ハノイでフォー食って、生肉食って、虫食って、ハロン湾でボート乗って、ドンホイ、フエで歴史に触れて……。
と一通りベトナム観光もしたが、一番印象に残っているのは「とにかく人が働かねえ」ということだ。
とにかく人が働かねえ。みんな日がな一日、日当たりのいい場所にイス置いてぼーっとしている。マーケットでも呼び込みもせず、売り物の布の上に寝転がってスマホゲームやっている。17時閉店のカフェに16時半に入ったら「あと30分で閉まるから出てって」と言われた。とにかく働かない。
20年以上前に1ヶ月ほど中央アジアを旅したときも「ホントにみんな働かねえなあ」と驚いたが、ベトナムはもっとすごい。スマホの登場が拍車をかけているように見える。みんなめっちゃツムツムみたいなゲームしてた。
ある日、地元の人しか行かないというマニアックなマーケットに行ってみた。なかなか猥雑なところで、トントントン!とすごいペースで鶏の首をハネている人がいる。死ぬほどハエのたかった豚の臓物が一山いくらで売られている。謎の野菜を大量に頭の上に載せたおばあちゃんが、ゆっくりゆっくり歩いている。
歩いてるだけで楽しかったが、食事しようと思って地元の労働者なんかが入る食堂に入ったら詰んだ。英語が全く通じない。まぁこんなことはよくあることだし、幸い店もヒマそうなので、ボディ・ランゲージで注文しようとしたらめちゃくちゃ迷惑な顔だ。働きたくないらしい。
するとその様子を見かねた一人の陰気なオジサンが、デタラメな英語で話しかけてきた。聞けば「お前ジャパニーズだろ? 俺は東大に留学してたことがあるんだ」と言うが、とてもそうは見えない。「東京大学じゃなくて、トーキョーの大学って意味?」と確認したが「東京大学だ」と言い張る。……どうせチップ目当てだろうと思いつつ代わりに注文してもらったら、信じられないくらい濃い色をした牛肉のスープと白米が出てきて、「絶対食べたくない」と思ったが食べたらめちゃくちゃ美味かった。
コーラ片手にペラペラ喋る東大オジサンと話しながら、マーケットを行き交う人々を見ていた。ベトナムは暖かくて過ごしやすいし、家族や地域の絆が日本よりだいぶ強い。みんな助け合って生きている。日本でも昔は食い詰めた親戚がいたら居候させてやったりしてたもんだ。屋根と食事と、あとは着替えが一揃いあれば人間生きていける。生きてくために本当に必要なものは、実はそんなに多くないのだ。あくせく働いて何になる?
僕は仕事をすべて失い、もちろん不安だった。去っていった人のことを思いと、その嘘や薄情に怒りも湧いた。しかしぜんぜん働かず、客を追い払ってツムツムやってるオバチャンや、「俺は東大出だ」と言いつつ東大の場所を答えられないオジサンを見ていたら、すべて馬鹿らしくなってきた。働かなければ生きている意味がない。そんな狭い考え方をしてるのは、世界中でほんの一握り、ごく少数民族なのだ。
お会計すると、真っ黒いスープと白米は日本円で80円くらいだった。本当においしかった。
そして東大オジサンはチップを要求しなかった。ただの親切な人だった。フェイスブックを交換したがっていたが、海外とは言え今は本名を名乗りたくなかったのでやんわり断った。「せめてそのコーラ、おごらせて下さい」と言って支払ったら、子どものように喜んで、何度もサンキュー、サンキューと言った。
* * *
どの街に行っても人はあんまり働いていなかった。ダナンというビーチリゾートの街に5日ほど滞在したが、オフシーズンだったせいか街全体がぼーっとしていた。熱心な呼び込みとか、客引きとか、一切ない。道を歩いていてやっと一人客引きが来たなと思ったら「みんな、若くてキレイ。お客さん、今の時間なら、好きな子選べます」……とソッチ系の客引きだったので、慌てて逃げた。
4・5日いて、1日中原稿を書き、昼は食事や散歩に行き、夜だけ飲みに行ったり探検した。ジョブ・アビリティ「働かない」をマスターした僕は、もう慌てたりしない。毎日同じコーヒーショップでコーヒーを飲んで朝食を食べ、同じ定食屋で昼飯を食べた。
