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カテゴリー: 日記

12/9(金)、1日は存在しない

朝10時に稽古開始して今日は18時までやってた。10時〜6時とかいうのでまぁ稽古も6時間くらいかなとバカな勘違いをしていたら8時間もやっていて、そりゃ疲れるよと自分に呆れた。明日は俳優の入りを段階入りにしたので(10時入りの人と12時入りの人で分けて、早く入った人は早くあげる)、僕だけ働き続ければ充実した稽古ができる。

今日の稽古ではみゆきっちょむ先輩(佐藤みゆき様)と家久来さんのやりとりが大変微笑ましかった。家久来さんも徐々に自由に動ける・振る舞えるようになってきて、持ち味の芯の太さやヘンテコさが見えてきて楽しいし、それに輪を変えてみゆき先輩が自由にやっているので面白い。僕も最近では「もう若手じゃない、自分が業界をリードしていかねば」と考えることがある。みゆきちゃんは僕は年下の若手のセンスいい子と思っていたけれど、それは12年前とかの話だ。今は同世代の中堅として後輩にいい背中を見せられるか、そういう立場にいるんだなと実感もする。

スーパーでカレイがめちゃくちゃ安く売ってたので買って帰り、昨日きっちょむが作ってくれた煮付けが美味しかったので、見よう見まねでなんちゃってカレイ煮付けを作って晩酌にした。美味い。海産物おいしいんだよ。編集中の音響ソフト(Ableton Live)が見切れているが自分で音響いじれると俳優の芝居や展開に合わせて細かい修正がすぐできるので便利。僕にはとても向いている。

12/7(水)、AIR

今日から福島生活。我が子の保育園送りもこれでしばしお別れ。子を送り届け、近所のスーパー銭湯で1時間だけ熱い湯とサウナを浴びた。これだけで随分体がスッキリしたぞ。2時間ほど家でデスクワークをして溜まっていた原稿やメールを打ち返した後、いざ福島へ出発だ。東谷・久留飛を連れて高速をぶっ飛ばす。運転は意外と好きだ。特に福島の道はシンプルで楽しく運転できるし、風景が綺麗なのでいい気分転換になる。しかし今日は書かねばならない原稿が山積みだったので、途中から運転を仲間に任せて後部座席でキーボード叩いていた。いわき市内の鮮魚店でイカとメヒカリを買い、浜辺を訪れ野営キャンプ。誰もいない。地球で自分一人になったような気にさえなる。浜辺でセリフ合わせをしていたら急に風が強くなって全員凍えそうになり家に帰った。家に入ると「家はいいな」と東谷が言った。

12/6(火)の日記

息子を保育園に送った後稽古場へ向かったが、その後急に体調を崩し、午前中ずっと車の中で寝てた。俳優やスタッフが体調を崩したらすぐ「休みなさい、休みたまえ」とオフを進めるが、こういうとき自分は休めない。もちろん僕が休んでもみんな何かしらフォローして進めていてくれるだろう、そういう信頼感はあるんだが、自分の使える稽古時間が減るというのが耐えられない。なんとか午前中に体調を持ち直し2時間遅れて稽古に合流する。ラストシーンの稽古を細かく行ったのち、頭から全てのシーンを順番にやっていく。……ちょっと長過ぎた(てへぺろ)という問題がよーくわかったので削る作業をする。「短編」と言いつつこれ一本で上演できる尺のものができてしまった。薄々勘付いてはいたけどね。一部台本をカットして10分削り、さらに芝居のテンポを上げればもう20分削れる。前半リーディングパートと合わせて2時間以内にはしたいからなあ。

12/4(日)、がっくし

アンパンマンの腹巻きを着こなす次男

朝、図書館日本を返しに行く。図書館の駐車場が1時間400円もして、すごく嫌。併設の公園でフリーマーケットやってたが何も買わない。朝、松屋の牛丼を食べ、昼も松屋の牛丼を食べた。脱稿までの間とにかく精神的に疲れていた。人間トラブルもあった。今になって急に肉とか炭水化物とかで傷を治そうとしているのかもしれない。『家を壊す』稽古は進む。今回の出演者はみんな好きだ。ほんとなら飲みに行きたいが絶対コロナかかりたくないので絶対飲みに行かない。いつまで続くのよこれ。美打ちを経て空間の使い方が固まったのでザクザクミザンスつけてく。音も決める。後回しにしない。休憩でカクライコーヒー店をやったが確実に上達していた。稽古場にマイキャンプギアも入れた。稽古後「ウワーッ!!」って鳴る打ち合わせとかメールの返信とか多数。日澤くんAIRもようやく発表できて良かったな。谷賢一

