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カテゴリー: 福島でのこと

福島三部作、稽古中

2016年から取り組んでいる福島三部作プロジェクトが、いよいよ本番が近づいてきました。今年の夏には第一部〜第三部の一挙上演です。チケット1枚4200円するのに、3部作セット券にすると1万円に爆安化するという小劇場の意地のような価格設定をしております。昨年第一部をご覧になっていない方は是非ご利用下さい。

現在稽古中の第二部『1986年:メビウスの輪』は、実在した有名な福島県双葉町長・岩本忠夫氏をモデルにしています。この人がまぁ数奇な運命を辿った人で、たくさん記事や書籍も出ているのですが、反原発派のリーダーだったはずなのに気がついたら原発推進派として町長に選ばれてしまって、やがて超積極的原発推進派に転向していくんですね。岩本氏のご子息や友人・同僚などにも取材させて頂きまして、事実に基づきながら大胆にフィクション化し、どのように反対派が賛成・推進派に変わって行くか、安全神話が生まれるのか、人は変わるのか、を描きました。濃密な会話劇から一転して描かれる衝撃の結末。特に結末はすごいと思います。

DULL-COLORED POP福島三部作公式サイト

今週の稽古休みには第三部取材のために福島市まで……何度目だろう、足を伸ばして来ます。とても重要な人に会うのです。演劇はフィクションでありファンタジーであり架空・虚構ですが、しっかり事実・ファクトの下地を塗り込んでいるかどうかで、大きくテイストが変わります。第三部は特に演劇的に自由に時間・空間を演出しつつも、内容的にはファクトとエビデンスを下地に敷きたい。

最初に取材に行ったときは、白河駅から数十キロ、自転車旅行でした。そば屋のおかみさんからりんご売りのおばちゃんまで独力で取材して、少しずつ人脈を繋いでいき、最後にはかなり深刻な被災者や役場の広報課や議員さん、ジャーナリストや地元高校生にまで取材することができました。200人近く会ったんじゃないだろうか。今度数えてみたいな。

東京は8/8からですが、ぜひ観にいらして下さい。僕のこれまでの演劇人生の、全力を投じます。

福島3部作・大阪公演クラウドファンディング

主にTwitterで告知していましたが、DULL-COLORED POP福島3部作の大阪公演を実現しよう! というクラウドファンディングを実施中です。すでに目標額には到達しましたが、もう少し支援が集まりますと我々はいわゆる「ドヤ」、あいりん地区ではなくまともなビジホに泊まることができるかもしれません。

大阪公演を優先的に予約できる「優先予約権」や、3部作全作品のDVDなど特典も多種多様・超豪華です。確実に大阪公演をご覧になりたい方は是非ご利用下さい!

若い劇作家からの手紙、『1961年:夜に昇る太陽』について

『1961年:夜に昇る太陽』を上演中で、多方面から大変な好評を頂いているが、少し印象深い出会いがあった。

「とても良かったです。うちの劇団員にも……」

そう話しかけてきた20代前半と思しき少女は、真っ直ぐな、ぶれない瞳をしていて「あ、これ賢い子だな」と一見してわかったが、話してみると少女都市という劇団を主宰している作家であり演出家であるという。調べてみると(おそらく)20代前半という若さにも関わらず岸田賞にもノミネートされていて、将来を嘱望されている。名前は葭本未織さん。

そんな彼女から頂いた感想メールがあまりに正鵠を射ていたので、許可をとった上で少しブログで紹介する。

『1961年:夜に昇る太陽』、本当に素晴らしい作品でした。双葉町の原子力発電所の誘致に関する知らなかった事実をたくさん知ることができました。(特に、職員にハイキングの格好をさせて…というくだり、人間のすることか、とゾッとしました。)

私の住んでいた地域の近くでも、子供の頃、処分場を作るという話がありました。(住んでいたのは兵庫県で、つくられるかもしれなかったのは、徳島の淡路島に面した地域です)住民の反対で作られなかったものの、3.11以降、本当につくられていたらどうなっていたかをずっと考えていました。また、反対が成功した地域にいたからこそ、なぜ日本全国の原発のある地域の人々は、誘致を許可してしまったのか。それがずっと知りたいことでした。けれど、作中で、3億という大金を目の前にした登場人物たちを見たとき、果たして自分の身にこのことが起こったとき、本当に土地を手放さないという決断をできるかと、強く考えました。自分自身に問いかけながらクライマックスのシーンでした。