ある晩、眠ろうとしていたら、外から大音量の音楽が流れてきた。しばらく無視していたが12時を回っても静かにならない。様子を見に行くと向かいの居酒屋でカラオケ・パーティをやっていた。ベトナムにはカラオケ居酒屋みたいなのがあちこちにあると聞いてはいたが、これのことか。
「やめろ」とは言えないから、「何時までやってんの?」と聞きに行ったらどんちゃん騒ぎに巻き込まれた。
「Yeah! Yo! どうですか! 一杯、飲んでいきませんか?」
総勢20名くらい、見た感じ20代が多いが中年以上も結構いて、何の集まりだかわからない。「これは何の集まり?」と聞いても「Drinking Society!(飲み仲間のサークル!)」とか「Crazy Vietnamese!(狂ったベトナム人!)」とか適当なことを言ってゲラゲラ笑うから、全く情報を得られない。
「Who are you!? Hey, brother! Who, are, you!!(オマエ、何者!? オニイサン! ナ・ニ・モ・ノ!?)」
リーダー格と思しきガリガリに痩せたタトゥーの青年が、僕の鼻先5cmくらいで叫ぶ。音楽が大きいのだ。僕も大声で返す。
「I’m, Japanese, drinking man!(俺は日本の酒飲みだ)」
会場がわっと沸く。渋谷の鳥貴族とかと同じノリだ。
「会えて嬉しいよ、日本の酒飲み! ようこそ、Drinking Societyへ! でも飲んでないな?」
「寝るところだったんだ。これ、何時までやるの?」
「飲めよ! おごりだ!」
ビールをもらったので一気に煽ると、また拍手が湧いた。ベトナムではまだこのノリが許されるらしい。
「What, are, you, doing, now?」
訳し方が難しい。「今、何してんの? 観光?」という意味かもしれないし、「ふだん仕事は何してんの?」とも訳せる。Drinking manがウケたので、もうひとウケ狙ってみた。
「Actually, I’m an artist. Writing many plays.(実は俺、芸術家でね。劇をいっぱい書いてるんだ)」
日本では違うが、多くの海外では劇作家というのは最も知的で尊敬される仕事だ。こんな、ダルダルのスウェットを着たボサボサ髪の僕がそう答えたらボケになるだろうと思ったが、「へぇ、すごい……!」と真に受けられてしまった。
これには参った。僕は今、劇作家なのだろうか? ……演劇なんてまる1年半見ていない。これまでは海外旅行をするとまず真っ先に、演劇でもオペラでも人形劇でも、現地の劇場のチケットを予約したものだ。が、今は逆に、劇場の類には絶対に近寄らない。このことはまたいずれ書こう。
僕は慌てて何か叫んでその場を切り抜け、気がつくとそのガリガリな青年と彼女との「結婚しようと思ってるんだけど、踏み切れなくて……」という悩み相談に乗っていた。適当なアドバイスをしながら3本目のビールを飲み干し、帰ろうとしたそのとき、カラオケで聞き覚えのあるメロディが流れた。
美空ひばりの『川の流れのように』だった。あとで調べたらベトナムでもリリースされていて、国民的歌手がカバーしている。僕はそのガリガリの青年と彼女の結婚相談を聞いているふりをしながら、ベトナム語の『川の流れのように』を聴いていた。ベトナム語は全くわからないけれど、この曲は死ぬほど聴いたので、歌詞は全部覚えている。
知らず知らず 歩いて来た
細く長いこの道
振り返れば 遥か遠く
故郷が見えるでこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
この曲を、なぜか僕は、ベトナム人のパリピたちに囲まれて、深夜1時半のカラオケ居酒屋で聴いている。笑っちゃうな!
時計を見るともう2時だ。しかし別に、明日も仕事はない。働かなくてもいい。寝なくてもいいし、起きなくてもいい。焦ることはないと思った。それもまた人生。
(次回カンボジア編……ないし、「演劇界にジャーナリズムが不在であることについて」)