12/3(土)、言い訳はしない

双葉町に移住した10/1から「これから毎日ブログ更新します!」なんて言って、実際2ヶ月ずーっと更新してましたが、途切れました。言い訳はしない。どうもすみません。この10日間くらい地獄の苦しみを味わっていたのです。新作戯曲を書いていたのです。

あらゆる仕事の中で新作戯曲を書くというのだけ圧倒的に特殊なのです。どう違うかと言うと、

  • 翻訳 → 楽しい。だってもうすでにいい作品が手元にあるんだから。英語だけど、書かれている。悩むことはあっても行き詰まることはない。絶望も感じない。スキマ時間にもコツコツ進められる。
  • 演出 → 大変だし、これも脳みそを使うけれども、演出は一人でするものでもない。スタッフに相談したり、俳優からアイディアをもらうこともある。壁にぶち当たることもあるけれど、そういうときは舞台監督や演出助手、俳優に「わからん」「だめだということだけはわかる」「どうしよう」と愚痴ることで突破口も開かれる。
  • エッセイ、評論、書評など執筆 → 楽しい。僕は書くのは早い方なので、一時間もあれば2000~3000字くらいは書ける。エッセイとかでいいオチをつけたかったり、書き出しや終わり方をかっこつけたかったりするときは悩む・止まることももちろんあるけれど、基本的には時間さえかければ必ず書ける。
  • 戯曲 → めちゃくちゃしんどい。執筆期間中は、全く誇張ではなしに、目を覚ます瞬間から眠る瞬間までこのことばっかり考えてる。朝、「むにゃむにゃ……」の段階で「あ、あそこ、こう直せばいいんだ」とか「あー、ここはそう言えば見落としてたな」とか「あのシーンどうしよう」とか考えてる。というか、それをしないと書けない。さらに、それをしても書けない場合がある。1日ずーっと悩んで何も書けないなんてことはざらなのだ。

戯曲執筆だけは、不思議なもので、こま切れのスキマ時間では何もできない。30分×10=300分だが、これだと何も前に進まないのだ。そうではなく「これから書くぞ」と6時間、机に向かったり、ベッドで寝返りを打ったり、散歩したりお風呂に入ったりしつつも基本的には「ずっと考える」ことを続けないといけない。するとあるタイミングで壁が壊れる。光が見える。でもこれも中断してはならないという性質がある。1時間考えて、30分別の仕事をして、それから2時間考えてもダメだったりする。3時間かからないとひらめかないことを思いつくためには、3時間うなり続けなければならない。そして実質書いてる10分とか30分以外の2時間半は、ただウーンウーンと唸ってるだけなのだが、これがないと最後の「書く」につながらないのだ。

『家を壊す』脱稿しました。これから2週間みっちり稽古します。ぜひ観に来て下さい。

11/24(木)、朝の散歩

僕は性格がせっかちなので散歩とかできない。やるとしたら執筆中だけだ。頭の中でアイディアが嵐を起こしている。あまりに混沌としていて形にならない。俗に言う「煮詰まる」状態のとき散歩に出かける。最近では毎朝散歩に出ている。6時半か7時に起き出して街を歩く。ほとんど誰とも会わない。空だけが抜けるように青く、広く広がっている。へー、こんなとこに抜け道あったんだとか、なるほどこことここは繋がってるのか……なんてことに驚きながら歩いていると「あ」「なるほど」と突然自分のミスに気がつく。あそこをこうすればプロットはうまくいくのかもしれない……。忘れないようにスマホにメモをとり、また歩く。ぼーっと駅前に座っていると出勤してきた工事作業員さんが会釈してくれる。僕も会釈を返す。そこで「あ」「そういえば」とこんなことも今回のテーマにつながってくるかもしれない……とまたメモをとる。僕はとにかくせっかちで全く散歩とかできないのだが、こういうことをしていると1時間くらいは散歩できる。今朝もしたし明日もするだろう。12月『家を壊す』お待ちしております。

谷賢一 福島滞在製作 第一弾『家を壊す -他、短編-』

12月に福島で演劇やります。東京公演はありません。福島移住後第一発の作品を、こんな最高のキャスティングでお届けできるのがとても嬉しい。内容も「現地に住んだ」からこそ書ける事実と実感をたくさん込めました。ぜひ福島まで観に来て下さい。

