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ひっそりと振り返る2018

昨日まで4日ほどロンドンへ行ってきた。これで今年の大仕事もほぼ終わり。正確にはまだ打ち合わせが少し残っているけれど、どれも来年へ向けてのものなので私にとっての2018年はもう終わったと言っていい。

激動の2018年が終わった。

2018年は『三文オペラ』と共に幕を開けた。KAAT、ホール、キャパ1100人。ここ数年「大劇場を演出できる演出家になる」というのを自分の目標の一里塚にしてきたが、それを果たした。

実際に終えてみるとまるで見える景色が変わった。良い意味で何も怖くなくなったと言うか、どんな空間を示されても「まぁ、KAATホールほどじゃないし」と一安心する。大きな空間のイメージが昔に比べてずいぶんとつきやすくなったし、そういう大きな空間を操るときにどれくらいの人間や資材が動くのかという創作のスケール感もわかった。本当にやっておいて良かった仕事だった。

だが、そんなことは私にとって本質ではない。

物書きとしては一昨年2016年から取り組んでいる福島3部作プロジェクトの第1部『1961年:夜に昇る太陽』を書き上げたことが大きい。第1部には私が原発問題の根源であると思っている「経済」のことをずいぶんきちんと書き込むことができた。東京と地方の絶望的なまでの経済格差と、そこから生じる「夢」の違い。当時の東京と福島では、それぞれがまるで別の世界に住んでいたのだ。その上、1960年という時代は残酷だった。テレビの普及により別々の地域で同じ風景、同じ夢が見れるようになってしまったのである。それまで表面化することのなかった格差が手に取るようにわかるようになってしまった。観客からの反応もすこぶる良く、第2部へ向けて良いバトンを渡せた。

だが、そんなことも私にとって本質ではない。

他にも様々な仕事をしたし、一つ一つ振り返ると愛が滲んで痛い。どれか一つを特別扱いするのはおかしいのだが、敢えて一つ挙げるとすると、実は4日間だったかな、5日間だったかな、しか上演しなかった今年手がけたものの中でも最も小規模だったプロジェクトの一つ『一月物語』の演出は、私にとって転機となった。演出家として自分がどのような言語を喋ればいいのか、どんなコミュニケーションをすればいいのかがようやくわかったのである。それ以前の私はまだ演出家ではなかったとさえ言える。なんて言うと『三文オペラ』まで「演出家ではなかった」ことになってしまうので語弊があるのだが、それくらい大きな発見をした。

そのことについて、詳しくはここには書かない。それはとても重大な発見であったが、それさえも私にとって本質ではないからだ。

今の私にとっての本質的な問題とは何か、それは──言葉を選ばずに言えば、モチベーション維持の難しさである。KAATホールをやるまでは「でかいハコでやりたい」というのがとりあえずの一里塚になっていたが、それも達成し、物書きとして『1961年:夜に昇る太陽』というそこそこ満足の行く執筆もできた。満足! これこそ作り手にとって大きな敵である。クリエイターは常に不満気に、不満足でいなければならない。だが今の私は比較的「満足」している。

新しい目標を見つけてハングリーになればいいだろうと人は簡単に言うだろうが、そうも行かない。新しい目標はすでに見つかっているのだ。それは……、これはおそらく誰にもわからない言い方になるだろうけれども、平穏・安逸・満足の中にありつつ作品を作るということなのだ。「違う、まだだ、こんなんじゃない!」と髪の毛をかきむしりながら筆を振るう絵描きのようにならないで、圧倒的な余裕と自信の中で、じっくり堂々と完璧な一枚の皿を焼こうとして黙々と山にこもり続ける陶芸家のようになりたいのだ。

何かに追い立てられるようにして生きるのは、もうごめんなのだ。それに、そういうやり方では自分の壁は突破できないということにも気づいたから、ふんぞり返ってじっとしているくらいがちょうどいい。生き方を変えようとしているのだ。そしてまるで違う生き方の中からのみ、まるで違う作品群は生まれ得るのだ。

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