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PLAYNOTE Posts

わからない

今日は何を公開していいのかちょっとわからないので、スキップ。

10月22日、身に覚えのあること

一人だけ徹頭徹尾ダンスを拒否する長男氏(6歳)

今朝は長男の運動会なので見に行った。長男なかなか鋼メンタルで、みんなで楽しく『おどるポンポコリン』に合わせて踊ろう!と20人ダンスする中、5分近いダンスをすべて拒否してただうずくまっていた。終わった後「何で踊らなかったの?」と聞いたら「あの踊り、ヘンだから!」と言っていた。身に覚えがある。ダンスとかお遊戯とか俺もとても苦手だった。楽しくもないのになんでみんな踊ってんの? いいぞ、そうだ、どんどんやれ。反逆と孤立は大変だが恥ではない。孤立を誇れ。(えらい苦労するから踊った方がいいと思うけどな)

その後「自転車の練習がしたい!」と言うので公園へ連れて行ったが、2・3回転んだら「痛い」「乗れなくていい」「自転車は捨てる」と言い出した。身に覚えがある。「失敗してもいいから」「失敗しなきゃうまくならない」なんていくら親から言われても、失敗は嫌だし恥ずかしい。この僕の気持ち、親になんかわかるわけない。その通りだ。俺とお前は違う。多少励ましたり勇気づけたりしたが、やっぱり怖いらしいので素直に帰った。まぁ自転車くらい乗れなくても死にゃしない。本人が「やっぱりもう一度練習したい」と言うまで放置しよう。

その後、福島の件で私の右腕となっている才女・H嬢と打ち合わせ。次々にやりたいこと、目標、夢、青写真など語り合い楽しい時間だったが、これも身に覚えがある。「演出家はキャストやスタッフ、座組一同に夢を見せる仕事だ」なんて以前鴻上尚史さんが言っていたが、私はそれに慣れすぎていて次々と夢を語ってしまう。詐欺師とスレスレだ。しかし少なくとも今の福島で必要なのは絶望を語ることより希望を語ることだ。すべて実現したい。すると福島から演劇が、最先端の演劇が生まれるようになる。

その後、親しい後輩や友人たちが作・演出・出演などしている舞台を観に行った。わざわざ福島から帰ってきた一番大きな理由はこれで、福島にいても何でもできるが舞台だけは足を運ばないと観れない。作品は強度も高く技術的にも洗練されていて俳優も魅力豊かで良かったが、私は少し工夫し過ぎ、凝り過ぎに思えた。身に覚えがある。自分の個性を出そう、他との違いを出そうと考えるあまり、あちこち創意工夫をまぶしすぎてしまって見づらくなる。僕もしょっちゅう陥る罠だ。しかし「新しい船を動かせるのは古い水夫じゃない」と大昔に吉田拓郎も言っている。好きにやるといい。演劇の未来を切り開くのは彼らだ。俺は何をどう応援したらいいだろう。

つい長男にも言いたくなってしまう。ダンスってぇのはなボウズ。ポンポン持って『おどるポンポコリン』踊るのはバカらしいかもしれないけれど、人類の本能、最も根源的な芸術、演劇や歌よりも前から生まれた表現の一つなんだ。言葉・知恵・理性、そういったものではなく、もっと原初的な喜び・陶酔・酩酊を味わえる。だから踊ってみてはどうだい? アポロン的なものよりデュオニソス的なものの方が楽しいんだぜ?

……しかし多分それを伝えるのは僕の役目じゃない。俺の息子に協調性なんかあるわけがない。ダンスを拒否し、お遊戯を拒み、クラスで浮きながら生きていっても、僕のように楽しく充実した人生を送ることもできる。勝手にするといい。人に対する関わり方を常に考える昨今である。

