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PLAYNOTE Posts

福岡・演劇ワークショップ、語る/騙るについて考える

参加者たちと終了後に一枚。諸事情から謎の加工済

今週末長崎で『福島三部作』の記録映像・無料上映会がある。「せっかく九州まで来るならぜひ演劇ワークショップを」と頼まれまして、福岡市内で活動している劇団モノクロラセンが主催し僕が招かれる格好で3時間のプチワークショップを行なってきた。特に公演の前パブでも後パブでもないし内容は自由で良いとのことだったので、じゃあ僕が最近ずっと考えている「語ること/騙ること」に関するWSをしてきた。DULL-COLORED POP演劇学校では「講義」としてある知識やメソッド・演技法を「教えて」いるけれども、これはあくまで「ワークショップ」なので参加者たちと一緒に考える・体験する・楽しむ、そこに力点を置いて、問い掛けや実験をたくさんやってきた。「語る」と「騙る」、その共通点と差異、語源について。「語る」と「騙る」は何が似ていて、どこが異なるのか。この二つがこんなに音が似ているのは偶然ではないのです。そして「語る」と「話す」はどう違うのか? そしてさらに「語る」「話す」「喋る」「伝える」「言う」は、それぞれ随分違うが、じゃあどう違うのか。そして真実を語るエクササイズと嘘を語る簡単なエクササイズを行い、最後には虚構の自己紹介を行った。全く自分のものではないプロフィールを作成し、自己紹介をし合う。そんな虚構の自己紹介でも、みんな共感したり感動したり驚いたり納得したりしていたが、全ての自己紹介が「嘘」なので、私たちは存在しないもに共感し、感動し、驚き、納得したことになる。我々は一体何をしているのか? いや、これこそ言語の力なんじゃないか? 演劇の力なんじゃないか? ……「ワークショップ」なので僕は答えを提示しない。参加者と一緒に「語る」と「騙る」について考えた。

誰しもが苦手意識のある「自己紹介」をちょっとやりやすくするコツも紹介したりして。かなり楽しいワークショップだったから、いずれ東京でもやろうかな。あと福岡は食うもん全部美味しいな!

GORCH BROTHERS 2.1『MUDLARKS』観劇

毎日ブログを更新するとは言ったが福島のことしか書かないとは言っていない。今日はアフタートーク出演依頼があったので、作:ヴィッキー・ドノヒュー、翻訳:髙田曜子、演出:川名幸宏の『MUDLARKS』を観てきた。めちゃくちゃ面白かったのでご報告します。

アフタートークでも喋ったけれど、これは大傑作と言っていいんじゃないか。俳優3人の演技が余すところなく素晴らしくて、30代の俳優が16か17の少年を演じているんだけれど、これが見える。少年に見える。それも「子供っぽい喋り方をしている」とか「動きが」なんてレベルではなく、目の色で僕はわかった。この子は怒りながら怯えているなとか、この子は本当に目の前が真っ暗なんだろう、ああ、この子は遠い遠い海を見ている。そういうのがわかる。俳優3人は「少年の目線から世界を観る」という難しい仕事を見事にこなしていた。しかも、喧嘩、ドラッグ、非行、貧困、ネグレクト……そういったものにより情緒・感情が乱高下する難しい感情の波を巻き起こし、必死にそれを乗りこなしていた。とてもテクニカルだし、同時に勇気がないとできない演技だ。

演出も見事で、音楽、美術、照明、そういったものの主張が結構強く、見方によっては(人によっては)「ちょっと演出過多」「もう少しあっさりストレートにやってもいいんじゃない」と言いたくなるだろう。僕もそれはわかる。しかしそれぞれの意図は非常に正確だったし、発想も表現も面白かった。かなり台本が難解……と言うか、複雑・高尚・小難しいことは一切言っていないんだけれどあまりにも少年たちの情緒が特殊なので、ついていきづらい本だと思うんだが、演出がちょっと手を添えてくれることで意味や意図が明白になり、見やすくなっていたと思う。たぶん圭史さんとかにやらせたら、地明りだけで突っ走るんじゃないかな。そこは好みだ。川名さんには直接伝えたが転換に当たるシーンがゾッとするほど見事で、それは演出が付け加えたイメージシーンらしいんだけど、あれがあることで戯曲の美しさ、残酷さをぐっと引き上げていたと思う。

そしてやっぱり戯曲がすごいと思うな。あれは書けないよ。追い詰められて路頭に迷い、自己破壊的にどんどんまずい方向へ迷い込んでいく少年たちの心理や言葉を非常にリアルに描いている。アフタートークでも少し話したが、『ケーキの切れない非行少年たち』という本に登場する子供らや、僕が昔の福島や千葉でつるんでいたような田舎のヤンキーたちの荒廃の仕方を思い出させた。闇金ウシジマくんとかにもぶっ壊れた思考・行動の貧困層とかよく出てくるけど、『MUDLARKS』はイギリスのリアルを伝えてくれていたように思う。『リトル・ダンサー』とか『トレインスポッティング』とかああいうイギリス映画の悲しさ、切なさが好きな人は特にハマるんじゃないだろうか。『MUDLARKS』の3人は誰一人クソみたいな現実を抜け出せず、ダンサーにはなれなかった。しかし彼らの心にある美しいものもこの戯曲はちゃんと見せてくれていた。だから結末が余計に悲しい。

