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PLAYNOTE Posts

11月9日(水)、グルメ

今でも毎朝子どもを保育園に送っている。大抵ハミガキしたくなかったり靴下が見つからなかったりして出掛けるのが遅れる。しかし今朝は妙にスムーズに全てが進み普段より十分以上早く家を出ることができた。

これならあそこに行けるかもしれない。西新宿五丁目、らぁ麺屋 嶋 へ向かった。

開店50分前についたのにもう20人並んでいる。平日でこれだ。土日祝日だと50人待ちとかはザラらしい。この店は2020年にオープンしてその年のうちにラーメンオブ・ザ・イヤーと食べログ人気ランキングラーメン部門で1位を取った。今、名実ともに東京ナンバーワンのラーメン屋だ。たまたま今の職場から徒歩圏内なので今まで何度か並んでは玉砕し続けてきたのだ。

20人待ちではあったが何とか11時からの席を予約することができた。時間を潰すためコーヒーでも飲みながら原稿書くか……と入ったコーヒー屋さんが素晴らしかった。COUNTERPART COFFEE GALLERY。スペシャルティコーヒーという耳馴染みのない単語を知った。徹底的に品質にこだわり、トレーサビリティーやサステナビリティー、フェアトレードにも配慮したまさに究極のコーヒーを出す店だ。ご店主の解説を聞きながら、エル・サルバドルの手挽きコーヒーを頂いた。一杯1100円。何でも一口目はオレンジや柑橘系の香り、やがてチョコレートのような甘みと風味が広がり、飲み切った最後の後味は烏龍茶のように爽やからしい。そんなコーヒーがあるわけ……。

あった。確かにオレンジのような爽やかさだ。しっかりコーヒーの酸味はあるが、ちっとも苦くないしエグくない。コーヒー=苦いという先入観は全否定され、スッキリとして透き通った香りと風味の味わいだけを静かに楽しんだ。これはすごい。聞けば神田の別の店では一杯5000円のコーヒーなんかもあるらしい。奥が深すぎる。

11時にらぁ麺屋嶋に戻るとすでに本日分すべて完売していた。何とか一杯、しょうゆラーメンを頂く。チャーシューや海老ワンタンの入った「特製」で1600円。開店と同時に頂点を極めるのもわかる、見事な味だった。しかもそれが例えばスパイスやニンニクの香りがすごく強いとかダシが特殊で珍しい風味とか、そういう「珍味」としての美味さではない。正統派の東京しょうゆラーメンを徹底的に丁寧に作ったらこうなる、みたいな。非常に上品でレベルの高いところでよくまとまっている「料理」だ。

正直に言うと僕の舌は大変貧しいため町のラーメン屋さんの500円のラーメンでもおいしい!とうなってしまう、だからここまで並んでまた食べるかというと多分並ばないだろう。でもこういう世界もあるんだな……と感動した。提供の仕方から店内の雰囲気まで、フランス料理のようなと言えばさすがに言い過ぎだが高級料理を食べてるような感じだった。

夜は地元の気になっていた焼き鳥屋さんへ。これが焼き加減もバッチリで程よく香ばしく、またメニューにも一工夫あって大変おいしい。近所にこんな美味しい焼き鳥屋があるとは盲点だった。十本近く食べて瓶ビール2本飲んでも3000円行かないという安さも嬉しい。

来週末まで東京にいる。こういうグルメ巡りは福島県浜通りでは全く難しい。個人的には食のバリエーションとレベルという意味では東京はニューヨークやロンドンよりも上だと思っている。最後に先週末に食ったカレーの写真も貼っておく。

神田のボンディとボンベイ。世界に誇れるカレーだ。

へとへと

朝子供を保育園に送り届けてWi-Fiのあるファミレスに滑り込み9時半からZoom会議、×2件。その後、見積書作って送ったり、原稿の草案作って送ったり、演劇学校の教科書執筆したり、新国立劇場演劇研修所の授業準備していたりするともう時間だ。13時半から授業、稽古。生徒たちに「イメージの極意」を伝えるも、そう一気に良くはならない。彼らを見ていて思うのは、

  1. 技術は教えられる。俳優は訓練すればその分だけ必ず上手くなる。
  2. センスは知識&インプット量に比例する。インプットを増やすのは努力すればできる。
  3. しかし面白いかどうかは、その人が本当に面白く生きているかにかかっている。そして自分自身の面白さをちゃんと気づけているかによる。

3が厄介で。その人の面白さに本人が気づいていない場合って往々にしてある。かつ、本人の面白さを上げるには一朝一夕ではいかない。どう生きるか、生きているか。それが全て出るのが俳優という仕事であり劇作家という仕事だろうといつも思う。

夜はまたZoom会議。しかし12月公演の制作・ばねちゃんととても良い話ができた。彼女は福島を救う女神になってくれるかもしれない。Twitterに書いてないだけで昨日までの日記もすべてあるのでご覧下さい。

皆既月食でしたっけね?

