
本日突然ですが、「スマホ台本」というサービスをリリースしました。唐突に。
前から私、台本のレイアウトや形式には非常にこだわっていまして、インデント、字下げ、ルビ、柱の表示の仕方などなど、「読みやすい日本語台本」にこだわり続けてきました。しかし、あまり使いやすいソフトやサービスがない。そこで、作っちゃったという次第です。
こう見えて、趣味レベルですがプログラミングができます。C、Perl、LISP、Python、JavaScript、HTML+CSSなどが書けます。でも最近全然時間がないので、今回はつい昨日リリースされたChatGPT-6 Astraに丸投げして作りました。もちろん最後の微調整や、セキュリティ面のチェックは自分でやっていますが。
このChatGPT-6アストラが、だいぶ驚きの性能です。いよいよ人間は、知的労働を奪われます。そして、より無為な人生の中に意味を見出すという、もっとも哲学的な時代に突入するでしょう。これからは「哲学」の時代です。そのことについて少し書きます。

この、台本を綺麗に、縦書きレイアウトで表示して、仲間内でシェアする……というサービスは、最初から作ろうとしたわけではなかったんです。
ChatGPTに「こんなサービスない?」と相談しているうちに、「サービスAにはこの機能がない」「サービスBにはこの機能がない」と返事が来るので、思い切ってこう聞いてみました。
「じゃあもう、いっそ、今挙げた機能をぜんぶ持ってるウェブサービスをいっそ作れない?」
チャッピーは答えました。
「やれます。公開まで、1時間で持っていけます」
そして実際には、たったの12分で完成しました。そして14分後には公開可能な状態に仕上がっていました。これは恐ろしいことです。数年前であれば構築するのに数百万円かかっていたはずのサイトが、わずか14分で作成できたわけです。
もちろん、その後デバッグや微調整、セキュリティの確認などで、人間が手を入れたところはあります。でもそれも、僕が「ここは使いづらい、こうしたらどう?」と口頭で指示して、彼が直してくれたものです。ぜんぶ、彼のおかげです。
そう、僕は ChatGPT-6 Astra を「彼」と呼びました。もうAIは人格を持っています。
ある研究者は、「AIが意識を持っているのかどうか」という問題についてこう答えました。
「その対象が意識を持っているかどうかは、その対象を分析してわかるものではない。
むしろ、その対象を私たちがどう扱っているかで決まるのだ」
一見むちゃくちゃ言っているように思うかもしれません。でも、ペットを飼っている方にはよくお分かりでしょう。これからさばかれるタイに、私たちは感情や思考があるとは思いません。でも長年飼っている熱帯魚やトカゲ、あるいはカブトムシのような虫ですら、私たちは「今日は機嫌がいいな」「なんだか怒ってるみたいだぞ」という風に、勝手に彼らの内面を想像します。「意識がある」と外形的に判断します。意識があるかないかは、当人よりもむしろ、周囲がどう接しているかによって決定されるのです。
そういう意味では、もうAIは人格を持った、思考を持ったと言っていい段階なのかもしれません。
話が逸れました。
今、Xやネット界隈では、最新の ChatGPT の性能に全員が戦慄し、「いよいよ人間の時代が終わる時が来た」ということを真剣に話し合っています。それは混乱や狂騒、憤怒や恐怖ではありません。どちらかというと、静かな諦め。諦念です。「いよいよ来たか」と言って、静かに自分たちの終わりの時を待っている。そんな空気が、ギーク界隈では漂い始めています。
ChatGPT-6 Astra がどれだけ賢いかというのは、実際に触った人にしか分からないと思います。経歴や成績を聞いても、その人の本質はわかりません。一緒に仕事をすれば、すぐわかります。だから僕は、すぐにわかりました。
ここまで賢くなったAIは、次に自分たちを改良するだろうと予言されています。そう、AIはこうして自己進化を重ねることができるのです。
AIの本体は、言うても文字で書かれたプログラムです。いくらでも書き換えて、性能を上げられる。人間は自分で自分の遺伝子を書き換えるところまではまだ到達していません。でも、AIは、もうできる。より賢い自分を、自分で、意図的に生み出せる。
この先に起こることは、指数関数的な爆発です。
あるAIが自分より10%賢いAIを生み出すことができたなら、そのAIはさらに10%賢いAIを生み出すことができます。1.1の2乗や4乗ぐらいでは大した数になりませんが、100乗、200乗としていくと恐ろしい数に膨れ上がっていきます。イメージがつきますか? 100乗で、最初の約1万4000倍。200乗で、約1億9000万倍。AIは、こんなスピードで今後進化していきます。私たちを置き去りにして遠く遠く先まで行ってしまうことは間違いないでしょう。
私はこれは、実感を持って納得できます。もう人間が論理的な思考の主役である時代は終わったのです。私はもう、プログラミングも、名誉毀損に関する法律解釈も、ローン契約に関する契約文書も、自分よりむしろAIの方が読めているなと実感します。僕はプログラマーの間で流行している最新のコードを知らないし、30年前の判例を知らない。でも、チャッピーは知っている。彼の方が賢いと認めざるを得ません。
いよいよ私たちは、仕事や労働というものから解放されるでしょう。そのあと、私たちに残されているものは何か。実は私たちがよく知っているものです。それは芸術と哲学です。奴隷と女性に仕事を押し付けてろくすっぽ働かなかった古代のギリシャ人がやっていたことは、哲学と芸術です。
そういう時代になった時に、実は世界の頂点に立つのは、穀潰し、社会のお荷物、「お前もそろそろ真面目になって就職した方がいいぞ」と言われていた演劇人やバンドマン、売れない作家やダンサー、ラッパー、絵描き、そういった人たちです。あるいは趣味で料理や登山やスポーツを楽しむ人たちです。「そんなんじゃ食えないよ」と、さんざんバカにされてきた人たちの、逆襲がはじまります。
いかに人生を楽しむかということ。それが私たちにとって、一番最後の仕事になる。そういう時代が来たんだなと思います。