同時に、これは、不条理演劇なんだなということも考えた。ベケットやイヨネスコのようにシュールで非現実的なことが起きているわけではないんだけれど、absurd、本当にバカらしい、残酷な、不条理なこと、すなわち人生という舞台の中に閉じ込められた人物たちを描いていた。ヤン・コットという演劇評論家は荒野をさまようリア王は400年前に書かれた不条理劇なのだと言ったが、この『MUDLARKS』も現代の不条理劇だ。おそらく、現実にある不条理劇だ。

10/9まで下北沢ザ・スズナリにて

私事ですが10/16の夜7時くらいから双葉町で飲み会やります! 12月の福島公演へ向けてのオーディションの後です。地元の人、役場の人、新聞の人、その他いろんな人が来てくれそう。来る人はTwitterでもメールでもLINEでも一声下さいませ。

ある1日の劇作家のタイムライン

10/1に双葉町に入居してずっと忙しくしているんだけど、僕以外の人にはどんなことやってるのかよくわからないと思うので今日1日のタイムラインを書き出してみた。こんな生活してます。

7:00、起床。昨夜夜中まで旅に連れてきた若い劇作家と酒を飲んでいた。その後意識を失うようにしてリビングのソファで寝ていた。それでも息子を保育園に送る習慣が身に染み付いているので7時には起きる。だがまだ起きたくないので1時間ぐらいゴロゴロしていた。

9:00、部屋の整理・掃除。ゆうべ若い劇作家に「酒代は俺が持つから、1時間一緒に飲んだら、明日1時間一緒に部屋の整理を手伝ってくれ」とアルコール外交を仕掛けていたので、一緒に引っ越し後の部屋の整理などを始める。1時間一緒に作業しただけでめちゃくちゃ片付いた。

10:00、某劇団の制作さん(アートマネジメントの第一人者)とZoom会議、雑談、作戦会議。福島に移住した私と小豆島に移住した彼とで、地域と演劇で何をやるべきか、どういう作戦があるか、来年以降、どうやって協働していくか……というZoom会議。会議と言いつつ、僕が相手の方から一方的に知識やノウハウを盗ませてもらうような豊かな会議であった。来年一緒に福島で最高に面白い演劇イベントをぶちかましたい。彼と。彼の作品は本当に面白かったんだ!

11:00、産業交流センターへ移動し、昼飯食いつつパソコン作業。まだ家にWi-Fiも引かれてないので、家から車で5分の双葉町産業交流センターへ行き、定食屋おらほ家の680円のおそばとアジフライの定食を食べながらひたすらPC作業。滞っていたメールを全て打ち返した。

13:00、南相馬市のデザイン事務所・maruttへ訪れ、作戦会議。『福島三部作』のフライヤーデザインもしてくれたリカちゃんが南相馬市で立ち上げたデザイン事務所marutt。「まるっと」の名の通り、デザインにまつわるあらゆる業務を「まるっと」引き受けてくれるので、今立ち上げ準備中の一般社団法人の宣伝・広報・コーポレートサイトの立ち上げに関して打ち合わせ&意見交換。すごくいいアイディアをたくさんくれたし、浜通りでアーティスト同士を繋げようとする連絡会議に加入することを提案してくれた。僕も地元のアーティストとの連携を深めたいと思っていたし、そうすることでより効率的・経済的な闘い方ができると思っていたので渡りに船だ。りかちゃんはもはや僕の師匠のような感じがする。彼女がリーダーとなって浜通りのアートムーブメントは牽引されていくだろう。

maruttにて自撮り。後ろのスタッフ2人はカレーを食べています。

15:00、地元のホームセンター・ダイユーエイトで掃除用品とか家具とか購入。薪を買ってキャンプしたい衝動をグッと抑えて、事務所の整理・整備に力を注ぐ。今日でだいたいお掃除道具とかアメニティとか揃ったので、グッと運用しやすくなったぞ。

16:00、家に戻ってPC作業。書いても書いても受信トレイのメールが減らない。

17:00、若い劇作家を乗せて車で出発。富岡町へ。

18:00、富岡町の演劇の指導者的立場にいらっしゃる青木先生と合流し、文化の日の発表へ向けた稽古へ参加。80代の先輩とかとも一緒になって「マツリダワッショイ!」と北原白秋の詩を全力で群読してきた。こういう、地域でコツコツ、演劇活動をしていらっしゃる人たちと繋がりたい。さらに青木先生はとても遠大かつ有意義なビジョンを持っていらっしゃるので、微力ながら何でも協力したい。

20:15、双葉町の自宅へ戻り、PC作業&戯曲を一本読む。風呂にお湯を溜めて風呂でも読む。

22:15、ようやく戯曲も読み終わり緊急のメールも書き終わったので、ブログを更新している。これを書いたら酒飲んで寝よう。

明日は8時には起きて、9時から新聞取材を受け、その後書類作成・送付などの業務をした後、東京へ一度戻る。明後日から長崎へ出張なのだが、福島から行くより東京から航空券取った方が5万円以上安いので一度東京に戻るのだ。それから5日ほど博多・長崎に滞在している。9月はほとんど豊岡にいて、9/30からはずっと福島にいるので、いよいよ東京は「経由地」くらいになってしまった。