 あの日以来、福島県双葉町は11年半、大熊町は8年、人が住めない無人の町になっていました。どちらも福島第一原子力発電所が立地していた自治体です。それより早く避難指示解除された南相馬市や浪江町・富岡町でも人口は以前の10分の1ほどに減り、戻ってきた人も新しく移住してきた人も複雑なドラマを抱えています。原発誘致から事故までの50年の歴史を描いた『福島三部作』で岸田國士戯曲賞・鶴屋南北戯曲賞をダブル受賞した劇作家・谷賢一は2022年10月から双葉町に移住し、立ち直りつつある町の姿や住民の声をドキュフィクションとして演劇化する試みを始めました。その第一弾として12月に新作公演『家を壊す』を上演します。

 この公演は一部・二部に別れています。一部では出演者たちのトークを交えつつ、浜通りの現在を浮かび上がらせる短いテキストを7〜8本ほどリーディング形式で上演します。二部はドキュフィクション(*1)会話劇『家を壊す』の上演です。2022年末、福島県浜通り地方のある町。帰ってきた男、帰らなかった女、町を離れていく若者たち。誰もいない町の真ん中で、男は誰も座らない椅子を買います。新築の家の匂いと男の淹れるコーヒーの匂いが混ざり合う中で、男とその家族は「11年半が経過し老朽化した我が家を壊すべきかどうか」、結論を迫られます。今、浜通り地方のあちこちで実際に起きている「家を壊す」数多のエピソードを再構築し、人間にとって故郷とは何か、アイデンティティとは何かを問う50分ほどの短編劇です。

 主演に映画・演劇・執筆などジャンルを超えて華々しく活躍する南果歩、人気劇団・猫のホテルに所属し個性派俳優として様々な舞台・映像で印象を残す市川しんぺー、福島県出⾝の俳優として舞台や朝ドラの他、故郷の今を記録する映画製作にも参加している佐藤みゆき、同じく福島出身で劇団青年座で活躍する久留飛雄己、こちらも地元出身で福島の食や果物のPR活動を行う「ミスピーチキャンペーンクルー」家久来愛実、そして谷賢一が主宰する劇団DULL-COLORED POPの看板俳優・東谷英人らが出演。

*1 ドキュフィクション……ドキュメンタリー・フィクションの略。現実の事件や問題に取材しつつ、フィクション(創作)として再構築したもの。

公演概要

作・演出:谷 賢一(DULL-COLORED POP)
  出演:南 果歩
     東谷英人(DULLーCOLORED POP)、佐藤みゆき、家久来愛実、久留飛雄己(青年座)
     市川しんぺー(猫のホテル)

照明:松本大介 音響:谷賢一&柳丈陽(青春五月党) 美術:小野まりの 衣裳:桃木春香 舞台監督:竹井祐樹、松浦良樹 スウィング:ふじおあつや 衣裳協力:とわづくり 制作:柳丈陽(青春五月党)、赤羽ひろみ 制作補:安藤由希奈 票券:田村美紀 共催:合同会社DULL-COLORED POP、青春五月党、一般社団法人 福島ENGEKI BASE 制作協力:ゴーチ・ブラザーズ 助成:公益財団法人セゾン文化財団 主催:浜通り舞台芸術祭実行委員会

日程:2022年12月16日(金)〜19日(月)

12/16(金) 19:00〜
12/17(土) 13:00〜、18:00〜
12/18(日) 13:00〜
12/19(月) 13:00〜

会場:Rain Theatre(旧La MaMa ODAKA)

〒979-2121 福島県南相馬市小高区東町1丁目10(book café フルハウス奥)
※JR常磐線「小高駅」徒歩3分

チケット

一般:4,000円 U25:2,500円 高校生以下:1,000円

  • 全席自由・税込
  • 福島県在住の方は各1,000円引(要証明書)
  • 2022年11月26日(土) AM10:00一般発売開始

※配信の予定あり。後日お知らせします。

お問い合わせ

『家を壊す』制作部 TEL: 090-4130-1775(赤羽) MAIL:sendai@gorch-brothers.jp

公式ウェブサイト

https://www.fukushimaworks.com/

11/22(火)、Bye bye Ella

午前中、NPO法人富岡町3/11を語る会の力を借りて、富岡町ガイドツアーに参加。5日かな? 一緒にいたエラと別れた。5日に渡って彼女のような世界的に活躍するコリオグラファーと延々芸術の話をするのは楽しかった。エラはユダヤ人であり今も念の大半を世界各国公演ツアーで放浪して暮らしている。彼女にとっての故郷とアイデンティティの話は12月の新作で僕が書こうとしていたことと重なるところが非常に多かった。新作に影響するだろう。

