Skip to content

月: 2024年11月

2年間のこと① 走ること

この2年間演劇を離れて、いろいろなことをやった。15歳のとき鴻上尚史さんの作品で演劇と出会ってから、およそ1日たりとも演劇に触れない日はなかったが、この2年間は全く芝居も観ていない。息子が幼稚園で演じた西遊記の1本だけだ。それは男の子と女の子、悟空が2人いて、金角・銀角も牛魔王もみんな倒さず、歌って踊りながら仲直りし、仲間にしていく話だった。ずっと難しいことばかり考えていたので実に面白かった。「演劇ってこれでいいんだな」と感じた。

鴻上尚史『ピルグリム』確かこんな表紙

SNSを絶ち、普段のアカウントからログアウトすると、演劇の話題は全く聞こえてこなくなった。自分はTVは一切見ないので、コンビニのコピー機の上にミュージカルのポスターが貼られているのをたまに見るのと、TBSラジオのCMで「前川知大新作!」と聞こえてくるのをたまに聞くくらい。私もすっかりフィルターバブルの中にいたらしい。そこから出ると何も聞こえない。アウトリーチや創客というのが難しいはずだとしみじみ感じた。

※フィルターバブル …… ユーザーの趣味嗜好に合わせてネットコンテンツや広告の配信がカスタマイズされるため、自分の興味のあるジャンルの情報しか目に入らなくなること。
※アウトリーチ …… 今ある境界線を越えて、より広く顧客や観客を獲得しようとする努力のこと。
※創客 …… 今すでにいる顧客とは別に、潜在顧客や新規顧客を開拓すること。

勉強もしたし、旅にも出たし、運動もしたし執筆もした。特によく運動をした。生来できれば家でずっと本を読んでいたいような人間なので、みんながなぜ、わざわざ体を動かして苦痛を味わうなんて狂気めいたことをしているのか理解できなかったが、鬱病には運動が極めて効果的だ。動かないと鬱になるし、鬱になると動けなくなる。ウォーキングから始めて、走るようになり、凝り性が爆発して最後にはフルマラソンに挑むことにした。

村上春樹に『走ることについて語るときに僕の語ること』という名著がある。マラソン好きで何十年も欠かさず走り続けているという彼が、「走ること」について書くことを通じて、作家としての生き方、ペースや体調の維持、創作への向き合い方について書いている。もともと好きな本だったけど、毎日10kmずつ走るようになって、ようやく書かれていることがわかった気がした。

氏の本で一番好きという人も多い

走ってみると、走ることは苦痛ではなかった。多摩川の支流の土手を、黙々と走る。夕日が傾いて赤や金に色を変えていく水面や、水鳥の群れを眺めつつ走る。自分は無音に耐えられない性格なので、ずっと歴史のPodCastを聴いていた。アレクサンドロス大王が東征し、菅原道真が島流しに遭い、ロベスピエールがギロチンの露と消えてナポレオンが現れ、ハンナ・アーレントが亡命し『全体主義の起源』を書き上げるのを聴きながら走った。

ブレブレ

家に帰って風呂を浴び、筋トレをしてプロテインを飲む。最近はYouTubeで何でも教えてくれる。きちんとスポーツ科学を学び、自身も優秀なランナーである講師の先生たちが(大抵みなさんもう自分より10も20も年下だ)明るく丁寧に練習メニューの組み立て方や必要な筋トレについて教えてくれる。人間は、基本的に、何かを忘れることはできない。何か別のことに集中することで、一時的に頭から追い出すことができるだけだ。思考や感情は直接コントロールできない。これは演技を教えるとき一番最初に教えることだ。つまり、感情や気分を表現することよりも、行動の中に目的を持つということ。走っている間は目的が明確だから、頭がとてもクリアになる。当初のイメージと全然違った。全然つらくなかった。

3ヶ月ほど走り込み、人生初のフルマラソンは完走した。当初は初挑戦でサブ4、いやもしかしてサブ3.5も?と欲目を出していたが、35kmを過ぎた辺りから膝が全く上がらなくなり、あらゆる関節が激痛を上げた。「最後の10kmは別世界」と聞いてはいたが……! 何とかゴールはしたが、結果は惨敗。目標タイムに届かなかったどころか、それから3日くらいは部屋の中の移動ですらしんどかった。やっぱり結構つらかった。

和解のお知らせ

このたび原告・大内彩加氏より提訴されていた民事訴訟について、裁判所から裁定和解に至る考えが示され、双方合意の上、和解解決に至りましたことをご報告致します。

事実と異なる点についてはこの先名誉毀損の訴えを起こし白黒を明らかにする覚悟でいましたが、今回裁判所から提示された文書により、性行為の強要がなかったこと、その他重要な点において私の主張が受け入れられたと言えることから※1、訴訟の長期化による疲弊も著しいことも鑑み、和解に同意し、裁判を終了することに致しました。