10月21日(金)、住んでみてわかること

今日も双葉町の自宅で起きて、朝6時半、奇妙な感覚に囚われた。さびしい。家族と離れてさびしいとか周りが静かでさびしいとか、そういう感覚とも違っていて、例えるなら地球で最後の一人になった人間はこういう感じを味わうんじゃないか? そんな感じだった。たった一人でぽつんと惑星にいるとしたら、その生命に意味はあるのだろうか。私という現象を誰も観測していない。私はそれは、なぜだかすごくさびしい気がする。もちろん一人ぼっちでも愉快に楽しく生きていくことだってできる。ゲームをやったり映画を観たり本を読んだりできる。近代文明社会ツール使用禁止だとしても、川で魚釣りしたり獲物を捕まえて食べたりするのは楽しそうだ。でも、俺は楽しい、しかしそれでも俺を観測していない、と考えると、やはり非常にさびしい気がする。なぜだろう? もちろんこの双葉町には今は30人も人が住んでいる。無人ではない。しかし妙な空虚さや不安を感じた。移住してきたこと自体が大きな間違いではないかとさえ思ったくらいだ。こういう感覚は住んでみないとわからない。僕以外の皆さんは、今どんなふうに感じているだろう?

もっとも、そういう感覚はコーヒーを淹れてラジオを点けた午前8時くらいには消えていた。温かい飲み物と人の声の力はすごい。田舎ではたまに携帯ラジオをぶら下げて散歩中もずっとラジオのお喋りを聴いている老人と出くわす(大抵がキャップをかぶっており、グレーのジャンパーを着ている)。やはりラジオは心の隙間を埋めるのに最適のツールなのだろう。なんて風にラジオありがてえラジオありがてえrfcラジオ福島さまさまだぜと思いながら双葉町産業交流センターにあるおしゃれなコワーキングスペースへ行き仕事をしていたら、なんとラジオ福島のいわき支社長さんに「谷さんですか!」と発見され声をかけられ、会話が弾んだ。「福島三部作、観ましたよ、アリオスで……。戯曲も買って、読ませて頂いて……。あの、白い、コピー用紙の……」。而立書房から出た書籍版ではなく劇場で売っていたコピー用紙版を買ってくれていたなんて、ガチの方だ。彼に限らずいろんな人が声をかけてくれて大変嬉しい。頑張ろう双葉町。このさびしさに負けない。

夜は用事があるので東京の家に一時帰宅した。写真は連れ帰った途端、さっそく次男坊にボコボコにされる弊社理事の伊藤さん。

令和4年10月20日、魚が安い

イナダが1尾まるごとで200円。ホンビノス貝でっかいのが4つ入って240円(半額セール)。今日は相馬市を視察しており松川浦漁港という有名な港へ立ち寄ったのだが安すぎやしないか。イナダは3枚におろして半分は刺し身にし、残り半分は鍋にした。ホンビノスはお吸い物の素と一緒に煮ておすましにした。めちゃくちゃ美味かった。別に福島に限った話ではないが地方は魚も野菜も安くていい。高いお金出しておいしいものを食べる、それももちろん楽しんだけど、440円で刺し身・鍋・お吸い物とお魚フルコースが食べられるのは良いよね。

黄金の稲穂の海、山の向こうに太陽が沈む。僕以外誰もいない。

10月19日(水)、イギリス人の目から見た福島

廃墟と化した双葉高校。庭はまだ除染されていないらしい。

イギリス人の著名な劇作家が福島に来るというので一日アテンドしていた。

「津波で3万人亡くなった。原発事故で15万人避難した」
「Fuck off ! Fuck!(意訳:マジかよ? 冗談だろ?)」
「僕の住む双葉町は11年半無人だった」
「Fuck off」

彼は知的だし国際情勢にも敏感で福島のこともよく知っていた。しかし私たちの常識は彼にとっての常識ではない。

「ここで作られた電気はすべて東京へ送られていた。地元・福島では使われていない」
「それはロンドンと北部の街の関係と全く一緒だ。政治・経済的にロンドンが全てを支配している。ロンドンに住む裕福でリベラルな人たちの決定に地方は振り回されている。ケンイチはなぜ福島へ移住したのか?」
「それは怒りだ。この町やこの辺りに住む人々が受けた仕打ち。今日、風景を見てくれて実感してもらえたでしょう。こんなことが許されてはならない」
「日本に来ていろんな人の話を聞いたが、自分の行動動機に怒りと言った日本人を初めて見た。日本人は調和、同調、ハーモニーを大事にする民族だと聞いた」
「その通りです。昔からそう言われます。一人では稲作はできないからだという説明がよくなされます」
「今日見た光景は本当にweirdだった(weird:奇妙な、不思議な、異質な、恐ろしい等)」

