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月: 2025年2月

2年間のこと⑨ 演劇界におけるジャーナリズムの不在と、俳優組合の必要性について

僕は何か書くとき、「一次ソースに当たる」ということを何より大事にしてきた。足を運び、伝聞ではなく、きちんと取材する。それは読者への礼儀でもあるし、もっと大きなもの、人類の叡智とか知の蓄積とか……。つまり「書くこと」に対する礼儀だと思っている。少し大袈裟だけれども。

約2年前、僕は「権力をかさにきたレイプとセクハラ」というかどで告発され、大いに炎上した。その顛末はこちらに書いた通りだ。「あれだけニュースにもなったのだから、誰かがきちんと調べたりしているに違いない」、ふつうはそう思うだろう。

でもそうじゃない。取材なんて結局、一件もなかった。

ごく初期に2~3件、TVや週刊誌から連絡があって、「今は個別に答えられない」、「裁判の中で語っていく」とお断りしたことはあった。でもそのあと「取材はこちらまで」と連絡先を書いておいたが、連絡してきた人はゼロ。ネットやSNSにはいろんな記事が上がっているらしいし、中には「あの人は谷の知り合いだから話を聞いているんじゃ?」と思うかもしれないけれど、残念ながら違う。すべてコタツ記事だ。

※コタツ記事……家でコタツに入ったまま書く記事、つまり取材せずに書くいい加減な記事を表すスラング。

正直に言うと裁判そのものより、これが一番キツかった。友達だと思っていた人が、あるいはお互い連絡先を知っていて誕生日にはお祝いのメッセージを送り合うような相手が、一つの事実確認もなく批判の記事やコメントなんか書いている。別に味方をしてほしかったわけじゃない。「この間の報道、どういうことだ。本当だったら承知しないぞ」という怒りの連絡だって構わない。しかし一切確認もせず、ネットに「私は連帯します」なんて書いている。これはキツかった。

友達なんて薄情なもんだ……とも思ったが、ああ、いや、違う。この人も怖いのだ。叩かなければ、叩かれる。そういう恐怖があるのだろう。そんな迷惑をかけてしまって、それは本当に申し訳ないと思った。しかし、とにかくキツかった。

何度かネットに書き込もうとしたが、周囲から「余計に炎上するだけ」「裁判で喋ればいい」と言われて引っ込めた。でもこれも、今思えば間違いだった。裁判記録なんて誰も見ない。ネットしか見ないで書く、それが世間だしマスコミだ。

だからこれから炎上する人にアドバイスしておこう。裁判で正しい証拠や証言を集めることより、どれだけうまくネットを燃やすかを頑張った方がいい!

(もちろん最後の文章は“皮肉”である。こんな寒い捕捉、書きたくないが、「キリトリ」されたらたまらんので書いておく)

* * *

こんなこともあった。裁判が終わる少し前、とある雑誌とドキュメンタリーフィルムのチームから「取材したい」と連絡があった。しかしどちらも「ハラスメント加害者として今どう思っているか」、「罪とどう向き合うか」という切り口で、取材する前から僕はもう悪党だった。

僕はものすごく嫌な気持ちがした。しかし取材に応じた。応じなければ、好き放題書かれてしまうからだ。

そして僕は自分の主張を語った。と言っても、どれも裁判ですでに語ったことばかりだ。そもそも原告側が「おっぱいどうぞ」と言って回っていたことや、劇団内で他にも問題を起こしていたこと、そしてGPSログや医療記録などの証拠からレイプは不可能だということ、などなど……。

相手方は大いに驚いた。取材と言いつつ、裁判記録すら、まったく見ていなかったのだ。そしてどうなったか?

