キャンプに行ったから今日の日記は動画だ。チャンネル登録&高評価お願いします! → https://www.youtube.com/watch?v=7X1sr08Z0rg
投稿者: 谷 賢一
作家・演出家・翻訳家。1982年、福島県生まれ、千葉県柏市育ち。
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私は福島で東京より良い演劇を作る。「本当は東京の方がいいんだけど」なんてことじゃない。「むしろ福島の方が集中して、いい環境で物作りができる」、そういう環境を作ることで復興に手を貸したい。善意やボランティアに頼っては長続きしないので、きちんとマネタイズし、職員に給料を払うことも実現する。そのためには現地の人たちに本当に喜ばれる事業をしなければならない。福島に来る演劇人、福島に住んでいる人々、そしてこの社会、全てが喜ぶ「三方よし」。
というわけで地元の人々とまずは飲み会をしてきた。最初は新聞記者さんたちと飲もうという話からスタートしたのだが、結果的に本当にいろんな人が来てくれたな。福島民報さん、福島民友さん、いわき民報さん、NHK福島支局の人たち、ローカルライターさん。内閣府メンバー、双葉町役場の人々、UR都市機構の方々、ぷくぷく醸造という酒蔵の仲間たち。そして演劇の俳優、スタッフ、などなど……。全員が立場は違えどどうやったら福島を復興・再生できるか人生を賭けて仕事をしている人たちだ。こういう人たちと話すのは楽しい。最近は演劇人同士でもあまり熱弁というか熱心に理想や演劇論を語る人がいなくなった。表現が全体的に自己満足的になっていて寂しい。この双葉町という町には今は本当に何もないけれど、だからこそどうとでも変えていける、どうなるかわからない、町ごとベンチャーのような感覚があって刺激的だ。ぷくぷく醸造の立川さんはこの浜通りで世界と戦えるレベルの酒を作ると言っていた。日本酒は今世界中で戦える商品になったがプレイヤーとして参加しているのは日本人だけ。福島の酒は日本金賞を取り続けているから、この県で一番を取るということは世界の頂点をとるということに等しい。非常に共感する。僕も福島で世界レベルの作品を作りたい。そういう土壌や環境、構造を整備する。

最後にこちら、一人ご紹介。この度設立した一般社団法人(登記完了! のちほどリリースなど出しますね)の、僕の上司で伊藤さんという。お見知り置き下さい。



ブログ毎日更新するぞ!なんて言ってさっそく一日飛ばしたじゃないか?と一部の人はニヤニヤしているだろうが、昨日は全く電波の入らないところにいたのでブログどころかTwitterもLINEも何も見えない。なので許してね。先月からキャンプにハマり、着々と「キャンプギア」(キャンプ道具のこと)買い揃えているが、やっとちゃんとしたテントを買った。これまではホームセンターで2980円で売っていた子供のおもちゃのようなテントで寝ていた。これはこれで楽しかった(十分寝れた)んだが、さすがに狭すぎるし、どうやら自分は飽きずに今後もキャンプをしそうだということがわかったのでオモチャではないテントを手に入れた。「きっと使うだろう」と高い買い物をして全然使わない……という類の無駄遣いに自分は我慢がならないので、こうしてしばらく安いもので繋ぐことがよくある。電波が入らないことによってある種の恐怖症から解き放たれることができる。僕はスマホ中毒、ではないんだが、通知一つ見逃して大変な稽古的遅滞や経営的打撃を受けることが多いので、スマホの通知を常に気にしている。支配されていると言っていい。こうやって流石に山奥で電波から遮断されてしまえば、ようやく自分は自由だ。じっくり本を読んだり書いたり、考えごとをしたりすることもできる。
明日は12月に福島でやる公演のオーディションだ。普段以上に書類審査を厳しくやったが(オーディション参加者に無駄な交通費をかけさせては悪いので)、おかげでぎゅっと濃密な人が集まった。夜には双葉町で懇親会もある。
昨日今日と東京で仕事があったので都内にいた。昨日は練馬区内で美容室「NALU HAIR OHIZUMI GAKUEN」をやっている美容師の作山さんにお会いして……と言うか、髪を切ってもらってきた。「思い出の場所っていうと、なんつっても海っすね。いつも駅に着くと友達の車に拾ってもらって、まず砂浜へ行って、語り合って、真っ暗んなって友達ん家に泊まって、次の日も友達ん家に泊まって……実家に帰るのは2日後とか? 早く帰れよって言う(笑)」……こんななんでもない青春の1エピソード話だが、あの浜辺の今の姿を知っている僕にはとても特殊なセリフに聞こえる。




