「ウェア・アー・ユー・フロム?」
急に声をかけられ、振り返ると7歳くらいの女の子がママと手をつないでこちらを見ている。「ジャパン」と答えるとニッコリ笑い、気を許したのか、次々と「街は?」「名前は?」などと聞いてくる。あれこれ答えてやってると「私、日本大好き!」と言うので「日本のどこが好き?」と尋ねたら、恥ずかしそうにもじもじしはじめた。
「アニメ? ニンテンドー? スシ? 何でもいいよ」
それでもずっともじもじ。ママ経由で聞いてみると、日本について、特に何も知らないらしい(笑)。でも何となく好きな国。そういうイメージだそうだ。それでもピカチュウ、マリオは知っていたから「ザッツ・ジャパン!」と褒めておいた。
そのあと「一緒に写真を撮りたい」というのでカメラを向けたら、慌ててオモチャのサングラスをかけた。一緒に写真は撮りたいけれど、素顔のままは恥ずかしいらしい(笑)。「何だよそれ!」と思うけど、その気持ち、すっごくよくわかる。日本の子どもも、やるよね。
だいぶ日本から遠い国だけど、こういうとこは同じなんだな。

* * *
日本が外国人問題でもめているの、海外から耳にすると、本当に、本当に、本当に心配になる。人と人だから、もめることもあるだろう。でもわかりあえるはずだとも思う。こうして外国で見知らぬ少女と話していると、特に。
彼女は日本を何も知らない。ピカチュウ、マリオの国としか知らない。大人に聞いてもデーモンスレイヤー(鬼滅の刃)とかナルトとか言うだけで、誰も石破茂も高市早苗も知らない。でも「大好き!」。これがスタートラインだ。
人と人が憎み合うのは自然な状態じゃない。だから日本で排外主義者と呼ばれている人たちにもすごく複雑な背景があるはずで、その言葉をもっとよく聞かないといけない。表面的な言葉ではなく、底の底の、本当の言葉を。彼らを攻撃してはいけない。彼らを憎悪や攻撃、不安に駆り立てているものを突き止める必要がある。
僕は排外主義は容認できないけれど、それは日本の知識人たちへの失望から来ているということが実感を伴ってわかるから、これは本当に大変な問題だなと思っている。お互い「ネトウヨ」「パヨク」と見下し合っていると、本当にひどいことになるだろう。

今、僕がいる地域では宗教間の対立が激しい。日本からニュースだけ見てると毎日殺し合いしてるように見える。でも現地ではふつうに異教徒同士が挨拶や買い物をして暮らしている。ただし路地裏にはびっしり政治ビラが貼られてたりして、それを政治的に分断しようという勢力がいることもわかる。とても複雑だ。
こないだレストランで郷土料理を食べていると、隣にいた青年に「これはうちの国の首相も食べた」と自慢された。「へーすごいね!」と盛り上がっていると、「首相は地元の英雄だ!」と言ったあとで、「でも他民族の分断も進めている」、「僕はそれを誇りに思えない」とつぶやいた。まるで他の客に聞かれるのを怖がるかのように、声をひそめて。
悲しいことに、愛は、愛そのままでは伝わらず、他者を攻撃することで示される場合がある。より強く攻撃できる者が、より深く愛していると思われることがあるのだ。それは本当は、愛の本質とはまったく関係ないのだけれど。
そして愛には、信じて待つことしかできない。しびれを切らして攻撃しだすと、それは、もう別の何かになってしまう。
* * *
サングラスの少女と遊んでいるとどんどん人が集まってきて、写真撮影大会になってしまった。「私も!」「俺も!」「こっちも一枚いい?」とすごい人だかりで、途中でお調子者の青年に「何で僕と撮ってんの?」と聞いたら「わかんない」と言われた。この野郎(笑)。

もはや誰一人、何のために写真撮ってるのかわからん状態だ。(実際にはこの10倍近い写真がある)

誰が何人で、どの宗教なのか? このとき、たぶん、誰も考えてなかったと思う。

ちなみに「日本人だ!」ということで人気を博したはずの僕も、最後はいつの間にか「チベット人でしょ?」とか言われていた。ええ、もう、それでもいいです……。
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