ブログ更新をテコでも続けている。毎回サポート(送金)してくれる人がいて恐縮している。一度に五万円もドーンとサポートしてくれる人もいた。少額でも必ず毎回100円ずつとか200円ずつとか寄付してくださる人もいて大変勇気づけられている。今、僕が福島でやってることの大半は、いわゆる「初期投資」で一銭の金にもならない。全て持ち出し、やればやるだけ減っていく。しかし、今、これをやらないとダメなのだ。金儲けのことを考えてはいけない。今きちんと地元の演劇人やメディアと繋がり、地域の課題を理解して、その上で「演劇に何ができるか」提案しないといけない。

自分のやりたいことは、自分の劇団でちゃんとやります。福島で立ち上げる一般社団法人 福島ENGEKI BASEは、演劇を使って、地域のやりたいこと・役に立つことをやる組織だ。誰かのためになることをやる、そのための一般社団法人。まずはきちんとリサーチから。

maruttから見える田園風景 めちゃくちゃ綺麗でずっと見ていられる
maruttのマスコット猫ちゃん 寝てた

綺麗です

入居から3日が経ち、すでにいろんな人を家に招いているが、みんな口を揃えて言うのは「思ってたよりキレーですねー!」。

……何だろう僕は福島に住むと言ってあばら家と言うかボロ屋と言うか、廃屋みたいなとこを借りてるんでると思われているんだろうか。そんなことはないのです。↑に貼ったような住宅に住んでいます。3LDKです。しかも一階の土間・共有・LDKスペースがあるからもっと広く感じます。これでも東京で1DK、いや1K借りるより遥かに安いです。僕が初めて一人暮らししたのは、杉並区の方南町、ドンキのすぐ裏のトイレが斜めについている1Kでしたが、あそこよりさらに8000円くらい安いです。

今日は家具の搬入などをして、さらに、一般社団法人「ふたばプロジェクト」のS事務局次長とKさんと知り合いになった。見つからないと思っていた双葉町内の空き家が、Sさんの尽力により見つかるかもしれない! ドラマが大きく動いた瞬間である。役場の人でさえ絶望気味であった「空き家ないかもしれない問題」に対し、地元の空き家バンクの主張が「え? この、誰も、物件を買いたいとも思っていない双葉町で、やりますか? AIRを? 誘客を? ……私にやらせて下さい!」みたいな。すげえ味方を見つけたんだが、これも地元で這い回らなければ見つからなかったご縁だ。来る前は「物件は見つからない」と言われていたからね。

昨夜は家族を東京へ送り届け、今日はさてまた福島へ行って家具とか運び入れよう! という日だったので、誰でもいいから一緒に行かねえかと募集をして、実際に全く会ったことない人と一緒に福島まで来た。現地でNHKとか新聞取材を受けながら「こちらの方は?」と聞かれて「今日会った人なので知りません」と言ってもウケるし、嘘ついて「別れた妻の弟で、義理の弟です」とか言ってもウケたのだが、同時にご当人がちゃんとした演劇人だったので、ここで一緒に何かやれるかもしれない、彼が活躍・活動するための手伝いが福島でできるかもしれない……という話に発展している。縁は奇なもの味なもの。だし、やはり私は運を持っている。「劇作家です」と聞いたから車に乗せたのだが、戯曲賞の最終候補になるような人だった。

今は彼と飲んでいる。あとは、まだわからない。さて、また明日。

bipolar unconditional ideas

僕は旅行好きで学生時代はバックパッカーみたいな貧乏旅行も多数していて、おそらくもう10~15カ国くらいは回ってると思う。こないだも40歳のオッサンなのにスコットランドで一泊1500円の相部屋ドミトリーに泊まったりしていた。そういうところの方がビジホとかより全然楽しい。

現地に行く/いることでしかわからない、感じ取れない、気づけないことが多々ある。こうして福島双葉町に入居してみて、すでにいくつものBrilliantなアイディアが閃いた。列挙すると、

・駅西の公共スペースを使ってレジデンス&クリエーションのトライアルをやる ・双葉町の浜辺(伝承館のあるあたり)で『わが町』を3/11に上演する ・準備中のレジデンス&クリエーション施設には昼はカフェ夜はバー(あるいは赤ちょうちん)を併設し、双葉町初の演劇の稽古場兼飲み屋を作る

レジデンス&クリエーション施設の本拠地は別途賃貸か新築で作ろうとしてるんだけど、町役場のMさんに相談したら最高の場所を紹介してくれた。これならもう来月にも誰か招聘して無料で稽古&宿泊してもらえる。やりたい人、いませんかね? 若手演劇人はもちろん対象なんだけれども、僕より先輩のベテラン、例えばチョコレートケーキの古川さん&日澤くんとかすごく合うだろうし、さらに先輩だけど鴻上さんとか愛先生とか大先輩格の人に来てもらうのもいいななんて思ってる。『わが町』はやりたくてずっと権利元と交渉したりしていたんだけど、本当にやる。もう権利は押さえたから今から誰も手出しはできない。そしてその最高の上演場所が手に入りそうだ。La Mama ODAKAと一緒にやるが、双葉町の町内で是非やりたいと思っている。南相馬市で観る『わが町』と双葉町で観る『わが町』は、おそらく全く感触が違うだろう。そして今は飲み屋が一軒もない双葉町に、一番早くオープンした飲み屋が実は演劇人が作ったものだった……なんてのは面白いんじゃないかな? 役場の人たちも5時に仕事が終わって、本当なら一杯飲んでから帰りたいだろう。稽古場の隣にカフェがあり、夜になるとバーか赤ちょうちんになってる……なんてのは面白いし、うまく雇用を生み出し、かつスキマ時間を有効活用できるだろう。

