とある仕事の案件でいろんな音楽の可能性について連絡を取り合っていて、渋さ知らズの話題から何故かこんな曲と今頃であった。頭脳警察の『さようなら世界夫人よ』。俺がこの曲を知らなかったというのは一体全体どういう偶然だろう。ひどい偶然であることには違いない。ヘルマン・ヘッセの詩を元に作られた曲だという。歌詞も曲もストレートに今の自分に入ってきてしまって、この曲にインスパイアされた一つの芝居を作りたい、作れるんじゃないかとさえ想像が膨らんでしまった。
世界はがらくたの中に横たわり
かつてはとても愛していたのに
今 僕らにとっては死神は
それほど恐ろしくはないささようなら世界夫人よ
さあまた 若くつやつやと身を飾れ
僕らは君の泣き声と君の笑い声には
もう飽きた
寂寥たる光景が目に浮かぶ。薄暗い、濃紺の闇に塗りつぶされた部屋の真ん中に、破壊されたローテーブル。その周囲には持ち主のいなくなったペンやコップ、小さな家具や本、アルバムなんかが散乱しており、その世界のやや中心から外れたところに男が一人、へたり込むように床に座っている。体が悪いのだろうか。絶望しているのだろうか。仕事をなくしたのだろうか。あるいは「仕事をする」という気持ちをなくしたのだろうか。とにかく男は、あらゆる存在からDetachmentされており、しかし妙にはっきりと希望を感じている。歯を食いしばるように希望を感じている。
もう男は周囲に希望を抱くことはやめてしまったし、無邪気な子供のように風景を見渡すことはもうないだろう。歌ももう、歌わないかもしれない。沈殿していく自分をよく理解している。彼は世界から拒まれた格好にはなる、しかしそのことについて“彼女”を憎んではいないのだ。むしろ感謝に似た思いを抱いている。希望が一つもないということは、希望にもなるのだ。自分をたぶらかすようなものはもう何もないし、なまぬるい同情や憧憬も存在しない。大きな海に、使い込まれた古いボートで漕ぎ出していく老人と同じ気持ちで、彼はそれまでの生活に火をつける。
* * *
動物園の檻。象のいない。しかし、象を見に来た客たちは、象の話で湧いている。一体彼らは、何の話をしているんだろう?
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『風をあつめて』も最近よく聴く。人がいないのに、人のような温かさを感じる、ふしぎな歌だ。