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第23回鶴屋南北戯曲賞を受賞しました

中古レコード屋で見つけて買った、
エラ・フィッツジェラルドの『マック・ザ・ナイフ』

このたび昨年執筆した福島三部作・第二部『1986年:メビウスの輪』という作品で、第23回鶴屋南北戯曲賞を頂きました。これは新人賞である岸田國士戯曲賞と違って、むしろ中堅やベテランがもらう賞であり、それは昨年の受賞者が平田オリザさん、その前が岩松了さん、その前が蓬莱竜太さんであることからもよくわかります。

僕はまだ岸田も取っちゃいませんし、三十代半ばですから、普通に考えたら取れるわけのない賞です。賞金額も国内では一番高く、最も栄誉ある賞と言えます。そういうわけでノミネートされたときには「まさか取れまい」「ノミネートされただけでも光栄」くらいに思っていましたが、幸運が重なって受賞してしまいました。

「幸運」と言うのは謙遜ではなく、書いたのは確かに自分ですが、ほとんど福島という土地や題材・出会った人々によって書かせて「もらった」感じのする作品であり、ちょっと力加減を間違えていたらこうはなっていませんでした。しかもその力加減は僕が自分で計算したものではなく、取材を重ねる中で出会った言葉たちが自然と教えてくれたものです。ですから自分の実力と言うよりは、ほとんど幸運、巡り合わせでもらえたようなものだと実感しています。

特に第二部『1986年:メビウスの輪』は、様々な作品からインスピレーションを得て書かれたものです。まず第一にソーントン・ワイルダーの戯曲『わが町』。「舞台監督」という役が現れ、「わが町」に暮らす人々とは違う時間・空間から「わが町」を眺めつつ詩的な言葉でコメントを加えていくのですが、これが劇に登場する死せる犬・モモの明確なモデルでした。ワイルダーの戯曲は本当に素晴らしくて、参考にしたというのもおこがましいほどの完成度ではありますが、見習うくらいは良いでしょう。

次に1930年代にイギリスの作家J・B・プリーストリーが書いた戯曲『夜の来訪者(An Inspector Calls)』というもの。同作はとある夜、裕福で円満な家庭に刑事風の謎の男が現れ、次々と隠された家族の罪を暴いた後、忽然と消えてしまう……という不思議な筋書きの物語。『1986年:メビウスの輪』では丸富と吉岡という二人の男が夜に来訪し、主人公である忠の心中に隠された欲望を暴いていく、というところを参考にした。パクリというほどではないが、『夜の来訪者』を読んでなかったらまず書けなかっただろう。(そう考えると戯曲を書くというのは、どれだけ読んだかによって決まるのかもしれない)

他にもまだまだたくさんあるが、もう一つ大きかったのは2018年1月に私がKAATホールで上演台本と演出を担当させてもらったベルトルト・ブレヒトの改作『三文オペラ』だ。『1986年:メビウスの輪』では物語のクライマックスで「突然ミュージカルになる」という謎の演出があるのだが、これは『三文』をやっていなかったら絶対に思いつけなかったし書けなかった。現在販売中の戯曲集『福島三部作』に書いた注釈から引用する。

戯曲を読んでいる読者の中には、なぜこの場面で急にミュージカルになるのか不思議に思われる方がいるかもしれない。一つにはこの「急にミュージカルになる」という手法自体が、演劇の歴史の中である種の伝統芸のような地位を占めているためである。実験的な戯曲や演劇論を多数残したドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの代表作『三文オペラ』では、ラストで主人公が処刑される直前になって急にオペラ風の「馬上の使者」が現れ、ご都合主義的な大団円を告げて無理矢理にハッピーエンドにしてしまうという展開がある。この強引さ自体が当時の貴族文化であるオペラへの皮肉であり、革新的な表現であった。

本作で第八景を突然ミュージカルにしたのも、思想的には『三文オペラ』に連なる皮肉の表現であり、岩本忠夫という人物に対する筆者からの批判であると受け取ってもらって構わない。原発の危険を訴え反対派のリーダーまでやっていた人物が、やがて原発増設やプルサーマル計画の推進まで訴える超推進派に転身する……などというのは、「突然ミュージカルになる」くらいの表現をぶつけてやらないと描くことができないナンセンスだ。つまりここで突然ミュージカルになるのは、現実に対する誇張ではない。むしろ現実に起きた岩本忠夫の転身というナンセンスを、どうにかして演劇表現に収めようとした苦心の現れであり、筆者としては大真面目に大不真面目をやっているつもりなのである。

戯曲集『福島三部作』より

うん。僕はKAATから、ブレヒトから多くのものを盗ませてもらった。学ばせてもらった。

そもそも物語の骨子となる「忠」の変身/変心自体が、実在した双葉町長・岩本忠夫氏に取材して書いたものだ。もちろん劇にした時点でこれは一つフィクションの衣をまとっているが、その具材は確かに現実に起こった事件だったのだ。岩本忠夫氏の人生に出会ってなかったら『1986年:メビウスの輪』は書けなかったし、福島三部作自体が存在していなかっただろう。そしてその人生に出会うことができたのは、取材中のささいな偶然によるものだったのである。

今回、受賞の報を受けて本当にたくさんの人がお祝いのメッセージを下さった。心からありがとうと返したが、そういうわけで、何だか狐につままれたような気持ちでいるのが本当のところなのである。これが僕が成長して、実力を上げたから得られた賞だったのなら天狗にもなれるだろうが、本当に偶然と人様のお陰で書けてしまった本なので、どこか他人事のような気持ちもある。もちろん嬉しいし誇りにも思っているし、頂いた以上は「えーワタクシ、ふつつかながら第23回鶴屋南北戯曲賞を受賞しておりましてウンヌン」と自慢話にも使わせてもらうだろうが、本当を言うと、本当に、自力だとは思っていない。こういうこともあるのだなと不思議に思っている。

まぁまぐれのホームランと言えども、それなりに筋力やセンスが育っていなければ打てないだろうから、ちょっとは成長しているんだと思う。でもこないだマキノノゾミさんと会って話したら、彼は劇を書いていて「こう行けば普通、というところでその逆を行く。悲しいと思わせておいて、バカバカしくしちゃう」と筋書きをコントロールすると言っていた。そんなテクニカルな書き方は僕にはまだ全然できない。そりゃあ十年前よりは少しは器用にもなったんだろうが、まだまだ道は長そうである。

今回の受賞、本当に嬉しく思います。慢心せず、芸道に励みたいと思います。

One Comment

  1. […] 先般、第23回鶴屋南北戯曲賞を受賞しただけで僕としては十二分に報われた気持ちでいましたが、これに続くかのように『福島三部作(「1961年:夜に昇る太陽」「1986年:メビウスの輪 […]

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