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データで語る重要性~「なんとなく」危ないと語ることの「とてつもない」危なさ~

福島のことを話していると時々、こんなような言葉に出くわします。

「とは言っても、やっぱり危ないんでしょ?」
「統計には出ないレベルで健康被害が出てるんじゃない?」
「除染したって言っても、本当はガンが、奇形が……?」

いずれも「データや統計はない」が「危ないだろう」、あるいは「データや統計自体を信じられない」というような意見です。一見、良識的にも見えるこういった言葉が、実は「やっぱり福島の野菜はちょっと」「住んでたらガンになる」等の風評被害を後押ししていること、そしてそれが実は人の命さえ奪っていることを、多くの人に知ってもらいたいと思い、この記事を書きました。

私がした恐ろしい体験

かつて私が体験した恐ろしい話をします。

福島の現地取材を始めた2016年頃。使命感に燃えた私はある農業関係者とお話する際、「良かれと思って」汚染の実態を強調して喋りました。私は事態の深刻さを理解している、あなたの味方ですというつもりで。しかし返ってきた言葉は冷ややかなもので、「谷さんのやってること、データもないのに汚染を強く言うことが、風評被害のはじまりなんだよ」。言い方はもっと丁寧でしたが、深く胸に突き刺さりました。

あのときの気持ちを思い出すと今でもぞっとします。福島のためを思って喋っていたはずなのに、いつの間にか自分が風評被害に加担している! 差別を生み出している!

私がお話した農家の方たちは「政府の対応を待っていては遅いから」と自腹でお金を出し合って、東京の大学と組んで除染の実験とデータ収集を行っていました。1ベクレルの違いにさえ目を光らせて、少しでも正確に被害の実態を把握しようとして。そこへ何も知らない無知な劇作家が現れて実態以上に土地の汚染を言い立てれば、農家の方はどういう気持ちになるでしょうか。腹立たしい、悲しい、つらい、悔しい、許せない……。僕には想像することしかできません。

汚染や危険について語るなとは言いません。しかし語る以上は極めて慎重にならなければいけないと、このとき以来襟を正しました。もちろん汚染や危険を新たに立証したデータがあるなら、早く世間に知らせて共有し、すぐに追加調査や対応を行うべきです。しかし「データはないけど危ないはずだ」と言い募ることは差別と紙一重、いえ、差別そのものにもなり得ることを知りました。こういう言説は僕は絶対しない、許さないという決意をしました。それは自分の贖罪のような意識もあったのかもしれません。

私は福島へ足を運び、目の前にあの農家の方がいたからこそ、自分の言葉の危険性に気づくことができました。しかし目の前に誰もいないインターネット空間では、この危険性に気づくことが難しい。書籍『福島三部作』には膨大な注釈をつけました。それは私なりに福島を語る上で適切なデータやソースを示そうとした努力の形でした。あれでもまだ、不十分だったのではないかと思うことがあるくらいです。

悲しい、しかしよくある掛け違いとして、原発をなくすため、あるいは国や東電を批判するためには福島の汚染を強調して言わなければならないと信じている人たちがいます。「汚染を強く言わなければ国と東電を利することになる!」という声を浴びせられ、閉口したこともありますが、それで傷つくのは国や東電だけでなく福島に住む人々・働く人々です。あれだけ甚大な事故ですから、正確なデータを言うだけでも原発反対を訴えるには十分です。15万人以上が故郷を奪われた。いくつもの自治体や家族が離散させられた。多くの自殺者や差別を生み出した。他にいくらでも挙げられます。データに基づき、事実を正しく述べるだけでも、原発反対を訴えるには十分なのです。データにもない誇張をする必要はありません。

ストレスこそ最大の被害 – 2320人の命を奪った「震災関連死」

あまり知られていないことですが、福島の原発被害で放射能以上に人体に悪影響を与えたものがあります。ストレスです。避難や移住、離別や失職などに加え「やっぱり危ないかも」という放射線リスク不安が心を蝕み、健康被害に繋がったのです。風評被害は野菜や牛・魚が売れなくなるだけではなく、人の心身の健康を蝕んでいるのです。

