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機動戦士ガンダムZZを見たけれど

先日、富野ガンダムで唯一全話見てなかった機動戦士ガンダムZZを全話見た。前半はビーチャとモンドの利敵行為にイライラさせられ、中盤はリィナしか見えず猪突猛進を繰り返すジュドーにイライラさせられ、後半に入ってもプルに引っ掻き回され続ける展開にイライラさせられ、「俺は大人の戦争が見たいんだ」と思ったが、考えてみたらこれは子供が戦争させられる話であった。そこに感情移入できないのなら、もちろん見ても面白くないだろう。

もともと富野監督も、前番組の機動戦士Zガンダムが暗く複雑になり過ぎたことを嫌って、子供向けアニメに立ち戻ろうとしてガンダムZZを企画したのだ。子供向けに作られているものを見て「大人向けのものを見せろ」というのはお門違いだろう。ただ、初代機動戦士ガンダムがあれだけヒットしたのはちっとも子供向けでなかったからだろうし、続く機動戦士Zガンダムがカルトな人気を維持しているのもやはり大人を引き付ける禍々しさが作品に満ちているからだ。ガンダムZZがあの路線を取ったからと言って小学生の間で絶大なブームを生んだという話も聞かないし、やはり今一つターゲットがピンぼけしてしまった作品という印象を抱く。

ガンダムZZも例えば機動武闘伝Gガンダムくらいに吹っ切れていれば僕もゲラゲラ笑いながらしかし真剣に見れたのかもしれない。しかし、ZZは途中からシリアスになってしまうし、よくギャグ路線と言われる前半だってそれほど振り切れたものではない。魅力的なキャラがいないわけではないし、モビルスーツのデザインに光る物もある、見れるところがないではないが、やっぱり中途半端だ。

個人的にはハマーン・カーンというカリスマ的キャラクターが、こういう尻すぼみな終わり方をしてしまったのが残念である。Zガンダムの時点では、シャアやシロッコと並んで年上の世代すなわちオールドタイプを圧倒する女傑として登場した。キャラクターの粒としてはシャア・アズナブルに匹敵する発明だったのだ。だから元々、TVシリーズのガンダムZZの後半にはシャアが登場する予定だったという話を聞いて複雑な気持ちになる。元々の構想ではハマーンは、シャアとジュドーという二人のNTをライバルに立ち振る舞うはずだったのだが、この構図からシャアは取り上げられてしまい、グレミー・トトという思想も何もない、血統しかない小僧を宿敵にされてしまった。ハマーンからすればグレミーは実に鬱陶しいハエのような存在だったろう。彼の造反さえなければネオ・ジオンはサイド3を完全に掌握し、ジオン公国の再建にまでこぎつけていたはずだったのだ。それより何より、思想のないグレミーというライバルをあてがわれたせいで、ハマーンも思想を語る場を与えられなかった。もう一人のライバルであるジュドーは素朴で肌感覚のある……と言えば聞こえはいいが、屈折していたアムロやカミーユと違ってどこまで行っても「普通の子ども」である。もちろんジュドーは「普通の子ども」であったからこそ、アムロのように戦闘マシーンにならずに済んだのだし、カミーユのように精神崩壊もせずに済んだ。ルーというパートナーやリィナという妹と絆を築くことができた。しかし、ハマーンの最後のライバルが「普通の子ども」であったことは本当に残念なのだ。もし最後に語り合う相手がシャアだったとしたら、ハマーンは最後に何か名台詞を語って散っていったはずなのである。

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