2016年から続けてきた大プロジェクト「福島三部作・一挙上演」が、本日いわきアリオスで大千秋楽を迎え、ぶじ幕を下ろしました。原発誘致の光と影を描いた第一部『1961年:夜に昇る太陽』に始まり、反対派のリーダーが推進派の町長に転じる「ねじれ」を描いた第二部『1986年:メビウスの輪』、そして震災後の混乱と分断、軋みを上げる言葉たちを描いた第三部『2011年:語られたがる言葉たち』と、三本の演劇を完成させ、それぞれ上演し、東京と大阪では合わせて9日も「通し上演」を敢行するという蛮行を何とか達成致しました。
来場者数は、当初目標にしていた一万人を超えました。正確な数が出ていませんが、一万二百~五百くらいではないかと推察しています。動員数三百人もあれば東京でも小さな小屋でなら上演ができますから、これはすごい数です。私も小劇場劇団が、いわゆるゲーノー人を入れずに手弁当で一万人も動員したという記録は、ここ最近では全く聞きません。それだけ福島という話題に観客が注目してくれたということだと思いますし、観てくれた人たちがSNSなど口コミを通じて広めてくれたおかげです。本当にどうもありがとうございました。
それと同じくらい嬉しいのが、既報ですが、書籍化が決定したということです。私は福島の声・言葉を戯曲という形の記録として後世に残したい、ということを一つの大きな目標にしてきました。書籍化されるということは、ISBNが振られてAmazonで購入できるようになるというだけでなく、国会図書館に納品されてこの先何百年、もしかしたら何千年も、東日本大震災にまつわる資料の一つとして残されるということです。これは望外の喜びです。「福島の原発事故って、どういうものだったんだろう?」と考えた百年後の学生が、僕の本を手にとってくれる可能性があるということです。書籍化を引き受けて下さった而立書房さんに心から感謝したいと思います。
この三部作プロジェクトにおいて、キックオフの勇気をくれたのは公益財団法人セゾン文化財団さまでした。ジュニアフェローというプログラムで私のアーティスト活動を幅広く支援してくださり、「今はまだ上演時期とかも決まっていないのですが……」という非常に頼りない段階でこの三部作の計画を話したところ、「そういう長期的な活動にこそ当助成金は使って欲しい」と背中を押してくれました。当初の取材費・交通費・宿代などはすべてセゾン文化財団さまのおかげですし、そのおかげで行うことができた幅広い取材のおかげで観て頂いたような作品群を作ることができました。助成金というのは本当に素晴らしいものです。私は福島を知り、語り、広めるということを通じて、きちんと「公益」に即しセゾン文化財団さんから受けた恩に報いる活動ができたでしょうか? セゾン文化財団およびセゾン文化財団を支援してくれている皆様にご理解頂ければ幸いなのですが。
そしてこの三部作プロジェクトにおいて語らずにおくことができないのが、いわきアリオス様による支援・招聘です。福島の五十年の歴史を演劇にしたい、という壮大過ぎる夢に応えてくれて、三部作すべてを、二年がかりで招聘して下さいました。この作品群を福島で上演するということは、私にとって本当に意義深いことです。私は福島から引っ越してもう数十年が経つ人間ですから、題材を福島の皆様からお借りしているような感覚がありました。またこの演劇の内容が事実に照らして、県民感情に照らして許されるものであるのかどうか、審判して頂くという意味でも福島でやれたことはとても大きな意味を持ちます。こんな貴重な機会を作って下さったいわきアリオスの皆様、主に萩原さん、前田さん、永沼ちゃん、でもみんな、本当にありがとうございました。
いわきアリオスと並んで最初期の私の背中を強く押してくれたのは、クラウドファンディングに参加してくれた皆様の声でした。まだ何も、何一つ形になっていないのに、計100人、累計200万円もの支援が集まり、公演の貴重な資金源となりました。それ以上に「この企画・計画を楽しみにしてくれている観客がこんなにいる」と知ること自体が大きな勇気でした。本当にどうもありがとうございました。