今日は双葉町に壁画アートプロジェクトを仕掛けた「熱燗師」、高崎丈さんのお店へお邪魔してビジョンと夢を共有し合った。双葉の壁画アートは見るとマジで感動しますよ。




僕をよく知る人は「谷は本当に福島のことずっと追い続けてるな」と思うかもしれないが、本格的に取材を始めてからはせいぜい6年くらいだ。移住してまだ2週間。超新人、ほとんどまだ通りすがりと言っていい。丈さんのような双葉に生まれて双葉と繋がり続けている人(僕の一個上みたいだから、41年!)に人や場所・情報を案内してもらって、少しずつ僕も本当の双葉町民になっていくのだろう。双葉町を「震災と原発事故の町」としてではなく「アートやエンタメ、面白いことが次々起こっている町」として知ってもらうことで、悲劇を終わらせる。遠大な夢だが丈さんたちが打ち込んだアートのくさびはすでに町の景色や意識を大きく変えた。演劇にだって何か手伝えることはあるはずだ。丈さんとはうまく手と手を取り合い、人的・物的・場所的リソースを共有しつつ、選択と集中して投資・投下することで、双葉町を明るく面白く発展させたい。

ということを、やろうとしてます。

犀門といえば新宿演劇人が御用達にしている飲み屋の老舗で、もういつからあるのだろうか、池林房や呑者家・お多幸などと並んで昔からの演劇人の集う店である。そこで谷が誰かとサシ飲みをした……といえば、「まぁあの人だろうな」と特定されかねないくらいのとこだが、二人きりで飲むのは5年ぶり?ともいう大先輩にして盟友と久々に飲んで来た。大した話じゃないので今日はここまで。

ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場『スカーレット・プリンセス』を観た。今年のナンバーワン候補。エディンバラで観た『COPPÉLIA』かこれか。原作となった鶴屋南北の『桜姫東文章』は常軌を逸した展開で江戸時代に書かれた表現主義かナンセンス文学じゃないかってくらいやばい本なんだが、そういうのをプルカレーテに渡すとこういうとんでもないものができる。時間がないので今日はここまで。
今日は午前中嬉しい再会とミーティングがあって、浮かれていたところに旧知の友人の訃報が届き、しばらく心臓の鼓動が止まらなかった。しかし13時から諫早の人たちとのワークショップがあったので、すみませんぶっちゃけ今日は休ませて下さいと喉まで出かけたが、本当に演劇は一期一会でここで会わなければ二度と会えない人もいるのだと思い必死に楽しくワークショップを行った。今回は特に俳優でない人も混じっていたのでとりわけ肯定と承認をテーマにして内容を考えた。演じることは楽しい、しかもそれは無理をすることでも下駄を履くことでも厚化粧をすることでも似合わない服を着ることでもなく、自分のままそこにいて、心を開き、人と繋がる。そして自分にとっては嘘=虚構である台詞や行動を、自分の心と体を使って行う。そういうことを、こういうふうに書くと難しいが、ごくシンプルな簡単なワークを通じてやってもらった。その中で僕は「自分の心に嘘をつくと心が軋む、緊張する、ぎこちなくなる」「だから自分の心の声に耳を傾けることが大切だ」と話したが、今日の僕は非常につらい出来事を隠しながら、ニコニコ笑ってワークショップをやったので、最終的には楽しい時間になったけれども心は軋み続けた。あまりにも疲れたので食事も飲み会もせずに帰らせてもらったが、立ち去りがたく、1時間以上劇場でワークショップ参加者たちと立ち話をした。彼ら彼女らも僕と同じように立ち去り難かったのだろう。その中で長崎の話をたっぷり聞かせてもらった。本当に壮絶な町だ。鎖国と出島、潜伏キリシタン、原爆、これだけでもトピックとして凄まじいのだが、そこに諫早湾干拓事業、雲仙・普賢岳、天草四郎の乱、佐世保米軍基地……。抱え切れない。また来よう長崎。諫早。


