KAAT『三文オペラ』歌稽古に参加し、3時間ほど歌声を聴いて大満足でKAATを出た。いよいよKAATのホールで演出をする。見慣れたKAATの通用口(楽屋口)が、ちょっと違って見えた。まだ9時と早い時間なので馴染みの中華屋で一杯だけ飲んで上機嫌で店を出て駅へ向かうと、道の真ん中に財布が落ちていた。
ちょっと酔っていて上機嫌でもあったので、最初は「やっほーラッキー、ついに俺にもチャンス到来」とお財布を拾い上げ、中身を見て絶句した。万札が、万札ばかりがずらりと、何十枚、入っている。
思わず周囲を見渡した。これは何かの罠ではないか。俺が財布を拾ったところをカメラか何かで撮っていて、その処遇の仕方を収めようとしているんじゃないか(そういうドッキリ映像を見たことがある)。あるいは失恋か何かで傷ついて酔っ払ったチンピラが、遊び半分に路上に財布を置き、拾った奴に誰でもいいから因縁をつけようとしてるんじゃないか。あるいはゴルゴ13が、俺が財布に気を取られたすきに遠くのビルから射殺しようとしているんじゃないか。ほんの2~3秒の間に、そういうバカバカしい想像がざざっと頭を駆け巡った。人間の脳みそはこういう時、信じられない高速演算を開始する。
財布の中身はいくらあるのか。数えようかと思ったが、逆におっかなくなってやめた。1円だったらまだ気が楽だが、さっきパッと見た感じでは20万はありそうだった。大金を拾った。そんなとき自分は喜んでパクるような人間だと思っていたが、そうでもなかった。「どうにかして大金を拾わないかなぁ」と夢想したような貧乏時代もあったし(劇団初期)、パッと見20万の臨時収入はどう考えてもお得である。新しいスマホを買うくらいの贅沢しか思いつかないが、実際今使っているXperiaの反応が鈍くなってきて不愉快なので買い換えようとも思っていたのだ。十分に買い換えられる。
しかしここでパクると、仮にバレなかったとして、いわゆる良心の呵責という奴に未来永劫悩まされるだろうと予感があった。ここだけの話だが十数年前、某所に「落ちていた」ノートパソコンをパクって帰り、しばらく酷い自己嫌悪に陥ったことを思い出した。そのノートパソコンは本当に落ちていたものであり、おまけに「落とした」というより「捨てた」に近い状況のものだったのだが、それでも良心は呵責した。使ってみたかったLinux OSをインストールして遊んでみたが、不気味な気がして触らなくなってしまった。そして20代の初めの頃、生まれて初めて浮気というヤツをやったときの気持ちも湧き上がってきた。代々木上原でも高井戸でも池袋でも新宿でも、どの路上を歩いていても「いつか露見するんじゃないか」という疑念に苛まれ、全く心休まず、太宰治『人間失格』的に惨めな気持ちになったことを覚えているが、この20何万をパクって新しいスマホを買った場合、携帯を携帯している間中ずっと良心に呵責されているのだと思うと冷汗一斗(©太宰治)だ。演劇好き向けに言うとマクベスの中盤以降の心理である。「オレの心はサソリでいっぱいだ」状態である。割に合わない。
むしろ「こんな大金を落として、でも届けてくれる人がいるんだ」と一人の人間に伝えることができるのなら、それは快晴のような喜びを私にもたらすだろう。その快晴は僕には見えないが、地球上の別の場所で快晴の空が晴れている。それを喜び、信じられるマインドを手に入れることの方が、よほど幸福に近い気がした。僕はシェイクスピアやブレヒトのような悲観的な人間の作品ばかり読んでいるから、どうしても人間を悲観的に捉えがちだが、本来人間はもっと快いものなのだ。──と、信じることができるのだとしたら、この投資は安くない。そんなことまで瞬時に脳裏によぎった。
僕は今でもお金のことで悩んでいるが、20何万で向こう数年の心の平安を奪われるほどには困っていなかった。元気いっぱい、胸を張って仕事をして、自分の仕事で稼いだ金で酒が飲みたいと思っている。実際たまに「ヤケクソだ、遊んでやれ」と飲みに出て、意味不明に酔ってガツ刺しひたすら食ってる夜でも(それはとてもつまらない夜だ)、でもこれは自分が演劇で稼いだ金だものなと思うと誇りのわいてくるものである。そういう小さな矜持心を、20万で売るのはもったいないと思った。だから、小人閑居して不善を為すという中国の故事を思い出しもした。税金や年金は払う度に「畜生」と思うが、この20万は返した方がいい。
せっかくなので、懐かしい一節を引用しておく。
……父もまた、一生懸命であった。もともと、あまりたくさん書ける小説家では無いのである。極端な小心者なのである。それが公衆の面前に引き出され、へどもどしながら書いているのである。書くのがつらくて、ヤケ酒に救いを求める。ヤケ酒というのは、自分の思っていることを主張できない、もどっかしさ、いまいましさで飲む酒の事である。いつでも、自分の思っていることをハッキリ主張できるひとは、ヤケ酒なんか飲まない。(女に酒飲みの少いのは、この理由からである)
(太宰治『桜桃』より)
結局その財布は警察に届けて、中に(詳細は伏せるが)30万近く入っていることが確認され、俺は書類作成に40分くらい余計な時間を取られることになったが、いやもう本当に届けて良かった。世の中すべてが善人になれば、文学も演劇も地上から消え去り、株式投資だけで地球が回る真の平和が達成せられるであろう。私は文学を愛しているが、至福の夢は地球上からすべての文学が追放され、完全平和の達せられることである。