへの参加をリクエスト」を押してください。
2.「Googleアカウントのプロフィールとリンクさせる」のチェックを外し、お申込み時のペンネームを記入してください。後ほどお申込み内容と照合し、参加を承認します。

※メールは私から皆様へ一方通行です。参加者から投稿はできません。挨拶や自己紹介なども不要です。
「グループへの参加」を押すとこんな画面になるので、「表示名」のところにペンネームを記入してください。

残念ながら次回……となった方は、大変申し訳ありません。今回のトライアルを経て、さらに内容の濃くわかりやすい講座にしてご案内しますのでお待ちください。あるいは今回、一度見学して予習しておき、万全の状態で挑んでもらうのも良いかもしれません。配信当日は遠慮なく質問などしてください。

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当日へ向けて、補足など

テキストとして使うスライドは事前に公開します。今、最終調整中です。初心者でもわかるようにゆっくりペースでお話する予定ですが、不安な方は事前に目を通しておいてくださいね。

Googleスライドで提供予定

また、宿題の時間配分を見て、ちょっと疑問に思われた方がいるかと思います。全3回の宿題はこうなっていました。

第1回:お気に入りの戯曲・映画の構造分析、ログラインを書いてみる(予想所要時間:1時間)
第2回:箱書きの完成(予想所要時間:2〜6時間)
第3回:短い作品を書いてみる(予想所要時間:1〜4時間)

第2回は2~6時間、第3回は1~4時間。第3回の方が短い。ここがキモです。大事なのはとにかく箱書き(プロット)、設計図に時間をかけることです。書く前の準備、これが何より大事です。その理由は講義でお話しますが、「へーそういうもんなんだ」と思っておいてください。

他には特に予習しておく必要はありません。「どうしても何かしたい」と思った方は、なんか好きな映画やアニメでもレンタルして見ておいてください。興味を持って見れるものなら『ダンジョン飯』でも『コーダ あいのうた』でも『仁義なき戦い』でも何でもいいです。戯曲でもいいですね。

テキストが完成したらまたブログ更新します。たくさんのご応募、どうもありがとうございました。

講座「物語を書く技術」募集開始

以前よりアナウンスしていた「戯曲の書き方講座」、以下の通り開催いたします。古今東西の戯曲論の決定版にしたいと思っております。たくさんのご参加、お待ちしております!

* * *

三十代の頃、常に“ひらめき待ち”で書けずにいた自分は、とある演出家(デヴィッド・ルヴォー)のアドバイスを受けて、急に書けないことがなくなりました。その後、演劇の戯曲論と映画のシナリオ術を組み合わせ、“書く技術”として体系化しました。おかげで今でもヘタクソなままですが、多少はマシなものが書けるようになりました。戯曲の賞がとれたのも、そのおかげです。

創作は“ひらめき”や“才能”、“センス”だと思われていますが、本当に必要なのは技術です。そして逆説的ですが、技術を学ぶと個性や才能も見えてくるようになります。その技術を教える講座です。どなたでもご参加いただけます。

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募集要項

対象 経験不問、どんな方でも
料金 無料
定員 5〜10名程度
日程 5/2(金)・9(金)・16(金)・23(金)の全4回、それぞれ20時〜22時
形態 Zoom + YouTube Live配信
内容 基礎から始め、短編作品を書き上げるまで

※すべてオンライン&完全匿名(ペンネーム)で参加可能
※リアルタイム参加が難しい回はアーカイブ視聴可能
※受講者は宿題に添削・コメントし、ご質問にもお答えします

スケジュール

第1回「優れた会話と物語に必要なたった1つの要素」
日時:5/2(金) 20:00〜22:00
内容:会話と対話、対立、他者と出会う、葛藤を乗り越える、目的と行動、対話を書いてみる、演劇に論破が向かない理由、ルヴォーから学んだこと、「物語とは旅である」、三幕構成、起承転結・序破急で書いてはいけない理由、ピクサーとネトフリ、作家ではなく大工になる
宿題:お気に入りの戯曲・映画の構造分析、ログラインを書いてみる(予想所要時間:1時間)

第2回:「物語の種類は2つしかない――物語構造論」
日時:5/9(金) 20:00〜22:00 
内容:イプセンは何をやったのか、キャラクターの作り方、情報の高低差、性格と行動、役割、出ハケこそ奥義、箱書きの書き方、小目的・大目的・貫通行動、伏線の貼り方、チェーホフの銃、マクガフィン、象徴
宿題:箱書きの完成(予想所要時間:2〜6時間)

第3回「あなたが書き上げられない本当の理由」
日時:5/16(金) 20:00〜22:00
内容:ローマ伝来の文章奥義、読書と取材、インプット量、アイディアが出てこないときにすべきこと、締め切り、個性は出るまで出すな、第一章はジェットコースター、「私は妻を殴るくせがある」、最初の5分、「俺なんてこんなもんだ」理論、ほか
宿題:短い作品を書いてみる(予想所要時間:1〜4時間)

第4回:発表会(一般公開)
日時:5/23(金) 20:00〜22:00 
内容:完成した短編をオンラインで観客の前で発表。強制ではありませんがぜひご参加ください(理由は後述)。

内容について、補足

どなたでもご参加いただけます。

ビギナーからプロ志望、すでにプロとして活躍されている方まで歓迎です。以前はプロの漫画家さんにご参加いただいたこともありました。戯曲・シナリオに限らず物語全般に有効です。また作家を目指さない、俳優やスタッフの参加も歓迎します。劇の書き方を学び、その構造を知ることは、演技プランや演出プランを考えるうえで必ず参考になるはずです。

一般の観客の方も歓迎です。一度書いてみると演劇がもっと楽しくなります。やったことのあるスポーツは観るのが楽しくなったり、少し楽器を練習すると急に音楽が豊かに聴こえてきたりしますよね? それと同じです。「厳しいアドバイスが欲しい」、「いいところだけ教えて」などご要望もお聞きしますので、安心してご参加ください。

完全無料

今回はトライアルとして、完全無料で開催します。カリキュラム自体はすでに完成していますが、受講者の反応や質問をもとに、より精度を高めた“完全版”に仕上げたいと考えています。

