志磨遼平が好きだ。昨日志磨遼平の2018年のツアー・最終日を観てきた。
ドレスコーズが好きだと思えて嬉しい。志磨遼平によって集められた、その時ごとの作品にとって最も素晴らしいメンバーのことを「ドレスコーズ」と言うのだろう。だとしたらそれを好きになれたことは、心から嬉しい。
思い出す。『三文オペラ』、稽古初日、顔合わせ。12月の1日とか2日とかだったね。演劇の稽古場、神奈川芸術劇場、KAATさん稽古場、8Fロビー、物々しい雰囲気、俳優やその事務所マネージャー同志による挨拶交戦が繰り広げられる中、どう見ても俳優ではない荒くれ者、はみ出しもの、悪く言えば……、何か変な人たちが4人、端っこでテーブルを囲んで座っていた。すさまじく声をかけづらい、異質な空気が漂っていた。彼らがそう、ケンさん、ホリサキヒロキ、板倉さん、これぴょんこと「ベガーズ・クインテッド」だった。
不安が走った。……すでに何度も打ち合わせていたへいちゃん(志磨遼平)に挨拶をした後、彼から「この人たちが、今回の楽隊です」と紹介されて、途方もない心配を覚えたことを思い出す。音楽の人とは、音楽の人たちとはこういうものか! 愛想の良い挨拶もなく、あるとしたら「ちゃーす」みたいな軽いノリ(主にホリサキ)で、しかし一人一人こだわりの強そうな(ケンさんやこれぴょんなど)雰囲気を醸しており、音楽について一癖も二癖もありそうな(板倉さんなど)人たちばかりで……。正直最初は「嫌だな、けっ、これだから音楽の連中は、スカしやがって」と思った。しかし知れば知るほど個別に好きになり、印象は逆転していくから恐ろしい。
一番とっつきづらそうだったこれぴょんがあんなに何でもOKな人だとは驚いた。音楽のこととか文学のこととか、いろいろ語ってみたいが無口なのが残念だ。ホリサキは毎年クリスマス一緒に過ごしたいくらい楽しい奴だ。ホリサキ、来ていいから、来年のうちのクリスマス。むしろ来て。たくさんチキンあげる。ケンさんは酒を飲ませて路上に放置する遊びを延々続けたい。またライブ呼ばれたら行きますよ、ホントにぼく、いい夜をありがとう。板倉さん、あなたの暴言を聞くためだけに、僕はあなたと深酒をしたい! 西に帰るあなたを僕は慕っております。
なんて楽しいメンバーなんだ。しかしそれも、まもなく解散。いや、昨日で解散した。「おしまい」だ。
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昨日、ドレスコーズ plays the ドレスコーズ tour の最終日。見届けてきた。
僕は実はツアー初日の仙台も観ているので、変化と熟成を感じる1時間半という感じだった。志磨遼平の細かい演技力とディテールが格段に向上していることに嫉妬したが、同時にこのベガーズ・クインテッド、「乞食オペラ音楽団」とお別れするのだと思うと万感こもった。
管とギターのケンさんと旧交を暖め、ホリサキヒロキと雑談を交わし、これぴょんを誉めたたえ、板倉さんとは会えず(!)、志磨遼平とは「じゃあ、また。近いうちに」とだけ簡単に挨拶をして、お別れした。
しかしこの5人と5人揃って会えることは、まずないだろう。ドレスコーズというバンド自体が、志磨遼平の天の邪鬼で何かそういう感じになってしまった=毎回入れ替えがあり得るから仕方がない。入れ替わることを面白がれなければドレスコーズを好きでいれない。そんなジレンマがここにあり、「好きだから許しちゃう」というダメな不倫にハマる愛人のような許容が蔓延しており、しかしこの5人が揃うことはまずないのだという感傷もあり。……昨年12月からこの5人を「怪しいな」「まったく、音楽の人たちは」と思いつつも気づけば心から愛していた僕にとっては、とてもつらい別れであった。5人+僕+社長くらいで、もう一度、仙台の夜のように、焼肉にでも行きたい。
