今日も双葉町の自宅で起きて、朝6時半、奇妙な感覚に囚われた。さびしい。家族と離れてさびしいとか周りが静かでさびしいとか、そういう感覚とも違っていて、例えるなら地球で最後の一人になった人間はこういう感じを味わうんじゃないか? そんな感じだった。たった一人でぽつんと惑星にいるとしたら、その生命に意味はあるのだろうか。私という現象を誰も観測していない。私はそれは、なぜだかすごくさびしい気がする。もちろん一人ぼっちでも愉快に楽しく生きていくことだってできる。ゲームをやったり映画を観たり本を読んだりできる。近代文明社会ツール使用禁止だとしても、川で魚釣りしたり獲物を捕まえて食べたりするのは楽しそうだ。でも、俺は楽しい、しかしそれでも俺を観測していない、と考えると、やはり非常にさびしい気がする。なぜだろう? もちろんこの双葉町には今は30人も人が住んでいる。無人ではない。しかし妙な空虚さや不安を感じた。移住してきたこと自体が大きな間違いではないかとさえ思ったくらいだ。こういう感覚は住んでみないとわからない。僕以外の皆さんは、今どんなふうに感じているだろう?
もっとも、そういう感覚はコーヒーを淹れてラジオを点けた午前8時くらいには消えていた。温かい飲み物と人の声の力はすごい。田舎ではたまに携帯ラジオをぶら下げて散歩中もずっとラジオのお喋りを聴いている老人と出くわす(大抵がキャップをかぶっており、グレーのジャンパーを着ている)。やはりラジオは心の隙間を埋めるのに最適のツールなのだろう。なんて風にラジオありがてえラジオありがてえrfcラジオ福島さまさまだぜと思いながら双葉町産業交流センターにあるおしゃれなコワーキングスペースへ行き仕事をしていたら、なんとラジオ福島のいわき支社長さんに「谷さんですか!」と発見され声をかけられ、会話が弾んだ。「福島三部作、観ましたよ、アリオスで……。戯曲も買って、読ませて頂いて……。あの、白い、コピー用紙の……」。而立書房から出た書籍版ではなく劇場で売っていたコピー用紙版を買ってくれていたなんて、ガチの方だ。彼に限らずいろんな人が声をかけてくれて大変嬉しい。頑張ろう双葉町。このさびしさに負けない。
夜は用事があるので東京の家に一時帰宅した。写真は連れ帰った途端、さっそく次男坊にボコボコにされる弊社理事の伊藤さん。