人の役に立つことをする。という視点で言うと、演劇をやりつつ飲み屋を作れば、より多くの人の役に立てる。今日このことを相談していたビジネスパートナーのK女史も「お芝居が始まる前、ちょっと早く来て、併設のカフェでコーヒーを飲みながら開演を待つ時間は必要」「終わったあと、今はコロナで難しいけど、食事しながら、飲みながら、誰かと感想を言い合う。これがなきゃ」と言っておった。全くその通りだと思う。演劇とは、我々クリエーターにとっては作品・芸術・言葉や表現であるが、観客にとっては体験であり行楽であり、デートであり交流であり非日常体験なのだ。

一度やると決めた以上は、そこそこ、まぁまぁ、を目標にせず、やたらでかい実現不可能な夢を描くべきだ。福島三部作だって「一万人入れるぞ!」とか大言壮語を言ったおかげで、色んな人が支援してくれて、本当に一万人を入れられた。さらに岸田・南北なんていう二大戯曲賞を受賞できた。だから僕が作ろうとしている福島の演劇拠点は、「多分これくらいならできるだろう」と現実的な落とし所で終わらせず、躁病的で、実現不可能かもしれない、本当の理想を描くところからスタートしたい。

よし。カフェと飲み屋もやろう。20歳のとき僕がイギリスで観て憧れた、地元に密着し地元を盛り上げていたあの劇場、あれをやろう。イギリス留学の成果が20年越しに実現する。

あ、ダルカラ演劇学校・11月分が募集開始になりました。年内最後なので是非!

福島県・双葉町に家ができたぞ

今日からいよいよ入居だったわけです。僕はいわゆる町営住宅に住むことになるので入居日が10/1からと厳密に決まっていまして。さぁいよいよ双葉町での新生活が始まるぞ、隣近所にご挨拶などちゃんとせねばな……なんて思っていたんだけれども、今日から入居するのは僕の他に1人だけ。しかもそのもう一人の方も荷造りが遅れたとかで夕方まで来れないらしく、入居したけど完全に僕一人という不思議な状況でした。

昨日の記事にも書いた通り、避難指示解除されて30日経つが入居者は30人に満たない。そしてこういう町営住宅がOPENしたのに、それでも入居者は2人。結構な絶望ですよ。

おかげでこんな光景になってました。

「最初の入居者」である僕を取材してくれたマスコミの皆様

マスコミはTVも新聞もNHKも、10社近く集まっている。しかし住み始めようという住民は僕1人。僕は演劇の人間だから、この町にいくらでも希望を見出せる。しかし大半の人はそうではないんだろうということが、この光景だけを見てもよくわかる。思わず写真撮っちゃいました。普段撮影する側のマスコミの皆様を、あえて写真にする。

その後、マスコミの皆様と一緒に記念撮影なんかしちゃったり

マスコミの皆さんには激励するようなお願いをしておいた。私のような弱小演劇クリエイターには、私にしかできない仕事もあるが、私には決してできない仕事がある。良い作品を作る、才能のあるクリエイターを福島に連れてくる、そういったことは私にしかできない仕事だが、それを一般の人に伝えるツールやメディアを私たちは持っていない。そこはやはり社会の公器であるところのマスコミ各社が、正しい使命感に基づき報道をしてくれることによって、広まっていく。いい仕事をして欲しい、心から応援したい。今後ともどうぞどうぞよろしくお願いします。

家族を連れて南相馬市 フルハウスへ行ったり
あまりにも見事な月が出ていた

明日から入居なので家族で福島へ来ているが、実は単身赴任であること

ニコニコとマシュマロを焼く妻と無力にもおぶわれる次男氏(1歳)

10/1からマジで福島へ移住します。住民票も移します。数十年ぶりに福島県民になる私です。よく聞かれる質問で「ご家族はどうされるんですか?」というものがあるが、お返事は簡単で「家族は東京に残ります」ということになる。なぜか。

保育園がないんです。

私の移住する福島県双葉町は、もうかれこれ11年半、原発事故の影響で帰還困難区域、帰ってはならぬ、居住してはならぬという土地でした。11年半、誰も住んでいなかった凄まじい町です。晴れて今年の8月30日に避難指示が解除され、ようやく住めるようになったけれど、戻ってきた住民は(僕もさっき聞いて驚愕したんですが)わずか30人ほど。元は8,000人いた町が、今は30人。しかもそのうち20人は町役場関係者すなわち行政職員だというから、要はほとんど誰も帰ってきてないわけです。

11年半無人で、今は人口30人。そういう町ですから当然、コンビニ一つありません。病院もない。スーパーもない。図書館すらないわけで、これは違憲状態ですらあるはずです。「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」はずですが、何もない。すると当然、保育園なんかないんです。だから家族を連れて来れない。

