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月: 2022年9月

明日から入居なので家族で福島へ来ているが、実は単身赴任であること

ニコニコとマシュマロを焼く妻と無力にもおぶわれる次男氏(1歳)

10/1からマジで福島へ移住します。住民票も移します。数十年ぶりに福島県民になる私です。よく聞かれる質問で「ご家族はどうされるんですか?」というものがあるが、お返事は簡単で「家族は東京に残ります」ということになる。なぜか。

保育園がないんです。

私の移住する福島県双葉町は、もうかれこれ11年半、原発事故の影響で帰還困難区域、帰ってはならぬ、居住してはならぬという土地でした。11年半、誰も住んでいなかった凄まじい町です。晴れて今年の8月30日に避難指示が解除され、ようやく住めるようになったけれど、戻ってきた住民は(僕もさっき聞いて驚愕したんですが)わずか30人ほど。元は8,000人いた町が、今は30人。しかもそのうち20人は町役場関係者すなわち行政職員だというから、要はほとんど誰も帰ってきてないわけです。

11年半無人で、今は人口30人。そういう町ですから当然、コンビニ一つありません。病院もない。スーパーもない。図書館すらないわけで、これは違憲状態ですらあるはずです。「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」はずですが、何もない。すると当然、保育園なんかないんです。だから家族を連れて来れない。

今僕が住んでる東京都練馬区ですら保育園の獲得時には大戦争で、今の保育園を何とか・ようやく・ギリギリでゲットできた。だから簡単に保育園辞めますなんて言えない。しかも上の子と下の子で別の保育園を指定されたのでめちゃくちゃ不便している。それでも保育園がないと、僕か妻かどちらかが、仕事をやめて家事育児だけに専念するしかなくなる。保育園がない町では、子育ても無理だし、男女共同参画も無理なんです。

そして双葉町には保育園も幼稚園も一つもない。小学校も中学校も高校ももちろんない。となると残念ながら今時点では、ファミリー世帯の移住は無理という結論になります。だから僕の住民票だけ移すことにしました。妻子全員のを移すと通える保育園が根絶してしまいます(これは非常に切実な問題です、保育園落ちた日本死ね)。

私のようなヘンテコ演劇アーティストが移住して暮らすことは十分できる。むしろ創作に集中できていいかもしれない。しかし保育園がない、求人もアルバイト募集も何もないこの町へは、とてもじゃないけど家族ごと引っ越しては来れない。僕が単身赴任をするという事実自体が、いかに福島の浜通り・双葉町に課題が山積しているかという一つの指標にもなっているわけです。これを解決しないと、子育て世代、ファミリー世代は入って来ない。

ここをなんとか、人が暮らせて、子供を育てられる街にしたい。さぁ大変だぞ!

とは言え僕だけ単身赴任するにしても、家族は家族なわけですから、是非とも近隣の住民にうちの家族を紹介したいと思ってみんな連れてきました。妻子も応じてくれて今日は港で魚をたくさん買い、バーベキューなんかしたりしました。しかしこの町の人口は30人にも満たない……となれば、そもそも紹介する人がいるだろうか。

長男は自然に触れて大変楽しんでおりました。あと恐竜の公園でエキサイトしていました。それだけでも僕としては嬉しい。せっかくの土日有給を潰して福島に帯同してくれている妻もありがたい。しかし5年か10年か、時間が経てば、家族でも住める町になるのだろうか? 双葉町は。そういう大きなプロジェクト、問題に、私たちは直面している。

なんて、それもこれも全て「東京に電気を送るため」に生まれた問題なんですがね!

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豊岡演劇祭のこと

これから私の人生の第二章と言うか、新たな挑戦が始まる。すでに様々な困難に遭遇しており、さてどうしよう、打開策は何だと考えたとき、トンチンカンに聞こえるかもだけど「ブログを毎日更新すること」じゃないかと思えてきたのでこれから毎日更新してみる。何を今更そんな15年前のテキストサイトみたいなこと言ってんだと思われそうだが僕もコツコツWeb日記を書いてReadme!のランキングを上げていた世代だ(もはや誰にもわからない話)。原点に戻る。そこに活路がある。かもしれない。Twitterはもはやまともに議論できる場所ではなくなってしまったのでほとんど何も書けないし、古風だがブログをコツコツやってみよう。

先週まで兵庫県の豊岡演劇祭を視察してきた。これから福島に移住して現地で演劇をやるにあたって、平田オリザと青年団そして豊岡市の人々がどのように「地方と演劇」のニューバージョンを切り開いているのか知りたいと思った。

8月に行ったエジンバラフェスティバルは「まぁ10日もいれば十分だろう」と思ってえらく後悔したので、今回は演劇祭の期間中ずっといた。9/15~25までいて主要な演目は全部観た。トータル20本観たので地上で五番目くらいには豊岡演劇祭を見尽くした人だと思う。