また、将来的にもこの講座をできるだけ無料で続けられる方法(寄付・広告モデルなど)を模索しています。私もかつてそうでしたが、若い劇作家はお金がありません。応援してくださる方は、ページ下部の「サポートする」ボタンよりご支援いただければ嬉しいです。

最後に発表会を設定してある理由

劇作家が最も成長するのは、作品が上演されている最中です。手を握りしめ、心臓が縮こまり、ああすればよかった、こうすればよかった、これは失敗した、なんて自分は下手なんだ!……と絶望しつつ、くすりと小さな笑い声が起きただけで有頂天にもなる。一番、発見のある時間です。この極限の学びをぜひ体験していただきたく、発表会を設定しました。

作品の読み上げは他の方が行います。作者のあなたはじっと聞いているだけで大丈夫です。ペンネームでの参加もできるので、思い切ってトライしてみてください。

ご応募方法

受講希望の方:
こちらの応募フォームからご応募ください。応募者多数のため、選考の上でご連絡いたします。
※Googleアカウントが必要。登録無料。

見学希望の方:
→応募不要。YouTubeチャンネルに登録してお待ちください。

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講師:谷賢一

作家・演出家・翻訳家。劇団DULL-COLORED POP主宰。明治大学文学部演劇学専攻、およびイギリス・University of Kentにて演劇学(主に戯曲論・演出理論)を学ぶ。2020年に岸田國士戯曲賞・鶴屋南北戯曲賞を同時受賞した他、小田島雄志翻訳戯曲賞、文化庁芸術祭優秀賞などの受賞歴がある。デヴィッド・ルヴォー、シルヴィウ・プルカレーテ、シディ・ラルビ・シェルカウイほか海外アーティストとのコラボ多数。近年は別名義で小説・映像分野にも多くの作品を発表している。

主催:合同会社DULL-COLORED POP 協力:あおき、Phantom、プレニコ

ご質問にお答えします

熱心な読者の方からご質問をいただいたので、お答えします。こういうの、とても嬉しいです。

昨年、谷さんが極端に人と会わなかったと伺いました。
それによりご自身が今までになく変化したことなどありますか?

ええ、それはもう、とてつもなく大きな変化が……。と思いきや、そうでもありません。昔と同じです。

自分の場合、中学も高校も途中から行かなくなり、部屋で徹夜で本を読んだり音楽を聴いたりしてたのですが、最近もそれと変わらないので「あの頃とまったく同じじゃねーか」と苦笑してしまいました。友人のミュージシャンにその話をすると、「わかるよ、わかる。ぼくも今でもそうだもん」と言われて、「僕らのような者は死ぬまでこうなのだな」と笑いあったものです。

あえてちょっと意味深なことを言うと、こういうことは言えるかもしれません。自分の人生に何が必要で、何が必要でないか、よく考えるようになりました。

一度人生をリセットされ、「さてこれから何をしよう」と考えたとき、死を意識しました。これは自殺とは別の意味です。「あなたはあと一年で死にます」と言われた人が「じゃあ残りの一年何をしようか」と真剣に考えるのと同じように、僕も「残りの人生、本当にしたいことは何だ」と考えたのです。

お金持ちになることや、有名になることではないということはすぐにわかりました。一時期そこそこ金持ちにも有名にもなったけど、それは大変むなしかった。モテることとか遊ぶことにももう関心はありません。演劇のことは考えないようにしていたので、考えに入っていません。

それで数学をやったりマラソンをやったり、登山をしたり旅行をしたりしてたわけです。そして「ゼロから物書きをやってみる」なんてこともした(これまでの「2年間のこと」参照)。読みたい本や書きたい原稿を考えると、もうそれだけで残りの人生、足りるかどうか……。あと40年。ああ、いや、僕は煙草もずいぶんやったし、酒は未だに飲んでいるので、あと15年くらいですかね。

手塚治虫ぜんぶ読むとか、源氏物語ぜんぶ訳すとか、忌野清志郎ぜんぶ聴くとか、クラシック音楽の勉強するとか、してみたい。これだけでも2~3年? いや、もっとかかるでしょう。ちょっと前にも「2024年のJAZZの名盤100」なんて記事を見つけて1枚ずつ聴きはじめたのですが、1枚目にドハマリしてしまって残り99枚聴けていません。そして99枚聴けないまま、死んでいく人生な気がする。

なのでバカみたいな話ですが、以前は仕事の用事で溢れかえっていた僕のTo Doリストも今はほぼ空になり、最上段にはこう書いてあります。

「残りの人生で、学問をやる」

本当にそう書いてあります。頑張ります。ご質問、どうもありがとうございました!

2年間のこと⑨ 演劇界におけるジャーナリズムの不在と、俳優組合の必要性について

僕は何か書くとき、「一次ソースに当たる」ということを何より大事にしてきた。足を運び、伝聞ではなく、きちんと取材する。それは読者への礼儀でもあるし、もっと大きなもの、人類の叡智とか知の蓄積とか……。つまり「書くこと」に対する礼儀だと思っている。少し大袈裟だけれども。

約2年前、僕は「権力をかさにきたレイプとセクハラ」というかどで告発され、大いに炎上した。その顛末はこちらに書いた通りだ。「あれだけニュースにもなったのだから、誰かがきちんと調べたりしているに違いない」、ふつうはそう思うだろう。

でもそうじゃない。取材なんて結局、一件もなかった。

ごく初期に2~3件、TVや週刊誌から連絡があって、「今は個別に答えられない」、「裁判の中で語っていく」とお断りしたことはあった。でもそのあと「取材はこちらまで」と連絡先を書いておいたが、連絡してきた人はゼロ。ネットやSNSにはいろんな記事が上がっているらしいし、中には「あの人は谷の知り合いだから話を聞いているんじゃ?」と思うかもしれないけれど、残念ながら違う。すべてコタツ記事だ。

※コタツ記事……家でコタツに入ったまま書く記事、つまり取材せずに書くいい加減な記事を表すスラング。

正直に言うと裁判そのものより、これが一番キツかった。友達だと思っていた人が、あるいはお互い連絡先を知っていて誕生日にはお祝いのメッセージを送り合うような相手が、一つの事実確認もなく批判の記事やコメントなんか書いている。別に味方をしてほしかったわけじゃない。「この間の報道、どういうことだ。本当だったら承知しないぞ」という怒りの連絡だって構わない。しかし一切確認もせず、ネットに「私は連帯します」なんて書いている。これはキツかった。

