昨年コロナでとある芝居が飛んだ際、某出版社から演劇論の依頼があった。「谷さんにとって、劇を観るってどういうことですか?」と尋ねられた。ああ、これは今まさに答えるべき質問だと思った。
ちょうどダンカン・マクミラン作『エブリ・ブリリアント・シング』という非常に不思議なお芝居をやっていた。セットも何もない芝居で、観客と一緒に世界を作っていく。観客が舞台上に登ったりするので、演劇的時間と日常的時間が常に隣り合うスリリングな上演だった。そして私は今まで様々に「演劇はどのように始まるのか」実験してきた。それらを合わせて一つの試論としたのである。しかし不幸にもご担当者がちょっと体を悪くされたそうで、掲載されないまま一年近く経ってしまった。
今日までスズナリで『丘の上、ねむのき産婦人科』を上演していた。明日から大阪in→dependent theatre 2ndに小屋入りする。そしてコロナが猛威を奮っている。こういう状況だと改めて「劇を観るとはどういうことか」、なぜ/どこが映像を観るのとは違うのか、考える。今日も観客が集まってくれた。おかげで演劇ができている。今、紹介することに価値のある原稿だと思ったので公開した。
一応課金記事としましたが、無料で最後までお読み頂けます。約1万1000字。
Contents
劇を観るとはどういう体験なのか
私は劇を観る。劇場で、稽古場で、あるいは旅先の演劇祭の特設会場で。これまでの人生で恐らく数千本、数千回は劇を観てきた。そして私にとって「劇を観る」ということは、他のどの体験とも全く似ていない、固有のものである。
私は映画も観る。映画館で、家で、あるいは飛行機の中で、移動中にスマートフォンの6インチのディスプレイで。これらはどれも「劇を観る」ということに似ているようでいて全く異なる体験である。だから私はあまり映画を観ない。作家・演出家という仕事柄、勉強や研究のためにある程度の数は観なければならないし、話題になった作品は一通り観るようにはしているが、それでもせいぜい千本か二千本だろう。実感としては演劇の三分の一くらいだ。
映画の方が、映画館も多いしDVDにもなるし値段も安いし、遥かに観やすい。最近ならサブスクで見放題だ。なのに私は演劇の方を多く観ている。それは映画を観ることでは得られず、劇を観ることでしか得られない体験があるからだ。では「劇を観る」とは、一体どういう体験なのだろうか?