今僕が住んでる東京都練馬区ですら保育園の獲得時には大戦争で、今の保育園を何とか・ようやく・ギリギリでゲットできた。だから簡単に保育園辞めますなんて言えない。しかも上の子と下の子で別の保育園を指定されたのでめちゃくちゃ不便している。それでも保育園がないと、僕か妻かどちらかが、仕事をやめて家事育児だけに専念するしかなくなる。保育園がない町では、子育ても無理だし、男女共同参画も無理なんです。

そして双葉町には保育園も幼稚園も一つもない。小学校も中学校も高校ももちろんない。となると残念ながら今時点では、ファミリー世帯の移住は無理という結論になります。だから僕の住民票だけ移すことにしました。妻子全員のを移すと通える保育園が根絶してしまいます(これは非常に切実な問題です、保育園落ちた日本死ね)。

私のようなヘンテコ演劇アーティストが移住して暮らすことは十分できる。むしろ創作に集中できていいかもしれない。しかし保育園がない、求人もアルバイト募集も何もないこの町へは、とてもじゃないけど家族ごと引っ越しては来れない。僕が単身赴任をするという事実自体が、いかに福島の浜通り・双葉町に課題が山積しているかという一つの指標にもなっているわけです。これを解決しないと、子育て世代、ファミリー世代は入って来ない。

ここをなんとか、人が暮らせて、子供を育てられる街にしたい。さぁ大変だぞ!

とは言え僕だけ単身赴任するにしても、家族は家族なわけですから、是非とも近隣の住民にうちの家族を紹介したいと思ってみんな連れてきました。妻子も応じてくれて今日は港で魚をたくさん買い、バーベキューなんかしたりしました。しかしこの町の人口は30人にも満たない……となれば、そもそも紹介する人がいるだろうか。

長男は自然に触れて大変楽しんでおりました。あと恐竜の公園でエキサイトしていました。それだけでも僕としては嬉しい。せっかくの土日有給を潰して福島に帯同してくれている妻もありがたい。しかし5年か10年か、時間が経てば、家族でも住める町になるのだろうか? 双葉町は。そういう大きなプロジェクト、問題に、私たちは直面している。

なんて、それもこれも全て「東京に電気を送るため」に生まれた問題なんですがね!

RT、いいね、その他SNSでの拡散、あるいは投げ銭などご支援心から待望・感謝しております。前回の記事では本当に驚く様なご支援を頂きました方がいました。心から感謝します。

豊岡演劇祭のこと

これから私の人生の第二章と言うか、新たな挑戦が始まる。すでに様々な困難に遭遇しており、さてどうしよう、打開策は何だと考えたとき、トンチンカンに聞こえるかもだけど「ブログを毎日更新すること」じゃないかと思えてきたのでこれから毎日更新してみる。何を今更そんな15年前のテキストサイトみたいなこと言ってんだと思われそうだが僕もコツコツWeb日記を書いてReadme!のランキングを上げていた世代だ(もはや誰にもわからない話)。原点に戻る。そこに活路がある。かもしれない。Twitterはもはやまともに議論できる場所ではなくなってしまったのでほとんど何も書けないし、古風だがブログをコツコツやってみよう。

先週まで兵庫県の豊岡演劇祭を視察してきた。これから福島に移住して現地で演劇をやるにあたって、平田オリザと青年団そして豊岡市の人々がどのように「地方と演劇」のニューバージョンを切り開いているのか知りたいと思った。

8月に行ったエジンバラフェスティバルは「まぁ10日もいれば十分だろう」と思ってえらく後悔したので、今回は演劇祭の期間中ずっといた。9/15~25までいて主要な演目は全部観た。トータル20本観たので地上で五番目くらいには豊岡演劇祭を見尽くした人だと思う。

豊岡演劇祭は初年度(2020年)でもコロナの打撃を食らいつつも7500億円だったかな?の経済効果を上げたらしい。使った予算を大きく上回る経済効果をもたらし、地元に5000泊とも言われる宿泊客需要・観光業需要を盛り上げたとか。豊岡市はもともと城崎という超有名温泉観光地があり冬はカニがめちゃくちゃ旨くて神鍋高原でスキーができて……と観光都市で有名なのだが、9月は特に客が少なく民宿や旅館も閉めてしまうところが多かった。だからこの9月に演劇祭をあてたらしい。この目論見はかなり成功しており今年2022年は1万泊もの宿泊需要の増加が予想されているとかで、実際僕が行ったときは本当に宿が取れなかった。それでヘンテコなラブホテルの跡地みたいなとこを借りてひどい目にあったりもした。俺がではなくそこに泊まった後輩がだ。今回、ダルカラに出てくれた若者たちをごっそり連れて行ってやったりしていたので大量に宿を確保する必要があったのだが、豊岡の温泉宿は1泊2万も3万もするのでとても借りられない。そこでヘンテコなラブホテルの跡地を借りたらすごいとこに遭遇してしまって……。話が逸れたからやめる。

