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牡蠣に思う(今と昔と、これからと)

過去に私を規定する力はないはずだ。しかし私は経験の蓄積によって成り立っている。

昔懐かしい戦友と久々に会って牡蠣など貪り食ったのだが、牡蠣の味が変わってしまった。今の僕にとって牡蠣なんてものは何の意味もない、時間つぶしの食い物になってしまった。本当に欲しいものが何なのか、私はまだわかっていないのだ。青春が終わってしまった実感を毎日のように感じながら、まだ青春の消化試合のようなことをやっている。それ以外の生き方がわからない。日常に沈殿する生き方のやり方がわからないのだ。だからいつでも来年死ぬようなつもりで生きている。

「今日を人生最後の日だと思って生きろ」なんて言葉は嘘だ。本当に大きな仕事をしようと思ったら一日では何もできない。明日も明後日も来月も生きているつもりでなければ、私は何もできない。もし今日が最後の一日なら、俺なら多分そうだな、カフカかヘッセでも読み返しながらウイスキーを飲み続けて、文章と酒に酩酊しながら死んでいくだろう。

牡蠣を食った店でhideの曲が流れていた。あんまりにも懐かしくて中高生の頃の自分がふっと蘇ってくる。あの頃の自分には未来しかなかった。何者でもない自分を強く恥じて反抗ばかりしていた中で、ロック音楽だけが「それでいいんだ」と許しを与えてくれていた。今や反抗を許してくれる音楽なんてテレビでは流れなくなってしまったし、そもそも僕はテレビを見ない。そもそも僕は、演劇以外、何もやっていないのだ。望むことと言えば、目ン玉飛び出るような新作を作ることだけになってしまったが、果たしてそれでいいんだろうか。

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