友達なんて薄情なもんだ……とも思ったが、ああ、いや、違う。この人も怖いのだ。叩かなければ、叩かれる。そういう恐怖があるのだろう。そんな迷惑をかけてしまって、それは本当に申し訳ないと思った。しかし、とにかくキツかった。

何度かネットに書き込もうとしたが、周囲から「余計に炎上するだけ」「裁判で喋ればいい」と言われて引っ込めた。でもこれも、今思えば間違いだった。裁判記録なんて誰も見ない。ネットしか見ないで書く、それが世間だしマスコミだ。

だからこれから炎上する人にアドバイスしておこう。裁判で正しい証拠や証言を集めることより、どれだけうまくネットを燃やすかを頑張った方がいい!

(もちろん最後の文章は“皮肉”である。こんな寒い捕捉、書きたくないが、「キリトリ」されたらたまらんので書いておく)

* * *

こんなこともあった。裁判が終わる少し前、とある雑誌とドキュメンタリーフィルムのチームから「取材したい」と連絡があった。しかしどちらも「ハラスメント加害者として今どう思っているか」、「罪とどう向き合うか」という切り口で、取材する前から僕はもう悪党だった。

僕はものすごく嫌な気持ちがした。しかし取材に応じた。応じなければ、好き放題書かれてしまうからだ。

そして僕は自分の主張を語った。と言っても、どれも裁判ですでに語ったことばかりだ。そもそも原告側が「おっぱいどうぞ」と言って回っていたことや、劇団内で他にも問題を起こしていたこと、そしてGPSログや医療記録などの証拠からレイプは不可能だということ、などなど……。

相手方は大いに驚いた。取材と言いつつ、裁判記録すら、まったく見ていなかったのだ。そしてどうなったか?

どちらも取材自体がなくなってしまった。取材をして、真実を伝えようなんて気持ちははじめからなかったんだろう。ハラスメント問題と戦う正義の騎士のつもりで凛々しく登場したのに、話を聞いたら、おや、何か様子がだいぶ違う……。そして回れ右して帰ってしまった。わからん話でもないのだが、でも僕の語ったことを伝えてくれ。取材して、シナリオと違う真実が見えてきたら、それを書く。そうでなけりゃあ取材じゃないだろう。

その後裁判の結果が出たけれど、「演出家レイプ」と騒いだメディアはどこも訂正してくれなかった。泣いてばかりもいられないので特にひどいところには名誉毀損の訴訟を起こし、マスコミ各社にFAXも入れた。しかしそれすらも全く報じられなかった。

要は演劇界にはジャーナリズムなんてものはないということだ。それはニュースバリューがなく、産業として成立しないからである。話題性のあるネタなら文春さんが飛んできて最初のトバシは書いてくれるが、そこまでだ。彼らは売上部数が欲しいだけで、別に演劇界の改善や向上に最後まで付き合うつもりはない。他のメディアも霞を食って生きてるわけではないから、数にならない演劇業界のことなんて取材してられない(新聞には劇評が乗るが、あれは全く部署が別である)。一応僕もいくつも賞をとった大注目の演出家だったのだが、それでも全くバリューが足りない。聞いた話ではこの2年間で僕よりもっと高名な演出家がハラスメント疑惑で報道されたが、今も元気にお仕事されているらしいと聞く。これもジャーナリズムの不在を示している。追求し解明するジャーナリズムが存在していないのだ。

この状況は憂慮すべきことだ。ジャーナリズムの機能しない場所は、国でも組織でも何でも、あっという間に腐ってしまう。

* * *

もう一つ書いておく。裁判が終わる頃に演劇関係者と会って話し、未だに演劇界には公的なハラスメントの対応部署がないと聞いて驚いた。「そんなものなくても大丈夫。これからは何かあればSNSに上げればいい」と思っている人がいるかもしれないが、その考えは危険だと思う。

世の中は本当に気まぐれだ。そのときの流行りものを順番に燃やしているだけで、数年後はあてにならない。コロナウィルスは今でもあるけどもう絶対にバズらない。福島原発は今でも地元の頭痛の種だがもう絶対にバズらない。ハラスメント問題だってやがてバズらなくなる。そうなれば昔に逆戻りだ。

今のうち、つまり労働環境の問題に社会的関心が高いうちに、俳優の労働組合を作った方がいいんじゃないか? 流行り廃りに関係なく俳優を守ってくれる団体を、作っておいた方がいいんじゃないか?

少し昔話をする。2022年の春ごろ、つまり僕の炎上の少し前、しかしとっくに演劇界のハラスメント問題が大問題になっていた頃に、とある若い俳優たちのグループから「俳優の労働環境整備のために何ができるか」と相談されてしばらくオンラインでディスカッションをしてたことがある。そのとき僕は海外の俳優労働組合の例などを引きながら、こう答えた。「日本でも舞台俳優のための労働組合を作るべきだ。僕にできる手助けなら何でもする。資金や場所を援助してもいい。ただし俳優主導で行うべきだから、僕は表に出ない方がいい。ただ、君たちのような若手が呼びかけたら、絶対にできると思う」。僕は劇場を押さえてゲストを集め、シンポジウムを開いてオンライン中継する……という手はずを進めていたが、ギリギリになってリーダー格の俳優から「やはり自分はイチ俳優でありたい。表には出れない」と申し出があり、中止となった。

その俳優の不安は、わかる。彼はまだ20代だった。「活動家の人だ」とは思われたくなかっただろう。演劇だけでなく、映画やドラマにも出てみたいと思っていたのだろう。「活動家の人」として脚光を浴びたくない。俳優としてプレーンでいたい。その気持ちはわかる。

しかし、だからこそ組合が必要なのだ。俳優が100人いたとして、5人だけが騒いでいると「活動家」「うるさいやつ」とされてしまう。でも95人で騒げばもう誰も活動家とは呼ばない。それは正当な要求になる。その若い俳優がやるべきだとは言わない。40代以上の中堅俳優が音頭をとってやるべきなのだ。あとは素直に日俳連と合流するか。

