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2年間のこと⑤ 東南アジア・カンボジア 後編(虐殺、文学、音楽)

カンボジアはぜひ行きたい国だった。ポル・ポト政権下、人口800万人の国で200万人が殺された。4人に1人が殺されたのだ。ただしポル・ポトが「殺せ」と命令したのはほんの一部で、あとは正義感に駆られた善良な市民たちが、自主的に同じ市民たちを殺したのだ。

まず「こいつ反抗的だな」「反革命っぽいな」という疑惑のある人間を殺した。やがて「積極的に殺さなければ、自分も反革命分子と思われてしまう」という焦りから、虐殺のスピードは増した。殺される側に回らないためには、殺す側に回らなければならないのだ。

そして200万人の人が殺された。あまりにもひどい話だが、「愚かだな」と笑う気にはなれなかった。

例えばこんな話がある。

  • 革命政府は、労働者や農民の味方だ。なので学者や教師、外国語を喋れる者など、インテリは殺された。最終的には「メガネをかけているヤツはインテリだ」として、殺された。
  • 「みんなで農業をしよう」と言って、人々は元の職業を離れ、あちこちで稲作をはじめた。だが誰も米の育て方を知らなかったので、ほとんどの田んぼで失敗した。
  • しかし幹部たちは「私たちは正しい革命思想に基づいて農業をしている。失敗するわけがない」と言い、稲作に失敗した人たちを殺した。
  • みんな殺されたくないので米が育っていないことを隠し通し、大量に餓死した。
  • 「ちゃんと農業のやり方を調べなければダメです」と言って本を読む者が現れたが、「インテリだ」と言って殺された。また農業の知識があり「このやり方ではうまく行かない」と幹部にアドバイスした者は、「反革命的だ」と言って殺された。
  • 結果的にどんどん状況は悪化したが、間違いを指摘したり疑問を唱える者が現れるたび、殺した。

大量虐殺なんてよくできるな、どんな悪党だよ、と思うかもしれないが、逆なのだ。「私は正しい」と思うからこそ大量に殺せる。

トゥールスレン収容所という施設が圧巻だった。2万人が収容され、1万9992人が拷問・虐待の末に殺された。たった8人だけが、生き延びたり逃げ出したりできた。収容されると何を言っても「お前は反革命だ、わかっているぞ」と言われ、鞭、電撃、焼きごて、刃物、水攻めなどで拷問された。最後まで否定し続ければ、殺された。しかし「やりました」と肯定すれば、やはり殺された。

この虐殺や拷問をしていたのも、ちょっと前まで一般市民だった人たちだ。殺さなければ、自分が裏切り者だと思われてしまう。その恐怖から、我先に罪をでっち上げ、殺し続けた。

異常な話だ。だがよくある話でもある。

地獄のようなエピソードはいくらでもあるので、2つだけ、美しい話を書いて終わりにしよう。記憶を頼りに書いているので、ディテールが不確かなことを許してほしい。

* * *

1.賢く強いボパナ

ボパナという気丈な、強い目をした女性。父親が教師であり、自分も文学や語学に通じていたため、「反革命的だ」と言ってトゥールスレン収容所に入れられた。入所してすぐレイプされた。彼女には婚約者がいた。当時のカンボジアでは強姦とはいえ婚前交渉をした女性は結婚できない。

しかし彼女は婚約者に向けて、こっそり手紙を書き続けた。

手紙を書くだけでも重罪だったが、彼女は暗号を使って婚約者に愛を伝え続けた。暗号とは、インドの叙事詩ラーマーヤナやシェイクスピアの戯曲を引用することだった。ある日、看守が手紙を発見した。しかしラーマーヤナもシェイクスピアも知らない看守は、内容がまったく理解できなかった。

例えばこういうことだ。

――怪鳥ガルーダに囚われた王妃シータは、夜な夜な月を見上げ、神を称える歌を歌う。
  地獄の獄卒が手を伸ばしても、月の光のヴェールに包まれ、シータは清らかな輝きを保つ。

文学がわかる人が読めば、これは「捕まったけど、私は今も毎晩あなたを思っています。拷問にあっても心は清らかなままです」ということを表していることはすぐわかる。ただし文学を知らない人には、これは難しい数式と同じくらい解読不能の暗号になるのだ。

やがてボパナは殺された。何度も強姦され、焼きごてで肌を焼かれたが、最後までプライドを失わなかった。一年かけて、80通以上の手紙を書いた。

勇敢で賢いボパナ。彼女の名前は、今はカンボジアの国立視聴覚資料センターの名前に冠されている。

* * *

2.洋楽が好きなジャーナリスト

アメリカ人ジャーナリストのKはロック音楽に夢中だった。お気に入りはビートルズ。しかしカンボジアを取材中、捕まってしまい、拷問にかけられた。

看守たちは従軍経験のあったKから、アメリカの内部事情を聞き出そうとした。Kは拷問に耐えかね、ぽつぽつと口を開いた。

「お答えします、サー。私の上官は、ペパー軍曹。私にはリタというラブリーな妻がいましたが、従軍し、同期のビリー・シアーズと共に、ミスター・カイトの部隊で戦いました。ベトナムのとき、私は機関銃で、毎分4000発の穴を……」

ビートルズを知っている人ならもう笑っているだろう。ラブリー・リタ! ビリー・シアーズ! 4000発の穴! ……知らない人は真面目な報告として読んだだろう。実はこれは、すべてビートルズの歌詞を使った“でっち上げ”なのだ。

Kは看守たちが全く無学で、語学もわからず、ましてアメリカのポップカルチャーなど全く知らないことを利用した。もっともらしい嘘をついて看守たちに記録させた。同時に、彼は予想していた。いつか文化や音楽を愛する人がこの記録を読めば、すぐにこの仕掛けに気づくだろう。

そして実際、十数年後、Kの家族がこのデタラメ供述書を発見した。ひと目見てすぐにわかった。

「ペパー軍曹? これ、ビートルズのアルバムよ!」

The Beatles “Sgt.pepper’s Lonely Hearts Club Band” (1967)

彼らはKの最後のユーモアに触れて、はじめ、大笑いした。ペパー軍曹といっしょに戦っていた! しかし最後には涙していた。絶対に家族の名前がバレないように、Kはビートルズの登場人物の名前を使って話していた。しかし、名前はデタラメだけど、話していたのはどれも本当のことだったのだ。

「お答えします、サー。私は、私を支え、時に厳しく叱ってくれる、妻のリタを誰よりも愛しています。デイブとチャック、まだ6歳と2歳の二人の息子たちを、心から誇らしく思う。会えなくてとてもさみしい。母のメアリー、父のダニー、元気でいて下さい。必ず会いに行きます……」

最後の一文は嘘になってしまったし、固有名詞はすべてデタラメだ。でもすべて、本当のことだったのだ。

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