先日、ひょんなことから、とある大道芸人の方とお話しする機会があって、こんな話をした。
「演劇と大道芸というのは、とっても似ていますよね」
メイエルホリドというロシアのアヴァンギャルド演出家が大道芸を取り入れた演劇を提唱していたり、17世紀から18世紀頃には「コメディア・デラルテ」という即興の、コントチックな演劇形式がイタリアで大流行したりしていた。もともと非常に親和性のあるジャンル同士なのだ。
私が思うに、演劇と大道芸は、どちらも「客前でやること(ライブパフォーマンスであること)」、そして「その場で起きたことをみんなで見る」という点において、とても共通している。
しかし同時に、全然違う点もある。それは何か。
演劇の演者(パフォーマー)というのは、基本的に「誰か自分を見ている者がいる(見られている)」ということを知らないふりをして演じている。観客が100人も1000人も自分を見ているということに一切気づかないふりをして、泣いたり笑ったり怒ったり、人を殺したりしている。
一方、大道芸のパフォーマーというのは、お客さんの存在を認識している。挨拶をしたり、語りかけたり、なんならパフォーマンスに参加させたりする。この部分において、大道芸はとても観客との相互作用(インタラクティブ)なものであると言える。
ここからが難しいところだ。
演劇の素人考え(安易な発想)だと、「観客との交流があった方がいい」「その場で一緒に作っているのだから、相互に交流のある方が演劇として面白い」と思ってしまいがちだ。そして、すぐ演劇作品の中にアドリブコーナーを作ったり、客席に直接話しかけたり、客席を参加させるような演出を取り入れてしまう。
もちろん、これはこれでたまに非常にうまくいくこともあるし、面白い要素ではある。しかし、これには少し負荷があるときがある。場合によっては、ない方が良かったりするのだ。
観客が一方的に覗き見できる――自分たちが見ていること、それを見て考えたり笑ったり泣いたりしていることが演者に気づかれていないという状況こそが、演劇の特有の面白さ(一見パラドックスのようだが、本質的な面白さ)だったりする。
昔から、演劇は「覗き見の芸術」だと言われてきた。これはオイディプスの評論などを読んでもよく出てくることだ。
実は、この「一方的に覗き見をする」という感覚は、演劇の面白さを考える上で意外と見過ごしてはいけないものなのではないか。決して劣っているとばかり言うべきものではないのではないか。
先日、大道芸人の方と喋りながら、そんなことを考えた。