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月: 2022年11月

おたより返し、11月3日(木)

午前中ひたすら双葉の家で執筆をする。本当に静かなので筆が捗る。原稿を2つくらい脱稿。その後冷蔵庫の余り物を悪魔合体させて謎の焼きうどんを作って昼食を済ませた後、車で20分ほど南下し富岡町を訪れ市民芸能祭を観てきた。僕と同じく「演劇でなら何とか浜通り復興できるんじゃ」と同志である青木先生が作品を出展していたので観てきたのだ。富岡演劇祭、上演団体募集中です。製作支援金最大50万円

このブログ、10/1から毎日更新するぞ……ということを宣言しまして、病気や二日酔いの時を除いて今んとこちゃんと毎日更新してんですが笑、驚いたことに僕が毎日更新しているように毎日「支援」=課金してくれている方がいる。頭が下がる。たまに1000円とか5000円支援してくれる方もいて(中には最大で一度に5万円も支援してくれた方もいた)、本当にありがとうございます。

そんで「支援」すると同時にメッセージを送れる仕組みになっているんだけど、そこで寄せられたコメントのいくつかにここでお返事を返してみようと思う。以前返信したら「返信なんていいからお仕事に専念して下さい!」なんて恐れ多いコメントもあったので全てのコメントに返信をするということはやっていないのだが、すべて目を通してはいます。中には鋭いコメントもあるので、それにいくつかお答えしよう。

いつもブログ更新、ありがとうございます。(略)もう福島に住み始めて1ヶ月になるんですね。相変わらず、お忙しいようで、あっという間に過ぎたのではないでしょうか? 色んな活動をなさっているのが、ブログを通じて、実際に比べたら少しだと思いますが、伝わってきて、今後の展開がとても楽しみです。谷さんきっかけで、福島に連れて行ってもらえるのを、今から楽しみにしております!

ありがとうございます。この方はもうずっと、三部作上演の頃から欠かさず観にきてくれている方です。「僕が福島に連れていく」、谷賢一による福島ツアー、今、企画しているところです。僕が福島の見どころをご案内し、車であちこちお連れして、夜は鍋でも囲みながら『福島三部作』の映像を観る、地元のアーティストたちの話を聞く……そんなツアーにしようと思っています。きっと楽しいだろう。↑のAさんは是非ご招待させて頂きます。

浜通りに様々なアーティストや戦略を持った人達が集結して熱いですね! 特に官庁などは利用されるかさせて貰うかのせめぎ合いが楽しく、谷さんなら今後の国政の方針などにもお詳しいと存じますので国の予算や制度利便も利用できるよう頑張ってください。

仰る通りで、国、県、官公庁、そういったところとの連携が非常に重要になります。今は自己資金、つまり持ち出し(僕の自腹)で大体のことをやっていますが、これではもちろん長続きしません。そしてよく言われる「自己責任」「自助努力」、これではこの地域は復興できるわけがないんです。ただただ市場原理・自由競争に任せていたら、一度住民ゼロになった町では商業でも工業でも農業でもインセンティブがあるわけない。戦えない。何かのテコ入れは必要です。僕は自身の作品や表現を通じて自力で誘客することももちろん考えていますが、同時にどれだけ行政と足並みを揃えられるかが鍵になるだろうと考えています。

Webメディアでの連載楽しみです!
白虎隊敗北後新政府にいじめられてその後も損な役回りを担って来た福島にはいつかリベンジして貰いたいですが、以前中通りで車の運転をしたとき怖い思いをしたり西と比較してやっぱり嫌な側面も有るので福島の様々なディテールに迫った展開を期待しております。

「車の運転をしたとき怖い思いをした」ってどんなんだかすごい興味ありますが笑。それはさておくとして、Web連載ぜひ楽しみにしていて下さい。11/15くらいに公開できるんじゃないか、という話で進んでいます。ブログは毎日更新して、気軽に近況報告書き散らかしていきますが、Web連載の方では「100年後の人に伝えるつもり」というテーマで書こうと思っています。

今日の記事で谷さんが書いていたことと壁画アートの写真に感動しました! 双葉、行ってみたいなあ。未来が本当に楽しみで記事を読んでワクワクしました。希望をありがとうございます。谷さんが双葉でどんな未来を思い描いているのか、いずれ記事に書いてくれたら嬉しいです。

ありがとうございます。僕は本当に、この双葉町で最先端の演劇が生まれる、アートで盛り上がっている、世界的に見ても価値のある作品が生まれている……そういう町にしたいと思っています。来てもらえたらわかりますが、そしてエアコン取り付けにきた電気業者さんも取材に来た雑誌の人もみんな口を揃えて言いますが、「双葉は難しい」。本当に難しい町なんです。普通に戦ったら勝てない。でも今、演劇に限らず美術や音楽、その他さまざまな文化の力でこの町に少しずつ追い風が吹いているのを感じます。住む人にとっては懐かしくあたたかい、訪れる人にとっては珍しいものがたくさん見れる、そういう町にできたらいいですね。

いま福島県浜通りが一番面白い、11月2日(水)

6時半起床、8時まで寝床でゴロゴロしつつアイディアメモの整理など行い、銀行業務、役場にて家賃を払う、デスクワーク少々、ウェブ連載の原稿を何度も何度も推敲したのち送付、その後ダルカラ演劇学校の講義準備&教科書執筆。わかりやすくて読みやすい。専門書ほど難しくなくWikipediaよりは整理されてる。そういうバランスを目指して執筆している。読み物として面白いって大事なことだ。たまに読み物として面白い上に勉強になるなんて書物がある。そういうのを目指したい。

午後、新聞取材一件、僕の年末の公演までの足跡を追っかけたいという嬉しいお申し出。企画会議通るといいな。その後雑誌取材一件。演劇雑誌でも福島の新聞でもなく、とあるライフスタイルの雑誌から。県の職員さんも同行されていたが彼曰く僕は双葉町の移住者第一号で確定らしい。ありがたい!

