福島第一原子力発電所のある町、双葉町を歩いた。“まるで”時間が止まった“ようだ”という言い方はふさわしくない。本当に時間が止まったまま。そういう風景があちこちに残されていた。
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他にもたくさん話を伺った。デリケート過ぎる話はここには書かない。今、準備しているメールマガジン等で紹介していくつもりだ。そして何より、現在構想している3部作の中に盛り込んでいく予定だ。
「デリケート過ぎる話」というのは、要は人間と人間の話だ。──こんな悲劇があった、こんな苦しみがあった、こんな分断があった、こんな葛藤があった、そういうことだ。調べれば調べるほど、うかつにネットに書きたくなくなる。顔の見えない相手には、あぶなっかしくて話せない。震災に関連してたくさんの美談も耳にしたが、もちろん美談ばかりじゃない。かと言ってそういうエピソードをブログや何かで軽々しく紹介することで、すでに震災で苦しんでいる人たちへ向けてインターネットの画面ごしに石を投げる手伝いもしたくない。
双葉町のあちこちでは、本当に時間が止まっていた。復興という言葉とはあまりにも遠い現実が残されている。しかし東京では311はもう終わったことになっており、復興も確実に進んでいることになっている。「それは嘘だ」ということを指摘するだけで、今のところは十分だ。
双葉町についてはもっと調べます。