「諫早名物といえばうなぎだよ」と言われたので絶滅を危惧しつつうなぎを食べた。同じく地元名物であるくじらも食べた。すごく美味しかったが上記トピックにうなぎとくじらの議論も加わるとなると、本当長崎は、なんてこった、すごい町だな。そこへロシア・ウクライナ情勢の急速な悪化、ドイツ領事館へのミサイル発射に橋の破壊ですか? 戦争拡大の話が繋がってきて、ロシアも北朝鮮も核の使用を云々と聞こえてくる。長崎の地にいてそんな話を聞くのは悪夢だ。耐えられない。どうか全て杞憂でありますように。
午前中のミーティングで「シャンティ」という言葉の意味について教えてもらった。ヒンドゥー語で「平和」という意味で、ヨガなどのワークが終わる際に「シャンティ、シャンティ、シャンティ」と3回唱えるらしい。1回目のシャンティは自分のために。2回目のシャンティは周囲の人のために。3回目のシャンティは、世界に祈りを捧げるために。
シャンティ。シャンティ。シャンティ。from長崎。

今年一番じゃないかというくらい疲れた! というか、観客の皆様マジですごい。朝10時に第一部の上映が始まり、休憩とアフタートークを挟みながら全部終わったのが21:45くらい。12時間いたぞ! しかも全部通しで観たお客さんが20人以上いたらしい。信じられない。生の舞台でも疲れるのに映像で三部作一気見なんて凄まじく過酷なことを皆さんなさっている。
そして私は一人、他の皆様とは違う苦しみを抱えながら観ていた。というのもこれは演劇のクリエーターじゃないとなかなかわからない感覚かもしれないが、我々は一度たりとも自分の作品に完全に満足したということがない。どんなにうまく行った作品でも「ここは少しテンポが悪いんだよな……でもどう書き換えたらいいのかわからん」とか「ここは今演出するならこんな風にやりたい、直したい」とか「ダメだダメだ、ここはもう何と言うか、若い! もう1年半前だから仕方ないけど今ならこうはしないな、やり直させてくれ!」、あるいは「今演出するなら美術も音楽もステージングも、それに台詞の解釈もこういう風に変えてやるのにな。直したい。稽古させてくれないか? 無理か……」なんてことを延々脳内でやってるわけで、これも非常に疲れる。自分の作品を映像で観るなんてのは、自分の至らなさやアラを拡大鏡で見せつけられてるようなもので、心の中は七転八倒、「今すぐ映像を止めろ! 止めてくれ!」なんて思うこともしばしばあって、しかし周囲は息を呑み、涙すら流しながら観てくれているのでもちろんそんなことはできない。私だけ永遠の責め苦を味あわされている。
実はもうやりたいプランがいくつもあるのだ。第一部はこう、第二部ではこう、第三部ではこう……といずれ来る再演へ向けて蓄えている演出プランがある。それは、時代が変わったので表現を変えたいというところもあるし、少し客観視できるようになったので直したいところもある。そもそも演劇観自体が変化したので変えたいところもある。今すぐにやってもいいんだけれど、そんなことしたらLet it beとYesterdayとHey Judeだけ歌うポール・マッカートニーのコンサートみたいになってしまう。多分彼は一生それでやっていけたはずだが、新譜を作り続けた。僕も新譜も作りたい。でも今ならYesterdayをこんな風に歌うのにな……ということも考えてしまうわけです。
2026年とかにやれたらいいなとは考えている。震災15年目だが報道は大きく減っているだろう。さらにもう全く震災を知らない若者が、もしかしたら第一部の孝とか忠とかをやれる年になってるかもしれない。2011年にまだ3歳だった子は2026年にはもう18歳でしょう、やれる役は結構あるんだよな。そういう全く震災を知らない世代と新たに掘り起こす、掘り下げる福島三部作……というのなら、充実したクリエーションになりそうだ。
それまで、この「早く直したい」「稽古させてくれ」という歯ぎしりをしながら、この感情は取っておく。酒飲んで寝る。集中して観てくれたお客様、そして無償でこんなイベントを企画・開催してくれた諫早独楽劇場の皆様、どうもありがとうございました!