放射線不安が強い抑うつ状態を引き起こし心身の健康を蝕んでいることは、福島県と福島医大の共同調査などにより明らかになっています。また放射線リスクを強調することが不安や偏見、差別やスティグマ(烙印)を生み、うつ・PTSD・睡眠障害・問題飲酒・いじめ・強いトラウマ体験などを引き起こしています。放射能はもちろん恐ろしい。しかし、それを実態以上に強調すれば、ストレスや不安という新たな被害を付け加えることになってしまうのです。

放射線事故と健康不安 – 環境省
県民健康調査「こころの健康度・生活習慣に関する調査」について

ストレスの恐ろしさは、震災関連死の数字として明らかになっています。震災から10年、地震や津波による直接的な被害ではなく、その後のストレスや避難生活の中で命を落とした方は3775人にも及びます。そしてそのうち2320人が福島県民なのです。すなわち原発事故に由来するストレスが、比喩ではなく人の命を奪っているのです。放射能そのものではなく、放射能への恐れや長期化する避難生活での疲労やうつ・ストレスが、2320人もの人の命を奪ってしまった。このことはもっと広く知られるべきだと思います。

「だから放射能は危なくない」なんて言ってるんじゃないんです。むしろその逆。ストレスだけでも人を殺す、それが放射能被害です。絶対、脱原発はするべきですが、無根拠に放射能被害を強調すればそれだけでさらにたくさんの人が死ぬ可能性がある。

東日本大震災から10年 「震災関連死」認定は3775人に – NHKニュース

風評被害は野菜や魚が売れなくなるだけでなく、人の命を奪いかねない。いや、もっとはっきりこう言ってもいい。間違った言葉は、人の命を奪う。だから僕は、福島を語りながら、その言葉に常に気をつけてきた。実態以上に被害を強調することが、人の命をも奪いかねないことを考えて、福島について書き続けてきた。これからも書いていく。

メディアや表現活動で言葉や情報を発信する者は、大変な注意が必要になります。……ここまでがこの文章の論旨です。以下は少し細かいデータを紹介しますが、ご参考までにお読み頂ければと思います。

遺伝的影響に関する誤解 – 広島との比較から

常に放射能の数値や情報に触れてきた福島県民は、おそらく今、全国で最も放射能リテラシーの高い県民ですが、それでもそのうち35.9%もの人が「子や孫・次世代以降に遺伝的影響が起こる可能性」について「高い」あるいは「非常に高い」と答えています。

平成30年度「こころの健康度・生活習慣に関する調査」結果報告 – 福島復興ステーション

「低線量被ばくが人体にどういう影響を与えるかわからない」というのはよく言われることですし、全否定はしませんが、広島・長崎・チェルノブイリなどの事例を研究する中でかなりのことがわかっています。例えば原爆投下直後の広島と原発事故直後の福島を比較すると、100倍どころか10000倍、あるいはそれ以上に広島の線量は高かったわけですが、ここから一つの推論が引き出せます。

事故直後の福島の線量は、最も高かった地域でも、4ヶ月で1.4mSv – Synodos
原爆投下直後の広島は244Sv(ミリではなく!)、数時間の滞在で200mSvという数字も – VEC

広島・長崎の放射線が長いスパンで見て健康にどのような影響を及ぼしたかを確かめるため、1950年から継続的に12万人を超える対象者を追跡調査したLSS(Life Span Study=寿命調査)という調査があります。これにより、あれほどの高線量を浴びた広島でも次世代への遺伝的影響はなかったことが統計的に立証されており、被ばく二世・三世への差別は全く不当だということがわかっています。

放射線による健康影響 – 環境省
被爆二世における染色体異常 – 環境省
原爆被爆者の子供における放射線の遺伝的影響 – 公益財団法人放射線影響研究所

一時期は福島と比較にならないほど線量が高く、今と比べて除染や放射能防護に関する知識も圧倒的に少なかったであろう広島・長崎の例でさえ、長い時間・大量の人を調べた統計的な調査で子や孫の代への影響がないことがわかっているのです。それなのに放射能リテラシーの高い福島県民でさえ、35.9%もの人々が不安を感じてしまっている。これは、多すぎる数値だとは思いませんか。福島県民は、必要以上に、放射能を恐れている。それがストレスにもなっている。それをさらに、強調する意味はあるのでしょうか?

