来年1月に『Every Brilliant Thing』という作品を翻訳/演出するんだけど、その制作チームの提案で、アメリカで上演中の 『Every Brilliant Thing』 を観に行こう! と誘って頂き、はるばるアメリカはユタ州のシーダーシティという町まで来た。「街」と書くより「町」と書く方がしっくりくるような、人口わずか2万8千人の、こじんまりとしたシティだ。
行きの飛行機がなかなか地獄だった。トランジットの待ち時間を含めると片道22時間もかかる旅。成田→フライト8時間→アメリカ・ポートランドにて待ち時間4時間→フライト2時間→ソルトレイクシティにて待ち時間6時間→フライト1時間→ようやくシーダーシティ到着。特にソルトレイクシティの待ち時間6時間がなかなかしんどかった。
行きの飛行機で映画を3つ観た。1つ目、『ロスト・イン・トランスレーション』。何か大学時代にちょこっと観た気がするけどよく覚えていなかったので観てみたが、内容の良し悪しよりも吹き替えの異常なレベルの低さが気になって終始イライラしていた。あれは何だったんだろう? 2つ目にティム・バートンが監督した『ダンボ』。広がりを感じさせる凄まじいCG技術とツボをおさえたウェルメイドなシナリオが、よくある感動、よくあるヒューマニズムを伝えて来る。やっぱり脚本とは技術で書くものだな。特にポップな脚本は。
3つ目に『指輪物語』の原作者であるJ.R.R.トールキンの伝記映画『トールキン』。これが素晴らしかった! 孤児として育った孤独な幼少期、青春時代に友人たちと育んだ友情、継母の家で出会ったエディスとの禁じられた恋。それらが作品にどう影響を与えたか、トールキンの愛読者としては手にとるようにわかる作り。こういうマニアックな映画が成立してしまうのは、トールキンがイギリス人にとって本当に国民的作家なのだという証拠だろう。日本だったら、例えば夏目漱石とか三島由紀夫だったら成立するかもね。
往路ではとても親切なアメリカ人に立て続けに出会った。
ちょっと前のウォール街デモやトランプ旋風なんかを遠目から眺めていると、どんどん不寛容に、どんどん排外的になっていくアメリカの世相を感じていたが、実際に町の人々と触れ合ってみると、気のいい、明るい、優しい人たちが多い。文字だけで世界を見ていると読み取れないことって多いのだな。
到着した翌日マチネにいきなり『Every Brilliant Thing』を観る。写真右掲。と言ってもこの写真を見ただけではどんな作品かはおろか、誰が俳優で誰がお客なのかもわからないかもしれない。そういう作品なのだ。
Vincent J. Cardinal演出、Michael Doherty出演の本作、ストレートに素晴らしかった。以前にルーマニアで観たバージョンよりも良くこの作品の軽快さ、楽しさ、巧妙さを伝えてくれていたように思う。驚くほどテンポが良く、Michaelが言うところの”keep going”の精神、何が起きても受け入れる精神が、劇に劇を超えた生命を与えていた。そうなのだ、もうこの作品は演劇と呼べるのかギリギリのところにいる。
とにかくこの作品は演じ手によって全く違う作品になる。ルーマニア版も今回見たアメリカ版も、演出はそっと手を添えるだけという印象だ。演出家がどこまで演劇を決定できるのか、最近では僕も少し考えが変わって来ている。稽古場で生まれるものをうまく受け入れてやっていこう。
翌日マチネには『Joseph and the Amazing Technicolor Dreamcoat』を観た。明るい、楽しい、ハッピーなバイブスのミュージカルで、もう本当に辟易した。最後の方では笑けて来た。俺はどうしてこういうのが苦手なんだろう? 人類は2種類に分類できる。小学生の頃、運動会とかでみんなで歌って踊って……というのを楽しめる人種と楽しめない人種だ。僕は明らかに後者であり、そしてミュージカルが苦手だ。前者の人がこういうハッピーでファンキーなミュージカルが好きなんだろう。会場は大盛り上がりだった。
来週にはニューヨーク、ブロードウェイに行き、本場の、ほんまもんのミュージカルをたくさん観てくる。自分がどういう感想を持つか楽しみだ。僕は本当に楽しめるのだろうか?