この週末は長崎くんちというお祭りと完全にぶつかっているらしく、宿が全然なかったので、あろうことか私は今サウナに泊まっている。だってお前ドーミーインが一泊2万円だぞ。俺はドーミーイン相当好きで都内でも何十回と泊まっているが、2万円は払えん。高級ホテルは一泊10万円する。サウナに泊まれば2700円だ。

うちの親父の口癖の一つに「子供に贅沢させちゃいかん」というのがあった。僕はそれをまともに食らい、かなり質素な幼少期を送った覚えがある。それでも親父の言う「父さんの小さい頃は、すいとんがあれば十分ありがたい。白米なんか滅多に食えなかった」「ラーメンはご馳走だった」なんてのを聞いてると、別に苦にも思わなかった。おかげで僕も今、たまにイベントの主催者側がなんちゃらプリンスホテルとか用意してくれちゃうと恐縮してしまう。いいえ僕は駅前の漫画喫茶にでも泊まるので、その宿泊費3万円、僕のギャラに充ててくださいとかよく思う。それで今回の福岡・長崎旅行では「僕がテキトーにビジホ取るんで、1泊5〜6千円くらいでやりますんで、それだけ払ってくれたら!」なんていい加減な発注で来ておる。そんで今日は宿がなかったのでサウナに泊まった。漫画喫茶でもよかった。いずれにせよ安く上げられる。
久々にサウナに泊まった……ように見えて、実はちょいちょい泊まっているので、この感じ、僕は割と楽しい。ドーミーインに2万円払うよりは「隣の親父うるせえなあ」と思いながら一泊2700円のこちらの方がよほど良い。親父の教育をありがたく思う。
人間、高級なものに慣れてしまうと生活レベルは落とせない。だが僕は親父の教えてくれた控えめな倹約や、20代に演劇で成り上がろうとして体験したとんでもない貧乏のお陰で、今は何をやっても楽しい。どこでも生きていける。
今の目下の楽しみは、また新しいキャンプ地へ行って、地元のスーパーで買った特売品の一尾300円とかの魚を焼きながら野宿することだ。早くキャンプに行きたい。一泊3万円の宿でコース料理を食うより、キャンプ場のフリーサイトでテント張って、地元の安くて美味しい魚や肉を焼いて食う。これが俺に一番合っている。一番楽しい。生きてるって感じがする。

演劇でちゃんと成功すると、ちゃんと食える。僕はもうかれこれ20年、演劇だけで食っている。そのために演劇に全ての生命をかけてきた。この先もそうだろう。若手の演出家や作家には、ちゃんと言っておきたい。演劇でちゃんと成功すると、ちゃんと食える。だから、演劇を諦めないで欲しい。

