ある若い俳優さんが、「自由に演技を試したり、いろんな人とつながりたい」と言っていたので、特に上演や発表を目的としない稽古の会を始めてみた。今日はその第一回である。
以前ある先輩にこう言われた。
「人前にどれだけ立ったか。俳優は、それでしか成長しません」



教えられることもあれば、教えられないこともある。野心や、不安や、緊張を抱えつつ、「どれだけ人前に立ったか」。それでしか成長しないところは、たしかにある。
でも、教えられるところは教えたほうがいい。教えられないところは、各々がんばってほしい。
*
今日は「セリフを色分けする」というワークをやった。サブテキストを的確に設定し、言葉の中にアクション動詞を入れ込む。相手役への作用を意識することで、セリフは一言一句、一言も変えずに、まったく違う内容を言う。そういうワークだ。
2026/09/11、18時~22時。参加者9名、女性6、男性2+1。

疲れ果ててストゼロ飲みながら机に突っ伏すニーナもいれば、

「これは港区女子ではないか?」と言い出すニーナもいた。どちらもセリフは一切変えていないが、まったく違う。
岸田國士、紙風船。
チェーホフ、かもめ。
ベケット、ゴドーを待ちながら、などをやった。
「なるべく解説の時間を減らして、みんなのやってる時間を増やそう」
「僕は話しかけづらいだろうから、休憩中とかに自分から話しかけよう」
「みんながリラックスできるように、僕がまず楽しくやろう」
などなど考えてやったが、結局しゃべりすぎてしまった。すまない。俺は2時間1人で喋っていられるんだ。これでもだいぶ、減らした方なんだ。
大きな舞台に出ている俳優さんもいれば、「今日ほとんど初めてまともにセリフを言います」みたいな若者もいて、だいぶ人それぞれだったけれど、時間ギリギリまでみなさん何かしら挑戦していて楽しげだった。石川県から来たって言ってた彼女は、ぶじ帰れただろうか。4年ぶりに再会した人もいた。また会いましょう。
* * *
以下は余談だ。
ある参加者から、かつてご一緒した、そして僕も大変目をかけていた、若い女優さんのその後の話を聞いた。
ルックスといい、センスといい、頭の良さといい、心の強さ、美しさといい、反射神経といい……僕より20歳も若い人だったが、「これはもう演劇の女神に愛されて生まれてきた人だ!」、「必ず演劇で天下を取るだろう!」と思っていた。本当にセンスのある俳優さんだった。今は引退し、地元へ帰っているらしい。
もちろん、それも幸せな人生である。彼女は賢い。その選択は、見事である。伝説だけ残して、さっと白鳥のように飛び立ってしまった。この沼の下は、だいぶ汚い。美しく見えるのは、水面だけだ。
『かもめ』のニーナを読むと、なぜ私たちはこんなにも演じるということに食らいついているのか、考えてしまう。
舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。
わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくって、
じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。(神西清訳)
今の僕にはこの言葉の意味がわかる。ニーナは、僕がようやく40も半ばでわかったようなことを、もうわかっているのだ。
とはいえ、ロシア語の原文でどんな意味なのか、調べてみたらこうだった。
главное не слава, не блеск, не то, о чем я мечтала, а уменье терпеть.
「大切なのは名声でも、華やかさでも、私が夢見ていたものでもなく、耐えることができることなの」
忍耐力とは、ロシア語原文ではтерпеть(テルペーチ)。「耐える」「我慢する」「苦痛をこらえる」「持ちこたえる」という意味。英語なら endure / bear / tolerate / suffer といったところ。ニュアンスとしては、重たいものを持ち続けたり、他人からの攻撃や軽蔑に耐え続ける、みたいな意味だ。
僕も若い頃、日雇いバイトとか行って、現場の親方とか社員さんのめちゃくちゃな罵倒や嘲笑をひたすら耐えていたことがあった。今、これに耐えて、いずれ成功すれば人生が変わる……と、そう思っていたが、そうではない、ということがわかっただけだった。
書くのも演じるのも、華やかな仕事ではない。それは”耐えること”だ。
チェーホフも新聞でライトなコメディを書いてた人だ。今で言えばテレビ局でバラエティ番組作ってたような人かもしれない。奥さんも女優さんだ。そんな彼が、女優の……いや、女優崩れの? ニーナに言わせる。「私たちの仕事は、耐えること」。
↑
これを「喜劇です!」って言う人ですからね、チェーホフは。