マラソンと言えば四国にも行った。自分は占いや祈祷の類は一切信じていないけれど、去年からちょうど本厄の年だったし、実際リアルにつらいことが起き続けていた。その頃、急に親父も死んだ。コロナの後遺症で肺がやられていて、あっという間に呼吸が止まり、死に目にも会えなかった。さすがに何かにすがりたい気持ちも出てくる。そこで以前からずっと興味のあったお遍路に行くことにした。
お遍路は歩きで通すと50日くらいかかる。車で回れば10日ちょっとだが、それじゃあんまり味気ない。そこで車とマラソンを組み合わせて行くことにした。一日5つから6つくらいのお寺さんを走って回り、長距離のときだけ車で移動する。最初のお寺でお経の書かれた手ぬぐいとお線香、ローソク、奉納用のお札、あと納経帳という小さな手帳と例の白い羽織りを買って、徳島からスタートした。
走っているとたまに「頑張ってね!」と応援された。有名人みたいだ。中には手を合わせて拝んでくる人もいた。さすがにおかしいだろう。知らん人が急にお菓子をくれたりもした。不思議に思って調べてみると、お遍路には「同行二人」という考えがあって、どうやら私は一人ではなく弘法大師空海と二人で回っている……ということになってるらしい。気づいたら空海と一緒だった。
ちなみに空海はゴール地点の高野山で今も生きていらっしゃり、毎日2回ご飯も食べている。パスタも食べるしコーヒーも飲むらしい。
すごい文化だ。
新しいお寺に着くと、ローソクとお線香、納め札、それからお経を読んで奉納する。これを本堂と太子堂で計2回やる。それを八十八ヶ所、計176回繰り返す。「宗教の奥義は反復にある」と以前読んだが本当にそうで、だんだん感覚がトランスしてくる。同じ行為の反復の中、行為だけが残り、自分が薄くなって、消えていくような感じがする。
そして計176回読むことになるお経は般若心経で、大体こんな内容だ。
実はこの世には何もない。物質もない。感覚もない。「ない」ということさえ存在しない。死もない。老いもない。苦しみもない。悟りすらない。だから何も心配することはない……。ただこのお経を唱えなさい。ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー……。この呪文には意味はない。
すごい文化だ。
八十八あるお寺はどれも個性豊かで、田んぼの真ん中にあったりコンビニの隣にあったり、はたまた車で50分くらい山道を登った先にあったり、ケーブルカーに乗らないと辿り着けなかったりする。それぞれの場所で空海が龍に会ったとか天女が来たとかユニークな伝説があり、あと驚いたことに宗派すら違っていた。真言宗が多いけれど、臨済宗や天台宗のお寺さんもある。教義が違うのに一緒にやってんだな。
そしてそれぞれのお寺が大事にしている教えや警句を掲示しているのだが、あるお寺のメッセージはこれだった。
もはや教えることすら無い。すごい文化だ。
「自分の悩みがちっぽけに思えた」とよく言うが、それどころの騒ぎではない。悩みそれ自体がないと言われる。どのお寺も数百年は時間が止まっているような静けさで、よく猫とおばあさんがいる。自分は東京で何をやってるんだろうと思う。
* * *
途中トラブルもあった。何もない海岸を1時間近くドライブしていた。ほんの5度くらい左にカーブして、右は山、左は海の、全く変わり映えしない風景がずーっと続く。現実感が失われるくらい風景が変わらず、決して居眠りしていたわけではないのだが、いつの間にか少し車体を左に寄せすぎて縁石に乗り上げた。左のタイヤとシャフトがオシャカになった。
場所が場所なので、まず携帯の電波が入らない。通りかかる車もない。Googleマップによると隣町まで歩くと6時間かかるらしい。途方に暮れてずっと海を眺めていた。波は低く、風もない。鳥一匹飛んでいない。夢か現実か、もうよくわからない。
10分か15分くらい経って、通りかかった親切な人が電波の入るところまで連れてってくれて、警察とレッカーを呼ぶことができた。ただ「今すぐ行きますが、場所が場所なので、1~2時間かかるかもしれません」と言われてのけぞった。しかも車をレッカーされたら自分は移動手段がない。現場検証を終えた警察の人に「街まで乗せてってもらえませんか」と頼んだら「一般の方はパトカーに乗せてはいけないんです」と言われ、断られてしまった。6時間歩くのか?
(続く)
文章をあげてくださるようになってとてもうれしいです。応援しています。お父さまのこと、読んで胸がしめつけられました。劇場でまた谷さんの書いた言葉が聞けるときがくるのを待っています。
すみません、返信を書き込んだはずでしたがなぜか反映されていませんでした。あらためてご弔意に感謝します。本当に「その日」は突然来るものですね。後悔のないように生きたいと思います。そしていずれまた劇場なりライブ会場なりでお会いできますよう。