1/7(月)、田舎の家の裏口

演劇研修所の学生たちと『わが町』を一行ずつ読み解いている。ほんのちょっとしたことに違和感を持つ、引っかかる、疑う。全てはそこから始まる。今日もいろんな発見があったが、個人的には「なぜ新聞をもらったギブズ医師は徹夜明けなのに家に帰らずその場で新聞を読み始めるのか」という一見至極どうでもいいことが一番大きな発見だった。我々がSNSにかじりつき常にスマホをチェックしていないと不安なように、当時の町の人々にとっては新聞ってもっと身近で気になる情報ソースだったのだろう。またギブズ家のヤローたちが誰一人正門を通らず裏口ばっかり通りやがるので、九州出身の生徒と一緒に「田舎って表玄関通らずに裏口ばっか使うよね」話で盛り上がった。うちの田舎は裏口+縁側がメイン導線だった。縁側からインゲンやらトウモロコシやら持ったおばさんやらおばあちゃんやらがどんどん流れ込んでくる。表玄関は存在はしているが使われない。鍵もかけない。1980~90年代の話です。

1/6(日)、戯曲の書き方講座

「戯曲は絶対に起承転結で書くな! 戯曲は○✕△で書け!」「よし、書くぞ!」そういう講座だ。プロットの立て方をステップ・バイ・ステップで教える。劇作家は英語 play-write(劇を書く人) ではなく play-wright(劇の大工)とつづる。設計図がとにかく重要なのだ。プロットさえ立てばあとは必ず書ける。プロットが立たない? それはもう仕方がない、頑張るしかない。僕は生涯50本以上戯曲を書いてきたけれど、それでも今だって「書けない」と立ち止まるときがある。みんな一緒なのだ。書けないのはあなただけじゃない。そこでお尻を椅子から離さずに机にかじりつき続けた者だけが戯曲を完成させられるわけで、最後は結局根性とか執念なんだ。

ただし、基礎のテクニックを知ってるのと知らないのとでは雲泥の差がある。僕も上に書いた○✕△をマスターしてからぐっと書くのが早く確かになった。DULL-COLORED POP『演劇』で会得したやり方だ。さぁ参加者たちは来週までにプロットを立ててセリフにしてくる。楽しみにしていよう、どんな傑作・怪作が現れるか。

1/5(日)演劇史入門

DULL-COLORED POP演劇学校・11月開講分。初日は演劇史入門から。個人的には19世紀、自然主義文学の誕生~リアリズム演劇および演出家の誕生までのあたりを解説しているときが最も興奮する。フランス革命と産業革命という2つの革命が人類に2つの力を授けた。人権そして機械化。そしてダーウィン種の起源をはじめとする科学・化学の進歩もあいまってゾラが自然主義文学を宣言し、やがてリアリズム演劇が生まれ、スタニスラフスキーをはじめとする演出家が演劇を革新した。このあたりはすべての出来事が玉突き事故のように繋がっている。歴史全体のうねりの中で相互に関連しており、美術史とか音楽・建築の話まで入れるともっと楽しいのだが時間が足りない。そしてスタニスラフスキー登場以降、演劇の歴史は一気に進む。スタニスラフスキーの愛弟子・メイエルホリドがリアリズムとは真逆の演劇の可能性を華々しく開花させたのは感動的だ。

アシスタントのH.Kさんがコロナ罹患してしまい一人で映像のセットアップから検温・受付その他すべてやることになったため鬼のように忙しかった。参加者の皆さまが優しく協力的でとっても助かったな……。感想などお待ちしていますのでSNSなどに書き込んで下さい。

11月4日、移動・観劇など

双葉の家に盛大な忘れ物をして朝は8時半から13時半までずっと運転していた。ちと疲れているのかもしれない。やれやれ。夜は文学座『欲望という名の電車』観劇。もともとすごく好きな本でずーっと観てきたが今回も良かった。言葉の切れ味が本当にすごい。ウィリアムズ自身の怒りや劣等感、美への憧れ、様々なものが詰まっている。己の内なるコンフリクトを描く。やはりそれこそ劇作の真髄なのかもしれぬ。

おたより返し、11月3日(木)