途中で帰った人もいるので最後にいたメンバーとだけ記念撮影した。若いうちになるべく演劇祭は観ておいた方がいい。

撮影のときだけマスクを外した人がいました

演目では市原さんのは圧巻だったし、多田さんのハッピーハッピーな巡回演劇が最高だった。青年団の『日本文学盛衰史』は僕の視点が変わったのか初演よりもぐっと面白く切実に見えた。『銀河鉄道の夜』も初めて観たので、ああオリピーは昔っからずっとこのことについて書いてるんだな……やっぱり漱石先生と似ているな……なんてことも考えた。あと『新・豊岡かよっ!』がめちゃくちゃ面白かった。地方都市で地元とやる演劇ってこれが正解なんじゃないか。うまく地元をまとめよう・繋がろうと思ったとき策士策に溺れるでいろんな作戦を考えるが、シンプルに「演劇をする」ということで繋がる、そうだこれこそ基本かつ最強の戦術なんじゃないか?ということを思い出させてくれた。CoTiKのことも思い出した。

他にも素晴らしく面白いものがいくつかあったが毎日更新しようと思うと長文書いてたら続かないのでもう終わりにする。観た公演や参加したイベント全部書いておこう。坂口修一リーディング公演『お父さんのバックドロップ』、カミーユ・パンザ演出『思い出せない夢のいくつか』、岩下徹×梅津和時 即興セッション『みみをすます (谷川俊太郎同名詩より)』@永楽館、劇団 短距離男道ミサイル『BNN』、青年団『日本文学盛衰史』、山海塾『降りくるもののなかで―とばり』、ルサンチカ『Good War』、『新ハムレット』、Platz市民演劇プロジェクト『新・豊岡かよっ!』、ヌトミック『ぼんやりブルース 2022』、小川未明『花咲く島の話・船の破片に残る話・強い大将の話・ある夜の星たちの話』(観る予定だったが台風のため公演中止、残念!)、ON-PAM、しんしんし『しんのいし』、烏丸ストロークロック『但東さいさい』@久畑 一宮神社、ノイマルクト劇場+市原佐都子/Q『Madama Butterfly』、Mi-Mi-Bi『未だ見たことのない美しさ ~豊岡ver.~』、小菅紘史×中川裕貴『山月記』@玄武洞、劇団あはひ『光環(コロナ)』、豊岡物語プロジェクトB、多田淳之介『スーパーハッピーYBランド2022~チルチル&ミチルのハッピーツアーズ~』、青年団『銀河鉄道の夜』。

谷賢一、福島県・双葉町に引っ越します

一年以上準備していたんですが、ようやく正式に入居許可が届いたのでお知らせします。私・谷賢一は、2022年10月1日から福島県・双葉町に引っ越します。東京での演劇活動も継続しますが、住民票は福島県双葉町へ移し、今まで以上に「わがこと」として福島と原発について考えていこうと思います。

少し経緯や、夢について書きます。有料記事ですが最後まで無料で読めますので、是非お願いします!

双葉町とは

福島県双葉町。『福島三部作』の舞台になった町で、大熊町と同じく福島第一原発の立地自治体として知られています。そしてこの町は、震災から11年半、ずっと人口がゼロ人でした。11年半、誰も帰れなかった。この悲劇が想像できるでしょうか。今年の8月30日、ようやく一部地域(全部ではない)で避難指示が解除され、新たな一歩を踏み出したところです。

左はGoogle Mapより 右はWikipediaより

私はもともと母と祖父母がお隣の浪江町の出身で、私自身は郡山市生まれ・石川町育ち。双葉町とは特にご縁はなかったのですが、三部作の取材を続けるうちにすっかり愛着が芽生えてしまい、2019年に三部作が完成した後も、数ヶ月に一度は必ず様子を見に行っていました。どうしても放っておけない、常にずっと気にかかる町です。要は好きになっちまった。

しかし同時に、住民の95%が帰還できない、町の面積の90%が立ち入り禁止という、異常で残酷な、許してはならない、あってはならないことが起きている町でもあります。震災と原発事故はまだ終わっていない。

Edinburgh International Festival滞在記4

ちょっと忙しすぎて全然書ききれなかった。帰国してもう10日近く経ってしまったが備忘録も兼ねて書き残しておく。

スコットランド、エディンバラフェスティバル最高でした。可能なら毎年行きたいくらい。以下、滞在中のメモなどから。

* * *

Edinburgh International Festivalは8/5〜28の24日間開催されており、同時開催でfringe festivalがあり、ここではすでに書いた通り3500を超える上演があるらしい。僕は10日近く滞在したが、それでも全く全貌が掴めなかった。こんなことなら8/5〜28の24日間ずっといるんだった!