原告とはすでに和解を済ませ、本件についてはもう争いません。当事者間では解決したことをご理解いただき、皆様方も冷静に見守っていただくようお願い致します。私自身は裁判所の判断の通り、原告からの積極的言動(裁判所の言を用いると「迎合的な態度」)があったとしても身体接触はすべきでなかったと反省しています。原告ならびに関係者の皆様に深く謝罪します。

しかし、依然として世間では実際の事実経過を無視して、私が一方的かつ悪質な加害を続けたという名誉毀損が広まってしまっています。これらについては訂正や削除を求めていきますが、自発的に削除、ないし訂正して下さることを希望します※2

私はこの件で福島で準備していた公演を中止された他、向こう2年半分、全く無関係な計7つの公演の脚本や演出の仕事をキャンセルされました。SNSで激しい誹謗中傷を浴び、殺害予告のメールや不審人物による自宅襲撃を受けました。裁判そのものよりそういったネット炎上に最も苦しめられたと言えます。客観的な事実が分からないうちに憶測や噂を広め、仕事や社会での居場所を奪うキャンセルカルチャーについて、改めて疑問を投げかけたいと思います。

そして残されたデジタルタトゥーは簡単には消えません。本件も当初はテレビなどで「演出家によるレイプ」として大きく報道されましたが、こうして疑惑が解消されたことについては同じように広くは扱ってもらえないのではないかと懸念しています。地道に努力し、信頼回復に努めて参りますが、何卒皆様のお力添えを頂ければ幸いです。

書きたいことがたくさんあります。この2年間で考えたことや、やっていたことなど、今後少しずつ発信していきます。最後にあらためまして、公演中止でご迷惑をおかけしたお客様、また私の作品を楽しみにしてくれていた皆様には、再び深く頭を下げ、心からお詫び申し上げます。

そしてこの困難な期間に、私を励まし、支えてくれた貴重な仲間や友人たち、温かい言葉を寄せてくれたお客様方に、心から感謝します。本当にどうもありがとうございました。

令和6年11月27日 谷賢一

〔裁判所による裁定和解に至る考え〕

本件においては、劇団の主催者(被告)による劇団員(原告)に対する行為が不法行為となるかどうかが問題となっている。具体的には、①被告が、原告の胸部や臀部を複数回触ったことに関し、原告の同意があったかどうか、②被告が、原告の意に反し、性行為を強要したかどうかが主たる争点となっている。上記①の点については、原告が迎合的な態度を示すことがあったとしても、劇団の主宰者と劇団員という立場の差に鑑みると、原告の真摯な同意があったとは認め難く、一定の不法行為責任が生じ得る行為であったといえる。一方、上記②の点については、原告の立証に隘路があること、また、行為があったとされる時期に照らすと時効が成立し得ること等の事情を踏まえると、不法行為責任を追及するのは困難といえる。

以上の事実関係の下で、原告と被告の双方が、当審において和解することにより早期に紛争を解決させる道を選択し、本件を教訓としつつ、それぞれの舞台に可及的速やかに復帰し、それぞれの有する能力を最大限に発揮して、我が国の演劇界がこれまで以上に豊かで健全な表現・創作活動を行う場となり、我が国の文化が更に発展することを期待して、以下の条項のとおり合意するのが相当と思料する。


※1 本件では「物的証拠」が存在しないことは当然ですが、「犯行後」の証拠として提出された午前3時11分友人宛LINEにつき、「(被害の)気持ちを吐き出したくなって、シャワーを浴びた後、谷が入って来ないようにとドアを閉めたシャワールームからLINEを送った」(原告第1準備書面49頁)と詳細な説明をしていたのが、GPS記録(午前3時4分に現場到着)により当該時間帯のアリバイが証明されると「犯行前に送ったものだった」(原告第2準備書面10頁)と変遷しました。これら時間や前提などが矛盾した主張について、裁判では原告のストーリーが破綻していると主張してきました。このことを裁判所文書では「原告の立証に隘路がある」(隘路:問題、困難、狭くて通りづらい道)と表現しているのだと考えております。その他、重要な反論を複数展開しております。詳しくは訴訟記録をご覧下さい。

参考
https://www.playnote.net/2024/10/11/1011/

※2 私は当初から訴訟内で主張を尽くすこと、訴訟記録に基づき客観的に判断頂きたい旨を述べてきました。しかし訴訟記録も確認せず、ネットの伝聞やキリトリを拡散するアカウントが多く見られます。度が過ぎるものについては、今後、止むをえず法的措置をとらせて頂くつもりですのでご留意下さい。