さらに同じ頃、劇団内の会議でもこんな話もした。すでに私を含めて複数の劇団員がハラスメント講習を受講し、さらに次回公演に関わる全員がNetflix社と同じハラスメント講習を受講することを決めていてた。自分なりに主宰者、つまり会社の代表として、まずはやれることをやったという格好だ。でも、はたしてこれだけで十分なのか、これからどうすべきか……と議論が続く中、僕は「ここからは、僕が仕切るのはフェアじゃない」とはっきり言った。

「ハラスメント問題への対策は、もちろん話し合うべきだ。でも僕は、主宰で作家で演出家で、どう見ても権力者だ。……憲法が権力を縛るのと同じで、この場合僕は「縛られる側」だ。総理大臣が勝手に憲法を変えられないのと同じで、僕がこの会議を仕切るのは、フェアじゃない。俳優たち主体で考えていくためにも、僕はただ見てるから、みんなで話を進めてみてほしい」

これは今でも絶対に正しいと思う。演劇界の主宰者たちは良くも悪くもパワフルすぎる(そうでなければやっていけない)。だからつい彼らが「引っ張って」しまうのだが、この問題に関してだけは俳優たちに主導してほしい。このときは劇団員たちに任せて議論を続けてもらった。

(ところが驚いたことに上記の発言は「谷が自分の権力を自覚し、濫用していた証拠」という真逆の意味で引用され、裁判に提出された。あまりのことに耳を疑ったが、その証言をした人物は、賢く、読解力のある人間で、意味を取り違えたはずがない。ある種の確信を込めて「誤読」したわけで、現実というものはシェイクスピア以上にシェイクスピア的である)

* * *

話が長くなった。僕にはもうこういう活動を応援するパワーはないし、されても迷惑だろうから何もしない。ただ遺言だと思って書いておく。

SNSを燃やして満足していて、いいのだろうか。まだ世間的な関心のある今のうちに、まともな労組や駆け込み寺など、組織かシステムを作るべきじゃないだろうか。昔ならともかく今ならできる。絶対にできるだろう。SNSはいずれ火がつかなくなる。そうなってからじゃ遅いのだ。組織やシステムを作るというのは時間のかかる、タフでハードな仕事だ。でも本当に未来の俳優たちのことを思うなら、ぜひ手をつけるべきことだと思う。

でも、どうやってやるのか? 誰がやるのか? ……それこそ、会って話をする、直接声を聞く、そういうところからはじまるんじゃないだろうか。SNSは分断を加速するだけで、もうまともな話し合いの場にはならない。それに、会って話すことの重要性は、演劇の人が誰よりもよくわかっていたはずなのだ。

会って話を聞く。簡単なことだったはずだ。少し前までは。

* * *

以上、あれこれ書きましたが、まったくネットを見てないので最新情報がわかっておらず、何か間違いがあったらご容赦ください。訂正などあれば、ぜひコメント欄までお願いします。誰でも匿名で書き込めますので。

最後にちょっとご連絡です。前回、オンラインで無料の戯曲講座でもやってみようと書いたら「ぜひ参加したい」という声を複数いただきました。どうもありがとうございます。匿名ないしペンネームで参加できて、受講から課題提出までオンラインで完結できるシステムを準備しているところです。受付体制が整いましたらいずれきちんとアナウンスします。それまでしばし、お待ちください。

そしてこの「2年間のこと」シリーズは、ここで一区切りとしたいと思います。まだ書きたいこと、書かないといけないことはあるんだけど、それはいずれ手記にでもまとめて、ウェブではなく本にしたいなと思っています。何かご質問、取材の依頼などあれば、このブログのコメント欄かinfo@dcpop.orgまでご連絡ください。

2年間のこと⑧ 今の「僕」の仕事について

この「2年間のこと」シリーズももうすぐ最終回になる。「最初の3ヶ月」が一番すごいんだけど、まだブログには書けそうにない。会ったら話します。

「会ったら」と言っても、去年も一昨年も誰とも会わなかった。去年は1年通して、たった8人しか会わなかった。家族や弁護士を含めて8人。スーパーの店員さんとか役所の人はカウントしていないけれど、個人的に会った人は本当にこれだけ。

僕を構成する要素のうち、「谷賢一」という部分はほとんど消えてなくなってしまった。でも僕は元気に生きている。

* * *

これまで書いてきた数学とかマラソン、旅行、あと書いてないけど登山とか楽器以外で、時間ができたらやってみたいことがもう一つあった。それは「もう一度無名になって、作品だけで勝負してみる」ということだ。

若い頃はいつも「もっと自分に知名度があれば」と悔しがっていた。ところがそこそこ売れてみて賞なんかとったりすると、今度は「知名度だけで売れてるんじゃないか?」と怖くなった。本当に実力だけで勝負できているのか? 知名度でゲタはいてるだけじゃないか? 「売れているから売れている」みたいなものは世の中にたくさんある。ないものねだりもいいとこだが、もう一度「何者でもない自分」で戦ってみたいとずっと思っていた。

そこでまったくの新人として作品を書きはじめた。もちろん演劇とは関係のない場所で。ペンネームを考えるところからスタートするのは、まるで劇団名を考えた20代の頃のような気分だ。作品を発表しても最初は誰も見向きもしない、これも昔と同じ。いや、昔はクラスの友達がみんな観に来てくれたから、昔よりひどいか。

さいわい今は発表場所ならいくらでもある。小説やシナリオの投稿サイト、SNSやファンコミュニティ、動画、同人、もちろん紙媒体もある。まったく無名からのスタートだが、頭の中には25年間演劇の最前線で戦う中でつちかってきた知識と技術が詰まっている。プロットの立て方、キャラクターや場面設定のコツ、タイトルの工夫、差別化、PR……。戦えるはずだ。

一人、また一人、反応があるたび小躍りした。これも旗揚げの頃と同じ。2~3ヶ月でぐっと新規客が増え、メシが食えるようになった。この頃に食うメシが一番うまい。半年経つ頃には家賃も払えるようになった。自分の力だけで、面白いものを作り、金を稼ぐ。これはやはり、たまらない。どんな賞や栄誉よりお客さまの反応が一番だ。今ではもっと伸びていて、もはやそっちの自分の方が本物のようになっている。

――いや、名前が誰かを呼んで、人を区別するためにあるものならば、もうそっちの方が本物だ。いやいや、名前が自分で自分を定義する、アイデンティティのためにあるものならば? そこはちょっと難しい。どちらだろう? 呼ばれない名前に意味はあるのだろうか?