次に御礼すべきは制作・小野塚央の存在です。私が福島について調べ始めたということを耳にして、ぜひ力を貸したいと申し出てくれて、まだ劇団でやるのか、プロデュースユニットでやるのか、どこかの劇場に買い取ってもらうのか等、全く何も決まっていない中でこの計画を引き受けてくれたのが小野塚央さんです。パートナーがいなければ、こんな大変な作品は作ることができません。私がこの作品の父なら、母は小野塚央さんです。文字通り一万人を超えるお客様を捌きながら、数千万円規模になる予算を切り盛りし、最大限私の表現に自由と我儘を許して下さいました。のほほんとした顔をしてはいますが、彼女の知性と勇気に心から感謝の意を評します。
そして舞台監督・竹井祐樹を筆頭に集まり力を貸してくれたスタッフの面々。私は師・永井愛からこう教わりました、「スタッフがいるから幕が開けられる」。全くその通りです。特に今回のようにスケールの大きな作品になってくると、私の頭の中には全体が入り切らず、そのすべてを掌握している舞台監督・竹井には毎日頭の下がる思いでしたし、竹井の監督のもとそれぞれの分野で技術とセンスを光らせてくれたテクニカルチームの仕事には心から敬意を評します。巨大電球群という大胆なアイディアを持ち込んでくれた美術・土岐研一、そのオーダーを引き受け過激な光の爆発から繊細な陰影まで表現してくれた照明・松本大介、凄まじい音響デザインを行い観た人の語り草にまでなるほどのインパクトを残した音響・しゅがーさうんどチーム(佐藤こうじ、今里愛、吉村日奈子)、時代の違いから人物の性格の違いまで見事に衣裳で語ってくれた衣裳・友好まり子、力仕事からぶりの照り焼きのような細かい手仕事までオールマイティーに働いてくれた演出部・澤ちゃん、字幕まわりの面倒をぜんぶ見てくれて舞台の記録映像まで撮ってくれたチーム松澤さんたち、三部作の全体像を把握しつつそれぞれの違いを表現し繋げてくれた宣伝美術・ウザワリカ、「かっきのっきさーん」と何度も無茶を頼んでも笑顔でさばいてくれた票券の女神・柿木初美嬢、そして制作全般を飛び回りつつ主に無茶苦茶物販を売りさばいてくれた德永のぞみ嬢、そしてボーッとしてることの多い俺の横で着々と次の予定を進行してくれていた演助・美波。僕はこのチームでギリシャ悲劇をやれと言われてもブロードウェイミュージカルをやれと言われても、やれる気がしております。福島三部作ほど大変な演劇はないのですから。たくさんご迷惑おかけしました。でも、ごめんなさい以上に、どうもありがとう。最高のスタッフでした。
そして俳優たち。君たちには語りたいことがたくさんある。僕は今回、この三部作をやることで、誰よりも学んだし新たな知見を多く得たと思う。その多くを、僕は君たちに話していない。次回以降、ご一緒する際に、演出家としてアップデートされた私のやりようを楽しみにしていて欲しい。今はまずは、ありがとう。だけど本音を言うと、また別の題材やテキストを用いて、すぐにでも何か新しいものを作ってみたいという気持ちでいっぱいだよ。
もとい。しばらく、休みます。ええ、休みますとも。年末にダルカラとしての公演『マクベス』なんてとんでもないプロジェクトが待ち構えてますが、9月は旅行と読書と観劇で潰し、10月はゆっくりじっくり執筆と翻訳で年末年始の2公演に備えるつもりです。あと本気で体質改善を試みたい。福島三部作を初めてからずっと、常に「締切がある状態」だったのでストレスが半端なく、体のあちこちがボロボロになっている。ようやく「締切がない状態」になったので、今のうちに走ったり眠ったり皮膚科に行ったり歯医者に行ったり、いろいろしたいと思います。
感謝の意として、この作品群を生み出すにあたり支援してくれた芸術文化振興基金、アーツカウンシルの皆様、本当にどうもありがとうございました。この作品群を4200円で提供できたのは助成金のおかげですし、4200円で提供できたからこそ1万人動員もできました。私たちの活動に公的な意味を見出して下さり、ありがとうございました。
アフタートークに出演して動員を応援してくれた永井愛さん、白井晃さん、長塚圭史さん、そして登場人物のモデルでありながらトーク出演までしてくれた大森真さん。みなさん本当にありがとうございました。それぞれの視点から、それぞれの演劇論、福島論を聞かせて下さり、私としては火を着けられたような思いでした。御恩を返すとしたら私がもっともっと立派で価値のある演劇を作ることでしかご恩返しはできないでしょうから、ただただ芸道に精進したいと思います。末永く友達でいて下さい。