「田舎は何にも(自分で)決められない。」(うろ覚えですみません。)という主人公のセリフがとても刺さりました。東京の23区は何もかもを自分たちで決められます。たとえ本当はそうでなくても、そうであるような意識を持っていると、私は思います。だから、搾取される地方のことを、中央に見ないことにされる、無視される地方のことを、理解できないのです。今も、昔も、そこかしこに漂う諦念と、それでも郷土を離れられない想いが、地方を構成していると思いました。その点を、非常に細かに、またジャーナリズム精神にあふれた姿勢で描き出されていたことに、拍手が止まりませんでした。

また、そういった非常に繊細な題材を、人形劇や(真がだんだん本当の子供に見えてきて不思議でした)「笑い」を用いて、すんなりと観客に受け止めさせる手腕に、心から脱帽しました。

長くなりましたが、『1961年:夜に昇る太陽』、本当に素晴らしい作品でした。チケットは完売とのことですが、もっとより多くの方に見ていただけるよう、口コミで広めたいと思いました。公演もまだまだ続きますが、御出演者・スタッフの皆様が最後まで何事もなく走り抜けられるよう、心よりお祈りしております。

葭本未織

作品の根幹をきちんと指摘してくれているので、読んでいてとても嬉しい気持ちになった。そう、まずこの作品は「なぜ」からはじまっている。当初のコピーは「なぜ福島は”Fukushima”になってしまったのか?」というものだったが、私が解き明かしたいのはなぜ原発は生まれ、道を誤り、あのような事故を引き起こしてしまったのかという「なぜ」なのだ。あるいはなぜ危険とわかっていながら地元は引き受け、小さな事故がいくつか起きた後でも、そしてチェルノブイリの事故を目の当たりにした後でも粛々と営業を続けたのかという「なぜ」なのだ。

2つ目の指摘も大変ありがたい。この作品は、東京と田舎の関係の話でもある。主人公・孝という人物に担わせたのは、科学者という視点もそうだが、それ以上に故郷を捨て、発展を夢見て都市に集った当時の日本人マジョリティの象徴としての姿だ。だから彼の後半の発言は、孝という個人を飛び越えて、故郷を捨て地方の原発誘致には「関係ない」と口を紡いだ当時の日本人の姿やそれへの批判を大いに背負わせている。

登場人物のうち4人が20代前半という、非常に若い芝居でもある。これは、若い日本、戦後間もなく立ち直りつつあった当時の日本を表している。だから1986年を舞台にした第2部では若者の出番は減り、ぐっとおっさんが増える。2011年に至っては老人が主役になるだろう。日本という国の老いと過ちが、あの人災事故(震災は天才だったが原発事故は人災だ)を引き起こしたのだ。

ダルカラの活動再開について

なんか当然のように主宰する劇団・DULL-COLORED POPを活動再開し、「福島を題材に三部作だー」とか大上段に大騒ぎしている第一部『1961年:夜に昇る太陽』の初日を間近に迎えているが、一体全体どういうつもりで今さら劇団なんか再開するのか、少し書いておこうと思う。

第2回福島取材を終えて

福島県庁脇より、阿武隈川の眺め

17日間東北をぶらついた。いよいよ東京に帰ってきて、人混みにげんなりしつつ、田舎モンが東京出てきて最初に思う「はえー、やっぱ東京ってすげぇなぁ」と思うあの感じを追体験できた。過剰なまでに何でもあるが、やはり過剰にゴミゴミしていて息苦しい。どうして俺たちはこんな街に住みたいって思ってんだろう。

東京と福島は、思ったより近くて離れている。新幹線で1時間半と、とても近い。ただし途轍もなく離れている。

智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。

阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。

あどけない空の話である。

──高村光太郎『智恵子抄』収録「あどけない話」より

福島を知らない人のために書いておくと、「阿多多羅山(安達太良山)」とは福島にある一番有名な山のことです。安達太良山に限らず、福島には「ほんとの空」があちこちにある。もちろん原発のあった町にも、津波でさらわれた沿岸部にも。

福島取材で見えてきた、歴史の連なりに関するメモ

俺が育ったのは福島県の中でもとりわけ地味な石川町という小さな町で、人口は2万人にも満たない。何にもねぇ、実に王道的に何にもねぇ田舎町なんだけど、福島の歴史を網羅的に調べていくうちに、信じられないような歴史がたくさん眠っていることがわかってきて、ちょっと興奮している。

6/7(水) 福島3部作・取材報告会を開催します(参加無料・要予約)

ただいま福島・演劇3部作の上演を目指して約3週間の取材旅行の真っ最中ですが、帰京後、取材報告会を行うことにしました。ブログには公開していない写真やエピソードなどをご紹介しつつ、3部作の構想についても触れる予定です。以下詳細。

※定員に達したため、募集を締め切りました。たくさんのご応募、誠にありがとうございました。