そもそも、板倉さんとは会えなかった。なぜ板倉さんは関係者客出し挨拶に来なかったのか。現場にいたのか。いたなら何故、気配を消していたのか。『三文オペラ』におけるクルト・ヴァイルの譜面をどれだけ丁寧に、細かく長く見つめたかということで言えば、その功績と苦労は僕やへいちゃん、ミツダさんやノリコさんと変わらない。いやそれ以上だったろうに! 最大の功績者の一人が、あんただよ、板さん! あんがとない。……板さんのことをピックアップして書いたが、ホリサキのことも書ける。松岡さんちでのエピソードとか。これぴょんのことも、ケンさんのことも書ける。書けるけど書かない。友達みたいになってしまうから。良い仕事仲間でした。また仕事をしよう。それまでは、友達でいよう。
いやあ、楽しい、楽しい共同製作であった。志磨遼平とは本当にさらっと「またね」だけ言って別れたが、近いうちに会うことが確定したので、今後も付かず離れず、わたし=演劇の専門家と、へいちゃん=音楽の専門家として、良い距離感を維持していきたい。イチャイチャし過ぎず、疎遠になり過ぎず。「彼の本妻は音楽だ」ということをわかった上で、「愛人なりに何か」、彼へ、演劇上のプレゼントを提供し続けたい。そんな「愛人的立場」は、白井晃にも松岡充にも譲らず、僕だけのものにするつもりだ。僕は彼の、演劇上の愛人になりたい。
僕の葬式に是非来て欲しい。そして彼の葬式には僕が行って、……主賓挨拶の人選や内容は別の人にお任せするから、とにかくその「立ち位置」と「しゃべり出すきっかけ」、あと「ライティング」だけ指定させて欲しい。演劇において「立ち位置」と「きっかけ」は、本当に重要だから。あと「ライティング」。葬式なんて演劇だから。あれはただの、生き延びた連中の演劇だから。
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ドレスコーズ plays the ドレスコーズ tour について、一言だけ触れておくと、僕は本当に楽しんで観れた。演劇的な手法やドラマにおける時間軸というものを志磨遼平というミュージシャンが吸収・摂取・換骨奪胎し、己の楽曲で再構築し、ある種のリマスタリングやセルフカバーのような中にドラマが流れているのを観ているのかが楽しかった。そもそも志磨遼平自身の書いた作品・歌詞・楽曲をこうも自由に再編成してドラマ化できる柔軟性が素晴らしい。自分の作品への思い入れって、凄まじいはずだから、己の想定したコンテクストと外れるであろう「マックとジェニーの前日憚」とかいう物語に再編成できたこと自体が奇術だし、それを観客が受容できていたことも素晴らしい。
柔軟なファンだよ、全く。『平凡』の後にこれ見せられて「これもおもしろいね」と言えるなんて、リテラシー高すぎだろうが。毎回ライブごとに観客の「受容度」ないしリテラシーが試されている気がする。ドレスコーズというバンドは。飼いならされた上で、作を超えて「志磨ー! そっちー!?」と、ゲラゲラ笑いながらついてくるお笑いファンみたいな印象がある。「どうせ期待を裏切って来るから期待しねえ」とか「期待を裏切ってくれるのが期待だ」みてえなファンが散々いることは、純粋に嫉妬する。どんな信頼関係だろう。
純粋な演劇作品として観れば僕にはダメ出しもあるし、単なる音楽ライブとして聴けば異見もあるだろう。しかしそれには何の意味もない。彼は、音楽と演劇の間でどんなブリッジができるか、そこでどんな曲芸と物語が演じ切れるか、その「逆立ち」をギリギリのレベルで試した。ライブ・パフォーマーの挑戦として、最大限を試した。音楽を使って演劇を演るなんてまぁTHE WHO以来の伝統ではあるが、このために曲を書いたのではなく今までの自分の曲を再編集・再解釈しつつ、ブレヒトのような20世紀最大の劇作家の作品の「続編」を勝手に書いた。横領だ。窃盗だ。癒着だ。愛着だ。……本当にふざけた男だ。「逆立ち」にも程がある。しかし彼はその逆立ちに成功した。