どちらも取材自体がなくなってしまった。取材をして、真実を伝えようなんて気持ちははじめからなかったんだろう。ハラスメント問題と戦う正義の騎士のつもりで凛々しく登場したのに、話を聞いたら、おや、何か様子がだいぶ違う……。そして回れ右して帰ってしまった。わからん話でもないのだが、でも僕の語ったことを伝えてくれ。取材して、シナリオと違う真実が見えてきたら、それを書く。そうでなけりゃあ取材じゃないだろう。

その後裁判の結果が出たけれど、「演出家レイプ」と騒いだメディアはどこも訂正してくれなかった。泣いてばかりもいられないので特にひどいところには名誉毀損の訴訟を起こし、マスコミ各社にFAXも入れた。しかしそれすらも全く報じられなかった。

要は演劇界にはジャーナリズムなんてものはないということだ。それはニュースバリューがなく、産業として成立しないからである。話題性のあるネタなら文春さんが飛んできて最初のトバシは書いてくれるが、そこまでだ。彼らは売上部数が欲しいだけで、別に演劇界の改善や向上に最後まで付き合うつもりはない。他のメディアも霞を食って生きてるわけではないから、数にならない演劇業界のことなんて取材してられない(新聞には劇評が乗るが、あれは全く部署が別である)。一応僕もいくつも賞をとった大注目の演出家だったのだが、それでも全くバリューが足りない。聞いた話ではこの2年間で僕よりもっと高名な演出家がハラスメント疑惑で報道されたが、今も元気にお仕事されているらしいと聞く。これもジャーナリズムの不在を示している。追求し解明するジャーナリズムが存在していないのだ。

この状況は憂慮すべきことだ。ジャーナリズムの機能しない場所は、国でも組織でも何でも、あっという間に腐ってしまう。

* * *

もう一つ書いておく。裁判が終わる頃に演劇関係者と会って話し、未だに演劇界には公的なハラスメントの対応部署がないと聞いて驚いた。「そんなものなくても大丈夫。これからは何かあればSNSに上げればいい」と思っている人がいるかもしれないが、その考えは危険だと思う。

世の中は本当に気まぐれだ。そのときの流行りものを順番に燃やしているだけで、数年後はあてにならない。コロナウィルスは今でもあるけどもう絶対にバズらない。福島原発は今でも地元の頭痛の種だがもう絶対にバズらない。ハラスメント問題だってやがてバズらなくなる。そうなれば昔に逆戻りだ。

今のうち、つまり労働環境の問題に社会的関心が高いうちに、俳優の労働組合を作った方がいいんじゃないか? 流行り廃りに関係なく俳優を守ってくれる団体を、作っておいた方がいいんじゃないか?

少し昔話をする。2022年の春ごろ、つまり僕の炎上の少し前、しかしとっくに演劇界のハラスメント問題が大問題になっていた頃に、とある若い俳優たちのグループから「俳優の労働環境整備のために何ができるか」と相談されてしばらくオンラインでディスカッションをしてたことがある。そのとき僕は海外の俳優労働組合の例などを引きながら、こう答えた。「日本でも舞台俳優のための労働組合を作るべきだ。僕にできる手助けなら何でもする。資金や場所を援助してもいい。ただし俳優主導で行うべきだから、僕は表に出ない方がいい。ただ、君たちのような若手が呼びかけたら、絶対にできると思う」。僕は劇場を押さえてゲストを集め、シンポジウムを開いてオンライン中継する……という手はずを進めていたが、ギリギリになってリーダー格の俳優から「やはり自分はイチ俳優でありたい。表には出れない」と申し出があり、中止となった。

その俳優の不安は、わかる。彼はまだ20代だった。「活動家の人だ」とは思われたくなかっただろう。演劇だけでなく、映画やドラマにも出てみたいと思っていたのだろう。「活動家の人」として脚光を浴びたくない。俳優としてプレーンでいたい。その気持ちはわかる。

しかし、だからこそ組合が必要なのだ。俳優が100人いたとして、5人だけが騒いでいると「活動家」「うるさいやつ」とされてしまう。でも95人で騒げばもう誰も活動家とは呼ばない。それは正当な要求になる。その若い俳優がやるべきだとは言わない。40代以上の中堅俳優が音頭をとってやるべきなのだ。あとは素直に日俳連と合流するか。

さらに同じ頃、劇団内の会議でもこんな話もした。すでに私を含めて複数の劇団員がハラスメント講習を受講し、さらに次回公演に関わる全員がNetflix社と同じハラスメント講習を受講することを決めていてた。自分なりに主宰者、つまり会社の代表として、まずはやれることをやったという格好だ。でも、はたしてこれだけで十分なのか、これからどうすべきか……と議論が続く中、僕は「ここからは、僕が仕切るのはフェアじゃない」とはっきり言った。

