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11月1日(火)、ふたばふたたび

AM9時、銀行業務。また月末締めに間に合わなかった僕はポンコツだ。AM10時、ファミレスで執筆・事務作業など。進行中の企画について進展が見えて嬉しい。AM11時、再来年の執筆作品についてZoom会議。会議は踊り何だかよくわからん着地をする。卵が先か鶏が先かとよく言うが、やはり私は先にテーマを話すということが不毛に思える。「面白い」と思えるプロットや題材を見つけたのちにテーマが出てくる。炙り出されてくる。テーマ優先で書き出すと説教じみた話になりがちだ。あれは6年前だったか、デヴィッド・ルヴォーにアドバイスをもらって以来、社会的な問題について書くことをためらわなくなったが、それでも「テーマ性よりも芸術性」「意味より面白さ」という芸術至上主義を忘れずにいたい。何かを言うために演劇をやるのではなく、演劇をやるために何かしら言う……そう言っていたくにおんちゃんの言葉に僕は今でも深く共感している。

13時半から新国立劇場演劇研修所にてシーンスタディ。各幕を順番に読み合わせし短くダメ出しや意見交換・ディスカッションをする。今日は非常に難しい話題に触れた。観客を感動させるのは俳優にしかできない仕事だ。演出家はお膳立てしかできない、直接観客を動かすのは俳優だけ、つまり演劇創造の主体は俳優なのだ……という話と、共同創作する以上は全員がシーンに責任を持つこと、時として「私はそれには反対だ」「私はそれをつまらないと思う」と意見表明することの意義を話した。相手が僕のような三下でなく宮田慶子だろうが栗山民也だろうが「私はこう思う」「私は違う」と俳優は話していいし話すべきだと伝えた。もちろん「共同作業」は非常に難しい行為でありこんな簡単な原理原則だけではうまくいかない。お互いの領分・領域を認め合い体重を預け合うような信頼関係が必要だ。経験や現場勘も重要になる。しかし俳優は誇りあるクリエイティブな仕事だということは伝えたい。数年後プロの現場に彼らが飛び込んだときに思い返して欲しい。

18時に稽古場を飛び出し3時間半ドライブして1週間ぶりくらいに福島に戻ってきた。若干の寝不足で途中意識が遠のきかけたため大量のブラックブラックガムを買いコーヒーを爆飲みして常に「ワーッ!!」と叫んだりラジオやナビの音声に「なーるほどね!!」「了解!!」「マジでー!!」などとリアクションしながら運転していた。駐車場で仮眠しようとすると眠れないのに運転していると眠くなる、こういう時はこれくらいしか対策が思いつかない。

双葉につくとあまりの静けさに驚いた。全く人気がない。完全な静寂だ。寂しくも思うが同時に「帰ってきたな」という感覚もある。入居が10/1だったから気づけば今日で入居後1ヶ月が経った。当初はかなり意識して「東京へ行く」「双葉へ戻る」という表現をするように気を付けていた。気を抜くと「東京に戻る」と言ってしまうので。今ではすっかり「双葉に帰ってきた」と意識せず言えるようになった。そして、ちょっと落ち着いている僕がいる。ビジネスパートナーの菊池さんと短く雑談をして別れた。この短い会話も何だか「双葉で友達と会う」という小さな喜びに満ちていた。彼女の話によれば近所に小学生の兄弟を子供に持つ世帯が越してきたらしい。早く彼らの騒がしく遊ぶ声を耳にしたい。

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