最初はかなり不安だった。演劇村なんて特殊なとこでウケたからって、外でも戦えるのか? でもやってみてわかったが、演劇で面白い人はたぶんどこでも売れると思う。むしろ今は外の方が売りやすい。もともと演劇はマニアックで先鋭的な表現が強みだったが、その強みはもうとっくの昔にインターネットに奪われてしまった。と同時にウェルメイドでポピュラーなコンテンツもまた外の方が確実に売れる。マーケットの規模が100倍は違うからだ。

もちろん今も、新しいものを書くのは苦しくて難しい。いつも机にかじりついてうなっている。でもこの年でまた新しいチャレンジができていることは幸福だと思う。そして自信にもなった。俺はやっぱり、面白いものを書いていたんだ。

* * *

年末年始、このブログの更新が途絶えていたのは「あちら側の僕」が忙しかったからだ。熱心なお客さんが心配してメッセージを送ってくれて、あわててこちらを更新している(いつもありがとうございます!)。

「こちら側の僕」、つまり谷賢一は、もうほとんど消えてしまった。もう誰もこの名前で僕を呼ばない。

しかし「谷賢一」でしか書けないものも少しある。やりかけの仕事で、どうしても完遂したいものがいくつかあるのだ。一つは岸田國士の評伝劇。この2年間を経て、いよいよ自分が書くべきテーマに思えている。もう一つは以前から言ってた、演劇の技術を書き残すこと。僕は学生演劇から出発して、小劇場、新劇、現代劇、ミュージカル、歌舞伎、宝塚、海外の演出家、いろんな人と仕事をした。そこで学んだことは書き残しておきたい。ビジネスになるとは思っていないから、多くの人が無料で読めるような形にしたい。

それに今も僕を応援してこのブログを読み続けてくれる人もいる。ぜひ何か、お届けしたい。

ただどこから手をつけていいのかわからない。手始めに無料でオンラインの戯曲講座か何か、やってみようかと思っている。こればっかりは「あちら側の僕」がやるわけにいかない。彼は演劇の話は一切していないし、演劇を観たこともないはずだ。

追伸 新しい方の名前は、ちょっとお教えできません。たった一人の親友にしか教えていないくらいでして。そちらでなく、よかったら「谷賢一」の方と会ってやってください。弁護士とも会わなくなったので、今年はまだ2人です。

2年間のこと⑦ 2年間演劇を観ないということ

この2年間、一度も演劇を観なかった。SNSもすべてログアウトし、ほとんど誰とも会わない。ここまでやってようやくエコーチェンバー、フィルターバブルの外に出られる。すると「外から見た演劇」が見えてきた。

外から見た演劇。それは誇張でも何でもなく、「存在しないもの」だった。演劇は、どう見えるか見えないか以前に、なかった。

過去2年で目にした演劇に関する情報は、本当にこれだけ。

・コンビニのコピー機の上に貼ってあるミュージカルのポスター
・FMラジオで流れてくる宣伝
・一度だけ居酒屋のトイレのポスター(でも終わってた)
・一度だけ偶然テレビで「ある不祥事」のニュース(名前は伏せます)

僕がふだんテレビをまったく見ないせいもあるけれど、演劇の情報はまったく入ってこなかった。ついこないだ新国立劇場と東京芸術劇場の芸術監督が代わったと聞いてびっくりしたけれど(上村さん、岡田さん、おめでとうございます)、国を代表する劇場の監督交代のニュースが聞こえてこないというのはよっぽどだ。もちろん各種演劇賞の情報も届かない。

とはいえ当時の僕は、ほんのささいな演劇の情報や「劇」という文字が目に入るだけでも胸が苦しくなっていたから、幸いなことでもあった。これが音楽や美術だったら、触れずに生きることは不可能だっただろう。

コロナのとき僕は「演劇は社会に必要だ」、「演劇に救われてる人もいるし、『演劇なんかなくても死なない』というのは暴論だ」と力説した。大いに叩かれたし、「こんなときに演劇をやるのはどうかと思う」と言って喧嘩別れした劇団員もいた。それでも僕はその考えを曲げなかったが、少なくとも2年は観なくても死なないことがわかった。

僕は完全な演劇マニアだった。15の春に演劇に出会ってから、演劇に触れない日は本当に一日たりともなかった。誇張抜きで、一日の9割くらいは演劇のことを考えていた。でもすっぱり切り離し、2年過ごしてみると、ぜんぜん普通に暮らせた。演劇なんて、なかったような感じ。

そのぶん宣伝や誘客・創客、アウトリーチの本当の大変さがよくわかった。日本中の有能な制作者たちが様々な作戦を死ぬ気でやっているのを間近で見ていたが、そもそも「やっている」こと自体が届かない。2年間で一度も。

そして「なぜ演劇が必要か」、社会や世間を説得する難しさもよくわかった。日々どんどん物価が上がっていき、つらいニュースが流れてくるのを毎日見ていると、客もろくに入らない“オゲイジュツ”に何百・何千万と公金が投じられているのは腹立たしいだろうなと思った。ずいぶん怪しい助成金の使い方をしてる団体もあるそうだし、いつぞやオペラか何かであった助成金不正使用のニュースが流れたら、今の時代、ひどい燃え方をして、大変な結末になるだろう。

そして一番大きな気付きは、演劇の最大の魅力は、人によってはまったくセールスポイントにならないんだなという気づきだった。演劇の魅力は、舞台と客席が一緒になって全員で空気感を作り上げていくところにある。しかし「それこそが嫌なのだ」という人がいることも、演劇を離れてみてよくわかった。

――せっかくの休みの日、わざわざ出かけて知らん人の隣に座り、周囲に気を使いながら1時間も2時間も緊張して舞台を見たくない。うちでビール飲みながらNetflix見るわ。ソシャゲのデイリー回しながら。

――人と、会いたくない! 家で一人で見たい! 映画は映画館で? いいえ、スマホでいいです!