今、必要なのは、正確な統計・調査・データを重んじ、福島県民が必要以上に感じている不安やストレスを取り除いていくことではないでしょうか。

低線量被ばくについて、もう一言 – 基準値の500分の1以下

UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)は、外部被ばく線量について「100mSv以下の場合、明らかな健康影響はこれまでに確認されていない」と報告しています。

現在の福島はどうでしょう? 例えば郡山市では年間で0.05mSv、より原発に近い南相馬市でも同0.2mSvという数値が出てきます。UNSCEARの指標である100mSvの500分の1以下です。全く問題にする必要がないレベル。むしろこれくらいの数値なら、福島以外の土地、東京でも大阪でも出てもおかしくない、非常に低いレベルです。原発立地自治体を含むごく一部の地域では今も帰還困難区域として立ち入りが厳格に制限されている箇所がありますが、歩いて入れる場所の線量は基準値の遥か下まで下がりました。

令和2年度第2回個人積算線量測定結果 – 南相馬市
令和2年度個人積算線量測定事業(小中学生)第3回測定結果概要 – 郡山市

とは言え、「データそのものが信じられない!」という人もいるでしょう。国や東電の隠蔽体質がこれほど大きな事故を招いたのですからその報告が信じられないというのは理解できます。しかし国や東電に批判的な学者や医療関係者、さらには国連の調査団も同様に福島の安全性を確認しつつあります。国際放射線防護委員会(ICRP)、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)、国際原子力機関(IAEA)、世界保健機関(WHO)、様々な国際機関が調査していますが「今すぐ避難せよ」「遺伝的影響があるかもしれない」なんて言ってる機関はゼロです。また、各自治体が行っている除染や検査は国際基準に基づいています。国や東電はともかく国連の調査や国際基準まで疑うのなら、現代科学は何も信じられなくなってしまうでしょう。

「福島県民がん増える可能性低い」 被曝線量を下方修正 – 朝日新聞デジタル
健康被害「考えにくい」甲状腺がん増は検査の結果―国連、福島事故で報告書 – 時事ドットコムニュース

私も国と東電の責任は今後も追求され続けなければならないと思いますし、原発のない世界を作っていきたいという思いは同じです。しかし、そのためにデータにもない汚染を言い募れば、また一人、なぜか福島の一般市民が被害を受けます。今ある酷い被害の実態を訴えるだけで、原発の危険を伝えるのには十分です。

「福島のため」と思ってした発言が、かつての私のように風評被害のはじまりになってしまうかもしれない。それどころか、もしかしたら一人の無辜の福島市民を傷つけ、死に至らしめてしまうかもしれない。公に発言する方々には、その可能性を頭の片隅に常に置いて欲しいと思います。

内部被ばくについて

食べ物や飲み物を通じて放射性物質が体内に入ることで引き起こされる内部被ばくについても、少しだけ書いておきます。食の安全・水の安全を考える上で参考になるはずです。

福島県では、実際に県民が食べる食事を1人分多く作ってもらい、その放射性物質を測定する「日常食検査(陰膳検査)」を行っています。原発事故から2年しか経っていない2013年の検査結果でも、一番多い人で28μSv/年、ほとんどが1桁μSvまたはそれ以下です。これは外部被ばくの1000分の1程度の数値です。一方で呼吸による内部被ばくは、大気中の放射性物質量を測って呼吸量を掛けて計算しますが、食事による被ばく量のさらに100~1000分の1です。福島での内部被ばくは無視してかまわないレベルであると言えます。

