前回は町まで徒歩6時間、陸の孤島で事故って動けなくなったところまで話した。レッカー車両が到着すると、松崎しげるくらい顔が黒い、筋肉質のネズミみたいな顔したコワモテのおじさんが降りてきた。
「あ、ダメだね、こりゃ……。なおっかな? やっちまったなーァ……。(僕に向かって)居眠りィ?」
口調は乱暴で見た目だけなら反社か半グレだが、せっせとジャッキを動かしながらパーツを調べてる顔を見てピンと来た。世の中には機械いじりが好きで、人と話すのが苦手な人がいる。「乗せてくれ」と頼んだら、「当たり前だよ! こんなとこ置いかないよ!」と快諾してくれた。
運転席と助手席の間のガラクタをガシャガシャどけて、スペースを作ってくれた。僕はそこにねじ込まれ、黒いオジサンと肩と肩をぶっつけあいながら2時間ほどドライブした。
いろんな話をした。聞けばオヤッサンかなりの苦労人で、東京へ出て腕一本でのし上がり、某大手メーカー公認の修理工場を任されるにまで至った。ところが育てていた社員に裏切られて会社を失い、今は地元へ戻ってやってるらしい。
「いやぁ、東京はもういい。東京はもう」
本当はこの先も聞いたけどそれは書かないでおく。そういえば以前、取材で福島を回っていたときも同じだった。縁もゆかりもない他人にだからこそ喋れることがあるのだ。
そのあと黒いオヤッサンは体中の知恵を振り絞って、僕のお遍路完遂プランを一緒に考えてくれた。
「2週間後に東京に戻っていればいいのね? クルマは10日、いや1週間で直してみせます。なるべく中古でパーツを揃えて、足りないものはNISSANからすぐ取り寄せて……。保険で十分間に合います。でもお客さん、その間アシがないでしょ? ウチ今貸せる代車ないんだけど、作業用のボロの軽なら一台あって。乗ります? そしたらお遍路も間に合う。――カネはいいです、あんなボロ。高知まで出てレンタカー借りてる時間も惜しいでしょ?」
出てきた軽自動車は本当にボロボロのベコベコだったが、中はキレイに掃除されていた。荷物を移し替えながら「なぜそんなによくしてくれるのか」と尋ねたら、黒いオジサンはこう答えた。
「あたし、四国に生まれてまだお遍路してねえんですよ。だから他県から来てやってる人を見ると、ありがたいなって思うの。この辺のモンはみんなそう思うんですよ。お遍路さんは、自分の代わりに回ってくれてるって」
昔トルコでバックパッカーをしていたとき同じような話を聞いた。イスラム教徒の最も大事な教えの一つに「旅人を大事にしろ」というのがある。これはメッカ巡礼が義務であるイスラム教徒がお互いを助け合うために定められた戒律なのだが、同時に経済的な事情で旅に出れない農民なんかに「あなたはメッカに行けなくても、メッカに行く人を助けた。それはメッカに行ったのと同じことですよ」と救いを与えるための工夫らしい。旅人に優しくすれば、メッカにお参りしたのと一緒。
四国の黒いオッサンとトルコのイスラム教徒が似たようなことを言っているのは、極めて深い宗教の深淵だ。
それからそのボロの白い軽自動車は、僕の最高の相棒になった。朝8時から夕方5時まで寺と寺をマラソンして、近所の銭湯で汗を流した。夜は地元のスーパーで魚を買い、駐車場でキャンプ用のバーナーで焼いて米を炊いて食った。ほぼすべての夜を車中泊で過ごした。この生活には一切の嘘がないように思えた。
結局僕はプラン通りに八十八ヶ所巡りを済ませて黒いオジサンのもとへ戻り、ピカピカに直った愛車を回収して帰った。特に感動的な別れはなかったが、オジサンは僕に缶コーヒーを何故か2本くれた。僕は「僕の親父も自動車整備士の資格を持ってて、車の下に潜るのが好きだったんですよ」と話そうかと思ったが、さすがにキザだと思ったので握手だけして別れた。
それから高知市へ立ち寄り、3泊ほど旅館の畳部屋に泊まって狂ったように書き物をしてから帰った。ただしそのときの原稿はイマイチだったのでボツになり、すべてお蔵入りになってしまったけれど。
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お遍路で会った猫(一部)
なぜかみんな異常に面構えがよかった