午前中ひたすら双葉の家で執筆をする。本当に静かなので筆が捗る。原稿を2つくらい脱稿。その後冷蔵庫の余り物を悪魔合体させて謎の焼きうどんを作って昼食を済ませた後、車で20分ほど南下し富岡町を訪れ市民芸能祭を観てきた。僕と同じく「演劇でなら何とか浜通り復興できるんじゃ」と同志である青木先生が作品を出展していたので観てきたのだ。富岡演劇祭、上演団体募集中です。製作支援金最大50万円

このブログ、10/1から毎日更新するぞ……ということを宣言しまして、病気や二日酔いの時を除いて今んとこちゃんと毎日更新してんですが笑、驚いたことに僕が毎日更新しているように毎日「支援」=課金してくれている方がいる。頭が下がる。たまに1000円とか5000円支援してくれる方もいて(中には最大で一度に5万円も支援してくれた方もいた)、本当にありがとうございます。

そんで「支援」すると同時にメッセージを送れる仕組みになっているんだけど、そこで寄せられたコメントのいくつかにここでお返事を返してみようと思う。以前返信したら「返信なんていいからお仕事に専念して下さい!」なんて恐れ多いコメントもあったので全てのコメントに返信をするということはやっていないのだが、すべて目を通してはいます。中には鋭いコメントもあるので、それにいくつかお答えしよう。

いつもブログ更新、ありがとうございます。(略)もう福島に住み始めて1ヶ月になるんですね。相変わらず、お忙しいようで、あっという間に過ぎたのではないでしょうか? 色んな活動をなさっているのが、ブログを通じて、実際に比べたら少しだと思いますが、伝わってきて、今後の展開がとても楽しみです。谷さんきっかけで、福島に連れて行ってもらえるのを、今から楽しみにしております!

ありがとうございます。この方はもうずっと、三部作上演の頃から欠かさず観にきてくれている方です。「僕が福島に連れていく」、谷賢一による福島ツアー、今、企画しているところです。僕が福島の見どころをご案内し、車であちこちお連れして、夜は鍋でも囲みながら『福島三部作』の映像を観る、地元のアーティストたちの話を聞く……そんなツアーにしようと思っています。きっと楽しいだろう。↑のAさんは是非ご招待させて頂きます。

浜通りに様々なアーティストや戦略を持った人達が集結して熱いですね! 特に官庁などは利用されるかさせて貰うかのせめぎ合いが楽しく、谷さんなら今後の国政の方針などにもお詳しいと存じますので国の予算や制度利便も利用できるよう頑張ってください。

仰る通りで、国、県、官公庁、そういったところとの連携が非常に重要になります。今は自己資金、つまり持ち出し(僕の自腹)で大体のことをやっていますが、これではもちろん長続きしません。そしてよく言われる「自己責任」「自助努力」、これではこの地域は復興できるわけがないんです。ただただ市場原理・自由競争に任せていたら、一度住民ゼロになった町では商業でも工業でも農業でもインセンティブがあるわけない。戦えない。何かのテコ入れは必要です。僕は自身の作品や表現を通じて自力で誘客することももちろん考えていますが、同時にどれだけ行政と足並みを揃えられるかが鍵になるだろうと考えています。

Webメディアでの連載楽しみです!
白虎隊敗北後新政府にいじめられてその後も損な役回りを担って来た福島にはいつかリベンジして貰いたいですが、以前中通りで車の運転をしたとき怖い思いをしたり西と比較してやっぱり嫌な側面も有るので福島の様々なディテールに迫った展開を期待しております。

「車の運転をしたとき怖い思いをした」ってどんなんだかすごい興味ありますが笑。それはさておくとして、Web連載ぜひ楽しみにしていて下さい。11/15くらいに公開できるんじゃないか、という話で進んでいます。ブログは毎日更新して、気軽に近況報告書き散らかしていきますが、Web連載の方では「100年後の人に伝えるつもり」というテーマで書こうと思っています。

今日の記事で谷さんが書いていたことと壁画アートの写真に感動しました! 双葉、行ってみたいなあ。未来が本当に楽しみで記事を読んでワクワクしました。希望をありがとうございます。谷さんが双葉でどんな未来を思い描いているのか、いずれ記事に書いてくれたら嬉しいです。

ありがとうございます。僕は本当に、この双葉町で最先端の演劇が生まれる、アートで盛り上がっている、世界的に見ても価値のある作品が生まれている……そういう町にしたいと思っています。来てもらえたらわかりますが、そしてエアコン取り付けにきた電気業者さんも取材に来た雑誌の人もみんな口を揃えて言いますが、「双葉は難しい」。本当に難しい町なんです。普通に戦ったら勝てない。でも今、演劇に限らず美術や音楽、その他さまざまな文化の力でこの町に少しずつ追い風が吹いているのを感じます。住む人にとっては懐かしくあたたかい、訪れる人にとっては珍しいものがたくさん見れる、そういう町にできたらいいですね。