平成25年度日常食調査結果一覧 – 福島県

また「生物学的半減期」というものについても知っておく必要があるでしょう。体内に取り込まれた放射性物質が排出され、半分になるまでの時間を生物学的半減期と呼びます。例えばセシウム137でいえば物理学的半減期は30年ですが、生物学的半減期は100日程度です。放射性物質を一度食べると体内にたまり続け、内部被ばくし続けるということはありません。ましてや上記のように1桁μSv以下の放射線量では、人体に影響を及ぼす可能性は極めて低いと言えます。

私がデータを強調するのは、データより風評の方が強いからです。福島県民はあらゆるデータを提示し続けて来ましたが、未だに福島の野菜を「なんとなく」買わない人が8.1%もいます。事故後十年でずいぶん減りましたが、まだ8.1%。これを減らすのは簡単ではありません。100のデータを提示しても、たった1つの「なんとなく危なそう」という声のせいで、福島にはまた汚染の烙印が押されてしまうのです。

第14回風評被害に関する消費者意識実態調査 – 消費者庁

最後に

私がなぜイチ劇作家でありながらデータの提示にこだわってきたか、短くまとめました。

イチ劇作家に過ぎないからこそデータを大事にしているとも言えます。私の放射能に関する知識はせいぜい学部生レベルであり、専門家とは言えません。だからこそリファレンス(参照)やソース(引用元)を大事にし、専門家の知恵と研究をお借りしなければ、こんなにデリケートな話題については話せない。そう思って必死にデータを追いかけてきました。

最後に一つ蛇足をつけたすとしたら、私のこの文章も含めてあらゆる情報について、それが何を根拠として書かれているのか、一次情報やソースは何なのか、きちんとした信頼性のある著者や団体が書いているのか、逐一検証する必要があるということです。私はこの文章について間違いがないよう点検し、ソースをリンクを張って提示し、信頼できる福島の専門家にも目を通してもらっています。しかし、しょせんはイチ劇作家の書いた文章です。科学、専門家、それらの知識にもっと我々は耳を傾けるべきです。

私は所詮、文学者に過ぎません。私に言えるのは「言葉は人を殺す」ことがあるから「データの提示を必ずするべき」という極めて人文学的な結論だけです。しかしそれは皆さんよく考えて頂きたい。良かれと思って吐いた言葉が、人を殺すこともあるのです。私たちは科学の声にもっと耳を傾けなければなりません。福島で最初に大きく自殺が報道がされた農家は、風評被害に絶望し、生きる自信と誇りを奪われた畜産家でした。今後も謙虚にデータに耳を傾けながら、劇作家として責任のある言葉を書いていきたいと思います。

4 Comments

  1. 福浦陽子 福浦陽子

    谷さんの、事実に真摯に向き合う姿勢に賛同致します。
    また、ワークショップ中に交わされた言葉でのやり取りについて、引き受けておられる責任について、表現者・演出家としての矜持を拝察いたします。
    どうか、ストレスにより、損なわれることの少なきよう、お祈り致します。
    また、私自身も「言葉、事実を大切に扱うこと」を再考していこうと思います。