そういえば先ほど「亡くなった」と書いた。しかし英語での表現は”Thirty thousand peaple was dead.”だったはずだ。訳するなら「3万人死んだ」が正しい。僕は日本語を書くときとっさに「死んだ」という表現に耐えきれず「亡くなった」と言い換えた。英語でなら”dead”と言えて日本語では「死んだ」と言えない。英語でもpass awayという婉曲表現はあるが、津波で3万人がpassed awayしたという言い方はなんだか不自然な感じがする。

その夜、ちょうどその前に読んでいた本の影響もあって、記憶の連続性ということについて考えた。連続性こそが命なのではないか。例えば私は40年分の人生の記憶を持っている。間で5年抜けていたりしない。忘れたり、眠ったりはする。しかし連続している。15歳のときにロックンロールを聴いてエキサイトした自分と40歳でしみじみとロックンロールを聴いている自分はずいぶん変わってしまった。ほとんど別の人間である。しかし連続していることを私は記憶している。だから同じ人間だと言い張れる。しかしここ双葉町では11年半分の記憶がごっそり抜け落ちてしまった。この町は震災前後で同じ人間だと言えるのだろうか?

おそらく言える。しかしその11年半の喪失を今後どう埋めていくか。

彼の名前をここに書いていいかどうかわからないので、後ろ姿だけ。

双葉町で飲み会をした話

30秒ピッタリ自己紹介ゲーム!で敗退したGさん(UR都市機構)

私は福島で東京より良い演劇を作る。「本当は東京の方がいいんだけど」なんてことじゃない。「むしろ福島の方が集中して、いい環境で物作りができる」、そういう環境を作ることで復興に手を貸したい。善意やボランティアに頼っては長続きしないので、きちんとマネタイズし、職員に給料を払うことも実現する。そのためには現地の人たちに本当に喜ばれる事業をしなければならない。福島に来る演劇人、福島に住んでいる人々、そしてこの社会、全てが喜ぶ「三方よし」。

というわけで地元の人々とまずは飲み会をしてきた。最初は新聞記者さんたちと飲もうという話からスタートしたのだが、結果的に本当にいろんな人が来てくれたな。福島民報さん、福島民友さん、いわき民報さん、NHK福島支局の人たち、ローカルライターさん。内閣府メンバー、双葉町役場の人々、UR都市機構の方々、ぷくぷく醸造という酒蔵の仲間たち。そして演劇の俳優、スタッフ、などなど……。全員が立場は違えどどうやったら福島を復興・再生できるか人生を賭けて仕事をしている人たちだ。こういう人たちと話すのは楽しい。最近は演劇人同士でもあまり熱弁というか熱心に理想や演劇論を語る人がいなくなった。表現が全体的に自己満足的になっていて寂しい。この双葉町という町には今は本当に何もないけれど、だからこそどうとでも変えていける、どうなるかわからない、町ごとベンチャーのような感覚があって刺激的だ。ぷくぷく醸造の立川さんはこの浜通りで世界と戦えるレベルの酒を作ると言っていた。日本酒は今世界中で戦える商品になったがプレイヤーとして参加しているのは日本人だけ。福島の酒は日本金賞を取り続けているから、この県で一番を取るということは世界の頂点をとるということに等しい。非常に共感する。僕も福島で世界レベルの作品を作りたい。そういう土壌や環境、構造を整備する。

撮影時のみマスクを外しました

最後にこちら、一人ご紹介。この度設立した一般社団法人(登記完了! のちほどリリースなど出しますね)の、僕の上司で伊藤さんという。お見知り置き下さい。

1日飛ばした?