街全体が「芸術」で遊んでいる、楽しんでいる、お祭りやってる感じで、もちろんアーティストもいるんだけど、それを見に来た観客と、それを食い物にしようという地元の観光業者や宿泊業・飲食店などの野心も渦巻いて、街全体が大変な熱気に渦巻く。そして歴史の街Edinburghは、特にイベントなんかやってなくたって、歩いているだけでも楽しい。毎年来たい。緯度が北海道より高いから避暑地としても優秀なEdinburghだ。

直接流れ込んでくる命の歌、音、声……”The Book of Life”

ルワンダの作家、兼アクティビストの”Kiki Katese”が、全て女性で構成される8人のドラム・パフォーマンス集団を率いて舞台に登り、ルワンダ内戦の後日談とルワンダに伝わる民話の混ざった不思議なお話を繰り広げていく。ルワンダと言えば90年代に民族紛争で大虐殺=ジェノサイドが起こり、100日間で100万人が殺された国だ。ツチ族とフツ族。と言っても長い歴史の中で血は入り混じり、民族の分断が起きたのは西欧国家(ベルギー)による分断政策のためであったらしい。なので「お隣さんがお隣さんを殺す」、というような実に凄惨な内戦であったという。

Kikiは生き残った人々に、手紙を書いてくれと尋ねて回る。しかもそれが、「あなたが殺した人へ向けての手紙」を書いて欲しいと。Kikiの意図は糾弾でも断罪でもない、ただ「あなたのため」にその手紙を書いてくれないか……と尋ねて回ったそうだが、もうちょっと想像を超え過ぎている。とは言え語りの内容はずっと穏やかと言うか、静かだし柔和だ。凄惨な虐殺の様子が語られたり悲痛な懺悔が語られるわけでもない。ルワンダの民話が紹介されたり、Kikiのおじいさんやおばあさんの話が語られたり、客席全員に「あなたのおじいちゃんの似顔絵を描いて」と紙とペンが配られたり……。殺された命の方ではなく、繋がった命の方へ話の力点は置かれている。100万人が殺されたという背景を常に想像しながらではあるが。

その語りの合間に何度かドラムパフォーマンスがある。これが文句なしに素晴らしい。8人の女性が全力で、汗を振りまきながら叩く太鼓のユニゾンの音が会場を揺らす。彼女たちの伸びやかな歌声が鼓膜を震わせる。太鼓の音と合唱の声、生命力そのものが流れ込んでくるようだ。

教訓めいたものは何も語られなかったし、僕も語れない。ただ自分たちのルーツや、生きていること、命の繋がっていくことに思いを馳せる、静かな祈りの時間が最後には訪れていた。

* * *

現代の女性の不条理劇、”Godot is a Woman”

フリンジプログラム。直訳すれば『ゴドーは女だ』。あらすじ?を読むと僕も全然知らなかった歴史的事実が書いてあって、その時点でもう面白い。何でも、『ゴドーを待ちながら』を発表して演劇の歴史をひっくり返し「不条理劇」という一大ジャンルを築いた大作家サミュエル・ベケット。彼は1988年に5人の女性を訴えているらしい。ベケットは、女性が『ゴドーを待ちながら』を上演することに許可を出さず、それを裏切って上演した女性たちを訴えたらしいのだ。そしてベケットは1989年に亡くなっている。

さてどんな『女版ゴドー』に仕上がっているかな……とワクワク開演を待つ。会場は、日本で言えば王子小劇場とか駒場アゴラ劇場とかシアター711とか、まぁそれくらいの小劇場だ。セットも手作り感満載である。開演の暗転板つきだって完全暗転しないから、役者が板付きしてるのが見えている。まぁそんな感じの、「小劇場だなあ」って上演なんだが面白かった。

幕開け早々、誰しもが一度は聞いたことのある電話の保留音楽が延々流れている。3人の浮浪者が、公衆電話のそばで受話器にじっと耳を当てて、延々保留音を聞いている。10分くらいは「保留音を聞いてる男女3人のサイレント・コント」が繰り広げられる。客席はゲラゲラ笑っている。その3人の浮浪者(?)はベケットの死後の著作権管理をしているベケット財団に電話しており(大爆笑)、もう2022年なのでベケットの気も変わったかもしれないから上演許可をくれと交渉しているのだ。

途中、何かミュージカルっぽくなったりキャバレーっぽくなったり、割とずっとふざけながら進んでいくんだがテーマは非常に明快。「どこにも行けない、そしてどこにも行かない」ゴゴとディディを今演じるのに最もふさわしいのは女性ではないか? そして3人のうち1人はノンバイナリー。ゴドーを待ちながらどこにも行けない、そしてどこにも行かない女2人とノンバイナリーという構図、皮肉とユーモアが実に効いていて、客席からは歓声や拍手が何度も上がっていた。

しかしこの劇の白眉はラストである。当然ゴドーは来ないしベケット財団との電話は繋がらない(笑)のだが、ノンバイナリーの俳優が突然「私、行くわ」と宣言して、出て行ってしまう。それを見て、残りの女性俳優二人も「私も行く」「私も」と出て行ってしまう。彼女たちは「どこにも行けない、行かない」ままとどまり続けることをよしとせず、観客を置いて(本当に置いてかれてしまってしばらく何も起きず、ただ暗転した)出て行ってしまう。それは救いの手を待つのではなく、私たちは自分の意思で行動する、この不条理世界から出ていくという宣言だろう。

脚本買ってきた。日本でも誰かやるといいと思う! Amazonでも売っていますな。

チェコとウクライナのサーカス共演、”Boom”

終演後の舞台の様子

これもfringeプログラム。エディンバラ大学の大きな講堂で上演していた。チラシがセンス良かったのでジャケ買い的に見るのを決めたのだが、説明を読むとチェコの振付家とウクライナの振付家が出会い意気投合して始まった企画だという。劇中ではまず7〜8人ほどのチェコ人たちが10分ほどアクロバティックなパフォーマンスを繰り広げた後、舞台上手から同じく7〜8人ほどの全く衣装の異なる人々が登場。フードを被っていたり、大きな模様の入った織物を羽織っていたり。この時点で異文化・異民族との出会いということが表現されていた。面白かった。