豊岡演劇祭は初年度(2020年)でもコロナの打撃を食らいつつも7500億円だったかな?の経済効果を上げたらしい。使った予算を大きく上回る経済効果をもたらし、地元に5000泊とも言われる宿泊客需要・観光業需要を盛り上げたとか。豊岡市はもともと城崎という超有名温泉観光地があり冬はカニがめちゃくちゃ旨くて神鍋高原でスキーができて……と観光都市で有名なのだが、9月は特に客が少なく民宿や旅館も閉めてしまうところが多かった。だからこの9月に演劇祭をあてたらしい。この目論見はかなり成功しており今年2022年は1万泊もの宿泊需要の増加が予想されているとかで、実際僕が行ったときは本当に宿が取れなかった。それでヘンテコなラブホテルの跡地みたいなとこを借りてひどい目にあったりもした。俺がではなくそこに泊まった後輩がだ。今回、ダルカラに出てくれた若者たちをごっそり連れて行ってやったりしていたので大量に宿を確保する必要があったのだが、豊岡の温泉宿は1泊2万も3万もするのでとても借りられない。そこでヘンテコなラブホテルの跡地を借りたらすごいとこに遭遇してしまって……。話が逸れたからやめる。

途中で帰った人もいるので最後にいたメンバーとだけ記念撮影した。若いうちになるべく演劇祭は観ておいた方がいい。

撮影のときだけマスクを外した人がいました

演目では市原さんのは圧巻だったし、多田さんのハッピーハッピーな巡回演劇が最高だった。青年団の『日本文学盛衰史』は僕の視点が変わったのか初演よりもぐっと面白く切実に見えた。『銀河鉄道の夜』も初めて観たので、ああオリピーは昔っからずっとこのことについて書いてるんだな……やっぱり漱石先生と似ているな……なんてことも考えた。あと『新・豊岡かよっ!』がめちゃくちゃ面白かった。地方都市で地元とやる演劇ってこれが正解なんじゃないか。うまく地元をまとめよう・繋がろうと思ったとき策士策に溺れるでいろんな作戦を考えるが、シンプルに「演劇をする」ということで繋がる、そうだこれこそ基本かつ最強の戦術なんじゃないか?ということを思い出させてくれた。CoTiKのことも思い出した。

他にも素晴らしく面白いものがいくつかあったが毎日更新しようと思うと長文書いてたら続かないのでもう終わりにする。観た公演や参加したイベント全部書いておこう。坂口修一リーディング公演『お父さんのバックドロップ』、カミーユ・パンザ演出『思い出せない夢のいくつか』、岩下徹×梅津和時 即興セッション『みみをすます (谷川俊太郎同名詩より)』@永楽館、劇団 短距離男道ミサイル『BNN』、青年団『日本文学盛衰史』、山海塾『降りくるもののなかで―とばり』、ルサンチカ『Good War』、『新ハムレット』、Platz市民演劇プロジェクト『新・豊岡かよっ!』、ヌトミック『ぼんやりブルース 2022』、小川未明『花咲く島の話・船の破片に残る話・強い大将の話・ある夜の星たちの話』(観る予定だったが台風のため公演中止、残念!)、ON-PAM、しんしんし『しんのいし』、烏丸ストロークロック『但東さいさい』@久畑 一宮神社、ノイマルクト劇場+市原佐都子/Q『Madama Butterfly』、Mi-Mi-Bi『未だ見たことのない美しさ ~豊岡ver.~』、小菅紘史×中川裕貴『山月記』@玄武洞、劇団あはひ『光環(コロナ)』、豊岡物語プロジェクトB、多田淳之介『スーパーハッピーYBランド2022~チルチル&ミチルのハッピーツアーズ~』、青年団『銀河鉄道の夜』。

谷賢一、福島県・双葉町に引っ越します

一年以上準備していたんですが、ようやく正式に入居許可が届いたのでお知らせします。私・谷賢一は、2022年10月1日から福島県・双葉町に引っ越します。東京での演劇活動も継続しますが、住民票は福島県双葉町へ移し、今まで以上に「わがこと」として福島と原発について考えていこうと思います。

少し経緯や、夢について書きます。有料記事ですが最後まで無料で読めますので、是非お願いします!

双葉町とは

福島県双葉町。『福島三部作』の舞台になった町で、大熊町と同じく福島第一原発の立地自治体として知られています。そしてこの町は、震災から11年半、ずっと人口がゼロ人でした。11年半、誰も帰れなかった。この悲劇が想像できるでしょうか。今年の8月30日、ようやく一部地域(全部ではない)で避難指示が解除され、新たな一歩を踏み出したところです。

左はGoogle Mapより 右はWikipediaより

私はもともと母と祖父母がお隣の浪江町の出身で、私自身は郡山市生まれ・石川町育ち。双葉町とは特にご縁はなかったのですが、三部作の取材を続けるうちにすっかり愛着が芽生えてしまい、2019年に三部作が完成した後も、数ヶ月に一度は必ず様子を見に行っていました。どうしても放っておけない、常にずっと気にかかる町です。要は好きになっちまった。

しかし同時に、住民の95%が帰還できない、町の面積の90%が立ち入り禁止という、異常で残酷な、許してはならない、あってはならないことが起きている町でもあります。震災と原発事故はまだ終わっていない。