エラを駅に送り届けて、夕方から海辺へ向かい、波の音を聞きながら原稿を書いた。すごく疲れていた。エラのような一流のクリエイターと芸術論を交わす、これだけでも疲れる。しかも英語で。運転しながら。次の旅程を確認したりチェックしたり計画を変更したりしながら……ヘトヘトだよ。だけどそのまま12月公演の出演者たちプレ稽古をして非常に励まされた。いい座組みになりそうだ。間もなく情報公開。

11/21(月)、depression

今朝は一般社団法人おおくままちづくり公社のお力を借りて大熊町ガイドツアーからスタート。大熊町インキュベーションセンターの充実ぶりに驚く。月たったの3000円でコワーキングスペースが使い放題。Wi-Fiはある、シャワーはある、ロッカーはある、仮眠室はあると椀飯振る舞い。起業家の大きな力だ。演劇の稽古もできそうだな。午後は柳美里さんの劇場を訪れて下見したりエラとダベったり。夜、富岡町演劇祭の打ち合わせ&決起集会に参加。スタッフの士気が高く、演目も面白そうな応募が集まったので期待している。

しかし夜にはすごく落ち込んでしまった。「被災地である」ということを除いてこの町の魅力を語ることの難しさを痛感している。僕は好きだがそれはここが自分の町だからだ。異邦人にPRできるコンテンツや魅力を作る必要がある。

11/20(日)、エラと旅をする

エラと旅をする。「私は悲劇と厄災のコレクションが見たいわけじゃない」「人の営みが見たい」と彼女が言う。僕は少し困ってしまう。悲劇と厄災を乗り越えてどう生きるか? それを提示するのは簡単なことではない。まさに我々はそれを達成しようとして日々生きている。僕も不幸自慢はやめてその時々で一番気になったことを話してみる。劇作と演出と翻訳とどれが最も重要かと聞かれたので、どれも重要だが劇作だけは特別だと答えた。劇作はゼロからイチを生む作業だし、書くこと、書き残すこと、リテラチャーは神聖な仕事だと感じるから。彼女はよくわかると言いつつしかし自分は振付を毎回オリジナルに創作するがゼロイチではないと言う。必ず過去の作品とある種のコネクションがあるから本当の意味でゼロイチではないと。劇作もそうではないか?と尋ねられたので僕は、ちょうど昨夜とある大先輩の小説家が僕に話してくれた話をした。彼女は今の自分には成熟や円熟を遠ざけることが必要だと語った。すごい言葉だ。彼女は今までの技法やノウハウを捨て、徒手空拳で、手ぶらでまた文学を構築し直そうとしている。僕は彼女ほどの経験もノウハウもないが言わんとすることはよくわかる、全く新しいものを書こうとして過去の自分のスタイルを捨てる、そういう挑戦を作家はするものだ。エラもそれはすごく良くわかると言う。

旅の帰り道、僕がユーミンの『卒業写真』を歌っていたら(疲れていたので郡山という大都市の街中であることも気にせず大声で歌った)、エラがイスラエルの歌をいくつも教えてくれた。隣で眠っていた女が目を覚まし微笑む、しかしこれは神の愛の歌だと言う。次にお城をなくした女王と王冠をなくした王様の歌を教えてくれた、これは祖国イスラエルに対する愛と哀悼の歌らしい。そして月が私を見ているというフレーズから始まる子守唄、この歌から日本のアニミズム多神教とユダヤの一神教における認識の違いに話は及ぶ。日本の歌はどう?と聞かれたのでモーニング娘。の『LOVEマシーン』を和訳して教えてあげた。エラはゲラゲラ笑っていた。それだけだとさすがに癪なので、井上陽水と西條八十の歌を教えてあげた。歌を忘れたカナリアは……。きれいだけど残酷で、でも何か胸に迫る歌ねとエラが言う。僕は西條八十のプロフィールを話してやる。福島の星を眺めながら福島の話は一つもしていない。でもこれでいいんだ。劇作家と振付家が星空の下で出会ったらこういう話をするだろう。震災の話だけするのは福島に対してかえって失礼なのだ。福島は震災だけの町ではない。