自分はかなり旅慣れてる方だが、新しい土地に行った場合の鉄則は、まずは施設の開館時間をちゃんと調べること。その資料館や美術館の開館時間は17時までか、19時までか? 21時までのご飯屋さんと26時までやってる飲み屋。ホテルのチェックインは何時まで。そこを調べる。かつ初めての土地に行く際にはある程度効率は度外視して「本命から攻めろ」が鉄則だ。一番見たいところを最後に回したりすると、途中で旅程が狂って本命に行けなかったりする。
そこで今回の長崎入りでは長崎原爆資料館に真っ先に立ち寄ったのだが、正直、失敗だったかもしれない。展示内容は素晴らしかった。しかしあまりにしんどくて、3時間はゆっくり見れるようにスケジュールを切っていたのだが、1時間見ただけでくたくたになってしまった。
展示は素晴らしい。例えばこんな記述がある。40歳の男性、自分は仕事で隣の諫早市に行っていて助かった。家族は全員亡くなった。こんなものを読むと今、ちょうど同じく40歳である私はすぐさま自分のこととして想像してしまう。さらにその後お母さんと小さな兄弟の話なんか出てきたりすると、うちの妻と二人の男の子のこととして再生されてしまう。その後、原爆の熱戦を食らい焼け焦げた少年の写真を見る。真っ黒に炭化して、顔の造作や髪型などの個性はおろか、表情もわからない。真っ黒な仏様、真っ黒な仏像のようにすら見える。残酷な、苦しい仏様だ。さぞ痛かったろう。苦しかったろう。意味がわからなかっただろう。怖かっただろう……。そしてそれが自分の息子の姿にしか見えない。真っ黒に炭化して個性が消えてしまっている分、本当にそれが自分の息子に見えてくる。まだ6歳の、ひらがなが読めるようになって小学館の図鑑を隈なく読むのとニンテンドースイッチでMinecraftをやるのが大好きなうちの息子が目の前で炭化している。胸が痛い。胸がざわざわして、嘔吐しそうな感じがする。どうしてこんなことが起きているのかわからず、頭の中がぎゅーっとねじれて、自分の顔がぐしゃっと歪む。それは怒りとも嘆きとも違う難しい感情だ。
その後、僕はちょっと泣いた。哲学者のバートランド・ラッセル(ウィトゲンシュタインの師匠だ)とアインシュタインがアメリカの大統領に原爆廃絶の手紙を書いたという展示で泣いた。原子力は確かに人類の叡智、人類を貧困から救い、栄華をもたらすエネルギーになれた可能性だってあったんだ。しかし核分裂連鎖反応の仕組みが発見されてまず最初に行われたのは広島と長崎の何十万という人々を焼き殺すことだった。その後には世界各地で原子力事故を続発させ続けている。2011の福島でさすがに懲りたかと思いきや、今はロシア・ウクライナ戦争でザポリージャ原発が攻撃対象になり、IAEAが警告を出した。さらに日本でも、愚かなことに、40年で廃炉というルールが廃止されて経済のためだけに原発を動かす流れができつつあ流。故郷を奪われた福島の15万人の避難者、難民たちの物語は忘れ去られようとしている。黙殺されようとしている。
これが科学か。21世紀の人間の叡智か。

その後平和公園にも行ってこの有名な像も見てきた。みんな知ってるんだろうけど僕は初めて見たから感動した。天高く伸ばした右腕は降りかかる原爆の脅威を表しており、横に伸ばした左手は平和の象徴、そして優しく目を閉じた表情は神の愛・仏の慈悲・戦没者への哀悼・冥福への祈りを表しているらしい。同公園内にはソ連が送った平和の像も展示されており、それを見た女子大生のようなグループ客の女の子たちがツアーガイドの男性に口々にこんなことを言ってた。
「私、これ見て泣きそうです」
「この像を今のロシアの人たち、プーチン大統領に見せてやりたい」
「ほんと、これ思い出せって感じです……。ウクライナの人たちに、ホント……」
それを聞きながら僕は最悪の想像をしたのだが、実際今後も原子力災害はまだあるんだろう。広島、長崎、福島では足りなかったのだ。ビキニ環礁、スリーマイル、チェルノブイリ、東海村JCO原発事故では足りなかったのだ。もっともっと酷い目に遭わないと人類は原子力をやめられないのだろう。
そこまで考えて怒りも湧いてきた。広島でも長崎でも足りない、福島でも足りない? それは、どういうことだ?
今日の午前中は、ららぽーと福岡に建設された巨大νガンダム立像を見てとても楽しい気持ちだったのだが、観光だのなんだのする気持ちがすっかり失せてしまった。




ちなみに↑のνガンダムが出てくる『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』はこういう映画です。
シャア「地球がもたんときが来ているのだ」
シャアは人類に絶望し、巨大隕石を地球に落として地球を無人の星にしようとしています。アムロはそれを阻止しようとしている。
シャア「地球は人間のエゴ全部を飲み込めやしない」
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年公開の映画)より
アムロ「人間の知恵はそんなもんだって乗り越えられる」
シャア「ならば、今すぐ愚民ども全てに英知を授けて見せろ」
