Twitterで演劇ジャーナリストの徳永京子さんが、福島三部作について「演出の面から」評論する連続ツイートを上げてくれていた。福島三部作についてはこれまで、内容や人物・物語など「何が」語られているかについて論じられることは多かったが、演出や演技術・スタッフ表現など「どのように」語られているかについて論じられることは本当に少なかった。もちろん私は 「何が」にも関心はあるが、劇作家とは「どのように」語るか趣向を凝らすものであるし、演出家はまさに「どのように」表現するか考えることが仕事である。だからこういう指摘は嬉しい。
徳永さんの一連のツイート、読んでみて欲しい。以下、引用。ちなみにネタバレ。
徳永さんは本作の演出意図について、次のように指摘している。「演劇そのものの幅と、現代演劇の演出の変遷」を示す。ここまで明晰に言語化はしていなかったが、確かにそのような思いは頭にはあった。この三部作を観ることで「現代演劇にはこれだけ多様な演技様式・表現様式があるのだ」ということは示したかった。そしてそれぞれの時代にふさわしい表現を探しているうちに、「変遷」をも示すことになったのだと思う。
例えば第一部・1961年ではダルカラ名物ともなりつつある「エセつかこうへい」のような絶叫芝居が盛り込まれているが、これは演出している当初には、実は唐十郎を意識していた。どう立ったら唐十郎っぽくなるか稽古場で試してみたり、照明を作るに際して60年代のテント芝居の話をしたりしたのを覚えている。うまく行かないことも多かったが、60年代という時代を演出面からも考えていたことは間違いない。
この音響に関する指摘も嬉しい。台本を作る際、音響が本気を出すとマジで劇場全体を震わせるような効果を出せることは知っていたので、スタッフたちに「演劇のスタッフが本気を出すとこれだけ怖い、というのをやってやろう」と合言葉して全力を出してもらった。実際のプランはオペレーターとしてクレジットされている今里愛氏のアイディアが基幹を成しており、そこに佐藤こうじのアドバイスが加わることで完成された。もっとも、劇場入りしてから「全力を出すとプレイハウスやシアターウェストにまで響いてしまう」ということが判明し、かなり出力はダウンさせたのだが。
次のような台詞に関する指摘も鋭い。
これは戯曲における「How(どのように)」に関することだが、三部作を通じての文体の変化には相当気をつけた。60年代の日本語・日本文学「っぽい」クリシェを多用することで、第一部は古びた時代感を出している。それは文語的で聞いていて耳に美しいときもあるが、徳永さんの指摘する通り「常套句的」であり「類型的」でもある表現だ。実はこういう台詞を書くことはそれほど難しいことではない。文体模写という奴であり、僕はこいつが大好きなのである。
それに反して第三部で語られる言葉は飾り気がなく素っ気がなく、ある意味では「ブンガクテキ」ではない。日常の言葉にとても近い言葉が使われているが、それはもちろん僕が取材した人々が語った言葉と、現代の日本語感覚が反映されているからである。この言葉たちに真剣に向き合い、その中から新しい表現や響きを探していくことが現代劇作家あるいは現代の詩人の仕事だが、これについては私はもっともっと努力しないといけない。そういう自覚もある。
徳永さんの一連のツイートは様々な意味で私の企みを丸裸にする鋭い指摘であった。これと角度は異なるが、同じく連続ツイートを通じてこの「福島三部作」の表現上の狙いを分析してくれたkatsuki氏の指摘も紹介しておく。
“Enron”や”Oppenheimer”のような偉大な作品と比して語られると恐縮してしまうが、一部ごとに違うアプローチを用いることで三部作の流れを演出している……というのはご指摘の通りである。一本の戯曲を演出する際、序破急やリズムは意識する。しかし今回は三部作だから、三部作を繋げて観たときの序破急やリズムがつくように、それぞれの作品ごとにアプローチを変えたのだ。それをこのように指摘してもらえることは嬉しい。
福島三部作には三年に渡る取材の内容が惜しげもなく注ぎ込まれているが、同時に私という演劇人の20年以上に渡る蓄積と変遷が注ぎ込まれているのだ。