唐十郎さんが亡くなったとき、つらかった(彼の訃報はさすがに届いた)。寺山修司、唐十郎、つかこうへい……彼らが作り上げたのは単に作品ではなく、参加する体験であり、行動であり、意思表明、アンガージュマンで、居場所だった。観客もただ芝居を楽しんでいただけじゃない。時代を変えたい。新しい感覚を誰かと共有したい。そんな気持ちもあって劇場へ足を運んでいた。劇を見るというのは主体的行動であり、同じ趣味や意見の人間と連帯を感じる場ですらあったのだ。そういう「場的」な強さは小劇場に限らず、宝塚にも歌舞伎にもある。作品だけじゃなく、場自体が魅力なのだ。

しかし「見るなら一人がいい」という客に対して、演劇は無力だ。無力どころかうっとうしい。そんなこと演劇が大好きだった僕は考えたこともなかった。

客席を巻き込むようないい演劇を作りたいとずっと思っていた。しかし、ある種の人にとっては、巻き込まれることこそ迷惑なのだ。

それは単に「一人が楽」という意味じゃない。誰かと繋がることが怖いとか、恐ろしいとか、嫌だとか、億劫だとか……。一体感を覚えている人たちを見て「気持ち悪いな」「うさんくさいな」と思う。「巻き込まれたくない」、「帰りたい」。そんな人にとって演劇は地獄なのだろう。そういう人の気持ちもわかるようになった。

それならどうする? それなら……。

2年間のこと⑥ 東南アジア・タイ

ベトナム、カンボジア、マレーシア、フィリピン、ミャンマー……東南アジアの中でもタイはもっとも観光地化されていて、抜群に過ごしやすかった。でもあちこちデタラメだった。上の写真の大仏さまは気品があるが、他にはもうデタラメな金・銀・赤・青・黄、原色で塗られたヤバい仏像が大量にある。

こういうのもある。ピカチュウ、金髪のアラレちゃん、のび太くん……。

ホテルや料理のレベルは一番高くて、トイレやインフラもきれい。観光地では案内や交通もしっかりしていて迷うことはないし、ちょっとお金を出せばリゾート気分も味わえる。食事も夜になれば安い屋台メシから高級なレストランまで好きにチョイスできるし、タイ料理はやはり美味い。一杯飲んだら様々な「遊び」にも簡単にアクセスできる。

タイでは数年前からマリファナが合法化されていて、道端で500円も出せば一巻買える。これを目当てに訪れる人も多いとか。早く日本でも解禁するべきである。中毒性も健康被害もなくて、税収は増えるし観光客は増える、いいことばかりじゃないか。

マリファナの回り方は人それぞれだが、時間の感覚がおかしくなって、俗に言う多幸感、ハッピーなフィーリングが膨らんで、ちょっとしたことが楽しくなる。笑い上戸にもなってきて、道を歩けば屋台のオッチャンオバチャン、大道芸人、浮かれた酔っぱらいなんかが絡んできてお祭り騒ぎだ。

少し先で音楽ライブをやってる店があって、聴き慣れたメロディが流れてくる。これはQueenだ。おお、ウッドベース中心のスリーピースでQueenなんてカッコいいじゃないか……。

明かりを暗くして 君のために 悲しい歌を歌ってあげよう
二人きりでタンゴを 踊るのもいいね
君の心に 優しくセレナーデを奏でて
君だけの ムービースターになってあげる

愛しい君 僕だけの愛の少年
今夜は何をするつもり?
さあ時間だ 今夜も愛を交わそう
君は古き良き 僕だけの愛の少年!

タイの路上、マリファナの匂いに包まれて、100人以上の聴衆がQueenの『Good-Old-Fashioned Lover Boy』のリズムに体を揺らしている。非常に色っぽく、あやしい秘め事の歌だ。僕も大好きな歌で、孤独なイギリス留学中に何度聴いたかわからない。人混みに近づくと真っ黒な顔のオジサンと目が合い、にっこり笑った。二人で「うんうん」とうなずき、「やっぱQueenはいいよねえ」と確かめあって、音楽の続きを聴いた。

もう僕は酔ってクラブや街角で夜を明かすような年でもないし、すっかり興味もなくしてしまったが、この演奏はしばらく、ずっと聴いていた。素晴らしい寺院や自然をたくさん見たが、これが一番よかったな。僕はずっとフーテンで生きてきて、美しいものをたくさん知っている。それが自慢だ。

2年間のこと⑤ 東南アジア・カンボジア 後編(虐殺、文学、音楽)

カンボジアはぜひ行きたい国だった。ポル・ポト政権下、人口800万人の国で200万人が殺された。4人に1人が殺されたのだ。ただしポル・ポトが「殺せ」と命令したのはほんの一部で、あとは正義感に駆られた善良な市民たちが、自主的に同じ市民たちを殺したのだ。

まず「こいつ反抗的だな」「反革命っぽいな」という疑惑のある人間を殺した。やがて「積極的に殺さなければ、自分も反革命分子と思われてしまう」という焦りから、虐殺のスピードは増した。殺される側に回らないためには、殺す側に回らなければならないのだ。

そして200万人の人が殺された。あまりにもひどい話だが、「愚かだな」と笑う気にはなれなかった。

例えばこんな話がある。

  • 革命政府は、労働者や農民の味方だ。なので学者や教師、外国語を喋れる者など、インテリは殺された。最終的には「メガネをかけているヤツはインテリだ」として、殺された。
  • 「みんなで農業をしよう」と言って、人々は元の職業を離れ、あちこちで稲作をはじめた。だが誰も米の育て方を知らなかったので、ほとんどの田んぼで失敗した。
  • しかし幹部たちは「私たちは正しい革命思想に基づいて農業をしている。失敗するわけがない」と言い、稲作に失敗した人たちを殺した。
  • みんな殺されたくないので米が育っていないことを隠し通し、大量に餓死した。
  • 「ちゃんと農業のやり方を調べなければダメです」と言って本を読む者が現れたが、「インテリだ」と言って殺された。また農業の知識があり「このやり方ではうまく行かない」と幹部にアドバイスした者は、「反革命的だ」と言って殺された。
  • 結果的にどんどん状況は悪化したが、間違いを指摘したり疑問を唱える者が現れるたび、殺した。