ブログ毎日更新するぞ!なんて言ってさっそく一日飛ばしたじゃないか?と一部の人はニヤニヤしているだろうが、昨日は全く電波の入らないところにいたのでブログどころかTwitterもLINEも何も見えない。なので許してね。先月からキャンプにハマり、着々と「キャンプギア」(キャンプ道具のこと)買い揃えているが、やっとちゃんとしたテントを買った。これまではホームセンターで2980円で売っていた子供のおもちゃのようなテントで寝ていた。これはこれで楽しかった(十分寝れた)んだが、さすがに狭すぎるし、どうやら自分は飽きずに今後もキャンプをしそうだということがわかったのでオモチャではないテントを手に入れた。「きっと使うだろう」と高い買い物をして全然使わない……という類の無駄遣いに自分は我慢がならないので、こうしてしばらく安いもので繋ぐことがよくある。電波が入らないことによってある種の恐怖症から解き放たれることができる。僕はスマホ中毒、ではないんだが、通知一つ見逃して大変な稽古的遅滞や経営的打撃を受けることが多いので、スマホの通知を常に気にしている。支配されていると言っていい。こうやって流石に山奥で電波から遮断されてしまえば、ようやく自分は自由だ。じっくり本を読んだり書いたり、考えごとをしたりすることもできる。

明日は12月に福島でやる公演のオーディションだ。普段以上に書類審査を厳しくやったが(オーディション参加者に無駄な交通費をかけさせては悪いので)、おかげでぎゅっと濃密な人が集まった。夜には双葉町で懇親会もある。

東京で会う双葉町の人々

昨日今日と東京で仕事があったので都内にいた。昨日は練馬区内で美容室「NALU HAIR OHIZUMI GAKUEN」をやっている美容師の作山さんにお会いして……と言うか、髪を切ってもらってきた。「思い出の場所っていうと、なんつっても海っすね。いつも駅に着くと友達の車に拾ってもらって、まず砂浜へ行って、語り合って、真っ暗んなって友達ん家に泊まって、次の日も友達ん家に泊まって……実家に帰るのは2日後とか? 早く帰れよって言う(笑)」……こんななんでもない青春の1エピソード話だが、あの浜辺の今の姿を知っている僕にはとても特殊なセリフに聞こえる。

今日は双葉町に壁画アートプロジェクトを仕掛けた「熱燗師」、高崎丈さんのお店へお邪魔してビジョンと夢を共有し合った。双葉の壁画アートは見るとマジで感動しますよ。

僕をよく知る人は「谷は本当に福島のことずっと追い続けてるな」と思うかもしれないが、本格的に取材を始めてからはせいぜい6年くらいだ。移住してまだ2週間。超新人、ほとんどまだ通りすがりと言っていい。丈さんのような双葉に生まれて双葉と繋がり続けている人(僕の一個上みたいだから、41年!)に人や場所・情報を案内してもらって、少しずつ僕も本当の双葉町民になっていくのだろう。双葉町を「震災と原発事故の町」としてではなく「アートやエンタメ、面白いことが次々起こっている町」として知ってもらうことで、悲劇を終わらせる。遠大な夢だが丈さんたちが打ち込んだアートのくさびはすでに町の景色や意識を大きく変えた。演劇にだって何か手伝えることはあるはずだ。丈さんとはうまく手と手を取り合い、人的・物的・場所的リソースを共有しつつ、選択と集中して投資・投下することで、双葉町を明るく面白く発展させたい。

「熱燗師」高崎丈さんのお店、池尻大橋「高崎のおかん」にて

ということを、やろうとしてます。

ごちそうさまでした

犀門といえば新宿演劇人が御用達にしている飲み屋の老舗で、もういつからあるのだろうか、池林房や呑者家・お多幸などと並んで昔からの演劇人の集う店である。そこで谷が誰かとサシ飲みをした……といえば、「まぁあの人だろうな」と特定されかねないくらいのとこだが、二人きりで飲むのは5年ぶり?ともいう大先輩にして盟友と久々に飲んで来た。大した話じゃないので今日はここまで。