いま福島県浜通りが一番面白い、11月2日(水)

6時半起床、8時まで寝床でゴロゴロしつつアイディアメモの整理など行い、銀行業務、役場にて家賃を払う、デスクワーク少々、ウェブ連載の原稿を何度も何度も推敲したのち送付、その後ダルカラ演劇学校の講義準備&教科書執筆。わかりやすくて読みやすい。専門書ほど難しくなくWikipediaよりは整理されてる。そういうバランスを目指して執筆している。読み物として面白いって大事なことだ。たまに読み物として面白い上に勉強になるなんて書物がある。そういうのを目指したい。

午後、新聞取材一件、僕の年末の公演までの足跡を追っかけたいという嬉しいお申し出。企画会議通るといいな。その後雑誌取材一件。演劇雑誌でも福島の新聞でもなく、とあるライフスタイルの雑誌から。県の職員さんも同行されていたが彼曰く僕は双葉町の移住者第一号で確定らしい。ありがたい!

取材後ぐったり疲れて30分だけ仮眠。その後浜通りのアーティストたちが集まるアーティスト・ネットワークの決起集会へ参加。

現地参加27名、オンラインでの参加も加えればもっと。僕は演劇の人間だが映画の人や現代美術の人もいたし、町おこし、地域づくりのNPOや一般社団法人などの他に、アート・ディレクター、キュレーター、デザイナー、プランナー、フォトグラファー、ビデオグラファー、ライター、ディレクター、ヨガの人、シェアハウスやコワーキングスペースの運営、障害者福祉、公共劇場の人、役場の人、内閣府の人……。本当にいろんな人がいた。

福島県浜通り地方というのは原発事故により「全員避難!」と言われて一度もぬけの殻となり、どの町もそこから町を復興するという無理難題にトライしている。なので自然とアーティストやベンチャーの人が増える。今回の議題は「アーティストみんなで連携することでそれぞれの事業や効果を強化・効率化できないか」というものだった。旗振り役を務めてくれたmaruttりかちゃんは本当に賢い女性だ。素晴らしい引き合わせだ。僕もアートで町を立て直そうと考えている若者や同業者たちと出会えて刺激になった。こんなに面白い人が集まっている地域は日本中どこを探してもないだろう。全ての町がフロンティアなのだ。野心家ばかりうごめいている。

興味ある人は是非ご連絡を下さい。このアートネットワーク連携が成功した暁にはマジで福島浜通りが芸術的に言って最も新しい地域になっている可能性が十分にある。そしてそうならなければならないのだ。私は何も「地方にしては面白いよね」なんてレベルのものをやろうとしてるわけじゃない。国内でも最高峰の、そして国際的にも戦えるレベルのコンテンツを発信しようとしている。福島浜通りは大変なビハインド、難しさを抱えてしまった町だ。「それなりに面白い」なんてレベルのものでは戦えない。「世界的なレベルで面白い」コンテンツを作り、発信する。そうでないと勝ち抜けない。僕はそういうものをこの地域に持ち込むつもりでいるのだ。

11月1日(火)、ふたばふたたび

AM9時、銀行業務。また月末締めに間に合わなかった僕はポンコツだ。AM10時、ファミレスで執筆・事務作業など。進行中の企画について進展が見えて嬉しい。AM11時、再来年の執筆作品についてZoom会議。会議は踊り何だかよくわからん着地をする。卵が先か鶏が先かとよく言うが、やはり私は先にテーマを話すということが不毛に思える。「面白い」と思えるプロットや題材を見つけたのちにテーマが出てくる。炙り出されてくる。テーマ優先で書き出すと説教じみた話になりがちだ。あれは6年前だったか、デヴィッド・ルヴォーにアドバイスをもらって以来、社会的な問題について書くことをためらわなくなったが、それでも「テーマ性よりも芸術性」「意味より面白さ」という芸術至上主義を忘れずにいたい。何かを言うために演劇をやるのではなく、演劇をやるために何かしら言う……そう言っていたくにおんちゃんの言葉に僕は今でも深く共感している。

