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小田島雄志先生との思い出

もともと僕は、松岡和子先生の翻訳が好きで、それを使って講演をやったり、大学の企画をやったりしていました。なので、小田島先生にお会いするのは、少し難しい気持ちがしていました。小田島先生も好きだけど、それに影響を受けた松岡先生をさらに好きで、それを公演で使ったりしてたからです。

2012年か2013年頃に、僕は小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞しました。それは自分にとって初めての大きな受賞でした。大変な晴れ舞台だったので、僕は先輩の俳優さんから立派なジャケットをもらい、先輩の美術家からスピーチのアドバイスをもらって、授賞式に行ったのを覚えています。

そして僕はカチコチになりながらも、ものすごいスケールの大きな話をしました。一言で言うと……。

「翻訳も時代が変わってきた。
 より口語的で、俳優の口に合う翻訳が増えてきた。
 自分がかつて図書館で読んだような古い翻訳ではなく、より俳優の口になじむような、新しい翻訳がしたい」

というようなことを言ったのを覚えています。これは、翻訳の大先輩である、小田島雄志先生に対する挑戦のようなものでした。

しかし、授賞式が終わった後、小田島先生は私のところに近寄ってきて、ニコニコしながらこう言いました。

「飲みに行きますか?」

私たちはスペインバルみたいなところへ行き、小田島先生(おじいちゃん、お父さん、息子さんなど、色々な方がいらっしゃいました)と飲みながら翻訳の今後について話をしました。小田島雄志先生はすごいことを言っていました。

「谷くんには、いずれあげるとわかっていた。去年あげてもよかった。
 正直、去年あげようかなって思ったこともあったんだよ。『モリー・スウィーニー』よかったよね。
 でも去年はちょっと色々混雑していたので、今年あげた。頑張ってね」

これは若者の私からすると「ふざけるな」です。若者にとっては、これは大変な違いです。賞が1年早くもらえるだけで生活は安定するし、収入もガッと増える。そう思うと、「おいおい、そんないい加減なことしてくれるな」と思うのですが、私が先生にそのことを言うと、ヘラヘラ笑いながらこう言っていました。

「だって、色々な人にあげたいからね、この賞は」

……実際、小田島雄志翻訳戯曲賞というのは、本当に小田島先生の私費でやっている賞なんだそうで。毎年、賞金も自腹で出しながら、どこの自治体や政府の援助を受けるわけでもなく、「翻訳文化を育てていかなくてはならない」という思いでやっている賞なのだそうです。

僕からすると、小田島先生というのは大変なめちゃくちゃなレジェンド翻訳家であり、大先生です。それでも毎年賞金を出すというのは、大変なことだと思います。だから小田島先生は逆に、「今年はこの人。来年はこの人。なるべく色々な人が受賞できたらいいね」という風にやっていたんですね。私はそれは今ではよく分かります。

受賞歴なんて飾りです。受賞してみると分かるのですが、本当にあれは飾りに過ぎないんです。ただ、「あ、受賞しているのね、受賞歴があるのね」と言うと、急に出入りできるところや来る仕事が増える。つまり、賞をあげる側はなるべく多くの人にあげたいと思っているものなんです。ただし、それを私費の小田島先生がやっているということに関しては、すごいことだと思います。

その後も小田島先生は私にこう言いました。

「新宿三丁目の〇〇という居酒屋で、私は毎週飲んでいます。いつでも来てください。翻訳のことでも演劇のことでも何でもお話ししましょう」

「酔いどん会」という風に言っていましたが、私も1回か2回行きました。途中から小田島先生の体調が悪くなり、そしてコロナとか世の中の情勢の移り変わりがあって行けなくなりました。本当にあの飲み会にはもう少し顔を出しておけばよかったなと思います。

ただし、いつ飲みに行っても、どんなメンバーがいても、小田島先生はずっともう、同じでした。……ダジャレをどれだけたくさん言えるか、ひたすらダジャレを言おうと、それだけです。ずーっと、ダジャレをいうタイミングを狙っている。一緒に飲んでいて、「いや、この動詞の意味はね」「この時のハムレットの気持ちはね」、そんなことは一切言わない。ついさっきの雑談に対して、どれだけダジャレを多く言えるか。それしか頭にない人でした。

ただ、今思うと、それが素晴らしかった。シェイクスピアのことなんか一言も言わない。ダジャレを言って、人を楽しませようとしつつ、でも、あの人の頭の中には、膨大な演劇とシェイクスピアが詰まっていた。僕はそれを、ちょっとだけ覗き見できた。

会場や劇場で小田島先生と会うと、やはり演劇評論家でもあるので、年間200本とか、大量のお芝居を見ていました。大抵寝てるんですが、そのことについて尋ねると、こう答えていたそうです。

「いいんだよ、寝ちゃって。本当に面白いお芝居はそれでも覚えている。それを報告するのがぼくの仕事」

つまり、そうやって、おもしろいお芝居を見つけては、報告する。それを90代までやっていた、と思うと、頭が下がります。

大好きでした、小田島雄志先生。あなたのご意向通りです。私はあなたによって、チャンスとか、活躍の機会をもらえた一人です。

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