「ハラスメント問題への対策は、もちろん話し合うべきだ。でも僕は、主宰で作家で演出家で、どう見ても権力者だ。……憲法が権力を縛るのと同じで、この場合僕は「縛られる側」だ。総理大臣が勝手に憲法を変えられないのと同じで、僕がこの会議を仕切るのは、フェアじゃない。俳優たち主体で考えていくためにも、僕はただ見てるから、みんなで話を進めてみてほしい」

これは今でも絶対に正しいと思う。演劇界の主宰者たちは良くも悪くもパワフルすぎる(そうでなければやっていけない)。だからつい彼らが「引っ張って」しまうのだが、この問題に関してだけは俳優たちに主導してほしい。このときは劇団員たちに任せて議論を続けてもらった。

(ところが驚いたことに上記の発言は「谷が自分の権力を自覚し、濫用していた証拠」という真逆の意味で引用され、裁判に提出された。あまりのことに耳を疑ったが、その証言をした人物は、賢く、読解力のある人間で、意味を取り違えたはずがない。ある種の確信を込めて「誤読」したわけで、現実というものはシェイクスピア以上にシェイクスピア的である)

* * *

話が長くなった。僕にはもうこういう活動を応援するパワーはないし、されても迷惑だろうから何もしない。ただ遺言だと思って書いておく。

SNSを燃やして満足していて、いいのだろうか。まだ世間的な関心のある今のうちに、まともな労組や駆け込み寺など、組織かシステムを作るべきじゃないだろうか。昔ならともかく今ならできる。絶対にできるだろう。SNSはいずれ火がつかなくなる。そうなってからじゃ遅いのだ。組織やシステムを作るというのは時間のかかる、タフでハードな仕事だ。でも本当に未来の俳優たちのことを思うなら、ぜひ手をつけるべきことだと思う。

でも、どうやってやるのか? 誰がやるのか? ……それこそ、会って話をする、直接声を聞く、そういうところからはじまるんじゃないだろうか。SNSは分断を加速するだけで、もうまともな話し合いの場にはならない。それに、会って話すことの重要性は、演劇の人が誰よりもよくわかっていたはずなのだ。

会って話を聞く。簡単なことだったはずだ。少し前までは。

* * *

以上、あれこれ書きましたが、まったくネットを見てないので最新情報がわかっておらず、何か間違いがあったらご容赦ください。訂正などあれば、ぜひコメント欄までお願いします。誰でも匿名で書き込めますので。

最後にちょっとご連絡です。前回、オンラインで無料の戯曲講座でもやってみようと書いたら「ぜひ参加したい」という声を複数いただきました。どうもありがとうございます。匿名ないしペンネームで参加できて、受講から課題提出までオンラインで完結できるシステムを準備しているところです。受付体制が整いましたらいずれきちんとアナウンスします。それまでしばし、お待ちください。

そしてこの「2年間のこと」シリーズは、ここで一区切りとしたいと思います。まだ書きたいこと、書かないといけないことはあるんだけど、それはいずれ手記にでもまとめて、ウェブではなく本にしたいなと思っています。何かご質問、取材の依頼などあれば、このブログのコメント欄かinfo@dcpop.orgまでご連絡ください。

2年間のこと⑧ 今の「僕」の仕事について

この「2年間のこと」シリーズももうすぐ最終回になる。「最初の3ヶ月」が一番すごいんだけど、まだブログには書けそうにない。会ったら話します。

「会ったら」と言っても、去年も一昨年も誰とも会わなかった。去年は1年通して、たった8人しか会わなかった。家族や弁護士を含めて8人。スーパーの店員さんとか役所の人はカウントしていないけれど、個人的に会った人は本当にこれだけ。

僕を構成する要素のうち、「谷賢一」という部分はほとんど消えてなくなってしまった。でも僕は元気に生きている。

* * *

これまで書いてきた数学とかマラソン、旅行、あと書いてないけど登山とか楽器以外で、時間ができたらやってみたいことがもう一つあった。それは「もう一度無名になって、作品だけで勝負してみる」ということだ。