13時半から新国立劇場演劇研修所にてシーンスタディ。各幕を順番に読み合わせし短くダメ出しや意見交換・ディスカッションをする。今日は非常に難しい話題に触れた。観客を感動させるのは俳優にしかできない仕事だ。演出家はお膳立てしかできない、直接観客を動かすのは俳優だけ、つまり演劇創造の主体は俳優なのだ……という話と、共同創作する以上は全員がシーンに責任を持つこと、時として「私はそれには反対だ」「私はそれをつまらないと思う」と意見表明することの意義を話した。相手が僕のような三下でなく宮田慶子だろうが栗山民也だろうが「私はこう思う」「私は違う」と俳優は話していいし話すべきだと伝えた。もちろん「共同作業」は非常に難しい行為でありこんな簡単な原理原則だけではうまくいかない。お互いの領分・領域を認め合い体重を預け合うような信頼関係が必要だ。経験や現場勘も重要になる。しかし俳優は誇りあるクリエイティブな仕事だということは伝えたい。数年後プロの現場に彼らが飛び込んだときに思い返して欲しい。

18時に稽古場を飛び出し3時間半ドライブして1週間ぶりくらいに福島に戻ってきた。若干の寝不足で途中意識が遠のきかけたため大量のブラックブラックガムを買いコーヒーを爆飲みして常に「ワーッ!!」と叫んだりラジオやナビの音声に「なーるほどね!!」「了解!!」「マジでー!!」などとリアクションしながら運転していた。駐車場で仮眠しようとすると眠れないのに運転していると眠くなる、こういう時はこれくらいしか対策が思いつかない。

双葉につくとあまりの静けさに驚いた。全く人気がない。完全な静寂だ。寂しくも思うが同時に「帰ってきたな」という感覚もある。入居が10/1だったから気づけば今日で入居後1ヶ月が経った。当初はかなり意識して「東京へ行く」「双葉へ戻る」という表現をするように気を付けていた。気を抜くと「東京に戻る」と言ってしまうので。今ではすっかり「双葉に帰ってきた」と意識せず言えるようになった。そして、ちょっと落ち着いている僕がいる。ビジネスパートナーの菊池さんと短く雑談をして別れた。この短い会話も何だか「双葉で友達と会う」という小さな喜びに満ちていた。彼女の話によれば近所に小学生の兄弟を子供に持つ世帯が越してきたらしい。早く彼らの騒がしく遊ぶ声を耳にしたい。

10月31日(月)ワイルダーお前まちがってるだろ

作成中の年表

今日は午前中ひたすらデスクワークと書き物をして、午後は新国立劇場演劇研修所シーンスタディ授業。今日のテーマは「ニューハンプシャー州におけるグローヴァーズ・コーナーズの位置を特定する地図を作ろう」&「戯曲の中にある年号・日時・季節・数字、全部拾って年表を作るぞ」。基本中の基本ではあるが最近これを特に大事にしている。

どうしても頭に先入観というものがあるので基本的なことを見落としていたりする。「自分はわかっている」と思わずに当然と思えることでさえ一度は辞書を引いたり地図で調べたりする。今日も劇中の地名や距離を分析していくことで、グローヴァーズ・コーナーズの置かれた場所・地理・風土などが立体的に見えてきたし、年表を細かく作成していく中で多くの発見と矛盾が見つかった。劇中の年代を信じるとエミリーとジョージが2〜3歳差になってしまい、同じ宿題を解いたりしている一幕の台詞と矛盾が生じる。年号を信じるなら2〜3歳差があるがそれはどうも直感に反する。僕がテキトーに「ワイルダーが数字まちがって書いたんじゃないか」説を提唱したが、普通偉い作家はそういうことしない。僕のようなズボラな作家は「上演中に辞書引きながら見てるわけじゃないんだからさ」と数字や年号などちょこっと誤魔化して書くこともあるが、ワイルダーは偉い作家だ。きっとそういうことはしない。

と思ってたらさっそく劇中で「火曜日」と書かれている日付が史実(カレンダー)では「土曜日」だったという例が出てきた。ワイルダーお前まちがってるぞ。グローヴァーズ・コーナーズがグレゴリオ暦以外の暦を採用していたなら話は別だがまさかそんなこともあるまい。僕の中で「ソーントン・ワイルダーといえどもテキトーに書いてたとこある説」が再び可能性をもたげてきた。焦って結論を出さずにもうしばらくじっくりあれこれ資料をあたり読み解いて行く。

今日は学生が1900年ごろのニューハンプシャー州の古地図を持ってきてくれていて、そこには当時の鉄道の路線図や駅の位置なども記されており大変役に立った。こういう地道な調査をした上で、無視する、誇張する、誤読する、それは演出家と俳優の自由だ。しかし一度原点をじっくり読み解く。最近(こないだの『戦争劇集』とか「プルーフ/証明』とか)ではそういうことを大事にしている。明日も頑張ります。