先日、演劇の先輩が連れて行ってくれたジャズバーで、たまたま流れた1枚目がソニー・ロリンズの『マック・ザ・ナイフ』で仰天した。ついこないだ95歳で亡くなった巨人。そのあと2枚目はエラ・フィッツジェラルドの、これも僕が一番好きな『マック・ザ・ナイフ』のカバー版。
殺人、強盗、ポン引きに不倫と、悪逆の限りを尽くすマクヒィスが、なぜ当時の貴族社会にとって大きなカウンターになったのか、というのは、詳しい説明が必要なのだが、ブレヒトやクルト・ヴァイルのような「こむずかしい」理論をさておいて、新宿のジャズバーで、今も人を感動させていることに僕が感動する。何より僕にとって、『三文オペラ』は特別な作品だしな。マクヒィス、ルパン、石川五右衛門。昔から世が乱れると、正義や権力は浅薄になり、悪党が英雄になる。
たまたまその夜、新宿タイニイアリスの話にもなった。20代の僕を支えてくれた西村博子さんという、最低で最高の演劇評論家がやっていたハコだ。僕が生バンド入れて煙草もくもく、めちゃくちゃな公演をやったとき、西村さんに呼び出された。怒られるのかと思ったらこう言われた。
「この小屋のこけら落としは、蜷川さんと唐十郎さんだから。あいつら舞台でタイヤ燃やして火事にして、こけらで消防車呼ばれたのよ。最低よ、最低」
「だからあなたも好き放題やりなさい」
アリスは逃げ場所だったらしい。新宿で、演劇をやれる場所がなかったため、映画館や神社でやっていた2人が逃げ込んできたサンクチュアリだ。ウサギを追って穴に落ちると、上と下がひっくり返り、現実世界での常識は通用しなくなる。賢いアリスも、現実にフィットできず、不思議の国で旅をした。
西村博子さんの葬儀には行けなかった。2年間、活動休止をしている間に亡くなってしまった。次に会ったら「未払のギャラちゃんと払えコノヤロウ」というのと、「本当にどうもありがとうございました」というの、きちんと伝えたかったのだけれど。未払は20万円ほどです。
もちろんアリスはもうない。アリスみたいな小屋ももうないだろう。エラ・フィッツジェラルドのスキャットを聴きながらそんなことを考えていた。鳳さんも、丹羽さんも、みんないなくなってしまった。あのゴキブリだらけで、ときどき階段の上からヨッパライやヤク中が転がり落ちてくるタイニイアリスの事務所で、20代の僕は仕事をサボって台本を書いていた。
