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世界の広さと狭さについて

そう考えて悪いことはない。考えてみて、悪いことなんか一つもないんだ。

僕は年末年始を経てみて、とても内省的な人間に仕上がってしまった。それは……一つには状況・条件的なものが揃ったからだろう。12/2だったかな、『光より前に』大阪公演が終了して、これにて実演家としての私の人生には一区切りがついた。その後、自ら志願したふたば未来学園高校の演劇WSの仕事や、ロンドンでの来年へ向けての観劇調査、合同会社DULL-COLORED POPの様々、そして年末に行った三日三晩忘年会など、様々なことに忙殺されており、気がつくと12月は終わっていた。

三日三晩忘年会の頃から、私は振り返っていた。僕は一体何者なのだろうか、と。その答えは、忘年会を経てさらにわからなくなった。ふつう忘年会は一年間を振り返るものであるが、私が繰り広げた誰でも参加可能な三日三晩の忘年会では、新たな出会いが多すぎたからだ。新しい出会いが多くありすぎた。その中にも自分の人生を左右しかねないほど大きな出会いが多々あったから、私の人生は年末に大きく膨れ上がってしまって、忘年会をするというより、新しく始まってしまった感さえある。

つまり、誰も、誰一人、世界の広さを定義することはできない。一瞬一瞬を、冗談のように真剣に生きるくらいしか対処のしようがない。今日の僕も冗談のように速射砲的に「焼き肉を食いに行く」という射撃をしたが、それとてやはり対処療法だろう。

あと10分、僕は書いていられる。何を書きたいだろう? 何も書きたくないはずだ。ただ呆然と、約束してしまったから起きている。こういうのを青春というのだろう。私はもう若くはない。今年の正月、私はとくとく考えた。私にとって演劇は本当に必要なのだろうか? と。お客様のために喜んでもらえる演劇を作りたいという思い(A)がある反面、今やらなければならない演劇活動はこれだという考え(B)があり、それとは別に私には本当にやりたいこと(C)があるのではないか、という悩みがあり、A=B=Cならオールハッピーなのだが、AとBとCはどれもちょっとずつズレている。そういうことを、もやもやと考える時間が必要だったのだ。一人でさ。焼酎なめながらさ。

その答えは結局、上演物の中にあります。私はまだ当面実演家でありますゆえ、松尾スズキや本谷有希子や前田司郎やらと違って実演家でありますゆえ、実演物・上演物の中にすべての答えを込めていきたいと思っております。

それとは別に、2019年には、小説プロジェクトも動いておりますので、それを……。それをぜひ、お楽しみにして頂いて。僕も楽しみなんです。演劇というレールを取り払ったときに、自分が一体何を描くのか。

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