大量虐殺なんてよくできるな、どんな悪党だよ、と思うかもしれないが、逆なのだ。「私は正しい」と思うからこそ大量に殺せる。

トゥールスレン収容所という施設が圧巻だった。2万人が収容され、1万9992人が拷問・虐待の末に殺された。たった8人だけが、生き延びたり逃げ出したりできた。収容されると何を言っても「お前は反革命だ、わかっているぞ」と言われ、鞭、電撃、焼きごて、刃物、水攻めなどで拷問された。最後まで否定し続ければ、殺された。しかし「やりました」と肯定すれば、やはり殺された。

この虐殺や拷問をしていたのも、ちょっと前まで一般市民だった人たちだ。殺さなければ、自分が裏切り者だと思われてしまう。その恐怖から、我先に罪をでっち上げ、殺し続けた。

異常な話だ。だがよくある話でもある。

地獄のようなエピソードはいくらでもあるので、2つだけ、美しい話を書いて終わりにしよう。記憶を頼りに書いているので、ディテールが不確かなことを許してほしい。

* * *

1.賢く強いボパナ

ボパナという気丈な、強い目をした女性。父親が教師であり、自分も文学や語学に通じていたため、「反革命的だ」と言ってトゥールスレン収容所に入れられた。入所してすぐレイプされた。彼女には婚約者がいた。当時のカンボジアでは強姦とはいえ婚前交渉をした女性は結婚できない。

しかし彼女は婚約者に向けて、こっそり手紙を書き続けた。

手紙を書くだけでも重罪だったが、彼女は暗号を使って婚約者に愛を伝え続けた。暗号とは、インドの叙事詩ラーマーヤナやシェイクスピアの戯曲を引用することだった。ある日、看守が手紙を発見した。しかしラーマーヤナもシェイクスピアも知らない看守は、内容がまったく理解できなかった。

例えばこういうことだ。

――怪鳥ガルーダに囚われた王妃シータは、夜な夜な月を見上げ、神を称える歌を歌う。
  地獄の獄卒が手を伸ばしても、月の光のヴェールに包まれ、シータは清らかな輝きを保つ。

文学がわかる人が読めば、これは「捕まったけど、私は今も毎晩あなたを思っています。拷問にあっても心は清らかなままです」ということを表していることはすぐわかる。ただし文学を知らない人には、これは難しい数式と同じくらい解読不能の暗号になるのだ。

やがてボパナは殺された。何度も強姦され、焼きごてで肌を焼かれたが、最後までプライドを失わなかった。一年かけて、80通以上の手紙を書いた。

勇敢で賢いボパナ。彼女の名前は、今はカンボジアの国立視聴覚資料センターの名前に冠されている。

* * *

2.洋楽が好きなジャーナリスト

アメリカ人ジャーナリストのKはロック音楽に夢中だった。お気に入りはビートルズ。しかしカンボジアを取材中、捕まってしまい、拷問にかけられた。

看守たちは従軍経験のあったKから、アメリカの内部事情を聞き出そうとした。Kは拷問に耐えかね、ぽつぽつと口を開いた。

「お答えします、サー。私の上官は、ペパー軍曹。私にはリタというラブリーな妻がいましたが、従軍し、同期のビリー・シアーズと共に、ミスター・カイトの部隊で戦いました。ベトナムのとき、私は機関銃で、毎分4000発の穴を……」

ビートルズを知っている人ならもう笑っているだろう。ラブリー・リタ! ビリー・シアーズ! 4000発の穴! ……知らない人は真面目な報告として読んだだろう。実はこれは、すべてビートルズの歌詞を使った“でっち上げ”なのだ。

Kは看守たちが全く無学で、語学もわからず、ましてアメリカのポップカルチャーなど全く知らないことを利用した。もっともらしい嘘をついて看守たちに記録させた。同時に、彼は予想していた。いつか文化や音楽を愛する人がこの記録を読めば、すぐにこの仕掛けに気づくだろう。

そして実際、十数年後、Kの家族がこのデタラメ供述書を発見した。ひと目見てすぐにわかった。

「ペパー軍曹? これ、ビートルズのアルバムよ!」

The Beatles “Sgt.pepper’s Lonely Hearts Club Band” (1967)

彼らはKの最後のユーモアに触れて、はじめ、大笑いした。ペパー軍曹といっしょに戦っていた! しかし最後には涙していた。絶対に家族の名前がバレないように、Kはビートルズの登場人物の名前を使って話していた。しかし、名前はデタラメだけど、話していたのはどれも本当のことだったのだ。

「お答えします、サー。私は、私を支え、時に厳しく叱ってくれる、妻のリタを誰よりも愛しています。デイブとチャック、まだ6歳と2歳の二人の息子たちを、心から誇らしく思う。会えなくてとてもさみしい。母のメアリー、父のダニー、元気でいて下さい。必ず会いに行きます……」

最後の一文は嘘になってしまったし、固有名詞はすべてデタラメだ。でもすべて、本当のことだったのだ。

2年間のこと⑤ 東南アジア・カンボジア 前編(カジノと詐欺編)

タイからカンボジアへ国境を抜けると急に貧しくなった。タイはホテルもトイレも道もキレイだった。カンボジアはあちこちゴミが散らかっていて、川岸はゴミの山、水面はぶくぶく泡だらけ。やせこけたノラ犬がその辺を歩いている。

僕がついたのは夜中だった。バスを降りるとフード姿の少年たちがマリファナを吸っている。他に人影はなく、少し歩くとバーがあった。中に入るとズンズンとダブステップが流れていて、僕と同じくらいの身長の、つまりは180cm近い女性が出てきて図太い声で聞いた。

