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10年目の双葉町

仮にあの震災の朝に生まれた子どもがいたとして、彼/彼女ももう10歳になる。かなり難しい漢字も書けるし、楽器を弾いたり大人向けの映画を観たり、小さな大人になり始める頃だろう。しかし復興は遅々として進まない。双葉町は未だに人口ゼロ人、誰も帰還できていない。

駅前の一部地域は避難指示が解除されて自由に立ち寄れるようにはなった。「双葉町まちあるきツアー」なんてのがやってたので参加してきた。

駅前に人がたくさんいる! それだけでもかつての無人の荒野を知っている者からすると万感の思い。ここまで来るのに10年かかった。

ふたばファンクラブというチームが今回の街歩きを計画・実行してくれた。入会費も参加費も無料! ファンクラブのチームの皆さまが5人くらい、町役場から広報の方とか3人くらい、駅長さんやおまわりさんもいて、アットホームな賑やかな雰囲気。

説明も丁寧です。歩きながらポイントごとに立ち止まり、町の物語を一つ一つ解説してくれます。

倒壊した消防団の詰め所。何度も見ているがシャッターの中は初めて見た! 冬至のまま消防服がまだ壁に吊られている。

10年間、干しっぱなしの洗濯物。この建物も来年に来たらなくなっているかもしれない。僕が取材をはじめた2016年末にはまだ倒壊した建物や割れたガラス、ひしゃげたガードレールなんかが大量に残っていた。今はそれもみんななくなり、きれいになった。

残された建物の壁をアート作品でペインティング。このダルマは今回初めて見た! 双葉町のTwitterのアイコンもダルマ。ダルマが目印みたいね。町のお祭りでは毎年「ダルマ引き」なるものをやっており、このダルマの瞳の中にはそのお祭りの様子が描かれている。ダルマの目から見た町民の姿。面白い!

前田川とか、田中建設とか、長塚とか、『福島三部作』でも出て来た地名に遭遇する度ドキッとする。田中建設は今でも町最大の建設会社らしい。あとドサクサに紛れて渡邊りょうくんがいた(ちょっと違う)。

駅前をちょっと歩くとこんな看板が! 元の看板は撤去されてしまったが、歴史は消せない。大沼勇治さん(第三部に「大池勇気くん」という仮名で登場した)の人生を思うと壮絶である。この標語は子供の頃の大沼少年が考えた。今はそれを保存することと否定することに命を燃やしておられる。どんな気持ちだろう。

川沿いの何でもない風景に心癒される。みんなここで釣りとかお花見をするのが大好きだったらしい。マスが釣れるらしいよ!

図書館。見て、土台がこんなにズレている。地震による陥没。

封鎖された郵便ポスト。まだ傾いたままの電柱。これらも来年の6月以降、住む人たちが戻ってくるまでには取り壊されたり直されたりしているんだろう。町は日々様変わりしていく。

駅前の神社もキレイになってた! よーく見ると上と下で色が全然違う。傾いてしまった土台だけを立て直し、上は昔の木材や屋根をそのまま残している。手が込んでいる!

駅前の広場。左が東側で、ここに仮説の町役場庁舎ができるらしい。右が西側、ここに広大な居住区域、住宅群ができるらしい。住みたいと思っております。

何気ない町の様子です。栴檀(せんだん)の木。選挙。オリンピックも来た。

まちあるきツアーを終えて、お昼ごはんは双葉町産業交流センターのなみえ焼そば! ここも食堂にすごい人が増えてた。感動。駐車場に虹。大きな虹。そして隣の伝承館には、例の看板のレプリカが。前回来たときにはなかったから、初めて見た。こういうのちゃんと残すようになったのはホントえらいと思う。

この、広い大地、広い空。本当にたまらない。この辺は津波で流されたエリアだ。こうして更地になり、来年以降は少しずつ町になっていくのだろうか。まだまだ風評被害もある。産業は育たない。町も文化も、失われるのは一瞬、破壊するのは一瞬。直すのには10年でも足りない。

PLAYNOTEではこれからも福島のことを書き続けていきます。

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