そして……そして取材でたくさんのことを語ってくれた福島の皆さん。本当にありがとうございました。アフタートークでも話しましたが、この作品群は私が独力でヨイショっと頑張って書いたものではなく、言葉を聞かせてくれて皆様の思いや力を拝借して、それで何とか完成することができたものだと信じております。私の体、指、筆を通じて、皆様の声、言葉、思いが躍動していた。それがこの三部作でした。だから私は、作者でありながら作者ではない。皆様から題材を、言葉をお借りして、何とか一つにまとめあげた大工のようなものです。昔から英語では劇作家のことをplay-write(劇・書く)ではなくplay-wright(劇・大工)と綴るのですが、その意味がようやくわかった気がします。集めてきた素材をトカトントンと繋ぎ合わせ、組み立てるのが劇作家の仕事なのかもしれません。
それ以上に、ご来場頂いた皆様、本当にどうもありがとうございました。拙い劇ではございましたが、一つでも二つでも、知らなかったことを知ったり、考えなかったことを考えたり、これまでと違う見方をするようになったり、そういう手助けにこの劇がなっていたら幸いです。皆様と一緒に客席で過ごすことで、私の演劇観は大きくアップデートされました。演劇とは儀式である、ということを真剣に考えました。それについては書籍化される福島三部作のあとがきに記すつもりです。
ここには書き切れない思いがあります。そしてうっかり屋さんの僕なので、恐らくとっても大事な誰かのことを書き忘れている恐れがあります。どうか許して下さい。三年間もやってると、書くこと・作ることと生きることの境目がほとんどなくなり、呼吸するように人の恩や好意に触れ合って、大切なことを忘れてしまうのです。福島三部作はこの三年間、常に私の頭の中にありました。『ま○この話』やりながら、『テレーズとローラン』やりながら、『白蟻の巣』やりながら、『デジステ』やりながら、『三文オペラ』やりながら、『ハイライフ』やりながら、『光より前に』やりながら、『三人のプリンシパル』やりながら、『カーヴァーの世界』やりながら、常に常に福島のことを考えていました。
それもひとまず、一区切りです。福島三部作は終わりました。しかし明日も僕は福島にいます。明後日には会津に行って、単に福島を観光するつもりでもいます。今月末には再びいわきに舞い戻り、平田オリザ✕柳美里✕わたしというトークイベントにも出演します(https://iwaki-alios.jp/cd/app/?C=event&H=default&D=02471)。来月には飯舘村にも行きたいなと思っています。僕と福島の縁はまだまだ続くでしょう。福島出身の人も、在住の方も、どんどん声をかけて下さい。今のところ予定はありませんが、そういった地道で小さなお付き合いが、第四部を書くことになったときに役に立ってくると思うのです。
最後に。……私はこの福島三部作の創作と上演を通じて、自分の知り得る・用い得るすべての演劇知を用いて臨みました。全力を尽くしたのです。しかし上演を観ていると、自分の成果や長所よりも、下手くそさや短所の方ばかりが気になるようになって来ました。それは例えるならこんな感じです、90点の映画を一度観るだけなら楽しんで見れるが、二度三度と観ていくとマイナス10点のところが途方もなく気になるようになってくる。そしてそのマイナス10点は、俳優を叱ったり照明を直したりすることでは解決し得ない、もっと根本的に、私という作家や演出家の根っこを直さなければ直せないところでもあるのです。それはもはや、私にしか気がつかないレベルのミスかもしれません。しかしこれを直すことが、次の作品を作る私にとって、あるいはこれからも演劇を生きていく私にとって、非常に重要なことになるのです。
この福島三部作で、私はある一定程度の成果を残せたと信じていますが、さらに成長して皆さんをアッと言わせてやりたいと考えています。しばらく修行します。どうぞよろしくお願い致します。
それでは本当に、一万人を超えるお客様、ご来場、真にありがとうございました。
2019年9月9日0時52分 谷賢一
[…] 謝辞――福島三部作について […]