「トイレはそこ。タクシーはもうない。マリワナ? ドリンク? プレイ?」

僕は歩いてホテルまで行き、翌日検問を越えた。

パスポート・コントロールの係員に、「この旅券では入れない。追加で5000円支払ってください」と言われた。よくある詐欺だとわかっていたが、タイまで引き返して大使館に電話して……という手続きを考えたら面倒になったので支払った。

ふつうの日本人観光客はこんな検問を通らない。飛行機で一気にアンコールワットか首都プノンペンまで飛んでしまう。僕はあえて陸路をとり、ヤバイと噂の国境線上の街を見に来たのだ。この街にはカジノがある。それで、法律でギャンブルが禁じられているタイや中国の金持ちたちがごっそり集まってるらしい。

僕は受付で1万円ほどデポジットを支払い、カジノに入った。Tシャツとタイパンツではマナー違反だろうと思い、リュックから着替えを取り出してトイレで襟付きの服に着替えた。でもお客のほとんどはアロハシャツと短パンだった。ブラックジャックとバカラを少しやったが、一緒になったケンという名の中国人はピッチリとした七三分けで、大きなサングラスをかけた茶髪の女を連れていた。僕が思い切って1万円とか張ってドキドキしてる前で、ケンは明るく笑いながら10万20万と賭けていくので、何だかバカらしくなってやめてしまった。

食堂に行くと、タイ料理と中国料理が食べ放題だった。「ホントにFree?」と訊いてもホントにFreeだった。考えてみれば当たり前だ。一晩で100万とか1000万とか突っ込む客をもてなす食堂で、ヌードル一皿80円とか細かく集めてどうする。

中国人の金持ちがバカラで負けたお金のおかげで、僕はタダメシをたらふく食べた。しかも、どれもかなり質は良かった。

* * *

翌日「湖の上にある町」を見に行った。特殊な集落なのでガイドを雇わないと入れないらしい。1万円ほどオンライン決済で支払うと、翌朝七時、ダミ声のガイドが迎えに来てくれた。

途中、休憩で地元の人たちのマーケットに寄らせてもらい、見たこともない虫や動物のブタの頭を売りつけられたが、丁重に断った。その代わり動物の骨で作った数珠を一つ買った。ホテルで虫を料理するわけにはいかないが、地元にお金は落としたい。しかしその数珠は一週間くらいで糸が切れてどこかへ行ってしまった。

2時間ほどドライブして湖の上にある街につく。この写真の家を見るとわかりやすい。地面からずいぶん高いところに建てられているように見えるが、雨季になると床下ひたひたにまで水面が来る。

歩けるところは歩き、より深いところを見たいときは船頭のオバチャンにチップを払って船で行く。でたらめにでかい湖で、雨季になると東京都どころか、岩手県が丸ごと沈むくらいのサイズだそうだ。

お昼ごはんは水上のレストランでランチプレートを食べた。カンボジアにしてはかなり割高で、日本円換算で1000円くらい。高級レストランの金額だ。さらにその後、水上にある学校を見学したら子供らが駆け寄ってきて、口々にたどたどしい英語で話しかけてくる。

「Welcome! I am Kan!」

「I am Toom! What is your name?」

「I love Japanese Manga! Naruto!」

子どもたちとの微笑ましい交流がすんだところで、すかさずガイドが流暢な英語で説明する。

「温暖化の影響もあり、湖の漁獲量は年々下がっています。さらに外国からの輸入品が増えて、販売価格も下落する一方です。この子たちはみんなお古の教科書で勉強しています。よかったら皆さん、この子たちの教科書代を寄付してもらえませんか?」

ちなみにガイドツアーの参加者は僕以外全員ヨーロッパ人の金持ちばかり。一流企業を定年退職された金髪のご夫婦なんかが参加されている。こんなことを言われたら欧米人は寄付しないわけにはいかない。SDGsとフェアトレード、二刀流で殴ってきやがる。そして僕も、「どうせ教科書以外のことに使われるんだろうなあ」とうすうす勘づいてはいるけれど、たまらずお札を2枚、3枚と募金箱に放り込んだ。

カンボジア人の平均月収は1万5000円くらいだ。書き間違いではない、本当に月給1万5000円、年収18万円程度だそうだ。そりゃ、こうもなる。必死に漁業やるよりも、ツアーを組んで台本を書き、バカな日本人とヨーロッパ人を騙す方がよっぽど上がりがいい。

外国の観光客向けに上手に一芝居打つことで、彼らはiPhoneやAndroidを買う。しかしそれも、この絶望的な格差を考えれば腹も立たない。子供らのうち何人かは、本当に真剣に英語を勉強してるだろう。この国を出ていくために。

* * *

湖の上の子供たちに寄付をするのは惜しくなかったが、アンコールワット観光でいちいち金を払うのは馬鹿らしいので、現地で原付きを一発借り、自力で見て回った。

アンコールワットについては普通のことしか書けないから、僕が長々書く必要はないと思う。木が寺院を飲み込んでいる光景に、最も圧倒された。千年以上前に建てられた巨大な寺院が、何百年も放棄され、忘れ去られて、気がついたら木に飲み込まれていた。それが今、再発見されて、世界中から観光客が集まっている。

1000年もあれば、人間の最も偉大な仕事でさえ、こうもあっさりと自然に飲み込まれてしまう。

夕方、絶好の夕焼けスポットがあるというので行ってみたら、高台の上に500人くらい集まっていた。日が落ち始めると、誰かが「あと5分!」とカウントダウンをはじめる。カンボジアの国歌なのか、歌を歌う人もいて、熱気が高まり、どんどん人も増えてきて、妙な一体感も生まれてくる。

まるで音楽のライブ会場みたいだ。スター登場を待つ、ライブハウス……。

そしていよいよ日没時刻が迫り、カウントダウンの青年に合わせて、人々が大声を上げる。

「3, 2, 1… Zero!」

日没時刻! なぜか大きな拍手と歓声があがり、隣同士抱き合っている人までいる。僕も「ヒュー!」と歓声を上げて、知らんヨーロッパ人のおばあさんとハイタッチした。

人々はゾロゾロ帰りだす。でもその後も夕日はゆっくりゆっくり、沈んでいった。とてもいいものを見た。この夕日だけは、おごる人もおごられる人もなく、金持ちも貧乏もなく、無料だった。