取材後ぐったり疲れて30分だけ仮眠。その後浜通りのアーティストたちが集まるアーティスト・ネットワークの決起集会へ参加。

現地参加27名、オンラインでの参加も加えればもっと。僕は演劇の人間だが映画の人や現代美術の人もいたし、町おこし、地域づくりのNPOや一般社団法人などの他に、アート・ディレクター、キュレーター、デザイナー、プランナー、フォトグラファー、ビデオグラファー、ライター、ディレクター、ヨガの人、シェアハウスやコワーキングスペースの運営、障害者福祉、公共劇場の人、役場の人、内閣府の人……。本当にいろんな人がいた。

福島県浜通り地方というのは原発事故により「全員避難!」と言われて一度もぬけの殻となり、どの町もそこから町を復興するという無理難題にトライしている。なので自然とアーティストやベンチャーの人が増える。今回の議題は「アーティストみんなで連携することでそれぞれの事業や効果を強化・効率化できないか」というものだった。旗振り役を務めてくれたmaruttりかちゃんは本当に賢い女性だ。素晴らしい引き合わせだ。僕もアートで町を立て直そうと考えている若者や同業者たちと出会えて刺激になった。こんなに面白い人が集まっている地域は日本中どこを探してもないだろう。全ての町がフロンティアなのだ。野心家ばかりうごめいている。

興味ある人は是非ご連絡を下さい。このアートネットワーク連携が成功した暁にはマジで福島浜通りが芸術的に言って最も新しい地域になっている可能性が十分にある。そしてそうならなければならないのだ。私は何も「地方にしては面白いよね」なんてレベルのものをやろうとしてるわけじゃない。国内でも最高峰の、そして国際的にも戦えるレベルのコンテンツを発信しようとしている。福島浜通りは大変なビハインド、難しさを抱えてしまった町だ。「それなりに面白い」なんてレベルのものでは戦えない。「世界的なレベルで面白い」コンテンツを作り、発信する。そうでないと勝ち抜けない。僕はそういうものをこの地域に持ち込むつもりでいるのだ。

11月1日(火)、ふたばふたたび

AM9時、銀行業務。また月末締めに間に合わなかった僕はポンコツだ。AM10時、ファミレスで執筆・事務作業など。進行中の企画について進展が見えて嬉しい。AM11時、再来年の執筆作品についてZoom会議。会議は踊り何だかよくわからん着地をする。卵が先か鶏が先かとよく言うが、やはり私は先にテーマを話すということが不毛に思える。「面白い」と思えるプロットや題材を見つけたのちにテーマが出てくる。炙り出されてくる。テーマ優先で書き出すと説教じみた話になりがちだ。あれは6年前だったか、デヴィッド・ルヴォーにアドバイスをもらって以来、社会的な問題について書くことをためらわなくなったが、それでも「テーマ性よりも芸術性」「意味より面白さ」という芸術至上主義を忘れずにいたい。何かを言うために演劇をやるのではなく、演劇をやるために何かしら言う……そう言っていたくにおんちゃんの言葉に僕は今でも深く共感している。

13時半から新国立劇場演劇研修所にてシーンスタディ。各幕を順番に読み合わせし短くダメ出しや意見交換・ディスカッションをする。今日は非常に難しい話題に触れた。観客を感動させるのは俳優にしかできない仕事だ。演出家はお膳立てしかできない、直接観客を動かすのは俳優だけ、つまり演劇創造の主体は俳優なのだ……という話と、共同創作する以上は全員がシーンに責任を持つこと、時として「私はそれには反対だ」「私はそれをつまらないと思う」と意見表明することの意義を話した。相手が僕のような三下でなく宮田慶子だろうが栗山民也だろうが「私はこう思う」「私は違う」と俳優は話していいし話すべきだと伝えた。もちろん「共同作業」は非常に難しい行為でありこんな簡単な原理原則だけではうまくいかない。お互いの領分・領域を認め合い体重を預け合うような信頼関係が必要だ。経験や現場勘も重要になる。しかし俳優は誇りあるクリエイティブな仕事だということは伝えたい。数年後プロの現場に彼らが飛び込んだときに思い返して欲しい。

18時に稽古場を飛び出し3時間半ドライブして1週間ぶりくらいに福島に戻ってきた。若干の寝不足で途中意識が遠のきかけたため大量のブラックブラックガムを買いコーヒーを爆飲みして常に「ワーッ!!」と叫んだりラジオやナビの音声に「なーるほどね!!」「了解!!」「マジでー!!」などとリアクションしながら運転していた。駐車場で仮眠しようとすると眠れないのに運転していると眠くなる、こういう時はこれくらいしか対策が思いつかない。

双葉につくとあまりの静けさに驚いた。全く人気がない。完全な静寂だ。寂しくも思うが同時に「帰ってきたな」という感覚もある。入居が10/1だったから気づけば今日で入居後1ヶ月が経った。当初はかなり意識して「東京へ行く」「双葉へ戻る」という表現をするように気を付けていた。気を抜くと「東京に戻る」と言ってしまうので。今ではすっかり「双葉に帰ってきた」と意識せず言えるようになった。そして、ちょっと落ち着いている僕がいる。ビジネスパートナーの菊池さんと短く雑談をして別れた。この短い会話も何だか「双葉で友達と会う」という小さな喜びに満ちていた。彼女の話によれば近所に小学生の兄弟を子供に持つ世帯が越してきたらしい。早く彼らの騒がしく遊ぶ声を耳にしたい。