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第2回福島取材を終えて

福島県庁脇より、阿武隈川の眺め

17日間東北をぶらついた。いよいよ東京に帰ってきて、人混みにげんなりしつつ、田舎モンが東京出てきて最初に思う「はえー、やっぱ東京ってすげぇなぁ」と思うあの感じを追体験できた。過剰なまでに何でもあるが、やはり過剰にゴミゴミしていて息苦しい。どうして俺たちはこんな街に住みたいって思ってんだろう。

東京と福島は、思ったより近くて離れている。新幹線で1時間半と、とても近い。ただし途轍もなく離れている。

智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。

阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。

あどけない空の話である。

──高村光太郎『智恵子抄』収録「あどけない話」より

福島を知らない人のために書いておくと、「阿多多羅山(安達太良山)」とは福島にある一番有名な山のことです。安達太良山に限らず、福島には「ほんとの空」があちこちにある。もちろん原発のあった町にも、津波でさらわれた沿岸部にも。

福島で話した人の数名から「とにかく来てみて欲しい」とか「来てもらえることが一番うれしい」という声を聞いた。とある行政職員は「物見遊山の気分でも、ホラーハウスと思ってもいいから来て欲しい」と言っていて、僕はそれに深く頷いた。実際に来てみれば、拍子抜けするほど普通の地区が多い。危ないとこには入れないし、入れないとこも「念のため」という場所が多いから、物見遊山に行くといい。行ってみれば「福島ってまだ危ないんでしょう」という何となくのイメージはかっとぶだろう。

しかし取り戻しつつある日常の中に、対処不可能な現実が残されている。例えば地域の分断の問題。これはあちこちで聞いたけれど、補助金や補償金の額面の違いで狭いコミュニティの中で嫉妬や怨嗟が蔓延していたりする。お隣さんはうちの倍ももらっているらしいが、不公平だ。隣の地区は移住の手当てが出るのに、うちは出ない。自分は医療費がただになったが、病院の受付に並んでいると、かえってそのことが後ろめたい。中曽根康弘元首相は「札束でぶん殴って」学者を黙らせろと言ったというが、そうして出来た原発が爆発して、しかし人間には札束でしか補償ができない。「ほんとの空」や「ほんとの海」が見れなくなった代償は、札束で支払われた。

滞在中に読んだ新聞記事も印象深い。首都圏の消費者を対象に行なった食品の安全性に関するアンケート調査で、9割の人が「気にしない」と答えたという。素晴らしい進歩だ。しかし同じアンケートで、実際に「買う」と答えた人は8割だった。どういうことだろう? 9割の人が気にしてないのに、買う人は8割しかいない。差の1割の人たちは「気にしてないけど、買わない」人たちだ。この差を生み出している微妙な心理に風評被害の難しさがある。

お会いした複数の農業・商業関係の方の口から「安全性で言えば、今一番安全な食品は福島県」という言葉を聞いた。実際にそうなのだ。いま科学的調査・検査を最もシビアにやっているのは福島県だから、安全が欲しければ福島県産を買った方が合理的だ。「いや、検査そのものが信じられない」という人は、日本政府と農林水産省をまるごと疑っていることになるわけだから、外国産品だけお買い求めになる他ないだろう。

札束だけ受け取ってほんとの故郷をなくした人や、いくら安全検査を行っても消費者や流通業者に拒まれる農業・漁業・生産業者は、もはや怒っているというよりは諦めているような人が多かった。受け入れていると言った方が適切だろうか? 「怒ってると疲れますから」と目を細める顔をたくさん見た。「もう戻れない」と諦めた/受け入れた人の中には国や東電に憤りつつも、自分の土地を汚染土の仮置き場にして地代をもらっているというケースもあった。もはやどういう心境なのか、僕の想像に余る。怒りの矛を下ろせずにいるが、その矛先から札束をもらう以外何もできない。家族を殺した殺人犯から毎年賠償金が送られてきて、忘れられないが許すこともできない、そういう被害者家族と同じような気持ちだろうか。もちろんその気持ちだって、簡単に「わかる」と言えるものでもない。

旅の途中、こんなTweetをした。

これを読んだとある観客から、長いDMを頂いた。彼女は東京に移住して、考えると病みそうになるから考えないようにしているが、今も福島にいる親戚や友人のことを思うとどうしても考えてしまうと言っていた。これもダブルバインドだ。某村では安全が確認されたので、住人が集まりバーベキューをやった。そこには新聞記者も来ていたのだが、記事にはしないで欲しいという。これもダブルバインドだ。「安全になったのだから広く喧伝すればいい」というほど、シンプルな問題ではないらしい。某市でお会いしたとある女性は、県外の声に対して「住んでいない人にはわからない」と憤りつつ「わかって欲しい」と祈り、「よく知らないなら放っといてくれ」と突き放しつつ「私たちのことを忘れないで」と願っていた。とても正直な言葉だと思ったが、僕はどう受け止めていいのか全くわからなかった。

恐らく解決はないのだ。片付かないまま、延々と続き、どこかでようやく折り合いをつけていくしかない。

「世の中に片付くなんてものはほとんどありゃしない。いっぺん起こったことはいつまでも続くのさ。ただ色々な形に変わるから、ひとにも自分にもわからなくなるだけのことさ」

──夏目漱石『道草』より

* * *

この記事に「某」や「とある」と書いてあるのは、純粋に取材源への敬意からである。今回の取材は「演劇の素材として」話を聞かせてもらっている人が大半だから、実名を出すつもりは全くない。むしろこんなどこの馬の骨とも知れない自称劇作家に対して極めてプライベートな話まで聞かせてくれた方々のためにも、取材源は書かないつもりだ。いろんな人が、いろんな立場から話してくれた。

しかし聞こえてきた声は、それぞれ違う喉から聞こえてきた声なのに、合唱のように響き合う。「誰々がこう言っていました」という言明よりも、そういう合唱のような響きを戯曲に描き取りたい。

個人的な政治的スタンスとしては原発には反対だし廃絶すべきだと思うが、そのために演劇を書こうとは思わない。むしろ大々的に原発賛成の芝居を書いた方が、よっぽど脱原発に効き目があるんじゃないかとさえ思う。右に掲載した本は311の震災前に「とんでもない本があるぞ」と買い求めてからずっと本棚に入れてある本だが、生半可な脱原発本よりよほどパンチが効いている。青い空、白い雲、完璧に見える制御室の写真。中を紐解けば原発一つ誘致するだけでどれだけ村や社会が豊かになるか、延々と書いてある。だから逆に怖い本だ。

東電の人の話を聞いても純粋な悪党なんてどこにもいない。むしろ愛に溢れた善男善女が組んず解れつやってるうちに、気づいたら引き返すことができなくなって、こういう事態になってしまった。非常に複雑な事態なのだ。ただ、彼らのイメージした青い空とは違う未来に僕らは来てしまったということと、どこかに過ちがあったということだけは間違いない。どういう過去を辿ってきて現在があるのか直視することで、未来の空に貢献できるような作品にしたい。

取材は続く。執筆は間もなく始まる。来年夏、第一部上演。再来年に三部作連続上演を目指しています。焦らずどっしり、粘り腰で取り組んでいく所存です。

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