若い頃はいつも「もっと自分に知名度があれば」と悔しがっていた。ところがそこそこ売れてみて賞なんかとったりすると、今度は「知名度だけで売れてるんじゃないか?」と怖くなった。本当に実力だけで勝負できているのか? 知名度でゲタはいてるだけじゃないか? 「売れているから売れている」みたいなものは世の中にたくさんある。ないものねだりもいいとこだが、もう一度「何者でもない自分」で戦ってみたいとずっと思っていた。

そこでまったくの新人として作品を書きはじめた。もちろん演劇とは関係のない場所で。ペンネームを考えるところからスタートするのは、まるで劇団名を考えた20代の頃のような気分だ。作品を発表しても最初は誰も見向きもしない、これも昔と同じ。いや、昔はクラスの友達がみんな観に来てくれたから、昔よりひどいか。

さいわい今は発表場所ならいくらでもある。小説やシナリオの投稿サイト、SNSやファンコミュニティ、動画、同人、もちろん紙媒体もある。まったく無名からのスタートだが、頭の中には25年間演劇の最前線で戦う中でつちかってきた知識と技術が詰まっている。プロットの立て方、キャラクターや場面設定のコツ、タイトルの工夫、差別化、PR……。戦えるはずだ。

一人、また一人、反応があるたび小躍りした。これも旗揚げの頃と同じ。2~3ヶ月でぐっと新規客が増え、メシが食えるようになった。この頃に食うメシが一番うまい。半年経つ頃には家賃も払えるようになった。自分の力だけで、面白いものを作り、金を稼ぐ。これはやはり、たまらない。どんな賞や栄誉よりお客さまの反応が一番だ。今ではもっと伸びていて、もはやそっちの自分の方が本物のようになっている。

――いや、名前が誰かを呼んで、人を区別するためにあるものならば、もうそっちの方が本物だ。いやいや、名前が自分で自分を定義する、アイデンティティのためにあるものならば? そこはちょっと難しい。どちらだろう? 呼ばれない名前に意味はあるのだろうか?

最初はかなり不安だった。演劇村なんて特殊なとこでウケたからって、外でも戦えるのか? でもやってみてわかったが、演劇で面白い人はたぶんどこでも売れると思う。むしろ今は外の方が売りやすい。もともと演劇はマニアックで先鋭的な表現が強みだったが、その強みはもうとっくの昔にインターネットに奪われてしまった。と同時にウェルメイドでポピュラーなコンテンツもまた外の方が確実に売れる。マーケットの規模が100倍は違うからだ。

もちろん今も、新しいものを書くのは苦しくて難しい。いつも机にかじりついてうなっている。でもこの年でまた新しいチャレンジができていることは幸福だと思う。そして自信にもなった。俺はやっぱり、面白いものを書いていたんだ。

* * *

年末年始、このブログの更新が途絶えていたのは「あちら側の僕」が忙しかったからだ。熱心なお客さんが心配してメッセージを送ってくれて、あわててこちらを更新している(いつもありがとうございます!)。

「こちら側の僕」、つまり谷賢一は、もうほとんど消えてしまった。もう誰もこの名前で僕を呼ばない。

しかし「谷賢一」でしか書けないものも少しある。やりかけの仕事で、どうしても完遂したいものがいくつかあるのだ。一つは岸田國士の評伝劇。この2年間を経て、いよいよ自分が書くべきテーマに思えている。もう一つは以前から言ってた、演劇の技術を書き残すこと。僕は学生演劇から出発して、小劇場、新劇、現代劇、ミュージカル、歌舞伎、宝塚、海外の演出家、いろんな人と仕事をした。そこで学んだことは書き残しておきたい。ビジネスになるとは思っていないから、多くの人が無料で読めるような形にしたい。

それに今も僕を応援してこのブログを読み続けてくれる人もいる。ぜひ何か、お届けしたい。

ただどこから手をつけていいのかわからない。手始めに無料でオンラインの戯曲講座か何か、やってみようかと思っている。こればっかりは「あちら側の僕」がやるわけにいかない。彼は演劇の話は一切していないし、演劇を観たこともないはずだ。

追伸 新しい方の名前は、ちょっとお教えできません。たった一人の親友にしか教えていないくらいでして。そちらでなく、よかったら「谷賢一」の方と会ってやってください。弁護士とも会わなくなったので、今年はまだ2人です。