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福島取材・浪江町を歩く

福島県・浪江町も、この3月末まで避難指示が解除されなかった。ちょっと用事があったので一晩だけ過ごすため、立ち寄った。

駅徒歩1分の建物なのに、まだこんな具合
駅徒歩10分。一階部分が押し潰されているまま、残っている。
これも駅徒歩10分。一階部分がナナメになったまま、取り残されている。

今まで福島・宮城といろんな街を歩いてきたが、避難指示が解除された街の中で、ここまで手付かずの風景は初めて見た。

警察署で話を聞いた。若くて親切なお巡りさんがあれこれお話してくれた。この警察署にはちょっと思い入れがあって、警察官だった俺のじいちゃんが60年前に働いていた場所なのだ。つまり俺は、じーちゃんの遥か後輩と話したということになる。じーちゃんが守っていたこの街を、この若いにーちゃんが守ってくれているんだと思うとそれだけでちょっと嬉しい。

「浪江はちょっと特殊で、戻ってくる方もたいてい、家を壊しに来ます」

とても高齢でとりわけこの街に思い入れがあるような方を別にすれば、大半の住民は街には戻らず、行ったり来たりの暮らしをするか、家を壊しに来るらしい。ネットを検索したらこんな記述があった。

避難指示が解除されると、住めなくなった家にも税金がかかるようになる。そのため、やむを得ず自宅の建て壊しを選ぶ人が出ている。 / “震災から6年近く経った今、家が次々と壊される浪江町 福島の空にドローンを飛ばす理由とは”より

今日は日曜日で、解体業者や役場の人間もほとんどおらず、街はもぬけの殻だ。せっかく避難指示解除された街にこの言葉を使いたくはないが、“ゴーストタウン”というのが一番しっくり来る。ちょっとだけ動画を撮ってきたので、載せておく。

ホテルのおっさんと仲良くなった。平日でも夜中は人気がほとんどなく、ホテルの前にはよくイノシシさんやらハクビシンさんやらがやってくるらしい。イノシシは夜行性だから気をつけろと言われたが、店も開いてないので夜中に出歩く予定はない。

お袋が子供の頃に住んでいた番地を訪れたが、さすがに半世紀近くが経過しており当時の建物は残っていなかった。しかしLINEのビデオ通話で街並みを見せながらお袋と話しているとさすがにショックらしく、「今でもこんなんなの?」と驚いていた。いつだったか、実家で震災のニュースを一緒に見ていて、お袋が何も言わずにチャンネルを変えたのを覚えている。ムリもないだろう。俺も今の家のある場所がこうなっていたらと思うと、ちょっと正視に耐えないだろう。

浪江の前に訪れた飯舘村とは、復興へ向けた取り組み方も全く違うだろう。農業を立て直すのも大変だが、都市を立て直すのにはどうしたらいいのだろう。ほとんど絶望的な気がする。隣町の南相馬市は多くの買い物客で賑わっていたから、普通に考えればそちらに人は流れてしまう。住む人が増えれば少しずつ商業施設も増えていくだろうが、自治体レベルの努力では手に余るだろう。産業を興すのだって簡単ではないはずだ。破壊するのは一瞬だが、元に戻すのは並大抵のことではない。

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