と、ここまでは面白かったのだが、その後やたらとハグしたり握手したりという振付表現が連続してちょっと冷めてしまった。民族の違う同士が同じ板の上で踊っているというだけで、融和や対話、相互理解というテーマは描けているのだから、握手やハグは逆にその精神を少し幼稚な形で見せてしまっていたように思う。ただ中盤で「私の国では旅人をパンと塩でもてなす」「私の国も同じように旅人をパンと塩でもてなす」と離れた国なのに同じ風習があることを紹介するくだりや、ラスト10分でなんか突然「うちのリーダーはちょっと年なもんで、あんまりナウくないんだわ」「なので最後の10分は若者たちだけでやりたいことやります」「リーダーもそれがいいって言ってくれてるんで!」みたいなスピーチが入って、突然全然違うダンスが始まった時には笑ってしまった。おおらかで良い。それに20代と思しきダンサーたちが、自分達のやりたい振り付けをやっている様は美しかった。こちらは全く幼稚には見えなかった。

最先端のテクノロジーと古典的手法を組み合わせた完璧な演出、”COPPÉLIA”

スコティッシュ・バレエ団(スコットランド国立バレエ)の新作。今回のフェスティバルでは一昨日観たコンテンポラリー・サーカス『Room』が断トツでトップだろうと思ってたがそれを上回る興奮。

幕が開くと、ただのでっかい白い箱の美術がドンとあって、そこにデジタルな印象を与える文字列などがプロジェクションマッピングされている。人工知能を宿したアンドロイドを作っているラボのような場所らしい。舞台上にGo Proのようなアクションカメラを持ち込んで、プロジェクションマッピング、CG、モーションキャプチャー映像、ライブカメラなどの映像がダンスと絡み合う。めちゃくちゃ計算されたスタッフワークで興奮した。

内容は、ぜんぜんコッペリアじゃねーのにすごいきちんとコッペリアしてる(?)。人工知能が命を宿すということについて、意識とは何か?という問いをダンスを通じて哲学的に描くことに成功していた。そしてバレエと機械がこんなに相性がいいとは思わなかった。自分の身体を完璧にコントロールできるバレリーナ、彼ら彼女らの技術でロボットダンスをやるとこんなとんでもないことになるとは! 足とか手とか異常な角度に曲がる上に、角度や高さの揃え方が神がかっているので思わず圧倒された。昔はバレリーナは重力から自由になり妖精や鳥に变化したものだが、現代では物理法則から自由になり機械やCGにまで化けることができる。モダン・バレエって時々ホントにやべー作品繰り出してくるから見逃せない。

上記の写真を見てもらうとわかるが、映像とダンスを組み合わせて数々のスペクタクルを放っていくのだが、ラストシーンが本当に美しかった。主人公二人スワニルダとフランツが、本当に静かな静かな曲の中で、派手さは全くない、優雅でクラシカルなペアダンスを5分くらい淡々と踊って静かにフェードアウト、暗転、終わり。つまり、散々スペキュタクラーな演出やステージングで盛り上げておきながら、最後は男女二人の静かな会話で締めたのだ。会話と言ってももちろんセリフはないのだが、そこはダンスだから、二人の踊り方を見ていれば二人がしっとり静かに語り合っている声が聞こえてくるようである。人間とは何か? 意識とは何か? そんなことを問い続けたラストシーンが「静かな会話」で終わるというのは、痺れるくらいカッコいい。

DVDとか手に入れて一生部屋で流しときたい。売ってなかったけど。。。エディンバラフェスティバルでは終わっちゃったが、この後グラスゴーとアバディーン、インヴァネスで上演されるらしい。もう一回観たいくらいだ。

https://www.scottishballet.co.uk/event/coppelia#dates-and-times

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エディンバラフェスティバルの規模感を僕は完全にナメていた。10日くらいいたのだが全く見切れた感じがしない。一応International Festivalのメイン演目で期間中に上演されていたものは全て見たのだが、fringeも入れると全くカバーできなかった。全貌すら把握できなかったと言っていいくらい。

だって、こんな感じなんですよ。ちょっとこの写真見てください。

これ全部、今日の上演リストなんですね。この会場(エディンバラ大学)の敷地内のあちこちで上演が同時並行で進んでいて、1日にこれだけの演目が上演されている。

これも某所に掲示されていた上演リスト。このエメラルドシアターとフェーンスタジオはかなり近くにあるんだけど、そこでもこれだけの演目が上演されている。……これだけでも一つの演劇祭として胸を張れるレベルの演目数だと思うが、こういう上演拠点があちこちにあって、じゃんじゃん上演されているわけだ。

毎年40万人の観光客が訪れる。経済効果は日本円に換算すると500億円だとか。日本だと阿波踊りの経済効果が100億円、祇園祭が138億円だそうだ。素晴らしい観光資源だが、歴史は意外と浅く1947年のスタート。……せいぜい75年で文化・伝統って作れてしまうのだな。