『三文オペラ』のアナザー&バック・ストーリーを想像し、ある意味では「ねつ造」しつつ、マック・ザ・ナイフの一生を語るという荒行を実現しつつ、音楽ライブとしても成立させるという逆立ちを成功させた。マック役の松岡さんも観に来ていたかんね。そして演出家の僕も観ている。その前で「やり切る」という確信は、つまり確信犯だと言うことだ。おもしれえじゃねえか。『三文オペラ』は、俺=谷賢一だけの作品であったはずなのに、「ぜんぶ僕のもんです」と志磨の野郎がかっさらって行って、「こっちが本物です」と続編書いちゃったみたいな。やってくれるぜ。たまんねぇよな。うれしいよ。俺も嬉しいし、ブレヒトもクルト・ヴァイルも「ひゃー、俺たちの90年後には、こんな若者でバカ者もでているのか!」と、欣喜雀躍しているよ。これこそ古典の換骨奪胎だよ。古典とは、敬って遠ざけるべきものではない。愛があるなら敬遠せず、思い切って近づいてキスをして、自分の好きに変えてやる。そこに価値が生まれる。それは恋と同じだろう。愛した人を好きに変えていく。それはやっぱ、楽しいよね。
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志磨遼平という音楽家に「演劇」という要素を加味できたことを、僕は喜ぶ。ただ音楽家としてずっと、ずっと好きだったが、彼に「演劇」という影響力を行使できたし、僕を通じて様々な演劇の扉を開いて見せることができた。
無理矢理にドラゴンボールにたとえれば、僕は言わば人造人間17号だ。演劇をやってたらセル=志磨遼平に吸収されて、彼を完全体へと近づけてしまった。しかし人造人間17号の声のまま、僕はこう言える、「この合体は素晴らしいぞ! お前も早くこちらへ来い、18号!」と。……ドラゴンボールの単行本を調べ直すのが面倒なので、台詞には間違いがあることをお許し下さい。ただ18号やクリリンたちが助けてくれないと、彼は完全体になってしまう。
なんて書くのは、感傷だ。思い出だ。そいつらの箱詰めの自慢話だ。僕はここには書き切れないほど、たくさんの栄養をへいちゃんからもらった。だけど終わった。おわりなのだ。
今回のtourの最後に『おわりに』という曲が、ただ流される時間があった。カーテンコールもアンコールも終わって、ただ4分半、CD音源が流されて、お客はただそれを聴くだけ、という凄まじい時間。
(よくやるよ、ああいうの。志磨遼平、本気か? さすがだ)
『おわりに』とは、アルバム『オーディション』最後の曲。「人生の半分は発見で、残り半分はそれを忘れて」という歌詞が印象な曲だ。あそこで、あれが、あのタイミングで流されたのは、今思えば、俺だけの手前個人な意見だが、あれは僕や僕ら関係者のためだけにあった『おわりに』のための4分半だったのだ。そう思う。……志磨遼平は僕に何度か、「自分が人の役に立てるのが嬉しい」と語った。それは本気でドレスコーズ結成秘話にもつながる話なのだが、彼は今回の『三文オペラ』で「人の役に立つ」という体験をして子どものように喜んでいた。今まで何万人という観客を沸かせてきた人の発言とは思えないが、本当に身近な人に「役に立つ」という意味で「利用」されたことはなかったらしい。
僕は今回、彼を「利用」させてもらった。それが彼には嬉しかったらしい。この関係、わからねえ奴は口を出すなよ? 利用とはつまり愛であり、利用される側とは、本当は愛のイニシチアチブを握っている側であり、つまり、本当は支配している側だ。簡単な話ではない。……わかる人にだけ、いずれ、この続きを語ろう。
今はただ、無事に、『おわりに』来れたことが嬉しい。
僕は志磨遼平を愛した上で、想像し理解した上で、覚悟して『三文オペラ』の訳詞・音楽監督を彼に依頼した。実を言うと最初は、志磨遼平と仕事をしたら100%喧嘩すると思ってた。志磨遼平は絶対に、完璧にイヤな奴だと思っていた。書く詞と曲がいいだけで、人間的にはクズの集積体に違いないと思ってた。しかし全くそんなことはなく、現場ではただ一緒に、「こっちとあっち、どっちがおもしろいかねえ」と純朴に話し合えた。ただ物づくりや作る人の好きな、現実に退屈し創作の世界の夢に溺れる、僕と似たようなドリーマーだった。
それが志磨遼平、僕と君の今までであり、これからだ。ありがとう。またね。おわりに、だけど、ここからまた、20でも、30でも。
泣きながら読みました。
私も、ドレスコーズファンで良かったと思います。
またやられた!
…と喜んで騙されたい。
三文オペラ、どんなことをしても見に行けば良かった。