  2. 柏恵 柏恵

    谷さんこんばんは。今は夜なのでこんばんは、で。私はこの騒動の事知りませんでした。ワークショップでの議論がここまでに発展した事に驚きましたが きっとお相手の方も引くに引けなくなったんですかね。私は個人的には 何を発言しようが 個人の責任の元発言した言葉なら 基本的には何を言うのも自由、と思っています。その底辺には 相手を傷つけるかもしれない 相手に恨まれるかもしれない 誤解を招くかもしれない…それも含め 考えて言いなさいよ、となるわけです。つまりは 自由に、と言っておきながら実は自由に話すなんてことはできないわけです。だから、谷さんのワークショップで起きた事のように 議論を闘わせ あーでもないこーでもない、と言い合えた空間はとても貴重で気持ちよさげな空間にも見えてしまう…当事者は はらわた煮えくり返る思いなのでしょうが。
    さて、福島のデータに基づいた検証についてですが、あくまで個人的な印象ですが、原子力自体は安全なものなのだ、と思ってしまいました。使い方さえ考えれば安全なのかもな、と。私の祖父母、両親は広島で生まれ育ちました。祖父母は被爆してます。両親はいわゆる被爆2世、ってことですね。子供の時から被爆者、という言葉がとても身近にあり、原爆、という得体の知れない化け物に小さい頃から何となく恐怖を感じ また興味も持っていました。小学生の時、勇気を振り絞り祖母に戦争の時の話を聞かせて、とお願いしたことがありました。どうしても知りたかったんです。でも 祖母の口からは 何も語られず、「あの時の事は悲惨すぎて思い出したくもないんだよ、ごめんね」と。いつもは優しい祖母が 顔がこわばり言葉少なに応える様子を見れば 子供だった私でも察しがつきます。福島の方達も同じなのかな、と。地震、津波…防ぎようもない天災によって突然日常を奪われ、大切な人の命を奪われ、さらに原発という怪物が付きまとってくる…途方もなく終わりなくのしかかってくる重圧。逃げてもいいし、忘れてもいい、それで生きていけるなら。でも、逃れられない人もいる。ずっと、2011.3.11から止まったままの人もいる。負ってしまった傷が癒えることはないだろうし、震災以前に戻ることはないんだろう。生きていかなくては、とある意味前向きな方は風評被害の問題に向き合えるだろうけど、まだそこにまでたどり着けてない方も たくさんいるはず。はず…なので、これはデータに基づいた発言では無いので流してくださいね。オチを見失ってしまったのでどこに落とし所をつけたらいいのかわからなくなってしまいましたが、谷さんは勇気あるな、と思いました。何かを感じ、行動し、また感じて、行動する…それを傍から観てる私達がどうのこうの言う立場にはないです、だってなにもしてないのですから。可哀想、なにかしてあげたい、と思っていても何もできないのが大多数です。その中で谷さんは実際になにか出来ないか…と、行動したひと握りの希望なんだと思います。責任も伴います、覚悟もいりますよね、偉いなぁと思います。何も出来ない私ですが、せめて福島産のお米や野菜を美味しく頂くことですかね、出来ることは。あとは正しい情報を精査して見つめていくことくらいなのかな。知らない人とは仲良くできないけど知れば仲良くもできます。まずは知ること。どんなに文明が進んで テクノロジーが進んだ世の中になっても人の交わりはプリミティブだと思ってます。そうありたい、と思ってます。谷さんから発信される現実を、これからも注視していこうと思います。長々と駄文をすいませんでした。

  3. 伊井一夫(Ichio Ii) 伊井一夫(Ichio Ii)

    谷さん、演劇でのご活躍の様子、喜びに堪えません。大事なこと、当を得た議論、またよく調べていることにも感服しました。
    ”低線量被ばくについて、もう一言 – 基準値の500分の1以下”の項。
     ちょっと細かいところでひっかったところがあります。低線量被爆について”100mSv以下の場合、明らかな健康被害はこれまでに確認されていない”とICRPで報告されていますが、100mSv以下であれば安全という訳ではありません。安全の基準値としては放射線作業者では20mSv/年、公衆被爆としては1mSv/年としています。公衆被爆の基準は自然界からの被爆量の2mSv/年と比べても低く、基準としては意味をなさないので、20mSv/年を基準として比較するのがよいと思います。公衆被爆としては1mSv/年というのは公衆の被爆はなるべく抑えるようにしましょうということです。これは、確定的な被害(急性障害)は100mSv/年以下では出ませんが、確率的な影響(ガン化のリスク等)は100mSv/年以下でも線量に比例してあるとみなしているからです。これば、放射線量が低くでも安全とは言えない派の根拠になっています。私は個人的には、5mSv/年以下にしたいと思っていますが、1昨年、心臓の検査で注入された放射性同位体の量が7mSvと聞いてびっくり、福島の食品、環境からよりも被爆量としては不要な医療による過剰被爆を避ける方がいいでしょう。

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